「酷いですよぉ。愛しのマイホーム候補がボロボロですぅ」
井戸魔人だ。性懲りもなくうちの生活用水の一切を賄っている井戸から蒼い顔を出している。
「なんで貴方がここに」
「地下水を伝って抜け出したんですよ。私はほら、精霊タイプなので」
そうか……こういう体柔らかタイプに例の飢餓洞窟作戦は使えないのか。
まぁちょうど良い。これでまたヤツに洞窟内の情報を流してもらえる。水質検査に問題はなかったし、中庭にマーガレットちゃんがいる限り悪さもできまい。
俺は食物連鎖トップに君臨する魔族様のツタと安心感に包まれながら魔物を見下ろす。マーガレットちゃんの威を借りた俺に怖いものなど無い。安心の代償として蜜でべっとべとになった口周りをべろべろ舐めながら尋ねた。
「中はどうですか?」
「そりゃあもう、大変なことになってますよ。まさかあんな化け物がいるなんて……」
魔物が肩を抱いてガタガタ震えだす。いつも蒼い顔が心なしかいつもより蒼い気がする。いや、どうかな。やっぱ気のせいかもしれない。肌が蒼いと顔色も分からない。
「あんなのが相手じゃとてもとても……ほかの魔物たちも憔悴しきっています」
粒ぞろいのボス候補ばかりと聞いていたが、どうやら頭一つ抜け出した強キャラがいるらしいな。あのフェーゲフォイアーの上空を飛んでたドラゴンだろう。
だがどんな強キャラだとしても生物である以上飢えには耐えられまい。とくにあんな図体のデカいドラゴンなら燃費も悪そうだ。
とはいえいくら衰弱させてもあんなドラゴンを人間が従えることなんてできるのだろうか? 我が領主様は魔物の軍勢を手中に収めたいみたいなことを言っていたが、それはただ殺すだけよりよほど難しい。
まさか本当にお友達になろうだなんて考えてはいないだろうが、犬や馬にするのと同じような調教をドラゴンにするつもりじゃなかろうな。その辺ちゃんと考えてんのかな……
*****
「獣程度の知能の魔物なら調教でなんとかなるけど、ドラゴンは賢いからなぁ。本来爬虫類の脳っていうのは我々より原始的で単純な構造をしているはずなんだ。なのにどうして人語を解する知能があるんだろうね。人間の脳と似ているんだろうか。あるいはもっと別の方向に進化しているのか……」
独り言と会話の中間の音量でブツブツと話し続けるマッドを見上げ、ロンドがわざとらしく可愛い仕草で首を傾げる。
「構造が良く分からないから、物理的に脳をイジる事はできないってことですかぁ?」
「許可くれるならやりたいくらいだけど、死なせちゃまずいんでしょ? まずは外科的処置じゃない手段で人間に忠誠を誓わせた方が確実だと思う」
ちゃんと考えてた。
でも初手で物理洗脳検討するのヤバいと思うぞ。あとマッドを相談相手に選ぶのもだいぶヤバい。
だいたい指名手配中の、それも捕まったらほぼ確実に死刑の男を領主の屋敷に入れて良いのか?
マッドがスッと目を細め、口角だけを持ち上げた不自然な笑みを浮かべる。そしてロンドの顔を覗き込んだ。
「だからさ、君があのネクロマンサーになにをされたのか教えてほしいんだ。ドラゴンとお友達になるためのヒントになるかもしれないからさ。ね?」
ひねり出したようなわざとらしい猫撫で声だった。素人の子供ならギョッとしていたに違いない。
しかしヤツは素人の子供ではなかった。
マッドとは対照的に、完璧すぎて逆に不自然な笑顔を浮かべたロンドが瞳の中のパステルスターを瞬かせる。
「別に、少しお話しただけですよ?」
「……………………」
マッドが無言で手を差し出す。ヤツの背後に控えていたジッパーが手渡したのは、お馴染み先が二股に分かれた金属器具だ。
「ぬんっ!!」
俺はヤツの手から器具を叩き落した。無言で子供の眼球をえぐろうとするな。
金属音を立てながら床に転がった器具を名残惜しそうに見下ろしながら、マッドが投げやりに口を開く。
「洞窟内の魔物の情報はどれくらい集まってるの?」
「爆弾を仕掛けた勇者さんたちのお話では、魔獣系の魔物が多いみたいです。カッコイイですねっ。なかでも最有力ボス候補はやっぱりドラゴンさんでしょうか。カッコイイですもんねっ」
魔獣か。水棲生物が少ないのは意外だな。いや、水棲生物ならまず陸を歩いて洞窟までたどり着くことができないか。まぁ教会の井戸に出た水脈を辿れる魔物とかいう例外もあるにはあるが。
「例のドラゴンさんについては詳細な情報もゲットしてますっ! 飛来した方向から、以前住んでいた地域を調べました」
ロンドが誇らしげに資料を掲げる。
さすが準備が良いな。よほどあのドラゴンが欲しいとみえる。
ロンドが資料に目を通しながら続ける。
「やっぱり水辺が好きみたいですね。大きな滝の近くに住んで、近隣の村から村娘を生贄として要求しながら暮らしていたようです」
「どうして住み慣れた地を離れてここに来たんでしょう。名のある勇者に退治されかけたのでしょうか」
「いえ。村の高齢化で若い村娘を生贄にできなくなったからだそうです」
悲しいね。
確かによくよく考えれば、次世代の子を産む若い娘をなにも考えず食っていけば子供が減っていくのは当然だ。高い知能を持つドラゴンさんも食欲の前ではその知能を発揮できなかったらしいな。まぁ人間にあまり偉そうなことを言う資格はないが。
その点、勇者ならその心配はない。食い殺された死体は教会に送られてくるのでどの程度ヤツらの腹が膨れるかは分からないが、勇者は掃いて捨てるほどいるので大丈夫だろう。
若い娘も……まぁ……辺境の地にしては多い方だと思う……純朴な村娘ばかり食い殺してきたグルメのお口に合うかは知らんが……
マッドが頭を掻きながら唸る。
「やっぱ薬漬けかな。体重あたりの投与量ヒュドラと同じで良いかな……ユリウス君どう思う?」
知らねぇよ。一介の神官がドラゴン薬漬けにした経験あると思ってんのかよ。
まぁでも、ヒュドラもドラゴンも似たような作りだから大丈夫じゃん? 知らんけど。
そんなようなことを答えると、マッドは腕を組みふんふんと頷く。
「手探りになるけど、俺も頑張ってみるよ。まだ時間はあるし」
しかし俺たちに時間など無かった。
「……これは一体」
教会に戻った俺を死体の山が出迎える。
しかも損傷が酷い。どいつもこいつもハラワタは引きずり出され、切断面もぐちゃぐちゃ、足りないパーツがいくつもある。これ食い殺されてんな。お前らは本当に魔物のオヤツになるのが好きだよなぁ?
しかしうだうだしていても死体の山は大きくなるばかりなので、俺はゲンナリしながらも仕事に取り掛かることにする。せめて蘇生費をちゃんと払ってくれそうなヤツから蘇生させてやろう。
オリヴィエが目についたので蘇生させてやると、ヤツは慌てたように俺の腕を掴んで神官服に血の手形をつけた。なにすんだ。
オリヴィエがわなわなと唇を震わせる。
「と……突破されました」
「突破? なにをですか」
「洞窟ですよ! 魔物たちがルラック洞窟を突破しました」
……は?
「えっ……だ、だって洞窟を崩壊させて入口埋めたんですよね? 餌もなくて、衰弱して、共食いを始めているはずじゃ」
「魔物たちが結束して共闘しちゃったんですよ! 閉鎖洞窟サバイバルを生き延びて、洞窟を塞いでいた瓦礫を除いて……今は見張りと野次馬勇者たちを次々食い殺して、街を襲って根絶やしにするとか息巻いてます!」
……違うじゃん。計画と違うじゃん。
俺は頭を抱えた。