フェーゲフォイアーのどこかに眠るとされる至高の秘宝“高収入ホワイトバイト”を求めて、俺たちは宿屋へと向かった。
宿屋のババアに挨拶を済ませ、階段を上った先で待ち受けていたのは――
「バイトのことならフェーゲフォイアーバイトマスターの俺に聞いてよ」
教会公認ニートことルッツ君である。
ルッツも日がな一日寝て過ごしているわけではない。割りの良い単発バイトを見つけてきては時間つぶしと小銭稼ぎに勤しんでいるようだ。ヤツ以上にフェーゲフォイアーのバイトに精通している人間はそうはいまい。
よく来てくれたとドヤ顔を見せるルッツを前にして、カタリナが俺に耳打ちをする。
「前から思ってたけど、ルッツさんってなんでいつも神官のコスプレしてるんですか?」
「そういう趣味なんじゃないですか」
俺が適当に答えていると、ルッツが埃塗れの棚から汚ねぇ紙束を取り出してペラペラとめくる。
「どういう職種が良いかな? 持ってる資格とか、得意な事とかある?」
「し、資格は特に……あっ、でも料理はできます。創作料理には自信ありますよ!」
やめろやめろ! 一般人に死人が出たらどうする!
カタリナの毒物混入料理を目の当たりにしたことがあるルッツも顔を引き攣らせている。
「あー……まぁ職種はおいおい絞り込むとして……バイトに求める希望は? シフトの融通が利くとか、賄いが出るとか、高時給とか」
「とにかく短期間でガッと稼げるヤツが良いです!」
なにを贅沢な事を。俺はやれやれと首を振った。
「無資格の未経験者が短期間でガッと稼げるバイトなんてあるんですか? 社会は厳しいですよ」
「萎えること言わないでくださいよ。どうなんですかルッツさん」
「いや~、無資格の未経験者が短期間でガッと稼げるバイトなんて――」
ルッツは紙束の中から一枚取り出し、カタリナに差し出してパチッとウインクする。
「あるよ」
なんだコイツ。たかがバイトでドヤりやがって……
差し出された求人票らしき書類を手に取り、カタリナが目を丸くする。
「うわっ! 時給凄い! これならすぐ滞納した蘇生費も返済できます。お釣りで新しいローブも買えますよ」
高収入バイト? 怪しいな。俺は疑いの目をカタリナに向ける。
「高い賃金にはそれ相応の理由があるものですよ。高度な技術を要求されるバイトとか、寝る暇も与えられないようなブラックバイトなんじゃないですか?」
「いやいや。勤務時間も短いし、肉を刻むだけの簡単なお仕事って書いてます」
「肉? 商店街の肉屋とかですか? あそこがバイトに高報酬出せるほど儲かっているとは思えませんが……見せてください」
俺はカタリナから求人票を取り上げ、勤務地を確認する。
……この住所ハンバート邸じゃねぇか! 俺はルッツを引っ叩いた。
「ッ痛ぇ! なにすんだよユリウス!」
「こっちのセリフだよ! なんて案件紹介してんだ」
「はぁ? 普通に良い仕事だろ。ただ採用条件が厳しくてなぁ……俺も応募したんだけど書類で落とされちゃったよ」
応募したのか……馬鹿かコイツ……
そして馬鹿がもう一人。
「これ良いですよ。肉刻むなら私にもできそうだし。応募しちゃおうかなぁ」
「ダメです。他のにしておきなさい」
「なんで神官さんが口出すんですか!」
「どうせ年齢制限に引っ掛かりますよ。っていうかコレ、オリヴィエがやってるバイトです。肉って言うか、より正確に言うと成人男性を切り刻むバイトですよ。やりたいですか」
「やりたくないです」
はい次。
ルッツがグチグチと文句を言いながらも次の書類をカタリナに差し出す。
「贅沢なヤツらだなぁ……じゃあコレは? さっきより給料落ちるけど、それでもかなり好待遇だよ」
本当かよ。俺はルッツに疑いの目を向ける。
「仮にも神官なんだから、公序良俗に反さないバイトにしろよ」
「いや、仮じゃないんだけど……」
「えっ、本当に神官なんですか? なんで神官なのにバイトしてるんですか」
カタリナが目を丸くしてルッツに尋ねる。
当然の疑問だな。俺も聞きたいよ。
ルッツはフッ……と笑い、カタリナに一枚の紙を差し出した。
「このバイトはどうかな? 人類発展の礎となる重要な研究の手伝いだって」
おい、なに無視してんだニート野郎。
カタリナもなにか言いたそうにしていたが、差し出された求人票を見るやそんなことは吹っ飛んでしまったようだ。
「わわっ、これも給料結構良い。しかも寝てるだけで良いって!」
「研究……? ちょっと見せてください」
俺はカタリナから求人票を取り上げ、サッと目を通す。
真新しい上質な紙に、ポップな字体でこう記してあった。
『現在脳に関する研究を進行中! 気さくなドクターと一緒にアットホームな職場で働きましょう』
……マッドの研究所じゃねぇか! 俺はルッツを引っ叩こうとしたがヒラリとかわされた。
「おっと、そう何度も同じ手は喰わないぜ」
コイツ……
俺は顔から表情を消し、虚空を見つめて指をさした。
「あ」
「ん?」
馬鹿が!
振り返ったルッツの後頭部に手刀を浴びせてやると、ヤツは愉快な悲鳴を上げた。
「痛ェ! 卑怯だぞ!」
「なんでロクでもないバイトばっか勧めるんだお前は」
しかしカタリナのアホは地獄への招待状を俺の手から掠め取り、頬を膨らませた。
「せっかく提案してくれたのに、なんで怒るんですか。良いじゃないですかコレ。給料高いし楽そうだし」
「そういう甘い考えが身を滅ぼすんですよ。待っててください」
俺は再びカタリナの手から求人票を奪い、目を皿にして紙の表面を舐めるように見る。窓から射し込む光に翳し、紙に顔を寄せて匂いをかいでみる。
「なにやってんだお前?」
「ルッツ、火ぃ貸せ」
「火? なんでだよ……」
ブツブツ文句を言いながらもルッツがどこからか蝋燭を持ってきた。ゆらゆら揺れる小さな火の上に求人票を滑らせる。燃えないように注意しながら小さな炎に紙の表面を数度舐めさせるとジワジワとなにかが浮かび上がってきた。
「ほら見て下さい。やっぱり炙り出しです」
俺は隠されていたおぞましいメッセージを二人に提示する。
『研究内容によっては多少の苦痛や命の危険が伴う場合があります。被験者に降りかかるすべての不都合に当研究所は一切の責任を負いません』
これにはアホ二人も表情を失い真顔になっている。
「俺、応募しなくて良かった……」
ルッツが呆然と呟く。
しかし勇者にとって命は軽い。
「で、でもほら。万が一死んでも神官さんが生き返らせてくれるし……」
研究により死亡した場合に発生する蘇生費を差し引いてもそれなりの儲けがでると計算したらしいカタリナが俺にすり寄ってくる。
しかし俺はカタリナを問答無用で突き放した。
「彼らが今なんの研究やってるか知ってます? 鼻から触手突っ込んで脳をイジる研究です。やりたいですか?」
「やりたくないです」
良かった。これでまだ治験バイトやりたいなんて言い出したら、マッドに頼んでもうちょっと分別のある脳に変えてもらうところだったぜ。
俺はマッドの求人票を破り捨てた。
「そう簡単に稼げる仕事なんてないんですよ。ルッツ、酒場のウエイトレスのバイトとか紹介してあげてください。厨房に立たなくていいヤツをね」
「酒場ぁ? 客層悪くないですか?」
この街に住んでいてよく“客層”なんて言葉が出てくるな。フェーゲフォイアーの勇者ってだけで客層としては最底辺なんだよ。お前も含めてなぁ……
思わずそう吐き捨てそうになるのを何とか飲み込み、俺はカタリナの説得に取り掛かる。
「酒場も教会も客層はそう変わりませんよ。この街はあっち見てもこっち見てもみんな勇者なんですから。貴方も同業者相手の方が接客もしやすくて良いんじゃないですか」
カタリナが俺の言葉にハッとした表情を浮かべる。
「教会……そうだ。神官さん、私を教会で働かせてください!」
……なに言ってんだコイツ。
「貴方に蘇生ができるんですか?」
「教会の仕事って蘇生だけじゃないでしょ。あの教会きったな……じゃなくて、あんまり整頓できてないみたいだし。私がお掃除しますよ」
「なんでですか。うちに人を雇う余裕ありませんよ」
「だって、バイトで稼いだお金どうせ蘇生費になるんだし。なら教会で働いた方が手間が少なくて良いじゃないですか」
「滞納した蘇生費を労働で返すってことですか?」
カタリナが満面の笑みで揉み手をしながらコクコク頷く。
俺は嫌な顔をした。
「基本的に蘇生費は現金でお支払いしていただきたいんですが……」
グラムに新作毒を試した時のようにこちらから労働での蘇生費の返済を持ちかけることもあるが、それが当たり前になると困るんだよなぁ。いかにフェーゲフォイアーが辺境の無法地帯であるとはいえ、経済を金貨が回しているのは王都と同じだ。俺の生活を支えているのは結局現金なのである。現金以外での蘇生費の支払いを許し続け、そのうち蘇生費を野菜で返したいとかいうヤツが現れたりしたらたまったものじゃない。まぁその時はそいつの腎臓を一つそら豆と交換してやるまでだが。
「まぁまぁ! 私の掃除さばきと作った料理を見たらそんなこと言えなくなりますよ」
俺が腎臓とそら豆に思いを馳せているともしらず、カタリナが強引に捲し立てる。
……コイツ今なんて言った? 料理……?
「じゃあ明日の朝行きますから。よろしくお願いしまーす!」
半ば一方的に労働契約を押し付けて、カタリナは逃げるように階段を駆け下りていく。
俺は小さくなっていくカタリナの背中に必死で声をかける。
「食事は結構です! 食事は結構です!」
俺も命は惜しかった。
*****
翌日。
窓から射し込む光に、俺は目を擦りながらベッドを這い出す。
小鳥たちの囀りに混じって聞こえる小さな物音。ドアの向こうに人の気配を感じる。
カタリナのヤツ、本当に来たのか。しかもこんな朝早くに。案外真面目だな。
自室を出て辺りを見回すと、すぐにカタリナを見つけることができた。こちらに背を向けて早速何やら作業しているようだ。布巾で頭を覆い、エプロンなどつけている。気合入ってんな。
……まぁ強引な約束の取り付けなどに思うところはあるが、朝早くここまで来てくれたのだ。無理に追い返すこともあるまい。この教会に掃除が必要なのは間違いないことだしな。
俺はヤツの背中に話しかける。
「おはようございます。随分早いですね。もう少し遅くても良かったんですが――」
そこまで言って、俺は部屋に良い香りが漂っていることに気付いた。
寝ぼけた脳が急速に覚醒していく。アイツ、台所に立ってね? 鍋かき回してね?
俺は自分の命を守るため声を上げた。
「ちょっと待ってください! 食事はいらないって言ったじゃないですか」
するとカタリナがお玉を手に振り返った。
……パステルカラーの瞳を輝かせながらこちらに笑いかける。
「そんなこと言わないで。自信作なの」
ただでさえ低い血圧が急激に下がっていく。脳に血が回らず、視界に星が舞い眩暈に襲われ、俺は壁に手をついて体を支えざるを得なくなった。
どうしてここにパステルイカれ女が。寝起き一発目の早朝リエールはキツイ……
「カ……カタリナは。カタリナは来ていませんか!? これから来る予定になってるんです。もうすぐ来るはずなんです!」
俺は歯をガチガチ鳴らしながらなんとかリエールにそう尋ねる。
しかしリエールはニコニコしながら首を傾げるばかりで俺の質問に答えようとはしない。
くっ……こんなにカタリナを待ち望む日が来るとは。
早く来いよ。なにやってんだカタリナ!
「どうぞ」
リエールが食卓に湯気の立ちのぼるスープを運び、椅子を引いて俺に座るよう促す。
しかし俺は動かなかった。いつものキッチンに溶け込んだ違和感に気付いてしまったからだ。
パンと共に食卓に並べられのは、朝食に相応しいあっさりした野菜スープだ。台所にも同じ野菜スープの入った小さな鍋が置かれているのが見える。
それは良い。問題はその隣だ。
野菜スープの鍋とは別に、もう一つ鍋が並んでいる。個人宅にはまずないであろう、子供が一人隠れられそうな程の大きさの寸胴だ。何かが煮込まれている。なんだ……? トマトベース……か? 俺に出された澄んだ野菜スープとは真逆の、赤黒いなにかがマグマの如くボコボコと泡を出している。朝食にしては具沢山だ。野菜ではなく、ぶつ切りにされた肉がゴロゴロ浮いているようだが、アクが酷くあまりよく見えない。
肉屋というのは偉大な施設だ。動物の皮を剥ぎ、血抜きをし、臓物を抜き、小さく切り分け、食べやすい形に加工したうえでショーケースに並べてくれている。
おかげで我々は不必要にまな板や包丁を汚すことなくお肉を食べられているわけである。
だが、パステルイカれ女は人類の偉大な発明である“肉屋”の存在を知らないのだろうか。脇に置かれたまな板と包丁が血塗れだ。
俺は恐る恐る尋ねる。
「……その寸胴は?」
「ん?」
リエールが笑顔で首を傾げる。
肉屋で購入できる血抜きを済ませた肉ならば、いくら乱暴に切ってもここまで血が出ることはない。
俺はどうしても我慢できず、恐怖で吐きそうになりながら核心に迫る質問を投げる。
「……なんの肉ですか」
するとリエールは血に染まった手を後ろ手に組み、朝にピッタリの爽やかな笑みを浮かべて言った。
「お料理もお掃除も私に言ってくれたら全部やってあげるのに。今日はユリウスがいつもより早く起きちゃったから、ちょっと後始末が間に合わなかったけど……」
パステルイカれ女が寸胴をちらりと見る。その時、俺は気付いてしまった。
赤黒い汁から飛び出した、金色の毛髪に。