彗星の如く我々の世界に現れた奇病は、瞬く間に勇者の間に広まっていった。
例の樹木モンスター、戦闘力はそうでもないがヤツの出す“粉”が厄介だ。まともに喰らえばリエールのような症状を発症し死に至る。
まぁそうなれば蘇生すれば良いだけなので話が早いのだが、問題は症状の軽い者である。
症状はくしゃみや鼻水などの鼻炎症状および目の充血、掻痒感など。
死ぬほどの症状ではないが、勇者の集中力を奪い戦意を削ぐ悪質かつ執拗な攻撃である。
ヤツらは樹木に擬態し、そこらへんに潜んで日々粉を散布している。
どこに潜んでいるかなど分からない。逃げ場などない。
「くそったれが!! 木なんか全部切っちまえば良いんだ!」
と意気込んで森へ入っていった勇者は顔面を鼻水と血に塗れさせ、物言わぬ死体となって教会へ戻ってきた。
止まらない鼻水と涙で霞む視界の中では勝てる戦いにも勝てないというもの。
「しかし考えましたね。こんな方法で勇者を無力化するとは。これは偶然なのでしょうか。それともなんらかの計画……?」
「そんなことより神官様、例のもの、例のもの下さいよぉ」
ああ、もう鬱陶しいなぁ。
俺は纏わりついてくるオリヴィエから強引に距離を取る。
「だから、マーガレットちゃんの花弁ならこの前お渡ししたじゃないですか」
「あれはカタリナに取られちゃったんですよ……」
「なんでまた花びらなんて取られちゃうんですか」
「な、なんでですかね。はは」
曖昧に笑うオリヴィエの後ろから、カタリナがにょきっと顔を出した。
「オリヴィエがよく舐めてるから美味しいのかと思って」
「ちょっ、言わないでよカタリナ!」
「舐め……?」
花弁なんて何に使うのかと思ったら。
人の闇なんて覗くもんじゃねぇな。
俺は聞かなかったことにして話題を少しそらす。
「っていうかそんなの口にして大丈夫なんですか。植物モンスターの花弁ですよ?」
カタリナはローブの袖からうちわと見紛う大きさの花弁を取り出し、ちゅぱちゅぱと吸う。
「最初はちょっと口が腫れましたが、今は大丈夫です。ほのかに甘いですよ」
「それ本当に大丈夫なんですか……? というか、二人してこんなとこで油売ってていいんですか。最近勇者達が動けないせいで魔物がのさばってるって話じゃないですか」
オリヴィエは悲しい顔で首を振る。
「だからですよ。僕たちだけではとても太刀打ちできません。リエールも例の奇病にかかってしまいましたし」
「そうですか……それにしても二人はなぜ平気なんでしょう?」
例の樹木型の魔物、シダーと戦ったのはカタリナとオリヴィエも同じだ。むしろテイマーのリエールより剣士のオリヴィエと死にたがりのカタリナの方がシダーとの接触は多かったはず。
「体質なんですかね。他にも奇病にかからない勇者は何人かいますよ。それを言うなら神官様だって平気そうじゃないですか」
「私は勇者じゃありませんし。教会から出る機会も少ないですから」
「いやいや。この辺り、結構粉が飛んでるみたいですよ。近くにシダーが潜んでいるのでは?」
「まぁ似たようなのは庭に植わってますけど……ん?」
「どうしました?」
首を傾げるオリヴィエに、俺は静かに言う。
「……すみません。今日はもう帰っていただけますか。たった今急用ができました」
「そ、そんな。あの、花弁は」
またそれか! 俺は声を張り上げる。
「無理矢理引き千切るわけにいかないでしょう! 落ちた物があったらちゃんと渡しますから。ほらほら行って行って。はいはい、神のご加護のあらんことを」
「そんな雑な……」
中毒患者の如くわなわな震えるオリヴィエを俺は扉へと追いやるのだった。
*****
「またかよ!!」
石造りの薄暗い地下室に響き渡る怒声。
揺らめく燭台の光が椅子に縛り付けられたグラムの顔に陰影を作る。
「ホントなんなんだよ。せめて拉致る前に用件を言ってくんない? そしたら大人しく着いていくかも……いや、まぁそれはないか」
おいおいグラム君、良いのかい?
そんないつまでもグチグチ言ってるとアイギスさん怒っちゃうよ?
アイギスさんがグラム君の髪をひっつかんで凄む。ほら言わんこっちゃない。
「黙れウジ虫! 今すぐその口を閉じないとこの前貴様が自慢していた最新式の斧とやらで頭蓋をかち割ってやる。切れ味バツグン、コスパ最強とは貴様の言葉だったな?」
お前らちょっと仲良くなってない? なに世間話してんの?
まぁ良いけどね、ちゃんと仕事やってくれれば。
「教会に地下室なんてあったとはな。まぁでも、ここの居心地は悪くねぇ。俺も例の奇病ってヤツに悩まされてティッシュが手放せなかったからな」
強がりのつもりか。グラムは口の端を持ち上げるようにして笑って見せる。
「なるほど、それは私としても好都合です。アイギス」
「はい」
アイギスが取り出したのは、白い紙にこんもりと盛られた金色の粉。
グラムの体がビクリと震える。
「な、なんだそれは……?」
「くく、何をすっとぼけているんです。なんとなく察しはついているんじゃありませんか? ほら、目が赤くなってきましたよ」
「まさか……まさか!!」
「ま、うちの庭で採れたものですけどね。朝採れ新鮮花粉です」
「なんで!? 拷問?」
「シダーの粉に耐性のある人間には特徴があります。マーガレットちゃんの花粉に何度か曝された者です。マーガレットちゃんと何度も戦ったアイギス、花弁を日常的に含んでいたオリヴィエとカタリナ、そしてマーガレットちゃんのすぐそばで生活をしていた私。マーガレットちゃんを相手に訓練していた勇者たちにも耐性を持つ者がいるようです」
マーガレットちゃんとの戦闘後に勇者たちが涙を流していたのは、敗北の悔しさからじゃない。
花粉への防衛反応だったのだ。
「じゃあそれは治療薬……ってことか?」
「いいえ。これ自体がシダーの粉と同じような種類の毒物です。ですが、この種類の毒はどういう訳か複数回の暴露により耐性がつきます」
「本当か!? じゃあそれで治療すればこの地獄から解放されるんだな」
「ええ、その通り」
グラムの顔が暗い地下室で爛々と輝く。
しかしすぐ、何かに勘付いたようにハッと血走った眼を見開いた。
「あっ、いや待て。確認だけど、その、耐性ってすぐ付くんだよね?」
「……………………」
「なんか言えよ!!」
こいつ見た目ほど馬鹿じゃないんだよな。
まぁ馬鹿だろうがそうでなかろうがグラムにはどうすることもできない。
俺は適当に誤魔化す。
「耐性を付けることを目的として意図的に花粉を投与するのはあなたが初めてです。なので聞かれても答えようがないんですよ。個人差もあるでしょうし。まぁそれはこれから解明していけば良いこと」
「やっぱモルモットかよ! や、やめろ。それを近付けるな」
「天国とは、地獄を乗り越えた先にしかありません。なんの代償もなく天国へ行きたいなんておこがましいにも程がある。大丈夫です。死ぬかもしれませんが、何度でも蘇生させてあげます」
「クソが! これが聖職者のやる事――ぶっきゅしゅん!! ぶえっくしゅん!!」
アイギスに口封じを頼むまでもない。
金色の粉をまぶされたグラムの目がウサギのごとく赤く染まり、肺が破裂しかねない激しいクシャミが石造りの地下室に反響する。
この治療が上手くいけば勇者たちの仕事もはかどるはずだ。
問題は、勇者がこの治療を受け入れるかどうか。そして治療の副作用のせいで蘇生の仕事が増えそうなことだなぁ……