「し、神官さーん! ……うっ」
飛び込んできた秘密警察が、教会の惨状に顔を顰めた。
当然だな。辺り一面血の海だ。
どういう状況だったかは知らないが数体の死体がいっぺんに潰されたらしく、ひと塊のミンチのような状態で転送されてきやがった。くっつける前にこの肉片が誰のどの部位なのか判別するところから始めなくてはならない。
あぁ、そういえば教会に転送されてきた肉片共の纏ったこの服、秘密警察の制服か。
無能共が雁首揃えて一体何の用だ? 嫌な予感しかしないな。
「蘇生中にすみません。実はその……荒地の魔族が」
「はぁ。また来たんですか。ルイならここにはいませんよ」
「いや、その。今回はルイではなく神官さんを出すようにと」
「は?」
予想を超えた言葉に、思考がストップする。
俺を囲むようにして、秘密警察達がこちらににじり寄ってくる。
ま、待て。待て待て。
それはどういうことだ?
俺は鈍った頭を必死に働かせる。ルイをリンに引き渡した後、ヤツはどうなった?
……百パーセント黒焦げになって教会送りにされてきた。
「なんで私が!! 絶対行きません!!!」
しかし秘密警察は暗い面持ちでこちらににじり寄ってくる。
「すみません神官さん! 街を守るためなんです」
「俺らだって神官さんを差し出したくはないんです……でも逆らったら街がどうなるか」
「俺たちが無力なばかりに……すみません。すみません」
お前ら、なんて……なんて顔してやがる。
仮面越しにも分かる秘密警察の悲痛な面持ちに、なんだか肩の力が抜けていく。
教会に転送されてきた秘密警察の死体。コイツらも俺を守るために必死に抵抗してくれたんだな。
「……そうですか。仕方ありませんね」
俺は思わずふっと笑い、そして。
地面を蹴って逃走をはかった。
「ちょっ、なにしてんすか」
なにしてんすかじゃねぇよ! 俺の命はお前らとは違う、替えの利かないかけがえのない物なんだ。虫けら以下のそれと一緒にすんな!!
とはいえ、俺の身体能力は雑魚雑魚の雑魚。
あっさり秘密警察に神官服の襟元を掴まれた俺は、母猫に運ばれる子猫のような恰好になりながら滅茶苦茶に暴れる。
「嫌だァ!! なんの恨みがあってこんなことするんですか!!」
「だ、大丈夫です。そんなに心配しないでください。神官さんには危害を加えないと約束はしてるので……」
危害を加えないだと!?
ヤツは大好きなルイくんを丸焦げにしているんだぞ? しかもタチの悪いことに危害を加えているという実感がない。リンにとって、あの行為はただのスキンシップにすぎないのだ。
そんなヤツの“危害を加えない”にどれほどの信憑性があるってんだよ! 本当にアホだなァ〜おめぇらはよォ〜
そういう訳で、俺は秘密警察達に神輿の如く担がれてえっさえっさと運ばれていく。
街の外れ……いつもルイが焼かれている場所にヤツはいた。
俺の可愛い聖騎士も一緒だ。
「アイギスぅ……!」
人類の希望、最強の勇者アイギスがリンと戦っている。
恐らく他の秘密警察たちと一緒に襲い掛かり、アイギスだけが今の今まで生き残ったのだろう。
アイギスだってただ魔族に殺されるばかりではなかった。幾度もの戦いの中でリンの癖を見抜いたのだ。
勇者の強みは何もゾンビアタックだけではない。自分よりはるか格上の相手と何度も戦い、通常の戦闘では得られない経験を得ることができる。
アイギスの動きは、もはや人間のそれを凌駕していた。
第六感の域に到達した反射神経で炎をギリギリ掻い潜り、甲冑を纏っているとは思えない俊敏さでリンの背後に回り、さらに街を囲む塀を蹴り上げ高く跳躍する。
完全な死角から、アイギスはロングソードを思いっきり振りかぶり斬撃を放つ。
それはリンの後頭部にクリーンヒットし、そして。
「イテッ」
リンは頭を押さえ、頬を膨らましながらアイギスを睨んだ。
「なにすんだよっ」
剣先を鷲掴みにし、リンはアイギスごとそれを壁に叩きつける。
「がっ……!?」
頭を強く打ち付けたアイギスが、壁に血を擦りつけるようにしながらズルズルと崩れ落ちる。
あぁ……こりゃ勝てねぇわ……
「あーあ……もう、またやっちゃった」
ビクビクと痙攣するアイギスを見下ろし、リンが額に手を当てる。
その時になってようやく俺に気付いたらしい。リンが俺を見るなりハッとした表情をした。
「あっ、あんたが“シンカンサン”か? ルイからたまに話は聞いてるけど……こうやってちゃんと話すのは初めてだよな」
あぁ……本当に勇者の生き死になんてどうでも良いんだな、この魔族は。
足元でアイギスが死にかけているのに、リンはにこやかに俺に挨拶などをする。
まぁ種族の違いってヤツだろう。俺たちだって籠の中で虫を飼いながら机に這う虫を殺し、美しい虫の死体をピンで留めて標本にしたりする。
魔族にとって、人間ってのは自分たちと同じステージにいないのだ。だから扱いに一貫性がない。
……ならばせめて、俺は“飼われる方の虫”にならねばならない。無価値でもダメ、かといって気に入られすぎるのもマズイ。微妙な匙加減が必要になる。
俺は泣きそうになる顔を神官スマイルで覆い隠す。
「今日はどうしたのですか。ルイでしたらすぐに呼んできますよ」
「あぁ、いや。今日はその、シンカンサンに用があってさ」
うっ……くそ、秘密警察たちの言っていた通りだ。
一体何だって言うんだ。俺なんて焼いても大して面白くはないぞ。
「そ、その……相談に乗ってほしくて」
リンは落ち着かないように指を絡ませながらもじもじとする。感情に呼応してか、リンの纏った炎がジリジリと音を立てる。
「シンカンサンはさ、森の魔族と上手くやってるみたいだから。その、コツとかあるのかなって」
……コイツ、なにか勘違いをしているな。
俺とマーガレットちゃんはコイツらのような文字通り皮膚の爛れる関係ではない。
時々花粉を擦りつけられ、蜜を与えられるだけの極めて健全な関係だ。
いや、しかし俺のバックにマーガレットちゃんがいると言うことを強調するのは悪くないかもしれない。いくら虫と言えど、人の飼っている虫ならばおいそれと殺すことはできまい。
……いや、待て。そういえばこいつ、最初はマーガレットちゃんを殺しに来てたんだよな。迂闊なことを言うべきじゃないか?
くそっ、考えれば考えるほどドツボにハマる!
仕方ねぇ。取り敢えずなにか答えなくては。
俺は笑顔で言う。
「そうですねぇ、関係性はそれぞれだとは思いますが。やはり種族が違うので常識も異なります。相手の立場に立って考えることが大切では?」
例えば人間に触れるときはその体に纏った火を消すとかな。
「そ、そうだよな。それは私も分かってるよ。だからルイが私の話に“アツイアツイ”って変な相槌打つのもガマンしてるもん」
それは相槌じゃねぇよ……やっぱ魔族とは相容れねぇな。
俺はリンから少しだけ後ずさりした。
「で、でもどうしたんですか。急にそんな話して。ルイとなにか問題が?」
ルイはこの街の命綱だ。ヤツがこの魔族の機嫌を損ねればマジで全滅もありうる……
恐る恐る尋ねると、リンは視線を伏せながら答える。
「その……別に喧嘩したとかそういうわけじゃないんだけど……やっぱりルイの気持ちがこっちを向いていない気がするんだ。やっぱり、私はまだロージャに勝ててない」
そうだねぇ。ルイのやつ相変わらずキツネにブツブツ話しかけてるからね。
まぁ生きたまま頻繁に焼かれてるせいで精神が不安定なのもあると思うけどね。
「私、ロージャに勝ちたいんだ!」
そ、そういうルイの心の機微は分かるのに、どうしてヤツを焼くのをやめない……?
人間は焼いて良いものという認識になってるのか? 恐ろしいな。俺はまた一歩魔族と距離を取る。
だが俺が必死になって稼いだ距離を、魔族は一足飛びにつめてくる。
「ねぇどうしたら良いと思う?」
ひっ……
俺を覗き込むリンの熱気で肌がジリジリ焼けるようだ。こんなのに触られたらひとたまりもない。
俺は体をのけぞらせながらぶんぶん頭を振る。
「そっ……そんなの決まってるじゃないですか! ガンガンいくんですよ!」
「ガンガン……?」
「ガンガン!」
俺は適当言った。この熱気から一刻も早く逃げたかった。
「考えてたって仕方ないでしょう。ロージャの真似したってロージャには勝てませんよ!」
「そ、そっか……そうだよな」
なんか分からんが納得したらしい。
なんの解決策も示してはいないが、結局誰かに悩みを聞いてもらいたかったのだろう。
だが俺はこれ以上ガールズトークに付き合う気はない。
そろそろ限界だ。熱さで溶けそうだ……
「神官さーん!」
無能共が大挙してこちらへ向かってくる。
気配を感じないと思ったら。テメーら人が死にかけてるのにどこ行ってやがった。
……ん? ヤツらが運んでるあれは、まさか。
「ルイです! 連れてきましたー!」
で……でかしたーッ!!
なんだよ……やればできるじゃねぇか……
「ちょ、ちょっと待ってよ。今日はその、準備が」
「準備もクソもありませんよ! ガンガンいこうぜ!」
俺はリンの熱気の矛先をルイに移すことに必死だった。汗が止まらん。神官服から焦げ臭い匂いがのぼっている。もう限界だ!
知らぬ間に矛先を向けられようとしているとも知らず、ルイは秘密警察の上で喚いている。
「なんなの? 自分の足で歩くからさ、目的地言ってよ」
大丈夫、目的地はもうすぐそこだぜ。
「わ〜」と間抜けな声とともに蜘蛛の子を散らすように散開していく秘密警察。
無造作に放り投げられたルイが地面に叩きつけられる。
「な、なんだよもう……大丈夫だったか?」
あっ……アイツ、キツネ連れてやがるな。
ぬいぐるみに話しかけながら砂埃を甲斐甲斐しく払うルイに、文字通り魔の手が迫る。
「ルイっ!」
「ん? ……ああぁッ! リン!? なんで!?」
先程までとは比べ物にならない凄まじい炎を体に纏わせながら、ルイに迫るリン。
「ちょ、ちょっと待ってリン! 今日は準備が」
「ガッ……ガンガン! いこうぜ!」
キツネをきつく抱きしめるルイをきつく抱きしめるリン。
ルイの必死の抵抗も魔族の前では意味をなさない。燃えやすい素材のキツネがまず火に包まれた。
「ああああぁぁぁ!! ロージャ!!」
「は?」
あっ、ヤバい。
ダメだよルイくん。彼女の前で元カノの名前呼ぶのがダメなのは子供にだって分かることだよ?
「ねぇそれどういうこと?」
案外冷静なトーン。しかし炎は正直だ。辺りの酸素を燃やし尽くさんばかりに大きく上がった火の手が逃がさないとばかりにルイを包む。
「あっ……がっ」
炎に喉を焼かれ、ルイには言い訳をする権利すら与えられない。
「ねぇなんでなにも言ってくれないの!」
詰め寄るリン。
言わないのではなく言えないのだが、この程度の炎で喉を焼かれてしまう弱小種族の気持ちなど魔族さんには分かるまい。
リンの詰問は続き、炎が少しずつルイの肌を焦がしていく。
あぁ、こりゃ長くないな。
「神官さん、こっちこっち」
おっ、木々の影に潜んだ秘密警察たちが手招きしてる。
そうだな。これ以上部外者がここに居ても仕方がない。
嫉妬の炎に巻かれるルイを背に、俺たちは間抜けな声を上げながら蜘蛛の子を散らすように散会した。
「わ~」
*****
しばらくして。
教会には当然の如く黒焦げ死体が転送されてきた。
だが妙なのだ。転送されてきた死体は一つじゃなかった。
あの時は珍しく秘密警察たちの犠牲も出なかったし、リンが焼き殺した“人間”は一人だったはずだが。
俺は黒焦げのルイが大事そうに抱えた塊を見る。
ギチギチに圧縮されひと抱えほどになった丸焦げの肉塊――原型を留めていないそれが誰なのかを判別するのは非常に困難だ。
ん? なんだこれ。
俺は肉塊に付着した燃えカスを手に取る。動物の毛? ……キツネ?
「……いや、はは。まさかな」
俺は手についた毛をぶん投げ、肉塊から目をそらした。