対岸の火事に思われたヴェルダの森の大火災が俺たち人間にも火の粉を振りまいている。
「マジか……」
俺は時を経るごとに高くなっていく焼死体の山を前にして頭を抱えた。
森を突破したフランメ火山の魔物どもが我らがフェーゲフォイアーの街の付近にまで出没するようになったらしい。
今更になってヴェルダの森の偉大さを感じる。魔物の巣窟には違いないが、あの森は防火林の役割を負ってくれていたのだ。
火山の魔物は森の魔物よりも気性が荒く、こちらを見るなり襲ってくる好戦的な者が多いらしい。そしてヤツらが操るのは火だ。
その影響か、勇者たちの最新トレンド死因は焼死である。
焼死は蘇生が大変なんだ。修復しなければならない面積が広すぎる。ほぼ体表面積とイコールだからな。
拷問に近いハードワークのお陰で俺の蘇生技術はもはや神業であるが、黒焦げの焼死体の蘇生にはさすがの俺も手を焼いている。
俺は炭と血で真っ黒になった手を見下ろし、炭と血で真っ黒になった精神を見つめ直し……モノ言わぬ仕事の山から逃げ出した。
*****
仕事ほっぽりだして商店街にやってきた。
しかし俺のサボりを咎めるように、いつも賑わっている市場が妙に閑散としている。商品の陳列すらされていない始末だ。
道を行くのは勇者のみだが、その数もまばらである。
まだ昼間だというのに、もう店じまいか? ちゃんと仕事しろよな。
ん?
細い路地から物音がする。なんの気なしにヒョイと覗くと。
「ロージャァ……どこだぁ……出てきてくれよぉ」
ゴミ箱に頭を突っ込んでるルイを発見してしまった。猫じゃないんだからさぁ……
俺は縁起の悪いものを見てしまったような気がして、さっと路地から頭を引っ込め先を急ぐ。
まぁ急ぐ先もないのだが。
「おいユリウス! お前も遅刻か!」
ようやく勇者以外の人間に会えた、と思ったらルッツである。
落胆する俺をよそに、ルッツは走りながら手招きをする。
「一緒いこうぜ。良かった、お前がいて。一人でババアに怒られんの嫌だったんだよ」
「えっ、ババアに怒られるの? 嫌だよ、なら行かねぇよ」
「いや、行かないのはナシだろ。怒られるどころか殺されるぞ」
「こ、殺されるの……?」
真面目に仕事をして教会にいたら、今頃俺は殺されていたのか?
何が起きているんだ、一体何が……
「遅いッッ!」
宿屋に飛び込んだ俺達は、開口一番ババアに怒鳴られてルッツと共に鉄拳制裁を食らった。酷ぇ……。
しかしババアは殴った後で、俺にキョトンとした顔を見せる。
「なんで神官さんがいるんだい?」
えっ、やっぱ俺関係ないの?
脊髄反射で殴ったのかよ。酷ぇ……。
「なんの騒ぎですかこれは?」
「……ま、神官さんなら教えても良いか」
ババアは俺達に背を向け、手招きする。
「ついておいで」
ババアがその巨体を押し込むように入っていくのは、宿屋の受付カウンターの中だ。
しゃがみ込み、床をゴソゴソいじっている。
ガチャリと音がしたかと思うと、ババアの巨体が床に吸い込まれるように消えていく。
「なんですか? 隠し通路?」
ババアは床にあいた穴からヒョイと顔を覗かせ、手招きする。
「通路じゃない。シェルターさ」
穴に飛び込んだ俺の頬を湿った冷たい空気が撫でる。
受付カウンターの床下には、広大な地下空間が広がっていた。
「勇者と違って、アタシたちの命には限りがある。危険が迫ったらアタシたちはシェルターに身を隠す手筈になってるんだ」
なるほど。俺は納得した。
勇者の死は腐るほど見てきたが、俺が赴任してきてから普通の住民の死には立ち会っていない。あれだけ様々な事件が日夜起こっているというのに、だ。
もちろん住民に手出ししてはいけないという共通認識があるのは確かだが――生死の概念のぶっ壊れた勇者と共に暮らす一般人たちは、巻き込まれ死を防ぐためよく訓練されているらしい。
「シェルターは街に何ヶ所かあるけど、ここが一番大きい。最近どうもきな臭いからね。今日は防災訓練の日だったんだよ」
「へぇ……えっ、私知らなかったんですけど……」
防災訓練なんてかったるいと思わないではないが、だからといってハブられるのも悲しいじゃないか。
しゅんとしていると、ババアはそうではないと首を振る。
「その昔、酷い神官がいてね。勇者が街を守って戦っている中、住民に紛れてシェルターに隠れようとしたヤツがいたんだ。それ以来、戦いを放棄して逃げ出さないよう勇者や神官にはシェルターの場所を教えないしきたりになってるんだよ」
ドキリとした。
そうだ。普段街から出ないから感じないが、外は魔物だらけの魔境。この街がいつでも安全である保証などない。
いざという時、俺はシェルターに逃げ込むこともできず蘇生の利かない生身の体で勇者たちを蘇生させ続けなければならないのか……
ババアが大きな手のひらで俺の肩をポンと叩く。
「神官さんならそんな事はしないだろう。もし逃げ遅れた子供がいたらここを教えてあげておくれ。まぁそんな事態起こらないのが一番なんだけどね」
*****
はぁ、せっかく街へ出たのに全然気分が晴れなかった。
これから非常用物資の点検をするとかで、市場の営業再開も見込めない。だからといって作業に参加する気も起きず。街を行くあてもなく徘徊し、結局教会へと戻ってきた。
祭壇の前で俺を出迎えたのは、崩れ落ちんばかりに大きくなった死体の山と、それから――
「神官さぁん……」
鼻を垂らしたユライだった。
「どうしたんです」
なんだろう。なんか嫌な予感がする……
苦々しい思いを神官スマイルで覆い隠して尋ねると、ユライは死体の山から引っ張り出してきたであろう黒焦げ死体を指差して言った。
「ルイを……蘇生させて下さい」
「はぁ」
呆気にとられ、なんとも気の抜けた声を漏らしてしまった。
死んだからって泣くことはなかろう。初心者勇者でもあるまいし。
いや、待てよ……街で見かけた時のルイのあの様子……
蘇生させたルイはまるでゾンビのようにふらふら立ち上がり、自分の生き死になどまるで関心がないとでも言いたげな様子で活動をはじめた。
活動というのはつまり、おぼつかない足取りで中庭などに出て花壇を掘り返しながら喚く作業のことだ。
「ロージャ……ロージャ……どこだ……」
うう……酷ぇ。
体は完璧に治したが、壊れた精神は神の奇跡なんて陳腐なもんじゃ癒せない。
俺はルイに声をかけようとして、言葉を出せず飲み込む。
クソッ……俺としたことが。蘇生費の請求を切り出せないだなんて……。
「神官さん、これで」
ユライの差し出した麻袋を手に取る。
ズッシリ重い麻袋の中身を数え、俺はへへっと笑う。どうも、まいど。
そそくさと麻袋を懐にいれ、緩んだ頬をキュッと引き締めて尋ねる。
「一体どうしたというのですかアレは」
するとユライは悲しげに微笑みを浮かべながら口を開いた。
「ロージャがいなくなって、ルイは見ての通り……少しおかしくなってしまった」
ううん、少しではないなぁ……
花壇に掘った穴に顔を埋めるようにしてロージャを探し回るルイを眺め、俺は首を傾げる。ロージャってミミズかなにかなの?
「冷静なルイのことだから、すぐに落ち着くとは思う」
落ち着くかなぁ? 甚だ疑問です。
ユライも不安はあるらしく、視線を落としながら沈んだ声で言う。
「……あんな状態になってるのは初めてだから俺もどうしたら良いのか分からないんだ」
「はぁ。ロージャはどこいったんでしょうねぇ」
「ふん、どうせ全部嫌になって逃げ出したんだよ。また星を貰えるようなデカい情報を追ってたみたいだけど、上手く行ってなかったし。あの性悪が欲してたのは結局星持ちの称号だけだからな」
それは分かる。ロージャは星に執着していた。
だからこそ、ユライの見解に俺は疑問を抱いた。
ヤツは野心の強い女だ。上手くいかなかったからって、じゃあ仕方ないと諦めて逃げ出すだろうか。それも、優秀なパーティリーダーのルイに相談もせず?
あのパーティの頭脳はルイだ。あれ以上の勇者は王都にもそうはいるまい。それをみすみす手放すほどロージャはアホではないし、星持ち勇者の称号を捨てて故郷へ帰るようなタマでもあるまい。
じゃあどこへ行ったのかというと俺には見当もつかないが……
「ルイは俺の弟みたいなもんでな。アイツが苦しんでるのは見るに耐えない。でも……最近のアイツが何を考えているのか分からないんだ」
ユライは震えるほど強く拳を握りしめ、己の無力さを噛み締めるようにして呟く。
俺も頷いた。
……花壇を荒らす成人男性の姿は見るに耐えないぜ。