……?
俺は首を傾げて、アイギスを見る。
相変わらず嬉々として同族殺しをやってらっしゃる。
そして他方、フェイルを見る。
目の前の惨状に口元を押さえ、肩を震わせている。目には涙の膜が張り、表面張力ギリギリで保っているような状態だ。
――似てる。
甲冑や剣と言った装備はもちろんだが、赤髪、凛とした顔の作り。
困惑していると、アイギスが哀れな勇者の首と血塗れの星を手に満面の笑みで振り向く。
「これは神官さん! ご安心ください、神官さんの蘇生のご負担が少なくなるよう一撃で首を断ち切っております。見てくださいこの滑らかな切断面……を……」
綿菓子が水に溶けるようにアイギスの笑みが消えていく。
手に持った勇者の首が消えると同時に、アイギスはその手を腰の剣に伸ばした。
「久しいなフェイル。父上はご健勝か」
フェイルは目に浮かぶ涙をさっと拭い、何事もなかったかのように答える。
「ええ。しかし今の姉様の姿を見れば大層悲しまれることでしょう」
「ふふ……天下の血聖騎士団団長がこの程度で悲しむものか。手緩いと怒鳴られる光景は目に浮かぶがね」
なんだよ、やっぱりお前ら姉弟なの? まぁ確かにちょっとキャラかぶってんなとは思ってた。
っていうかアイギスの親父が騎士団長ならわざわざ弟君に取り入る必要はないな。俺は曲げていた膝を伸ばし、揉んでいた手を解いた。
「このような蛮行を許しておくわけにはいきません。姉様、もうおやめください」
「なに言っている。もうすぐ星が七百集まる……じゃなくて、紛れ込んだ魔物を倒すために必要だからやっているに過ぎない」
「他に方法があるんじゃありませんか。姉さまはいつもそうだ。強引で、意地っ張りで、考えなしで……家を出る時だって、俺に相談もなく!」
「お前は相変わらず優しいな。その優しさが、戦いの中では命取りになるぞ」
アイギスがふっと息を吐き、するりと剣を抜く。追随するようにフェイルも剣を抜く。
「少しは剣が扱えるようになったか? お前は弓ばかりで剣の腕はからっきしだったからな。騎士ならば剣を扱えねば話にならないぞ」
「俺はもう貴方が知っている俺じゃない。勇者なら手加減する必要はありませんね。棺桶に入れて王都まで運んで差し上げます!」
二人の騎士が激しくぶつかり合う。常人の眼には捉えられぬ剣戟。
フェイルの方が手数が多いように見える。戦いのことなど俺には分からないが、なんとも美しいフォーム。
しかしどんな攻撃も当たらなければダメージを与えることなどできない。
アイギスはフェイルの攻撃を華麗なステップで、剣でいなして、あるいは背をのけ反らせることで躱していく。甲冑を纏っているとは思えない軽やかさ。
おちょくっているような動きに、フェイルは不快感をあらわにする。
「なにをふざけているんです!」
「それはこちらのセリフだ。まさかそれが本気か? やはりどこまでいっても“泣き虫フェイル”のままか」
アイギスさんの煽りが冴えわたる。フェイルの柔らかハートにクリーンヒットしたらしい。実際アイツさっき泣いてたしね。
フェイルがアイギスに突っ込んでいく。今までとは明らかに違う、精彩を欠いた大味な動き。
アイギスの策略にまんまとハマった、ってとこか。
ガラ空きになったフェイルの脇をすり抜け、アイギスは彼の背後にまわる。ロングソードがフェイルの甲冑を擦り、火花を散らす。
前のめりになって地面に膝をつくフェイル。真新しい白銀の甲冑に、大きな傷がついてしまった。
勝負あったな。力の差は歴然。まぁ魔物と死にながら戦っている勇者が実戦もまともにやったことのない半分貴族みたいな騎士に負けるはずないか。
「この程度の揺さぶりに足をすくわれるなど、言語道断。貴様は昔から精神が弱い。だからこんなことに――」
あーあー、これは長いぞぉ。アイギスさんの尋問はネットリ長いからなぁ。
よく考えたら、なんで俺が他人の姉弟喧嘩を見なきゃならねーんだ。くだらん。帰るか。
ん?
路地をグラムが駆けてく。ルビベルの姿は見えない。一人だ。
そうだった、ルビベル!
俺は二人の騎士たちをちらりと見やる。
「違う。俺は、俺の力はこんなものじゃなぁいッッ!!」
「なっ……覚醒した、だと?」
まだかかりそうだな。よし、行くか。
俺はじゃれ合いを続ける姉弟を置き去りにして、ヤツを追いかけることにした。
にしてもアイツ、足が速い。
何かを探しているのか。時々足を止めてキョロキョロしている。そうでなければとっくに置いてかれていたことだろう。
とはいえ、そろそろ限界だぁ。足が上がらなくなってきた……
「ルビベル……こんなとこでなにやってんだ!」
曲がり角の向こうからグラムの声が聞こえてくる。
良かった、ルビベルを発見できたようだ。
やっぱアイツダメだわ。拷問事件多発してて向こうの通路では命がけの姉弟喧嘩してるってのに子供から目を離すなんて。ったく、姉弟喧嘩もそろそろ佳境か。血の匂いがぷんぷんしてきやがる。
ルビベルになにもなかったから良かったものの。俺は通路からひょいと顔を出す。
息が止まった。
「あ、神官さんまで……」
袋小路でルビベルがもじもじとしながら影に隠れる。なんの影だ? モニュメントのように見えるが、こんなとこにそんなものあっただろうか。暗くて良く見えない。俺は目を凝らす。西日のせいか? ルビベルの頬が妙に赤い。
……いいや、赤いのは頬だけじゃない。体中血塗れだ。その一角だけ、血の雨でも降ったように濡れている。
「う……うあ……」
ルビベルが隠れたモニュメントがウゾウゾと動き呻き声を上げる。
いや、モニュメントなんかじゃない。肉塊――違う、まだ辛うじて生きてる。人だ。さっきの不審者か。
「ヤ、ヤダ……見ないでよぅ」
ルビベルは肉塊から覗かせた耳をピコピコと動かす。
なるほど、見られたくないのは当然だ。殺人の現行犯だからね。だがルビベルの態度はそういうのと違う。彼女にあるのは捕まることへの恐怖や焦燥ではなく、羞恥心だ。
不思議だ。大人でも慣れていない者ならば失神するような惨殺死体が側にあるにも拘わらず、ルビベルにそれを怖がるような様子は見られない。
彼女の体が血塗れであるのも、彼女の側に勇者の死体があるのも、彼女が手に血まみれの刃物を握っているのも、ただ俺が幻覚を見ているだけなのだろうか。
「う……うう……助け……」
あの肉塊、まだ意識も失っていないらしい。命を奪わずここまで痛めつけるにはかなりの技術を要するはず。
これをルビベルが? なら、今までのも? だとすると、拷問魔は……
「ルビベルの元の主人は優しくて紳士で社会的地位のある――変態だった」
グラムが静かに話し始めた。
「幼い女の子に痛めつけられるのが好きなマゾ野郎だったんだ。元から獣人には狩猟本能ってヤツがあるらしくてな。元主人の狂った教育もあって、ルビベルは時々血を見たいっていう衝動が抑えきれなくなる」
ロリコンでドマゾ?
ヤベェ性癖だな。一体どんな生き方したらそんな業が深い性癖になるんだ。捻れ過ぎてて、一周回ってスゲー真っ直ぐなんじゃないかって錯覚を覚えるほどだぜ。
ん? 待てよ。
確かグラムも酷い拷問を受けて教会へ来たことがあったな……
俺はドン引きした。
「じゃあ、あの時あなたもルビベルに」
「ふっ……」
グラムは悲しげに微笑む。
なに笑ってんだドマゾのロリコン。殺すぞ。
「この子は何も悪くない。むしろ被害者なんだ。変態に弄ばれ、歪んだ価値観を植え付けられただけだ。もちろん魔物共とこの子は何の関係もない。それに、それに……ルビベルが殺したのは勇者だけだ。勇者なら蘇生できるだろ」
あー、そうだね。勇者なら別にいっかぁ……
ん? そうかな?
まぁ良いや。俺は考えるのが面倒くさくなって頷く。
「なるほど、あなたの言うことも一理あるのかもしれません。ま、私たちが論じたところで何の意味もありませんがね」
俺は怯えたような表情を浮かべたグラムにゆっくりとした動きで手を差し伸べる。
「さぁ、その子をこちらに。教会本部にその子を送ります。道徳の授業は神官にお任せ。教会本部でしっかり教育しますから」
しかし予想通り、グラムは俺の手を突っぱねた。
「嫌だ! 目を見れば良く分かる。あの子の宝石のような目をお前のように濁らせたくはない」
「黙れ!! 渡さないなら……」
そこまで言って、次の言葉が浮かばず言いよどむ。
えっ、マジどうしよう。力じゃ勝てねぇしな。
「う……ぐ……俺は、俺は一人前の騎士……だ……」
む、この声は。どうやら姉弟喧嘩が一区切りついたらしい。
「あ、ちょっと待っててくださいね」
俺は二人に断りを入れて路地の曲がり角の向こうへと体を引っ込める。
よろよろと歩いてくるフェイルが目に入った。
精神攻撃についてはこっぴどくやられたらしく目からハイライトが消えているが、体の方は問題なさそうだ。さすがのアイギスさんも勇者でもない弟の首を刎ねることはしなかったらしい。
「フェイル! こっちです。助けてください! あなたの力が必要なんです」
騎士が喜びそうな言葉を言ってやると、ヤツの瞳に微かな光が灯る。
よし、再起不能ではなさそうだ。
「拷問魔です。向こうにいる勇者を殺してください」
「こ……殺す?」
フェイルの声が微かに震えている。
まさか、人を殺したことがない?
「ま、大丈夫。誰にでも初めてというものはありますから。壁の血の染みでも数えながら剣を振るえばすぐに終わります。ん? 剣が折れていますね。他に武器は?」
「ゆ、弓なら」
「よし、それで行きましょう。どこにしまってるんです。早く弓出して。そんなだから泣き虫だのなんだのと言われるんですよ」
フェイルの眼の色が変わる。虚空に手を伸ばし、何かを掴むような動作をする。
次の瞬間、フェイルの手には確かに弓があった。ただの弓じゃない。輝く光の弓。多分実体はない。魔力で創り出した弓だ。
コイツ、魔法も使えるのか。魔法戦士ってヤツだ。伊達に団長の息子やってねぇな。才能の塊だ。やっぱ取り入っておいて損はないかも。
俺は一段階くらい腰を低くしてフェイルの腕を掴む。
「ささ、こっちですよ騎士様。あの男を殺っちゃってください」
フェイルを連れ、グラムの元へ走る。
あの危険幼女を一刻も早く保護しなくては。彼女はグラムの手には余る。
「ははは! グラムめ、大人しくお縄につけぇい!」
俺は曲がり角から飛び出し、礼儀正しく二人に挨拶をする。
だが二人は俺のことなど見ちゃいない。
「早く登れ、ルビベル」
おや、逃げるつもりだったか。
グラムがルビベルを壁の上へ押し上げようとしている。壁を越えて逃げる気だな? そうはさせるか。
「さぁ早く、あの男を射貫いてください!」
……が、いつまでたっても矢は放たれない。
「なにやってるんですか!」
「あ……ああ……」
ん?
フェイルの様子がおかしい。俺は彼の目線を辿る。
すみに転がった、呻き声を上げる肉塊。かつて勇者だったモノだ。
ああ、これにビビってんのか。
「た……すけ……たすけ……て……」
「なぁに、大丈夫ですよ。返事がある。ただの勇者です」
「あ」
フェイルがふらぁっとよろめく。
重心が後ろに下がる。糸の切れたマリオネットの如くだ。しかし倒れる瞬間、ギリギリで足を引き踏ん張る。だがその代償が腕にきた。
瞬間、ヤツは矢を離した。張りつめた弓から放たれた矢はターゲットを逸れ、あらぬ方向へ飛んでいく。
「え?」
それは一瞬の出来事だった。
ここに居る誰もがすぐには反応できなかった。
「あ……ああ……噓だろ……あああ!」
袋小路にグラムの慟哭が響き渡る。
噴き上がる血潮が雨のように俺たちの頬を濡らす。小さな命が消えていく。
体が動かない。
血の気が引いていく。
光の矢は、ルビベルの細い喉を貫いて消えた。