相変わらずルラック洞窟でのレジャー、もとい冒険が大人気だ。
腹に穴を開けながら溺死する勇者が後を絶たず、お陰で俺は日に何回も床のモップ掛けを強いられている。
クソがっ、イライラするぜ。しかもなんだこのふざけた格好は?
「チィッ!」
俺は一人盛大に舌打ちをかましながら、秘密警察がその厚い胸板に装着していたビキニアーマー(上)を窓から投げ捨てる。
「ダメですよ、神官がポイ捨ては」
俺は上げかけた悲鳴をなんとか飲み込む。
ボンデージのウサギ頭……マッド野郎の手先、“ジッパー”だ。
くそっ、なんで教会に訳わからん異形のバケモノが入ってこれるんだ。
ヤツは濡れたカーペットを踏みしめながら正面玄関からのうのうと歩いてくる。
「少しお時間いいですか? そんなに身構えないでください」
身構えるな? 無茶なことをサラッと言うな。
俺はヤツから一歩二歩と距離を取る。
「な、なんの用ですか? 貴方の主人は指名手配されています。じき、ここにも捜査官がやってくるはずです。この街に留まるのは賢いとは言えませんよ」
もちろん嘘だ。
マッドがここにいると俺の口から通報はしていない。どうせ通報したってろくな捜査官は来ないだろうし、変なのに来られても困るからな。
するとジッパーは腕を組み、ウサギ頭を傾げてみせる。
「私もできれば離れたいんですが、ドクターはここを拠点にすると言ってきかないんです。それで生活用品を買ってくるよう命じられたんですが、私は土地勘がないものですから困ってしまって。良ければ買い物に付き合ってくれませんか?」
は? マッドがここを拠点に?
ふざけんな。王都から離れた半無法地帯とはいえ、とうとう指名手配犯まで紛れこむようになったか。ますます教会の連中が敬遠するようになるな。
俺はこの街の行く末を思いながら、ジッパーの誘いを丁寧にお断りする。
するとジッパーはボンデージについたジッパーの金具に手をかけた。
弾けるようにして触手が飛び出す。
「ひっ……」
リエールとオリヴィエのサイコ連合軍相手に一歩も引かなかった触手に俺が敵うはずもない。
ジッパーはあちこちから触手を出し、その一本一本に布切れを携えて言った。
「協力してくれたら、お礼に掃除を手伝いますよ。私なら一瞬で済ませられます」
「…………」
俺は静かに足元に目を落とす。
ビッチャビチャの死体と、一面に広がった薄っすら赤い水たまりが視界に入る。
俺はニッコリした。
*****
市場に来ている。
異様な格好に住民ビックリ……と思いきや特別混乱はない。この街はヤバいトラブルに慣れすぎてヤバいモノへの嗅覚が鈍ってるんじゃないか?
「この前のご無礼、お詫びいたします。ドクターが人間に興味を示すなんて珍しいから、私もつい気合を入れすぎてしまいました」
ウサギ頭のため表情は分からないが、声色だけは申し訳なさそうにジッパーが言う。
謝罪は大事だね。あるのとないのとじゃこっちの心持ちが違う。あとこのジッパーさん、話してみると意外と常識人っぽい。見た目がヤバいだけに“普通に話ができる”というだけでポイント高い。
この街には見た目普通なのに会話が成り立たないヤツばかりだからな……
でもこの前のご無礼ってどのご無礼だよ。ご無礼が多過ぎて特定ができない。
まぁご無礼ついでに聞いちゃうか。
「失礼ですが貴方は……その、なんなんですか? 魔物?」
「そう思います?」
「触手というのは通常、人にない器官なので」
少し間をおいて、ジッパーは口を開いた。
「私も生まれたときから触手があったわけではありません」
俺は生唾を飲み込んだ。
「やはりヤツに人体改造を?」
「人体改造? ふふ……まぁそうとも言えるのでしょうね。でもこうする他なかったんですよ。これはいわば義体です。私の肉体は故郷と共に燃え落ちてしまいましたから」
俺は生唾を飲み込んだ。
「ヤツめ、素材を手に入れるため放火まで……」
しかしジッパーはウサギ頭をブンブンと振る。
「違いますって。野盗に襲われたんです。田舎の、年寄りばかりの小さな村でした。大した財産はありませんが、彼らにとってはローリスクローリターンの手頃なカモだったんでしょう。村民はみんな殺されてしまいました。母が洋服ダンスに押し込めてくれたおかげで私は彼らにナイフを向けられることはありませんでしたが、私が隠れていることはバレていたようです。彼らは下品に笑いながら私の隠れた洋服ダンスに火をつけました。そしてあちこちの家にも火を」
「そ、そうでしたか……」
急に重い話になってどんな顔をして良いか分からない。
神官ならばこんなとき気の利いた一言を言うべきなのだろうが、残念ながらこの街で暮らしていると身に付くスキルは蘇生技術ばかりだ。
だが幸い、ジッパーは他者の慰めを必要としていないらしい。まるで他人事のように淡々と話す。
「なんとか焼け死ぬ前に脱出することはできましたが、すでに回復魔法ではどうにもできないところにまできていました。たまたま通りがかったドクターが私を見つけて手当てをしてくれましたが、全身の皮膚のほとんどが使い物にならなくなっていたそうです。私が勇者なら大した怪我ではなかったんでしょうけど、あいにくただの村娘でしたから。でもドクターはただの神官ではなかった。一か八か、たまたま持っていた触手を移植したんです」
触手たまたま持ってることある?
疑問はあったが、話の腰を折るのも悪いのでそのまま流すことにした。
「移植により拒絶反応を起こす人間もいるようでしたが、私の場合その心配はありませんでした。むしろ触手が体に合いすぎてしまって、その方が大変でした。触手がどんどん増殖して、村を触手で埋め尽くしてしまうくらい。おかげで消火の手間も省けたうえ、野盗を皆殺しにできましたけどね。巻き添えでドクターも殺しかけたんですが、彼は冷静に増えすぎた触手の処置をし、たまたま持っていたこのボンデージを与えてくれたんです」
ボンデージたまたま持ってることある?
疑問は増えるばかりだが、話の腰を折るのも悪いのでそのまま流すことにした。
「ボンデージで強く圧をかけ、外気との接触を断つことで触手の増殖と成長を抑えているんです。このボンデージがなければ私は人の形すら保てません」
ボンデージにそんな理由が……
丈夫そうな革の服が途端に頼りなく見える。あれが破れたらこの街は触手塗れか。とんだ爆弾を招き入れたものだ。転んで服破ったりしないよう祈るばかりである。
「だからドクターは私の命の恩人なのです」
「はぁ。触手を植える先を探していただけにも思えますがね」
「そうかもしれません。でも、そうだとしても彼が私の恩人であることには変わりありません。あの人が私の村によらなければ私は間違いなく死んでいましたから。無茶苦茶な人です。呆れてしまうことだって日常茶飯事です。でも、あの人にお願いされたら私は断ることができません。なにせ命の恩人ですから。だから――ごめんなさいね」
ジッパーが素早くボンデージに付いた金具を引き、触手を出す。
「ひっ!?」
糸を引いたグロテスクな触手が俺の反射神経ではどうにもならない速度で俺の耳を掠めていく。
ち、ちびってない? よし、大丈夫……
大事なことを確認したあと、ようやく状況の把握に移る。
触手を辿って振り向くと、視界いっぱいにパステルカラーが広がった。
「ユリウス、その女なに?」
「ひいいぃぃぃッ!?」
触手はこちらへ伸びようとするパステルイカれ女の魔の手に巻き付き、その動きを封じている。
なぜコイツはすぐ俺の背後を取ろうとするんだ? 気付いてないだけでいつも俺の後ろにいるのか?
……やめようこの話は。自分で考えて怖くなってきた。
それに引き換え、ジッパーは全く動じていない。頼もしい限りだ。できるだけ長くヤツの動きを封じていてくれ。
「そんなに怒ることないじゃない。お話していただけよ。別にあなたの彼にちょっかいかけようって気じゃないの。ただ……すこし、うちのドクターの家にご招待するだけ」
俺はバッと首を振ってジッパーの方を向く。
えっ、聞いてねぇ!! 俺はジッパーに縋る。
「私は買い物に付き合うだけって」
「買ったものを家に運ぶまでが買い物でしょう? ドクターも神官さんが来るのを心待ちにしています。貴方と作るんだと言って、ドクターはキメラ研究をストップさせているんですよ。今頃手術具を磨いてそわそわしているはずです」
知らねぇよそんなもん!
俺はジッパーからそろりそろりと後ずさる。だが後ずさった先にいるのはパステルイカれ女だ。
ヤツは怯える子供を慰めるような優しい声色で言う。
「大丈夫だよ。今度こそ二度とユリウスに触れられないようにしてやるからね」
「オークション以来ね、お嬢さん。そういえばあの時は決着がつかなかったけれど……正直負ける気がしないわ」
ジッパーがボンデージに付いた金具を一斉に開放する。
こんなとこでおっぱじめる気かよ……!
今回はリエール一人だ。これは分が悪い。まぁどっちが勝っても俺は得しないが……
人混みの中にも拘わらず、リエールがマチ針をジッパーに向けて投げつける。
ジッパーは太い触手でマチ針を薙ぎ払い、ジッパーの体を外れた流れ弾だけが通行人に突き刺さってあちこちで悲鳴が上がる。
さすがはフェーゲフォイアーの住人。危険を察した市場の主たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。
代わりに、燃え盛る炎に突っ込む虫のようにアホ面晒した勇者たちが集まってきた。
「何やってんだおめぇら、こんなとこでふぉげぇ」
集ってくる野次馬勇者を邪魔だとばかりにジッパーの触手が薙ぎ払い、時には持ち上げてリエールに投げつける。宙を舞う勇者がリエールの太いマチ針に腹を貫かれて敢え無く墜落、そのまま光の粒子となって消えた。
怒声が悲鳴にかわり、悲鳴が怒声に変わる。
闘志は感染し、あちこちで突発的な喧嘩を巻き起こす。
いよいよ混沌としてきた時、とどめとばかりにヤツらの御登場だ。
「なんか良く分からんけど、街中で喧嘩はやめろ!」
騒ぎを聞きつけた秘密警察の突入である。
洞窟帰りだろうか、みんな大真面目な顔をしてビキニアーマーを纏ってやがる……
おっ、しかも今日は甲冑を水浸しにしたアイギスもいるぞ。
「また貴様らは冒険もせずこんなところでおふざけか……良いだろう、私が稽古をつけてやる」
どうやらまた冒険が上手くいかなかったらしいな。苛立っているのが分かる。
アイギスは濡れた髪を振り乱し、鈍く輝く剣を抜く。瞬間、アイギスの周りにいた勇者の首が三つほど飛んだ。
俺は市場に積まれた樽の陰からそれを見守る。
もう無茶苦茶だぁ……誰がなにと戦ってるのか分からん。
危ないので、俺はそのままそそくさと教会に帰った。勝敗を見届けるまでもない。この乱闘に勝ち負けなど無い。強いて言うなら逃げるが勝ち。こんなのには関わらないのが一番である。
だが俺は神官。
教会に次々と転送されて積みあがった死体の山からは逃れられない……