リンの襲撃にすら、湖の魔族は全く嫌な顔をしなかった。むしろアイギスたちが来た時よりも興奮し、喜んでいるようにすら見える。
「嬉しいな! 君が遊びに来てくれるなんて予想外だ。で、どれ? どれを取りにきたの?」
「テメェの首だよ」
湖の魔族とは対照的に、リンは敵意剥き出しだ。なぜリンがここにいるか分からないが、理由なんてどうでも良い。
リンが炎を纏ったハンマーを振りかぶって湖の魔族に襲い掛かる。
「死ね!」
「ダメだよ! 全部ボクの。全部ボクのだから! アハハ、羨ましいだろ」
湖の魔族は触手を幾重にも張り巡らせてハンマーを防ぐ。だがリンの火力は魔族にも有効であるようだ。触手から煙が上がり、焦げつくような匂いがする。
しかし湖の魔族は表情を変えない。むしろ一層目を輝かせる。
「でも戦闘狂の君がモノに執着するなんてさ。よほど価値のあるものなんだね。嬉しいな」
「ルイはモノじゃねぇよ!」
「イイ顔だよ! それが見たかったんだ」
ん? なんでルイの名前が出てくるんだろう。しかし俺の疑問を挟む余地などない。こっちもこっちで忙しい。この隙に急ピッチで蘇生を進めなくてはならないのだから。
リンが絶叫を上げながら、体から噴き出す火力を上げる。触手が一本、二本と焼き切れた。人のそれより尖った歯を剥くようにして凶悪な笑みを浮かべる。
「こんなとこに引きこもってるからいつまでも弱いんだ、このタコ。雑魚のくせに人のものに手出してんじゃねぇよ」
初めて湖の魔族がその顔を歪める。
「戦闘狂め、さすがに強いな……でもここはボクの城だよ」
湖の魔族が触手を振りぬく。吹っ飛んだリンが湖に叩きつけられた。凄まじい水蒸気が霧のように辺りを覆う。
「くっそ……」
リンが這うようにして陸に上がる。一応無事だ。しかし纏った火が消えている。
火の消えたリンを見るのは初めてだった。鳩尾のあたりになにか埋まっている。真っ赤に焼けた石炭のようだ。
「湿気っちゃった?」
「ほざけ!」
鳩尾の石炭から上がった炎が全身に広がる。しかし先ほどまでの勢いはない。
「やっぱ炎キャラは濡れると力出ないんすかねぇ」
「荒れ地の魔族の方が強いっぽいけど、相性がなぁ」
「神官さん、ポップコーンありません?」
蘇生ほやほや秘密警察が呟いている。なに呑気に観戦してんだ。まぁ我々人間にあの戦いに入っていけるほどのポテンシャルはないので、これも仕方がないのかなぁ。俺は血塗れの手でこんな事もあろうかと持ってきておいたポップコーンを秘密警察にぶん投げる。備えあれば憂いなし。
戦いのことなど、ましてや魔族の生態についてなど俺には分からない。だがこの戦場がリンにとって不利なのは間違いなさそうだ。
魔族が飛沫を上げながら湖に飛び込む。衝撃でできた大きな波がリンを飲み込む。
「お水は怖くないよ」
湖の魔族が悪ふざけをする幼い子供のように笑う。
リンの炎がまた消えた。
「せこい真似しやがって」
不味い、リンが劣勢だ。
今のうちに逃げるか? いや、出口は湖の底だ。あんな場所で戦われてたら俺たちも逃げられない。こうなったらなんとしてでもリンに勝ってもらわなくては。
どうにか水を防げないか? そうだ、リンに雨合羽でも着せれば。いや、さすがに耐熱仕様の合羽など持ち合わせてない。それに全身を覆うようなものを纏えば空気を遮断してしまい、炎が上手く上がらないんじゃないだろうか。覆うならあの胸に付いた焼けた石炭みたいなやつだけだ。多分あれが着火剤のような役割をしているのだろう。なにかないか。あの焼けた石炭を守れる、耐熱性のあるもの……
「あ」
俺は膝を打ち、リュックをゴソゴソとあさる。
「なんですか? オヤツ?」
馬鹿な秘密警察を無視し、俺はとっておきの防具を取り出す。備えあれば憂いなし。
我がフェーゲフォイアーの誇る優秀な鍛冶職人の意欲作だ。ちょっとべとべとしてるけど。
「リン、これを装備してください!」
俺の投げたビキニアーマーをリンが取る。
感動の瞬間だ。アルベリヒにも見せてやりたかった。お前の作ったビキニアーマーが、ようやく男以外に装備されたぞ。まぁ女と言い切れないのが悲しいところだが……
リンの纏ったビキニアーマーが真っ赤に焼ける。だが火竜のブレスにも耐えるという売り文句は嘘じゃなかったらしい。
「なにそれカッコイイ! ボクにちょうだい」
湖の魔族が触手を水面に叩きつける。大きな波が再びリンを飲み込んだ。
ビキニアーマーの効果は一目瞭然だった。
体に纏った火が水により消火されるも、鳩尾から広がった炎が一瞬でリンの体を覆う。
「うん、負ける気がしねぇ」
リンが地面を蹴り、高く軽やかに跳躍する。
もういくら湖の魔族が水をかけても、リンの炎を完全に消すことはできない。襲い掛かる触手を掻い潜り、あっという間に湖の魔族に接近する。リンは炎を纏った腕で湖の魔族をヘッドロックする。そしてヤツの耳元で囁くように言った。
「殺し方を選ばせてやるよ。ルイはどこだ。無事なら一瞬で殺してやる。もし無事じゃなかったら……」
「ルイ!? ルイって……どれ!?」
……ん? ルイ? またルイって言ったよあの人。
俺は辺りを見回す。蘇生させた秘密警察たちやマッドもキョトンとしている。
俺たちの様子に気付いたのか、リンがこちらに怪訝な視線を向ける。
「ねぇ、ルイは?」
聞かれたので、一応答える。
「いえ、見てませんが……ルイもここにいるんですか?」
「えっ、だって、ルイが攫われたって森の魔族に聞いて……」
そう言って、リンは次に湖の魔族に視線を向ける。
ヤツは怪訝な表情で声を上げた。
「知らないよ、そんなの。ボクの持ってる人間はそこの神官だけ」
「はぁ!?」
あれ、どうしてヘッドロック解いちゃうの? えっ、どこ行くの?
「クッソ、騙したな雑草! もう知らない!」
吐き捨てるように言うと、リンは高く跳躍してぶち抜いた岩壁のへりに降り立つ。
おいおい、まさか帰るって言うんじゃないだろうな。俺は慌てて声を上げる。
「ちょっ、トドメだけ! トドメだけさしてってくださいよ!」
「はぁ? なんで私が。今からルイに会いに行くの。邪魔しないでよ」
何だアイツ、ビキニアーマー着るだけ着て帰っちまった……
俺は取り残された湖の魔族に視線を移す。触手は何本も切れているし、火傷だらけで、嵐のように来て嵐のように去っていった荒地の魔族のせいで茫然としている。だが俺たちを皆殺しにするには十分すぎるコンディションだろう。
「終わった……」
漏れ出る本音を飲み込む元気が今の俺には残っていなかった。
しかし脱力する俺を、何本もの腕が支えた。蘇生ほやほや秘密警察たちだ。
「終わっていません! いつもなら無理でも……神官さんがいる! 蘇生を!」
「俺、アイギスさんの棺桶連れてきます」
「いつものゴリ押しするだけです。人間にしかできない凄い戦法なんですよ」
お前ら……
そうだな。っていうかそれしかない。
こうしちゃいられない。もう魔力がすっからかんだ。俺はポーションで気合と魔力を注入すべくカバンを開ける。
ん? なんだ。なんか光ってる。ヒカリゴケを持ってきた覚えはないが。
……いや、これは。
「神官さん、それ!」
「ええ。女神もやる気です」
俺は光り輝く女神像(小)を掲げる。
愛しの神様はいつも本気を出すのが遅いんだ。でも手遅れってほどじゃない。
防衛戦ぶりの奇跡である。
嬉しい誤算もあった。というより、俺は勘違いをしていた。
防衛戦のとき、俺は女神があの掘っ立て小屋を教会だと認めたんだと思った。だから魔力が溢れ、死体が転送されるようになったのだと。
でも、それは違った。
女神はあの掘っ立て小屋を新たな教会だと認めたんじゃない。フェーゲフォイアーにある教会の機能を単に移したのだ。勇者の死体は直近に訪れた教会に転送される――だからあのとき、本来フェーゲフォイアーの教会に送られるはずの死体が掘っ立て小屋に転送されてきた。
つまり、今回も。
「うわっ、なんだ!?」
降り注ぐ死体におののく秘密警察。彼らに、俺はニッコリ笑いかける。
「みなさん、喜んで下さい。援軍です。死んでますけどね」