領主様と勇者は相変わらずの膠着状態にある。
街歩いていると真人間のフリをした変態がすれ違いざまに自分の腹を掻っ捌いてハラワタボロンしてくるので、領主様はフェーゲフォイアー観光を楽しむこともできず屋敷に引きこもっているようだ。
おかげで新しい税金はまだ施行されてない。死税についてもあれ以来話はない。まぁもっとエグい税をあの屋敷で一人練り上げているのかもしれないが……
と思ってた矢先のことだった。
領主様の護衛部隊、強面兄ちゃん軍団の一番偉いっぽい人が教会を訪れたのである。
俺は身構えた。
凍結されていたかに思えた“死税”が動き出したか。いや、それだけならまだ良い。
蘇生・解毒・解呪の教会三大職務については教会本部が勇者の熟練度によって金額を定めており、領主といえど税をかけることはできない。
だがうちで売っている毒などについてはグレーだ……いや、グレーっていうか本当は税金を掛けなきゃいけないんだろうが特に領主サイドからなにも言われないのでグレーということにしてそのまま売っている。もし指摘されたら「解釈の違い」で押し通そうと思っていたが、強面の兄ちゃんに詰め寄られたら俺は開き直り続けることができるだろうか……
俺が冷や汗をかいているそばから、一番偉いっぽい人がこちらへ歩いてくる。と思ったら、祭壇の前の椅子にひょいと座った。そのまま口を開くこともなく、ジッとしている。
な、なんだ。どういうつもりだ。俺のような若輩者では、一番偉いっぽい人のダンディな渋顔からその心の内を察することはできない。
冷や汗が俺の鼻筋を通って顎へ伝う。
俺の様子を窺っているのか? もうすでに始まっているのか。高度な心理戦が。どうするのが正解なんだ。
……あぁ、ダメだ。耐えられない。俺は自らの心の弱さを呪いながら恐る恐るダンディさんに声をかける。
「あの……我が教会にどんなご用かな?」
するとダンディさんは視線を上げ、怪訝な顔をこちらへ向ける。
「用? 当然神に祈りに来たんだが……私が来てはいけなかったか?」
「い、祈り?」
一瞬何を言っているのか分からず、キョトンとしてしまった。数秒の沈黙の後、俺は納得する。
あぁ……そうか。うん。そうだよな。教会って祈るとこだもんな……大事なことを思い出させてくれてありがとうダンディ。
ただこの教会は教会のくせに祈るのには不向きだ。
そうこうしているそばから、ぼちゃぼちゃと湿った音を響かせながら死体が降ってくる。ダンディさんが目を丸くしている。俺は神官スマイルを浮かべて、彼に掌を向けた。
「あぁ、気にしないで。どうぞ続けてください」
だがダンディさんはなにか察したようだ。ふらりと立ち上がり、渋い声で言う。
「……邪魔してすまなかった。聖水を置いているだろうか。それがあれば自室でも祈れる」
「えぇ。色々ありますよ。どんなのがお好みですか」
「色々あるのか? ええと、じゃあ……一番強力なのを」
強力……
俺は少し考えてから、奥の部屋の戸棚から強力な聖水を持ってきた。
透明なガラス瓶に入った赤い液体を手に取り、ダンディさんは首を傾げる。
「ここの地方の聖水は色が付いているのか」
「ええ。唐辛子味なので」
「……味?」
「はい。人にもギリ飲めて、魔物にぶつけたとき最も攻撃力が高い強力な聖水です」
「聖水というのは聖なる力で魔物にダメージを与えるのでは?」
「聖なる力とカプサイシンの相乗効果です」
「……そうか……」
ダンディさんは力なくそう言って、素直に硬貨を渡してくれた。そこに税金がかかっていない事は特に突っ込まれなかった。やったぜ。
安心すると視界が広がり見えてくるものもある。ダンディさんの肌の荒れや眼の窪みなどだ。
「随分とお疲れのご様子ですね」
「あぁ。領主様は疲れ切っている。せっかく窮屈な王宮をぬけだせたのに……」
「貴方のことですよ」
するとダンディさんは虚を突かれたような顔をし、それから照れたように笑って少しだけ自分のことを話してくれた。
フランツと名乗ったダンディさんは、元は王族に仕える近衛兵で王子の護衛のためこの街へやってきたそうだ。妻と二人の娘を持つ夫であり父。見せてくれたロケットの中には美しい女性と天使のような幼子が二人そろって微笑んでいた。
何度も触っているのだろう。やや表面の曇ったロケットを見下ろしながら、フランツさんは哀愁のこもった横顔を見せる。
「上の娘は領主様と同じくらいの年齢でね。不敬かもしれないがつい重ねてしまうよ。私はあの方が赤ん坊の頃から仕えているんだ」
フランツさんはロケットを閉じ、シャツの中へしまいこむ。その目はどこか遠くを見ているようだった。
「王宮ってのは窮屈なとこだ。兄弟や親戚すら迂闊に気を許せない。あの年齢なのに友達と呼べる人間もいないんだ。いっそなにもかも忘れて、ここでのびのび過ごせればと思ったんだが……」
のびのびねぇ。
この街は五十年間領主無しでやっていけてたんだ。仕事を下々の者に任せ、名ばかりの領主として遊んで暮らす選択だってあったろうに。
俺は胸に抱いていた疑問をフランツさんにぶつけてみた。
「税というのはただの資金集め以外に民衆をコントロールする役目もありますよね。関税を掛けることで自領土の産業を守ったり、酒税をかけて民が酒浸りになるのを防いだり。男の勇者にだけ税金を掛けることになにか意味があるんですか? それともあの領主がただの愚かな子供なだけですか?」
「……………………」
フランツさんは俺のあまりに不敬な言葉を咎めるでもなく、背中を丸めて足元に視線を落とす。
ややあって、彼は独り言ともとれるようなごく小さな声で呟いた。
「どちらも、だな」
*****
硬直状態にあった領主と(男)勇者の戦いであったが、ようやく光明が見えてきた。
ハンバートが領主様との話し合いの場をセッティングしたのである。なぜよりによって勇者代表として話をするのがアイツなんだと思わないではないが、ヤツが金に物を言わせて掴み取ってきた外交ルートに文句をつけられるはずもない。
そしてなんでか俺が同行することになった。なんでだよ。
「本題に入る前に、まずは食事でもどうです。僕たちは互いのことを知らなさすぎる。これじゃあ交渉もできない」
偏屈で生意気な領主様が四の五の言う前に、ハンバートは気取った様子で指を鳴らす。それを合図に部屋に入ってきた使用人たちによってテーブルはあっという間に湯気の立ち昇る色とりどりの料理で埋め尽くされた。
さすが金持ち。料理の質がその辺の酒場とは違うや。俺が食い始めると、領主様も不機嫌そうな顔をしながらフォークを手に取った。
ひっ……な、なんだ。急に手の甲の傷が疼いた。
「この街はどうです? 王都とは勝手が違って大変でしょう」
真人間のフリをした変態ことハンバートが、真人間ぶった調子で口を開く。ロンド少年は首を振って答える。
「大変どころではありません。最悪です」
「そうだよね。僕もこの街に馴染むまでにはずいぶん時間がかかったものだよ」
は? お前はこの街のヤバヒエラルキートップの一人だろ。
だが屋敷に引きこもって住民との交流も満足にしていない世間知らずの領主様にはそれが分からない。高貴っぽい物腰と完璧なテーブルマナー、そして立派な屋敷に完全に騙されている。一流の変態ほど真人間のフリが上手いということを、たった十年そこらしか生きていないこの少年はまだ知らないのだ。
しかし真人間のフリもそう長くは続かなかった。
がちゃん、と音がしてフォークが床に落ちる。
「うっ……!?」
ロンドが胸を押さえ、テーブルに突っ伏した。
突然苦しみだしたロンドを見下ろし、ハンバートがナイフとフォークを置いて舌なめずりをする。
「薬が効いてきたようだね」
「な、なにを!? まさか……」
冷や汗と共に俺の脳裏に嫌な考えが浮かぶ。
ロンドは勇者を敵に回しすぎた。消そうと企む人間がいてもおかしくはない。しかし、まさかハンバートが……?
ロンドが胸を押さえ、肩を上下させながら凄まじい目つきでハンバートを睨む。そしてテーブルの上の小さなフォークを手に取った。
びくっ……
な、なんだ。どうして傷が疼くんだ。
俺は手の痛みを誤魔化すようにロンドに声をかける。
「お、落ち着いてください。あまり動くと毒が回ります。今毒の治療をしますから」
しかしハンバートは俺の言葉を嘲笑うように首を振った。
「人聞きが悪いな、神官さん。毒なんか入れてない。錯乱剤だ。主に攻撃性を高めるタイプのね」
「なんでわざわざそんなもの……まさか」
ハンバートが椅子を蹴り上げるようにして立ち上がる。
そして舞台役者のような大袈裟な身振りで、興奮した様子を隠そうともせず声を張り上げた。
「僕はなんてラッキーなんだ。この街に来てよかった。まさか王子とお近づきになれるとは。こんな機会はそうあるものじゃない……さぁ、その欲望を僕にぶつけたまえ! 武器は好きなのを使うと良い。どれも切れ味抜群さ」
ハンバートはそう言ってテーブルの上のナイフを差し出す。
くっ……ドマゾロリコンホモ紳士め。税金など大金持ちにとってはどうでも良い事だったんだ。最初からこれが目的か。
お前の思い通りにさせてたまるか。俺はオリヴィエを変態の魔の手から救うことができなかった。だが、あの時と同じ轍は踏むまい。
俺は深く呼吸をし、ロンドを落ち着かせるように言う。
「一線を越えてはいけません。戻れなくなります」
ロンドは歯を食いしばり、ハンバートを鋭く睨みながらもなんとか堪えているようだ。
ハンバートは不服そうな表情をこちらへ向ける。
「悪いが神官さん、邪魔しないでくれないか」
「貴方も正気に戻ってください。ロンドは男です。男の娘ですらない」
しかしハンバートは俺の言葉を鼻で笑った。
「問題ない」
「なっ……!?」
「舐めてもらっちゃ困るよ神官さん。僕も日々アップデートしているのさ。目を凝らせば、ほら。ショートカットのボーイッシュな女の子に見えてくる。彼は姉君に似ているしね」
ハンバートの言葉に、ロンドの体がピクリと動く。
それに気付いたのは俺だけだったようだ。ハンバートはさらに続ける。
「姫にはあと五年……いや十年早く出会いたかったな。幼い時の彼女はさぞかし――」
ハンバートが言い終わるより早く、ロンドが叫んだ。一体その小さな体のどこから出ているのか。グラスを震わせる絶叫を上げながら、獣のように理性を失ったロンドがテーブルを乗り越えて手に持ったナイフとフォークでハンバートをメッタ刺しにする。
「エクセレント……!」
変態の吐息混じりの勝利宣言が漏れ出る。
あぁ。俺は無意識に嘆息した。また変態から少年を救うことができなかった……。
*****
グロ死体程度で嘔吐していた幼気な少年が人をメッタ刺しにした事実に耐えられるはずもない。
正気に戻るや、血塗れで笑うハンバートを見てロンドは失神した。
「領主様の様子はどうだ?」
そわそわと落ち着かないフランツさんが本日数度目の質問を俺にする。
領主様の護衛こと強面兄ちゃん軍団がロンドを彼の屋敷に運んだわけだが、なぜか俺も一緒に連行されて医者の真似事などやらされている。なんでだよ。
医者の真似事をして「今は落ち着いています」だの「脈は正常です」だの言うのにも飽きたので、俺は組んだ両手に顎を乗せ、深刻なトーンで言う。
「……葡萄ジュースはありますか」
「ひ、必要なのか。今買ってくる!」
あぁ、必要だ。俺の喉を潤すのにね。
俺は慌てて部屋を飛び出していくダンディの背中を見送りながらニッコリ笑う。
さて、暇だな。っていうか俺がここにいても意味なくない? 医者じゃないし。脈なんて有るか無いかしか分かんねぇよ。帰って良いかな。でもフランツさんパシらせた手前、勝手に帰るのも気が引けるな。
俺はなんとなしに部屋を見回す。
豪華な子供部屋なことで。凄まじい広さの部屋に、天蓋付きベッド。しかもこの一室だけじゃない。部屋の奥にさらに部屋が続いているようだ。小さな扉が付いている。
……暇だし、ちょっとくらいなら良いか。誰もいないし。
俺は好奇心に駆られるがまま、奥の扉に手を掛ける。
「……………………」
絶句した。
なんだこの部屋は。
暗い部屋に並んだ写真、写真、写真、写真。壁紙を埋め尽くさんばかりのこの写真は……家族写真か? 何人か並んだ写真が多いが、ロンドと姫以外の顔が塗りつぶされている。
得体のしれない恐怖が俺の肌を粟立たせる。
「……なんで僕が勇者を毛嫌いしているか、教えてやる」
すぐ後ろから声がする。
振り向くことはできなかった。
「姫は代々勇者と結婚するしきたり。その辺の貴族が形式上勇者になって結婚することが多いが、姉様は本当に戦果を挙げた勇者と結婚する気だ。今回は手柄を上げたのが女性だったが、もし男だったら姉様は本当に結婚していたかもしれない。……そんなことはさせない」
子供らしくない、執念を含んだ言葉。
そうか……シスコンか……
俺は思わずため息混じりの笑みをこぼす。
ハンバートに捻じ曲げられるまでもなく、ロンドの性癖はすでに歪んでいたのだ。
でも……でもまだ間に合うかもしれない。
こんな俺にも、この哀れな少年を救うことができるかもしれない。オリヴィエの性癖はねじ曲がってどうにもならなくなってしまったけど、ロンドはまだ幼い。
俺は拳を固く握り、決意を固める。
この捻れた性癖を、俺が矯正してやる……!