くく、くくく……
あの魔族に体焼かれまくっている元星持ちに執着していたのがアホらしいな。
ついに手に入れた。
自分の意のままに操れる優秀で従順でパステルイカれ女に対抗しうる手駒……
「なんで……なんで……」
メルンが絶望を身に纏いながら机に突っ伏している。
これほど負のオーラを纏った人間を見るのは久しぶりだ。神官学校時代必須科目の履修し忘れで落第しかけたルッツ以来か。アレに似ているな。いや、似てはいないか?
「五十年……五十年って……アマリリスに孫? ありえない……」
メルンはまだタイムスリップの事実に適応できていないらしい。
死んでいる間の意識などないからな。メルンにとっては殺されたことがつい昨日のように感じるのだろう。
とはいえ、自分の体まで五十歳年を取ったわけではないのだ。メルンほどの術を持っていれば今からこの世界で生きていくことだって難しくはあるまい。
神官学校時代、ルッツも結局しれっと進級できてたからな。どんな手を使ったかは知らないが、どうにかなるもんだ。
俺はメルンの隣に腰かけ、猫なで声で言う。
「大丈夫ですよ、メルン」
俺は神官スマイルを顔に張り付け、メルンに葡萄ジュースを勧める。
くく。“パパ”にさせられた時はどうしようかと思ったが、その対価がこれならば安いものだ。
理論的には、俺はかつてメルンが勇者にしたのと同じことができるらしい。つまり、マリオネットの如くメルンを操れるのだ。
だが実際には試してない。だってマリオネットで遊んだことなんてないし、万一試してみて上手く操ることができなかったらメルンに舐められてしまう。
それに……ババアは命の恩人がどうこうなんて言ってたが、多分メルンの術が発動したのは蘇生した後。「パパ」と呼ばれたあの瞬間だ。
つまり俺がメルンに差し出したのはパパに仕立て上げられ、世話をさせられていた数日間にすぎない。それに一体どれほどの価値がある? 恐らく、俺は数日かそこらでメルンを操る権利を失う。
ババアが命の恩人を強調したのは、きっと俺への対価を過大に見せるためだ。俺の存在を抑止力にして今後メルンが悪さをしないように考えたのだろう。
ならば、メルンにはそう思い込ませておくのが良い。本気を出せば俺はいつでもメルンを操れるんだ――と。わざわざ都合の悪い情報をバラしてやる必要はない。
ここは“本気を出せば絶対服従させられるけど、人道的観点からそんなことはしないよ”というスタンスがベスト。その上で彼女自身が進んで俺に“協力”をしてくれれば良い。
そもそも俺はね? 別にメルンに対価なんて求めてないんだけど?
蘇生とその後の手厚い保護なんて別の勇者にも当然やってる神官の仕事だからね?
でもメルンの抑止力にならないといけないからなぁ……辛いなぁ……へへへ。
俺は溢れる悲しみを神官スマイルで覆い隠す。
「五十年もたっているのだから戸惑うのも無理はありません。少しずつ慣れていけばいいのです。あなたならどうにでもなります」
彼女とはぜひとも良好な関係を築き上げたい。
メルンは凶悪な勇者には違いない。油断はできないが……やつは五十年も死んでいたのだ。当然知人はなく、集めたマリオネットは取り上げられ、なんの後ろ盾もない。
少し優しくしてやれば……ほら。
緊張の糸が切れたのか。はらはらと泣きながら、俺を見上げる。
「パパぁ……」
パッ……
い、いや。まぁ今はそれでも良かろう。
記憶も意識もはっきりせず、本能的に保護を求めていたにしろ父娘設定じゃなくても良かったはずだ。年齢的に言えばどう考えても兄妹設定の方が自然だし、そもそも俺は心優しい神官なのだから普通に身寄りのない少女を教会で保護してますってことで十分納得がいくじゃないか。
そんな中で敢えてメルンが不自然な父娘設定を選んだのは、彼女が深層心理で父性を求めているからに他ならない。
ならばその辺りも上手く使っていかなければ……
俺は躊躇いながらもメルンの頭にそっと手を置く。
「しばらくここにいると良い。部屋も貸しましょう」
くくく……なにはともあれ、とうとう手に入れたんだ。
メルンはリエールの攻撃を無効化した実績がある。
アイギスの真っすぐな強さ。そしてメルンの変化球。これで俺の守りは完璧だァ!
おっと、こうしてはいられない。今はとにかくメルンの好感度を上げなくては。
俺はできるだけ優しい声色で言う。
「食材と着替え買ってきますね。すぐに戻りますから」
*****
俺は買い物籠を庇うようにしながら教会への道をひた走る。
くそっ、雨なんて聞いてねぇぞ。それも、まるで矢のような雨だ。体に当たると痛いくらいで、地面で弾けた雨粒が道を白く染めている。
教会を出るときは晴れていたのに。どうもツイていない。
俺は教会の玄関に転がるようにして逃げ込む。あぁ、屋根って偉大だ。俺は大きく息を吐き、ぐっしょり重くなった神官服の裾を絞って水を切る。
ある程度で諦め、俺は水を滴らせながら教会へと入った。
「戻りましたよ」
……ん?
なんだこの違和感。妙に……静かだ。
「メルン?」
声をかけるが返事はない。
部屋中を見るが、メルンはいない。
出かけたのか? こんな雨の中?
まさか……逃げた?
全身から血の気が引いていくのを感じる。
くそっ、やられた!
俺がもしメルンと同じ状況に置かれたらどうする? よくも知らない男に生殺与奪の権を握られたら?
俺ならそいつの影響の及ばない範囲に逃げ、他人にそいつを殺させる……
どこだ! まだそう遠くへは行っていないはずだ。それに、この街にメルンに協力する勇者など……いや、ヤツらアホだから分からんな。
「お帰り、ユリウス」
「ッ!?」
条件反射的に体がガタガタと震える。
メ、メルン? 頼む、そうであってくれ……
しかし願いも虚しく、振り向いた俺が肩越しに見たのは教会の裏口に佇んだパステルイカれ女だった。
パステルカラーの髪はぐっしょりと濡れ、いつもより一段暗い色をしている。
「メルン! メルンどこですか!」
クソッ、なんでこういう大事な時にいないんだ!
リエールは周囲を気にする素振りもなく、額に張り付いたパステルカラーの髪を指先で払う。まるでこの教会に脅威などないとばかりに、安心しきった様子で。
……待て。
その扉は裏庭へ通じる出入り口だ。教会の庭で、ずぶ濡れになりながら何をしていたんだ?
後ろ手に隠しているそれは、なんだ?
激しい雷光がリエールの顔を白く照らす。濡れそぼった顔には、ゾッとするような微笑みが張り付いていた。
俺はたまらず尋ねる。
「中庭で、なにをしていたんですか?」
「ん?」
リエールは首を傾げ、とぼけたように言う。
その拍子に、リエールが背中に隠していたそれがちらりと見えた。
スコップだ。俺がメルンを掘り出したのに使ったスコップ。その先端には妙に赤黒い泥が付着している。
何も言えないでいると、リエールが困ったように言った。
「子供が欲しいなら私に言ってって言ってるのに」
ガチガチガチガチ……
ひとりでに歯がビートを刻みだし、体温が急激に下がっていくのを感じる。
ガラスを割ったような雷鳴が、どこか遠くで聞こえる。
雨はまだまだ止みそうになかった。