「はぁっ、はぁっ……クソッ、なんでこんな……」
俺は教会の扉に背中を預け、そのままズリズリと座り込む。
肺が痛ぇ。喉が灼けるようだ。全力でここまで走ったからな。
血痕があったのは外の路地だけ。見た限り荒らされた家などはなかった。
恐らく家の中にまで入っての殺しはしていないと言うことだろう。
屋内にいれば安全――そう信じて走ったのだ。
俺を出迎えたのは全滅した秘密警察の死体の山。
蘇生させてやれば盾くらいにはなってもらえるだろうか? いいや、望みは薄いな。
「どうなってんのよ……!」
俺は顔を上げる。死体の山の脇で、ロージャが震えている。
ルビベルと交戦し、逃げ切ったのか。さすがだな。しかし無傷では済まなかったらしい。あちこち切り傷だらけだ。
やつは足を引きずりながらこちらへと向かってくる。俺の胸ぐらを掴み、吠えた。
「どうなってんのよこの街! あ、あれは勇者よね? なんでこの街は勇者が勇者を殺すの!?」
そんなのこっちが聞きてぇよ。
だが、今日のルビベルは確かにおかしかった。
あんな無差別な殺戮を繰り返す子では……まぁあるけど……
あっ。そうだ。
「な、なにしてんのよ……アタマおかしくなったの!?」
罵声を浴びせるロージャを無視し、俺は死体の山を崩していく。
いた。ピラミッドの一番下に埋もれていたグラムを引っ張り出す。
切り傷だらけだ。死因は失血死だな。ルビベルによるものだろう。コイツならこの惨劇のあらましを知っているはず。
俺はロージャの喚き声をBGMにせっせとグラムを蘇生させる。
「……発作みたいだった」
ルビベルの状態を、目覚めたグラムはそう表現した。
「ルビベルは、いつも夜になるとすぐに寝ちまうんだ。でも今日は違った。寝かせても寝かせてもベッドから出てきて、窓を開けて外を見るんだ。それで……夜中になって俺も寝ようと思ったら、急に……」
「満月」
俺が呟くと、グラムがさっと怯えたような表情を浮かべる。
「お前、今なに考えてんだ」
「貴方と同じことですよ。変態紳士――ハンバートの言葉を覚えているでしょう。“必ずこの僕を頼ることになる”とヤツは言っていた。つまり、ヤツはこの状況への対処法を知っているというわけだ」
俺はグラムの腕を引っ張り、強引に立ち上がらせる。
「さぁ、早くハンバートの屋敷に行ってください。ルビベルの保護者なら、この惨劇に決着をつけないと」
「アイツに頼るなんてゴメンだ! 行くならお前が行けよ」
「イヤですよ! 死んだらどうするんです!」
俺は女神像(大)にしがみつき、生への執着を見せつける。
グラムもグラムでどうして良いか分からないらしい。何を思ったか、俺の肩を掴んで女神像(大)から引き剥がそうとする。
「じゃあせめて付いてこいよォ~ッ! 頼むからさァ~!」
「ヤダヤダッ! それは神官の仕事の範疇を超えている!」
俺は身をよじって抵抗するが、勇者とはそもそもの身体能力が違う。
「あああ~」
俺は間抜けな悲鳴を上げながら女神像(大)から引きずり降ろされる。
クソがっ、なんで俺がヤツの無理心中ツアーに付き合わなきゃならんのだ。
俺の命は蘇生の利かない尊いものだ。お前らの吹けば飛ぶ虫けらの如きそれとは違うんだっ。
だが、俺が抵抗する必要はなくなった。
会いに行くまでもない。向こうから出向いてくれたのだ。
「言っただろう。貴様らに彼女の制御はできない」
開け放たれた扉に、やり手経営者然とした変態のシルエットが浮かび上がる。
頭上に浮かぶ大きな月がハンバートの顔を蒼白く照らす。その表情は自信で溢れていた。ヤツの自負が現れている。自分だけがルビベルを手元に置けるのだと、他の人間には無理なのだと、ヤツはそう思っているのだ。
そしてそれは、決して間違いではないのかもしれない。
「彼女を満足させられるのは僕だけだ」
だがグラムはその態度が気に食わなかったようだ。
チンピラ然とした挑発的な笑みを浮かべ、余裕ぶって顎を上げる。
「何言ってやがる、変態が。過去の男なんてお呼びじゃねーのよ」
睨み合う両者。緊迫した空気が教会に広がっていく。
よーし。役者は揃ったね。
俺は睨み合う両者の間でぱんっと手を叩いた。
「お話し中のところ申し訳ないんですがね。ここは教会で今は深夜。私が何を言いたいのか賢いお二人ならお判りでしょう。いえ、ロリコン対談は非常に興味深いんですがね。なにもこんなところでやる必要はないのではないでしょうか? あの立派なお屋敷は何のためにあるんです? そう、ロリコン対談をやるためだ。朝までじっくりやると良い。色々と片付けた後にね。私なにか間違ったこと言ってます?」
俺は二人のロリコンにすべてを投げることにした。俺関係ないしね。
とにかくあの暴走状態のルビベルをどうにかして、教会を出て行って貰えれば俺は満足だ。今すぐにベッドに入って眠りたい。死体の山の処理は明日だ。
……だが、俺の目論見は外れた。
役者がフルコンプリートしてしまったのだ。役者がそろうのは大いに結構だが、フルコンプはマズイ。
何事もほどほどが一番なのだ。
「ごふっ……」
ハンバートがどす黒い血を吐く。上質なシャツを突き破るナイフ。血に濡れた刃が月明かりに照らされて怪しく輝く。
ハンバートの背中から、ピコピコと動く耳が見え隠れしている。
俺は頭を抱えた。
扉を開けっぱなしてぺちゃくちゃ喋ってるから、入ってきちまったじゃねぇか。血に飢えた殺戮幼女が。
ルビベルが変態の体からナイフを引き抜く。軽やかに跳躍しヤツを蹴り飛ばした。
だがハンバートは倒れない。よたよたと歩きながらも踏ん張り、血に濡れた唇をべろりと舐めとった。
「良いぞ……ルビベル。来い。君を満足させられるのは僕だけだ」
ヤツの声をルビベルが理解できたのか定かではない。とても正気には見えなかった。目が据わってやがる。
ルビベルは軽やかに跳躍し、俺の目には追えない速度で腕を数度振りぬく。そのたびにハンバートの体に赤い線が刻まれていく。
だが……おかしい。
「傷の深さに対して、出血量が少なすぎる」
ルビベルの拷問を嗜んでいたのだ。もちろんハンバートは普通の人間じゃない。生身の人間にこんなプレイができるはずはない。まず勇者だろうと予想はしていた。そしてその予想は間違っていないはずだ。
だが勇者の耐久度というのは普通の人間とそう変わらないのだ。確かに女神の加護で力や魔力は向上するが、鋼の肉体を手に入れられるということはない。だからヤツらはバンバン死ぬのだ。
ハンバートは倒れない。ルビベルのナイフが胸に深々と突き刺さる。心臓に到達していなかったとしても、肺に穴が開けばまともに立ってはいられまい。
なんなんだ。タフとか、そういう問題じゃない。これは。まるで――
「超回復さ」
俺の疑問を読んだかのように笑うハンバートの頬をルビベルが切り裂く。だが手の甲で血を拭うと、まるで手品のように傷が消えていた。
回復魔法を発動した形跡はない。
シアンの時と同じだ。ヤツもまた、腕を吹っ飛ばされながら瞬く間に修復させてみせた。
「……に、人間にそんなことができるはずありません。魔族ならともかく」
「神官がなにを言っている。蘇生ができるのに傷を治せないなんてことはないだろう。そもそも魔族と僕ら人間はそう大して違わないのだ。“上”の方針が少し違うってだけでね」
特殊性癖に特殊能力を使ってる人間がなんか言ってる。
良く分からんが、とにかく蘇生する手間がかからないってのは素晴らしいことだ。
俺が感心していると、特殊能力を持たない方の変態がなんか言い出した。
「イリュージョンも結構だがな。うちのルビベルを甘く見てもらっちゃ困るぜ」
「うちの……だと?」
「そうだ。うちのだよ。ルビベルはうちのパーティの勇者だ。あの子の戦いを見てきたから分かる。子供ってのはどんどん成長していくもんだ。もうお前の知ってるルビベルじゃないんだぜ」
成長――
それはロリコンにとって、もっとも忌むべきものなのかもしれない。
しかしそれは人間が人間である以上どうすることもできないのだ。
人が死から逃れられないのと同じように、ロリコンは子供の成長から逃れられない運命にある。
「ふん、なにを知ったようなことを。たかが数週間でルビベルのなにが分かる……と……」
ハンバートの眼が大きく見開かれる。その蒼い瞳を、ルビベルが素早く切りつける。傷が治る。ルビベルが足の腱を切りつける。ハンバートが初めて膝を折った。傷が治る。しかしハンバートは立ち上がれない。
ルビベルの斬撃の速度が上がっていく。傷の修復スピードをルビベルの斬撃が上回っている。やはり所詮は人間。魔族の超回復とはモノが違うのだ。
いや、スピードだけじゃない。頸動脈、目、心臓、こめかみ、頚椎……人体の急所を鋭く的確に突く攻撃。
ルビベルの攻撃は“痛めつけること”に重点を置いたそれから“殺すこと”を目的にしたものへと進化を遂げていた。
「死ぬ……? この僕が? ふ……ふふふ……良い。良いぞルビベル」
ハンバートが肩を震わせる。
腕を大きく広げ、一つ上のステージに上がったルビベルを讃えるように声を張り上げる。
「僕を逝かせてみせろッ!!」
何言ってんだあいつ。
胴体を離れぽーんと飛んでいくハンバートの首を目で追いながら俺はため息を吐く。
……ん?
待て。これはヤバいのでは?
ルビベルはまだまだ殺したりないって感じだ。タフな変態さんこと丈夫な盾が死んでしまったら、次の矛がどこに向くのか。
「ふっ、受け身な男じゃルビベルは満足しねぇのよ。俺に任せな」
意気揚々と特殊能力のない変態がルビベルの前に歩み出る。
だがあの盾はダメだ。ペラペラの紙装甲だ。
生意気に斧なんぞ担いでいるが、どうせすぐ首を刎ねられるに違いない。
「つ、付き合ってられないわ。こんなトコにいられるものですか。私は自分の家に戻るわ!」
変態共の覇気に塗りつぶされてすっかり存在感を失っていたロージャがいかにもな死亡フラグを立てながら駆け出して秒で死んだ。
玄関に行くには、どうやったってルビベルの横を通らねばならない。生きてあそこを通り過ぎるのは至難の業。
多分、ルビベルは射程圏内に入った者を片っ端から殺すモードに入っているのだろう。グラムも紙装甲なりに頑張っているがそれもいつまでもつか。グラムが死ねば、次こそ俺だ。
くそっ……どうすれば。マーガレットちゃんに頼るか? しかしここでルビベルを野放しにして万一勇者ではない人間が被害にあったら。
……いや。
俺は壊れた盾たちを見る。壊れているなら、治せばいい。
「ふっ……ルビベル。強くなった……な」
グラムが師匠ぶったことを言いながらあっさり負けて失血死した。
獲物を失ったルビベルが首をぐりんと曲げてこちらを見る。まだまだ殺り足りないってか?
いいぜ。不甲斐ない男どもだ。なぁルビベル? こんなんじゃ満足できないだろう?
埃をかぶったステンドグラスから差し込む月明かりを全身に浴びながら、俺は血に濡れた手を広げる。
「欲しがり屋さんめ。仕方がありませんね。……この私が貴方を満足させてみせますよ」
ルビベルが跳躍する。
だが振りかぶったナイフは俺の元に届く前に“盾”の胸を貫いた。
「良い一撃だったよ、ルビベル。今日は本当に良い夜だ。また……いや、何度でも逝かせてくれ」
本当何言ってんのお前?
蘇生したハンバートが息を荒げながら口周りの血を舐めとる。変態度が上がってる。正直見るに堪えないが、そんな事も言っていられない。やはりハンバートは他の軟弱な盾とは違うからな。
さて、今のうちに盾の補給をしなくては。素材はたくさんあるのだ。俺は死体の山を見てなんとも苦々しい気分になる。
数こそ力だ。紙もたくさん重ねれば鍋のふたくらいの防御力にはなるだろう。
「んにゃろ~、この変態が……」
血気盛んに斧をもって駆け出そうとする蘇生ほやほやグラムさんの足元に女神像(小)を転がして転ばせる。
地べたに這いずってキッとこちらを見上げるグラムに、俺は冷徹に言い放った。
「すみませんがきちんと順番を守ってくれますか。こっちも命がけなんですよ」
「順番……?」
グラムは顔を上げ、ハッとした表情をする。
変態との攻防を繰り広げるルビベルへ向かって伸びた列。蘇生させた秘密警察たちだ。
その表情は一様に暗く、断頭台に向かう死刑囚の列を思わせる。
「な、なんで俺らが……」
ぼやく秘密警察をぴしゃりと叱りつける。
「何弱気なこと言ってるんです。一人ぐらいルビベルに勝ってみせなさい。ダメでも精々時間を稼ぎなさい。死んでも大丈夫です、ちゃーんと生き返らせてあげますから」
「いっそ楽にしてください……」
俺はやけくそになって笑った。
「何を言う。勇者だけに許された神の奇跡ですよ。明けない夜はない。一丸となって頑張りましょう」
ハンバートは“満月”というワードを出した。この現象は満月の夜だけのものなのだろう。朝になればきっとルビベルも正気に戻るはずなのだ。
俺は震える指をじっと見る。蘇生のし過ぎで指に乳酸が溜まっているのを感じる。頼む。持ってくれよ、俺の体……!
こうして悲鳴と血の匂いに彩られた地獄の蘇生リレーが幕を開けたのだった。