ルラック洞窟のダンジョンボスにはジェノスラが就任しました。
当然だね。火が吹けるだけでイキッてるデカいトカゲにジェノスラが負けるはずない。ましてや、井戸魔人など眼中にないに違いないが。
「……で、貴方はなにをしていたんですか」
井戸から顔を覗かせた井戸魔人に尋ねると、ヤツは頭を掻きながらヘラリと笑う。
「水の中に隠れていたに決まってるじゃないですかぁ。私がまともに戦っても勝てませんもん」
分かってんじゃねぇか。
力ない者が無理に強者に立ち向かっても死ぬだけだ。それは魔物も人も同じ――いや、魔物はより慎重になるべきかもな。勇者と違って蘇生できないのだから。
長い物には巻かれろという至言に従ってマーガレットちゃんのツタに雁字搦めにされながら、俺は腕を組んでヤツを見下ろす。
「ルラック洞窟を訪れた魔物は貴方以外みんな死にましたよ。ジェノスラの血肉になりたくないんだったら貴方も元の住処に戻った方が良いのでは?」
「いやいや! たしかにほとんどの魔物が死に絶えたようですが、例の飛竜は生きています」
あっ、生きてんの? ジェノスラによって洞窟の奥に引き込まれたところまでしか見ていなかったが、完全に死んだとばかり思っていた。あの状態でドラゴンがジェノスラに勝てるはずないし、ジェノスラがドラゴンを生かす理由なんて――いや、なるほど。俺は手を叩いた。
「ジェノスラの保存食ですね」
「えっ……いや、うーん……どうなんでしょう。ダンジョンの戦力にしたいという可能性も……一応例のスライムとは対話を試みましたが、ダメでした。言葉が分からないのか無視されたのかも分かりません」
「はぁ。それで結局、貴方はどうするんです?」
「もちろん洞窟に住みますよ。私は水中が主な活動領域なので、他の魔物の方とも競合しにくいですし。そうなると、私たちご近所さんってことになりますね。私、人間にとっても興味があるので今度この街を案内してくださ――ひえぁ」
マーガレットちゃんがツタを井戸にぶち込む。素っ頓狂な声を上げながら井戸魔人は水底に沈んでいった。
さすがはマーガレットちゃん。害獣駆除もお手の物である。
うん? なんか街が騒がしいな。なんかあったか?
「ちょっと、マーガレットちゃん下ろして貰えます?」
マーガレットちゃんは相変わらずの植物的無表情であるが、いつもより若干鋭い目で辺りを見回している気がする。気がするだけかもしれない。
「どうしたんですか? なにかあるんですか?」
もちろんマーガレットちゃんは答えない。そもそも喋れるかどうかも怪しいが、なまじ人型をしているためどうしても言語でコミュニケーションを取ろうとしてしまう。
「マーガレットちゃん? どうしたんですか? ねぇ? ねぇねぇ? ねぇねぇねぇねぇねッ……」
静かにしろとばかりにマーガレットちゃんが俺の頬をガッと掴む。半開きになった口に、一般的な神官の反応速度を上回る速さでマーガレットちゃんの指がぶち込まれる。
そう、マーガレットちゃんは人型に近くてもその生態は人間には程遠い。まず一般的な人間は指から分泌物を出さない……
攻撃的なまでの甘さが喉を灼く。俺は目をカッと見開き、無意識のうちに声を上げていた。
「うめぇ!!」
*****
も~、腹ちゃぷちゃぷだよ~
いつになったらマーガレットちゃんは人間の雑魚胃腸のキャパを理解してくれるんだ? いや、胃腸が破裂しないだけマシだと考えるべきか。
にしても今日のマーガレットちゃんはいつも以上に拘束がキツかったな。なかなか離してくれなかったし、花粉塗れで神官服が重い。
俺だって植物とのんびり戯れる牧歌的な時間を取りたいのは山々だが、山になっているのは死体も同じだ。
もう日も沈みかけてるってのになんだってんだよ。外も騒がしいし、また勇者同士殺し合ってんのか?
と思ったら山のてっぺんにいた死体がおもむろに顔を上げて満面の笑みをこちらへ向けた。
「なーんちゃって。死体の山の仮装で~す」
……は?
意味が分からない。
死体の山を滑り降りながら、勇者が足取り軽やかに寄ってくる。
「今日は収穫祭でしょう? 死体のコスプレで神官さんを驚かせようって、みんなで計画してたんですよ。コイツらやる気満々で! 笑っちゃいますよ」
勇者が死体の山をバシバシと叩き、巨大なネジが頭を貫いているように見えるカチューシャを外しながら腹を抱えて笑い転げる。
「俺、ちょっと遅刻しちゃったんスよ。そしたら待ち合わせ場所に誰もいなくて、教会に来てみたらもうこの状態でスタンバってて……ププッ、お前ら気合入りすぎだろ~! もう良いんだよ、起きろって! おい! おい! おい……お前ら……?」
勇者が必死で揺すれども、かつて友人だった冷たい肉塊たちは返事をしない。当然だ。ただの屍は返事をしない。
知らず知らずのうちに仲間に先立たれた勇者は、ネジカチューシャを手に茫然と立ち尽くす。多量の血糊で汚した服も本物と比べると悲しいまでにチープだ。
っていうか死体の仮装なんてしなくても、お前らすぐ死体になるだろうがよ。
新たに降ってきた死体が血溜まりに墜落し、俺の顔に盛大に血飛沫を浴びせる。
俺は血に濡れた顔に神官スマイルを浮かべ、立ち尽くす生者の肩をちょいちょいとつついた。
「仲間の蘇生費のお支払いをお願いしますね」
*****
チッ、どうなってやがる。
夜なのにドンドン死体が降ってくるし、その死体はどいつもこいつも妙な恰好をしてる。なにかと思って出てくれば、街中に変な恰好をしたヤツらが溢れかえっていた。
仮装大会とかコスプレパーティーでもやってんのか? にしては規模デカすぎだろ。そういえば収穫祭がどうこうとか言ってたが……
あてもなくフラフラしていると、頭に斧のぶっ刺さった腐乱死体が鬼の形相で駆け寄ってきた。
「なにやってんだよ!」
「ひっ……」
得体のしれない恐怖に突き動かされて思わず後退りしかけるが、声でその正体がリリーだという事に気付いた。にしてもなんだその格好は。クオリティ高すぎんだろ。どこのアンデッドモンスターかと思ったぞ。
一瞬でもビビったのがちょっと恥ずかしくなって、俺は説教神官さんモードに移行する。
「ダメですよリリー。夜にそんなふざけた格好をして出歩いて。お婆様もさぞ心配している事でしょう」
「それはこっちのセリフなんだけど。今日は収穫祭だよ!? そんなちょっと血糊つけた程度じゃ全然ダメ」
だから何だよ、収穫祭って。っていうかコレは仮装じゃなくて普通に血飛沫を浴びただけだ。
だがリリーは質問をする暇も与えず、俺の襟元を引っ掴んで強引にしゃがませる。
「仕方ないな。とりあえずこれやるから……」
リリーに斧ぶっ刺さり風髪飾りを貰った。わぁい。
「でもそんなんじゃまだまだ足りないから! あとは自分で用意しなよ」
リリーは言うだけ言ってさっさと走り去ってしまった。
祭りに真剣に取り組みすぎだろ。どちらかというと斜に構えてこういうイベント馬鹿にするタイプだと思っていたが。
まぁ子供は祭りで大はしゃぎするくらいが健康的で良いと思うぜ。子供はな。
「神官さーんっ! 楽しんでますぅ?」
秘密警察に囲まれてしまった……。死神にでも扮したつもりか。フード付きの黒衣に髑髏を模した仮面をつけて身の丈ほどもある鎌のおもちゃを振り回している。
しかもなんだそのテンション。クソッ、酒なんぞ飲んでやがる。酔っ払いめ。俺は適当な挨拶を済ませてその場を切り抜けようとしたが、回り込まれて逃げられない。
なんだよ、お前ら酒飲んで絡んでくるヤツ取り締まる側じゃないのかよ。
逃げられる気配がないので、俺は渋々ずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。
「あの、収穫祭っていったい何なんですか」
「え~? 神官さん知らないんですか? アレですよ。あの~、ほら、なんだっけ……」
「コスプレして酒飲んで騒ぐんですよ!」
それは見てたら分かるが……
俺は辺りを見回しながら再び尋ねる。
「収穫と仮装にいったい何の関係が?」
「あ~、なんだっけ……」
「聞いたけど! 忘れましたッ!」
ダメだこいつら、話になんねぇ。
「神官さん仮装地味っすよ! これあげます!」
そう言って秘密警察が背後から俺の襟を掴み、巨大鎌を背中に滑り込ませた。斧に続いて鎌ゲット。わぁい。
礼を言うと、秘密警察はとんでもないとばかりに首を振りながら盛大に血反吐を吐いて俺の神官服に血痕を増やした。
「ガハッ……」
腹から飛び出た銀色の短剣を引き抜かれ、膝を折る。
他の秘密警察が慌てて得物に手をやるが、酔っぱらって鈍った動きでは束になっても彼女には勝てない。
ある者は頸動脈を引き裂かれ、ある者は心臓を一突きに、ある者は喉笛を掻き切られて血の泡を吹きながら次々絶命していく。小さな体を生かした目にも止まらぬ動きには一切の無駄が見当たらない。
腕を上げたな……ルビベル。
「で、なんで殺したんですか」
するとルビベルは血に染まった赤い頭巾の奥で大きな耳をピコピコ動かしながら丸い目を輝かせる。
「神官さん襲われてたから! 人は殺しちゃダメだけど! 魔物は殺して良いって!」
そうだね。魔物なんかに扮装してるアイツらが悪いよね。
地面に血溜まりを残したまま綺麗な光となって消え、恐らく今頃教会に積み重なっている秘密警察共に思いを馳せながら俺は白目を剥いた。
教会にジャンジャン勇者が降ってきた原因が分かった気がする……
このまま放っておくとルビベルは仮装勇者を無限に殺しかねない。あっ、そうだ。俺は神官スマイルを浮かべた。
「グラムはどこです?」
「んーとね、多分酒場にいるよ」
「そうですか。ところで、人間の成人男性の腸をまっすぐに伸ばすとどれくらい長いか知ってます?」
ルビベルは丸い目をパチクリとさせ、首を傾げる。
「うーん、どうだっけ……分かんない」
「実はねぇ、まっすぐ伸ばすと大縄跳びできるくらい長いんですよ」
「えー? 嘘だぁ」
「じゃあ試しにやってみましょうか」
「うん!」
俺はルビベルと手をつなぎ、酒場へと向かうのだった。
*****
よーし、ちゃんと保護者にルビベルを引き渡したしこれで大丈夫だな。
俺は頬に付いた真新しい血痕を拭いながら街を闊歩する。
教会には死体が山となってそびえているに違いないが、もう今日は良いや。この様子じゃ蘇生させてもさせてもなんだかんだでどんどん死なれそうだし、明日にしよ……
そんな考えが見透かされたのだろうか。地獄から這い上がってきたような悪鬼が俺の両肩を鷲掴みにし、その恐ろしい顔をグッと近付けて真っ赤な唇をカッと開いた。
「コラァ! なにやってんだい!!」
「ひいっ!? ごめんなさいごめんなさい仕事します! ……ん?」
真っ赤に塗られた恐ろしい顔をよくよく見ると、仮装した宿屋のババアであった。
リリー以上に気合の入った仮装だ。外でエンカウントしたら魔物だと信じて疑わなかっただろう。リリーのあの祭りにかける情熱はババア譲りだったか……
だが、どうにも様子がおかしい。
ババアはしきりに辺りを見回し、そして天を仰いで細い月を見た。
「くっ……もう時間が……ッ」
「時間?」
ババアは俺の両肩を掴み、唸るような低い声で言う。
「今日は収穫祭だ。どういう祭りかは聞いているかい」
「いえ……あっ、酒を飲んで仮装して騒ぐ祭りだと勇者が言ってました……けど……」
「そうだよ」
そうなのか……
あっ、よく見たらババアも酒瓶持ってやがる。酔ってんのか?
ババアが続ける。
「でもね、ただふざけて馬鹿騒ぎをしているだけじゃないんだよ。今じゃ形骸化してそういうイベントになってしまってるけどね。なにせ、最後にヤツらが来たのはもう三十年も前だ。恐怖を忘れるのも仕方がないのかもしれない。でも……今年はなんだか嫌な予感が……」
さっきから何を言っているんだ。まるで意味が分からない。
が、意味はすぐに分かることになった。
「あああぁぁぁぁッ!」
突如沸き起こる悲鳴。今までもあちこちで悲鳴とも歓声ともつかない声が上がっていたが、それとは明らかにトーンが違う。
……なんだあれは。浮かれた衣装を纏った勇者に黒い霧が纏わりついている。
「ヤツらだ……ヤツらが来た!」
「なっ、なんなんですか一体!? 魔物!?」
「分からない。そうかもしれないし、違うかもしれない。分かっているのは、ヤツらにとってアタシら人間はご馳走だってことだよ」
黒い霧が勇者の頭に集る。引っ張っているのか? 首が伸びて、伸びて、伸びて……やがて耐え切れず、ブチブチと音を立てながら千切れた。体に別れを告げる暇も与えられず、哀れな勇者の頭部が黒い靄に連れ去られていく。
「収穫って……まさか……」
「そうさ、収穫されるのはアタシたちだ」
全身から血の気が引いていく。
ババアはグッと酒瓶を呷り、鋭い視線を辺りに向ける。
「ヤツらは臆病でグルメだ。好むのは健康で新鮮な生きた人間。こうして化け物に扮し、酒で恐怖心を殺して威嚇してやればヤツらは逃げていく。でも生半可な仮装じゃ……」
あぁ、言っているそばからニワトリの着ぐるみで仮装していた勇者の首がお持ち帰りされて屠殺後のニワトリみたいになってる……
俺は斧カチューシャの刺さった頭を指して尋ねる。
「これはどうですか」
ババアが真っ赤な口を大きく開き、「キイィィェェェエエ」と翼竜を連想させる奇声を上げる。ババアの体がバケモノに乗っ取られたのかと心配になったが、どうやら俺を助けてくれたらしい。黒い霧が俺の体を一周してからふよふよと逃げていく。
ババアはまた酒を呷り、低い声で言う。
「そんなんじゃ全然ダメだ。良いかい、人間を捨てるんだ。死にたく無けりゃね」
そう言うと、ババアは地獄の底から響くような雄叫びを上げて街を駆け抜けていってしまった。
ババアの通った道はまるで雑巾でもかけたかのように黒い霧が晴れている。
しかし俺にあそこまでの迫力を出すだけの表現力はない。せめて屋内に避難を……と思ったが、どこも固く戸締りされていて呼びかけても返事はない。当然か……下手に戸を開ければ俺と一緒に黒い霧が入り込む可能性もある。
クソッ、なんでこんな日に外に出ちまったんだ。大人しく教会にいれば良かった!
それもこれも、勇者たちが妙な恰好して教会に降ってきたせいだ。どこまでも俺の足を引っ張るよなぁ、お前たちはよぉ~
クオリティの低い仮装の者から順繰りに収穫されている。俺の順番も近い。どうする、どうする、どうする、どうする!
頭の中をぐるぐるとババアの言葉が回る。
『ヤツらは臆病でグルメだ。好むのは健康で新鮮な生きた人間――』
……一か八か。
俺はその辺にいた勇者が引き連れた棺桶に飛び乗り、ふたを開ける。
「神官さん!? なにやってんすか」
慌てふためく勇者を無視し、棺に収まっている死体を引きずり下ろす。空いたスペースに俺は体をすっぽりと収めた。
見せてやる。本物の仮装ってヤツをよ。
俺は斧カチューシャの位置を調節し、棺に溜まった血糊をべったりと頭に塗りつけ、白目を剥いて半開きの口から舌をダラリと垂らした。
勇者がハッとした声を上げる。
「し、死体の仮装……!」
健康で新鮮な生きた人間を好むグルメな霧が、棺桶を覗き込んでは舌打ちをして去っていく。
猫も跨ぐ激マズ死体を真似させたら俺の右に出る者はいない。なにせ毎日凄まじい数の死体を見ているのだ。ありがとう勇者たち。
だが霧に次々収穫されていく勇者を見るに、俺が過労で本物の死体になる日もそう遠くないかもしれないとボンヤリ思うのだった……