朝起きると、街中大騒ぎだった。
一晩のうちにフェーゲフォイアー中の全商店に泥棒が入ったのだ。
リリーがシーフを探していたのは周知の事実。疑われるのは当然だが、詰め寄られたリリーは必死になってそれを否定した。
「ア、アタシじゃないよ。信じてよ婆ちゃん」
だが、宿屋のババアの眼光はいつも以上に鋭い。
「とにかく話を聞く……来な」
宿屋のババアだって孫娘を疑いたくはないだろう。だが彼女にも立場がある。身内だからこそ、厳しく取り調べなくてはならないのだ。
ババアがリリーに手を伸ばす。しかしリリーは子ねずみのようにババアの手を掻い潜り、人混みの中に紛れてしまった。
一時的に逃げたとしても、どうせこの街の外には出られまい。魔物がうじゃうじゃいることはヤツだって承知してるだろう。
フェーゲフォイアーの街にいる限り、商店街の情報網を掻い潜ることは難しい。
捕まるのは時間の問題だろうなぁ……。
しかし、あれだけリリーの悪評は広まっていた。いまさらヤツの計画に乗る勇者がいるとは驚きだ。
ま、詳しい調査は宿屋のババアがやんだろ。これを期に王都行きも許されるかもな。こんだけのことしといて、この街にはいられねぇだろうから。
さて。早く帰らねぇと。
商店街が大騒ぎしようと、勇者には関係ねぇしな。
野次馬を終えた俺はいそいそと教会へ戻る。
中で待っていたリリーが俺に手を上げて挨拶した。
「よ、神官さん」
「ああどうも……ってギャー! 泥棒です! 泥棒がいます!」
リリーは子ザルのようにとびかかり、俺の口を塞ぐ。
「ししし! 静かに! ……なぁ神官さん、本当にアタシがやったと思ってる?」
俺は手を振り払い、背中に乗ったリリーを降ろした。
「やったんじゃないですか。だって現に私に話を持ちかけてきたじゃないですか」
「違うの! 心を入れ替えたんだよ昨日!」
「なら一昨日以前の計画が今日遂行されたんでしょう」
「ちーがーうー! 誰もアタシの計画に耳を貸さなかったんだ。だから勇者にはなんにも話しちゃいないんだよ! なのにこんな時だけアタシのせいにしてさ……なぁ頼むよ神官さん。一緒にアタシの無実を証明してくれよ」
大人ぶった生意気な小娘が、こんな時だけ子供の顔で甘えた声を上げてくる。
俺は口をへの字に曲げた。
「なんで私が」
するとリリーも口をへの字に曲げ、ババアを彷彿とさせる眼光で俺を見上げる。
「協力してくれないなら……」
「協力してくれないなら?」
どんなに眼光鋭くたって所詮十数歳の子供だ。
勇者たちには手も足も出ない神官さんだが、普通の小娘に押し負けたりはしない。
さすがに腕力では敵わないとリリーも分かっているのだろう。しばし思案した挙句、ヤツは妙にモジモジしだした。なんだよ?
「協力してくれないなら……し、神官さんに襲われたって言いふらしてやる!」
ああん? 何言ってんだこの小娘は。言うに事を欠いてそれかよ。襲われてんのはどう見たって俺だろう、この子猿め。
俺はな、ノーマルなんだよ。お前のようなガキに誰が手を出すか。俺はヤツの言葉を鼻で笑った。
「誰が泥棒娘の言葉を信じますかね」
「……確かに全員が全員信じるかは分からないけど。全員に信じてもらう必要もないね。少なくともアンタの可愛い彼女は良い気分しないんじゃない?」
えっ。ちょっと待て。聞き捨てならない単語が出たぞ。
聞きたくないなぁ。でも放っておくほうが怖い。俺は恐る恐る尋ねる。
「あの、彼女って誰のことですか」
「何とぼけてんの。あの派手な髪の勇者だよ。パステルカラーの。それとも何? 他に何人もいるの?」
背中に冷たいものが走る。全身の毛が逆立つのを感じる。体がひとりでに震える。
パステルイカれ女ァ! 確実に外堀を埋めてやがる!
俺はリリーの肩を掴む。
「一体どこでそんなデマを耳にしたんです」
「ええ? どこって、分かんないけど。違うの?」
「良いですか、あれは彼女ではありません。タチの悪いストーカーです。ヤツにそんなことを言えば、死ぬのは貴方ですよ」
「汚名をかぶって生きるくらいなら無実を訴えて死ぬもん!」
子供ってすぐ死ぬって言う~。
っていうかそういう問題じゃねぇじゃん。死ぬなら俺を巻き込まず勝手に死ねよぉ。
俺の必死さが伝わったか、リリーは急に小生意気な表情を取り戻した。
「なら取引しようよ。もしストーカーにどうこうされそうになったらアタシも助けてやる」
「ええ……小娘に何ができるんですか」
「協力者は多いほうが良いだろ! 言っとくけど拒否権はないよ。誘いを断るならアタシはストーカーさんに味方する。さ、どうする?」
意地の悪い笑みを浮かべて手を差し伸べるリリー。
クソッ……
俺は悔しさのあまり唇を噛み締めながら、ヤツの手を取った。
「分かりましたよ」
とはいえ俺一人でできる事などたかが知れている。
そこで、俺は昨日に引き続きアイギスさんと愉快な仲間たちの手を借りることにした。
ヤツらは街のパトロールなんかもしてるらしい。上手くいけば、怪しいヤツの顔を見ているかも……なんて思っていたのだが。
「申し訳ありません……どういうわけか、昨日の夜は何故か担当の者が全員眠ってしまい、パトロールできなかったんです」
アイギスはこの世の終わりが来るのかと思うほど深刻な顔で頭を下げる。
周りにいる秘密警察の面々も、仮面越しに怯えているのが分かる。あとでアイギスさんにしこたま怒られるんだろうなぁ……
だが、アイギスに日々しごかれてる秘密警察が全員寝坊なんてことあり得るか?
まさかこれも犯人の仕業?
そもそも一晩で誰にも気付かれず商店街中の家に盗みに入るなんて普通じゃない。とんでもない技術が必要だ。一体だれが……
「あんたはまた、神官さんに迷惑をかけて」
心を震わす重低音ボイス。
振り向くと、肩越しに腕組をしたババアが視界に飛び込む。
「ひいっ……婆ちゃん」
「ひええぇぇっ、すみませんすみませんん……ん?」
ババアの後ろには商店街の皆さん。そして彼らに囲まれた……元星持ち女勇者のロージャさん? 縄で縛られて程よくエロくなっている。縛ったのはどいつだ? なかなか分かってんじゃねぇか。
ババアが力強い笑みを浮かべる。
「こっちだってボーッとしてた訳じゃない。犯人は見つけた」
「えっ、どうやって?」
「昨夜、教会に侵入しようとしていた怪しい者を撃退した勇者がいたんだ。その娘の証言を元にみんなで協力したのさ」
すげぇ……ババア超有能……
しかしまさか彼女が。俺は胸元にいきそうになる視線を無理矢理ロージャの眼に向ける。
「なぜ貴方が」
するとロージャは妖艶な笑みを浮かべて言う。
「仕方ないじゃない。王都にも帰れないし、生活にはお金が必要だったから」
おかしい。
星持ち勇者ともあればそれなりに金はあるはずだし、稼ぐ手段だっていくらでもあるだろう。ヤツは嘘を吐いている。
ならば一体なぜこんなことを……
「そっか、アタシを犯人だと決めつけてたわけじゃなかったんだな」
緊張の糸が切れ、涙ぐむリリーの元へ歩みよるババア。
そのまま抱きしめるのかと思いきや、ババアはまたもやリリーの脳天に拳骨をぶち込んだ。
「イデッ!?」
「疑われるような言動をするな! しかもまた神官さん巻き込んで」
ババアは俺に向き直り、その巨体を折り曲げて頭を下げる。
「神官さんもありがとう」
「いや、お礼を言われるようなことは」
「あの娘、若いのになかなか見どころのあるお嬢さんだね」
「え?」
何を言っているんだ?
首を傾げていると、ババアが商店街の皆さんをかき分けて一人の女を引っ張り出した。
「っ……!」
ガチガチとひとりでに歯が鳴り出す。
鳥肌が酷い。背中を氷で撫でられたような寒気が止まらない。
ババア受けを狙ったのか。いつもよりやや落ち着いた色のワンピースを纏った女がパステルカラーの瞳を細めてしとやかに笑う。
ババアは猫を被ったパステルイカれ女の肩を抱き、豪快に笑った。
「犯人逮捕はこの娘のお陰さ。こんな娘、そうはいないよ。大事にしてやんなさい」
俺はすべてを理解した。
そうか……これが、外堀埋め……