ただ開拓地と呼ばれていた場所にフェーゲフォイアーという名が付き今日に至るまで、この街には領主がなく、名実ともに無法地帯だった。
しかしそれも過去の話になるようだ。
俺は街の中心にそびえる館を見上げる。これ、晩餐会用じゃなくて領主様の館として建ててたんだな。どうりで凝った作りだったわけだ。
領主とか良く分からんが、面倒なことになったな……
だがババアなどは意外にも新領主様を歓迎しているようだった。
「この街に領主……しかも現国王のご子息と来たもんだ。ここが重要な拠点だって王国に認められたってことだよ。アタシたちの後続の勇者がこんなに立派になって、嬉しいね。領主様からご挨拶があるから、今日の定例会議にはちゃんと出席するんだよ」
勇者たちが立派かどうかについては意見が分かれるところだが、街を治める人間ができたことでこの街がもう少し落ち着きを取り戻すことも……あるかなぁ。
っていうかこの街の惨状を王国にチクられたら結構ヤバいのでは?
いや、そもそもあんな子供に領主の仕事なんかが務まるはずない。ただのお飾りに過ぎないのだろう。
それにしても可哀想に。こんな辺境の危険な町に放り込まれて。
詳しくは知らないし興味もないが、王族もドロドロしてんだろうな。王位継承権がどうとか。もしかすると、他の兄弟たちからこの地での不慮の死を望まれているのかもしれない。
まぁ新米領主様がやるべき最初の仕事は、この街で生き残るすべを見つけることだな。
俺は他人事のように考えながら、市場をぶらぶら歩きまわる。フェーゲフォイアー商店街の定例会議は普通に無視した。どうせ無駄に長い上っ面だけの挨拶があるくらいだろう。葡萄ジュースでも啜ってた方が有意義である。
俺は市場に並んだ馴染みの店へ足を運ぶ。
「すみません、葡萄ジュース下さい」
「はい、銀貨五枚ね」
「……は?」
俺は銅貨を握ったままピタリと動きを止める。
な、なに言ってんだ? 銀貨五枚だと? たっけ……なに? 葡萄が不作なの? にしてもだろ。
今までも多少の値段の変動はあったが、精々銅貨数枚あれば払えていた。それが、銀貨? 文字通り桁が違う。
茫然としていると、店主が俺の困惑を察したように教えてくれた。
「知らないの神官さん。あっ、定例会議サボった? ダメだよ。まぁ教会には関係ないかもしれないけど」
「なんなんですか一体?」
「税金だよ」
「ぜいきん……」
*****
「消費税反対! 消費税反対!」
「暴利を貪る領主を許すな!」
「王族が住民を食い物にするのか!」
領主の館の前には“消費税”に反対する住民たちが押しかけ、凄まじい騒ぎになっている。普段は殺し合っているくせに、こんな時だけはしっかり声を揃えてシュプレヒコールを叫んでいるのだから大したものだけど。
しかしまぁ、無茶苦茶な税金で困るのは俺も同じ。決して十分な賃金をいただいているわけではないからな。勲章貰っても給料据え置きだし……
何をしでかすか分からない狂人共が集まってきていることにさすがの領主様もビビったのか、代表者一名が屋敷の中へ入ることを許されたようだ。
群衆の中から歩み出たアイギスが、恭しい態度の使用人により開けられた戸をくぐり屋敷へと入っていく。
「……アイギスが代表者ですか?」
すると屋敷の前で待機していた秘密警察がソワソワと落ち着きなく体を揺らしながら答える。
「そりゃあ魔族の首を刈った星持ち勇者ですよ。他の誰が代表者だって言うんですか」
「それはもちろん分かってますけど、アイギスに交渉や駆け引きができるとはどうしても……」
「大丈夫ですよ……なんたってアイギスさんは最強の勇者なんですから……」
言葉ではそういうものの、秘密警察達の不安げな視線が仮面越しにも分かった。
それからどれくらい経ったろう。思ったよりも早くアイギスが出てきた。手に何やら紙を持って。
ど、どうだった……?
シュプレヒコールが鳴り止み、屋敷前の広場に水を打ったような静けさが広がる。秘密警察が祈るような視線でアイギスを見守る。
アイギスはゆっくりゆっくりと足を進め、俺たちを見下ろすような場所で足を止める。
生唾を飲み込む音は横にいる秘密警察のものか、後ろにいる勇者の誰かのものか、あるいは俺の喉から漏れたものか。
アイギスが動いた。手に持っていた紙をバッと広げる。彼女の腕力と勢いにより紙がバリッと破れたが――そこには確かに「勝訴」の文字が。
「勝」と「訴」に別れてしまった紙を両手に持ったアイギスを歓声が包む。
民衆の勝利である。
俺たちは肩を組み、共に笑い合った。魔族にすら勝利した我々が、今更なにを恐れることがある。俺たちが一致団結すれば倒せぬものなどないのだ。たとえそれが魔物でも、金に汚い少年領主でも。
歓声はどこまでもどこまでも大きくなり、いつまでもいつまでも止むことは無かった――
****
なーにが「俺たちが一致団結すれば倒せぬものなどない」だ。
勇者たちは負けまくって死にまくってきたんだ。年季の入った負けグセはちょっとやそっとの勝利で払拭できるものではない。
「ふざけんなクソおらッ!」
「出て来いや悪徳領主〜!」
昨日肩を組んで笑いあったのが嘘のように、屋敷前の広場には負のオーラが充満していた。
広場に集まった民衆の数は前より減ったようだが、明らかに“濃さ”が増している。もっと具体的に言えば、集まった群衆の口から出るシュプレヒコールから品と知性が抜け落ち、ガラの悪さがこれでもかとトッピングされている。
我らが領主様は約束通りに消費税を廃止してくれた。だがそれは条件付きだったのである。
あのガキ、なにを思ったか「男勇者限定」で消費税を存続させやがった。つまり、街で暮らす普通の住人及び女勇者のみ税が撤廃されたのだ。
凄まじい不平等政策に、当然男勇者たちの不満は爆発。
「クソガキが、露骨な真似しやがって。ガキのくせにもう女好きの素質があるのか……」
地獄の底より響いてくるような怨嗟の声があちこちから湧き出ている。中にはとても子供には聞かせられない下品な罵詈雑言を叫ぶ者もいる。
女性からの視線というものから開放された今、勇者たちはとても自由だ。だが自由だから良いというものではない……
「領主さまー! 税金のせいで僕ら防具が買えませーん!」
そう叫ぶパンイチの男が人間を人間たらしめる最後の枷を脱ぎ捨てようとしている。止める人間がいないので、抗議活動はエスカレートするばかりだ。
そんな中、屋敷から数名の秘密警察が出てきた。キョロキョロあたりを見回して……ん? 目が合った。こっちへ来る。
「神官さん、ちょうど良かった!」
群衆を掻き分けてやってきた秘密警察が俺の両脇を固め、がっしり腕を掴む。
「えっ、なんですか?」
「領主と話をつけてきたんです。もう一度話し合いの場を設けてくれることになりました。今度は神官さんがお願いします」
「ええっ、なんで私が。勇者が行ってくださいよ」
「この状況で勇者が冷静に話なんてできませんよ。アイギスさんも“話が違う、騙された”って怒っちゃって、いま屋敷に入ったらなにをするか分かりませんから……神官さんくらいがちょうどいいんです」
確かに俺は勇者ではないが、勇者に重税が課せられることで困る人間の一人ではある。これ以上蘇生費を滞納されては堪らないからな。
だがそれは武器屋防具屋道具屋宿屋、なんだって同じだろう。
宿屋のババアあたりが話したほうが良いんじゃないか? そう反論すると、秘密警察たちは俺の腕を引きながら答える。
「なに言ってるんですか。神官さん勲章持ちでしょ」
「勲章持ってる人が代表の方がみんなも納得しますから」
こ、ここで勲章の代償を払わされるとは思わなかった。
勲章が途端に重く伸し掛かり、俺の首を締めるような錯覚に襲われる。
しかも代表って……
俺は辺りを見回す。
「国の弾圧なんかに屈する俺らではない! 勇者は自由だーッ!」
人間を人間たらしめる最後の枷から解き放たれた男が少し黄ばんだ三角の形の布を枝に引っ掛けてブンブン振っている。
俺がコイツらの代表?
胃のあたりが凄く重くなった……