「ああ……神官さん」
ロッキングチェアに腰掛けたルイが穏やかな笑顔で俺を出迎える。かつての怒りに燃える攻撃的な表情が嘘のように穏やかだ。
俺はルイの抱いたキツネのぬいぐるみを見ないようにしながら、ヤツの対面に腰を下ろす。
香り立つ温かいお茶を机の上に並べながら、ユライがよくできた妻のような顔で笑った。
「お陰ですっかり穏やかになって。昔のルイに戻ったみたいだ」
「それは良かった」
俺は笑顔でルイを見る。視線がキツネに行きそうなのを堪えるのに必死だ。
ルイはキツネを抱きしめる腕に力を込め、視線を落とす。
「……なぁ、神官さん。俺、こんなにのうのうと生活してていいのかな」
「な、なに言い出すんだよルイ」
ユライが慌てたようにルイの元に駆け寄り、背中をさする。
しかしルイの考えは止められない。
「ロージャは冷たい牢にぶち込まれたのに、俺は大した罰もなく……」
「ルイはみんなのために考えて行動したんだろ。みんなそのこと分かってるから」
「そうかな……そうなのかな、ロージャ。……うん、うん……でも俺なんて……」
ルイはキツネのぬいぐるみに顔をうずめ、ブツブツと「会話」を始める。ロージャは一体何と言っているのだろう。俺にその声は聞こえない。
ユライは悲しげに目線を伏せながら、ルイの背中をさすり続けている。
だが、自分の世界に閉じこもられていては困るのだ。わざわざ壊れた元星持ち勇者を鑑賞しに来たのではない。
俺はルイの手からキツネのぬいぐるみを掠め取る。
……うっ、このぬいぐるみ妙に重いな。しかも少し温かい。ルイが抱きしめていたせい……だよな……
「あ……ああ、ロージャぁ……」
ゾンビのようにふらふらと手を伸ばすルイ。
俺はぬいぐるみを隣に座らせながら静かに首を振る。
「ロージャとのお喋りは後にしてください。男同士、真面目な話をしましょう」
「まじめな……はなし?」
「そうですよ。それも重要な話です。……荒地の魔族について」
その単語を口にした瞬間、ルイの体に電流でも走ったようにビクリと痙攣する。
頭を抱え、ガチガチと歯を鳴らし、凍死寸前の人間のように体を震わせる。
ユライはルイを守るように肩を抱き、慌てたように首を振る。
「し、神官さん! その話は――」
「……いや、ユライ。良いんだ」
「ル、ルイ」
ルイが顔を上げる。
その目には、かつての聡明さを取り戻していた。
「俺には俺の考えがあって荒地の魔族に近付いた。でも街のみんなを危険にさらしたのは事実だ。星欲しさに冷静さを失っていたことも否定しきれない。街を守れるなら、俺はどんなことでも話す。ただ」
ルイはさっと視線を足元に落とす。
「……ロージャには聞かれたくない」
なるほど。思ったより壊れてはいなさそうだ。
それが彼にとって良いことなのかどうかは別にして。
「なら、場所を変えましょう。たまには外の空気を吸った方が良い」
俺は神官スマイルを顔に張り付け、ルイに手を差し出した。
*****
外へ出て街をぶらぶら歩いている。ルイの負担にならないよう、そして話がしやすいようできるだけ人通りの少ない道を選んで。
ポツポツ世間話などをしていると、ルイは自分から荒地の魔族との出会いを語り始めた。
「ロージャを探して荒地の奥を彷徨っていたら見つけた。というか見つかったんだ。魔族ってのは孤独だ。ヤツらにとって魔物ってのは、会話を楽しんだり、孤独を埋められるような存在じゃないらしい。俺らにその感覚は良く分からないけど、自分の分身に近いのかもな。鏡の中の自分と会話をして楽しめる人間はそう多くないだろう」
そうだね。ぬいぐるみと会話をして楽しめる人間は目の前にいるけどね。
俺たちは教会を通りすぎ、さらに街の外れへと進んでいく。
ルイは真人間みたいな顔をして続ける。
「だからリンは俺に興味を持った。何度か会っているうちに向こうから話してくれるようにもなった。人間は珍しいんだろう。俺ほどのスキルがなきゃ、リンのいる荒地の深部へはいけないからな。リンは強敵との戦いを欲しているようでもあった。だから教会の植物モンスターの話にはすぐに食いついたよ。あの子は幼い子供みたいで……正直人間をけしかけるよりも楽だった」
「また会いに行く気はありますか?」
「はは、警戒してるのか? ロージャを取り戻した今、わざわざ危険を冒して魔族に接触しようとは思わないな」
ルイはそう言って苦笑する。
俺も同じように苦笑した。
「そうですか。それは悪いことをしました」
「え?」
俺は足を止める。随分辺鄙な場所にまで来た。もうほとんど街の外と言っても過言ではない。こんなところ普通の人間はまず来ない。
だが、今日は別だ。
「ルイ……!」
炎を纏った少女が、ルイにふわりと抱き着く。
それを温かい目で見守るのは、秘密警察の面々。
「ええ話や……」
ハンカチで目頭などを押さえているヤツもいる始末だ。のんきな奴らである。
「ゴメンね……ルイのこと殺しちゃったかと……!」
リンはボロボロ涙を零しながらルイの胸に顔をうずめている。
いや、まぁ殺したんだけどね。っていうか今も殺しかけてる。
ルイは炎に炙られ身をよじり、熱せられた空気を吸い込んで苦しそうにむせている。
しかしリンはそれを気にする余裕が無いようだ。魔族の力をもって強く強くルイを抱きしめる。
「ルイを失って初めて気付いた。戦いに負けるより怖いことがあるんだって。戦うより楽しいことがあるんだって」
うんうんと頷く秘密警察たち。本当に使えねぇヤツらだ。
それに引き換え、アイギスは素晴らしい。潜んだ木陰から目にもとまらぬスピードでリンに肉薄し、ロングソードをヤツの素っ首に叩きつけようとしてできなかった。
まるで小虫でも払うような少女の一振りに、甲冑を纏ったアイギスが吹っ飛んで樹に叩きつけられる。
……やはり無理だ。
ルイで油断させられれば、そして勇者最強のアイギスならば――そんな期待を僅かでも抱いた俺たちが甘かった。
何よりも悲しいのは、卑怯な不意打ちをリンが意にも介していないことである。
人が払った小虫の存在を数秒後には忘れるように、リンもアイギスのことなど目もくれない。
こうなっては、もうリンを殺すことは諦めた方が良い。
ならば、俺たちの生き残る方法はただ一つだ。
俺は三段階ほど腰を低くし、揉み手をしながらリンさんにペコペコとする。
「いやぁ、魔族さんはやっぱ人間風情とは違いますなぁ。人間ってのはか弱くて繊細なんですよ。今度は丁重に扱って下さいね。そしたらもう少し長く楽しめると思うので」
「し、神官さん!? これは――ごほっごほっ」
炎を纏ったリンに頬ずりされ、ルイは炎にまかれる。
仕方ないだろ。
人間は弱いんだ。魔族さんが街に来てお前に会わせろって言ったら、こうするしかねぇだろ。第一、最初にあの魔族に近付いたのはお前なんだぜ。
俺は幸せそうに微笑むリンと、炎に包まれて身を悶えさせるルイに手を振って彼らを見送る。
ハンカチで目頭を押さえていた秘密警察が、炎に炙られたルイを見るなり一転してドン引きしている。二人が消えると、辺りからぽつりぽつりと声が上がる。
「捧げ者……」
「生贄……」
物騒なことを言うなぁ。純愛だよ、これは。
俺はニッコリ笑って強引に連れてきたラザロに言う。
「魔族と人間との間にも絆が生まれるんですね、先生!」
「そうだね!! 俺なんも見てないしなんも分かんないけど、良いと思うよ!!!」
ヤケクソとばかりに叫ぶラザロ。
その目はキラキラお目目のイラストが描かれたアイマスクで覆われている。
俺は軽蔑を通り越して感心すらした。
事なかれ主義ここに極まれり……