「どうした神官さん。血相変えて……うわっ」
声をかけてきたルイに、俺はこれ幸いと縋りついた。
もう足が限界だ。口がカラカラで上手く回らない。喉が灼ける。肺が痛い。乱れた呼吸のまま、俺は言葉を振り絞る。
「しゃっ、喋……」
「え? なに?」
「落ち着けって。なにがあったんだ? 水飲むか?」
ユライに差し出された水を喉に流し込み、意識して息を整える。
そして俺は今起きたことをありのまま、簡潔に伝えた。
「犬が……犬が喋ったんですよ!」
二人はキョトンとした表情を浮かべる。互いに顔を見合わせ、そして再びこちらに視線を向けた。
「良く分からないけど……詳しく聞かせてもらえる?」
もちろんだ。俺は二人についさっき起きた事件についての仔細を伝えた。
川辺で犬がなにやら怪しい話をしていた事、捕まえようとしたものの狡猾な犬の作戦と獣の身体能力により撒かれてしまった事、逃げた犬を探し回ってめちゃくちゃ疲れてもう泣きたい事。
すべてを聞き終えたユライは真剣な表情で腕を組みながら、一呼吸おいて口を開いた。
「最後にちゃんと寝室で寝たのはいつだ?」
「え? 確か三日……いや四……」
するとユライは俺の隣にそっと寄り添い、怯えた子供を宥めるように背中に手を置いた。
「今のうちに少し寝た方が良い。きちんと睡眠をとれば少し落ち着くと思うから」
なんか優しくされた……
違う違う。そういう事じゃないんだ。ルイ~、お前は助けてくれるよな?
縋るような視線を向けると、ルイはキツネ人形をギュッと抱きしめながら憐れむような表情を浮かべて言う。
「神官さん。犬は喋らないよ。ねぇロージャ?」
「コ……コロ……ス……」
そうだね! 犬は喋らないよ普通! お喋りキツネ人形と違ってなァ!!
「もう良いですよ!」
くそっ、完全に時間を無駄にした。
俺は狂人共に見切りをつけ、逃げた犬の探索を再開する。
だが犬っころ一匹を探すにはこの街は広すぎる。人は多いし、あの小さな体を隠す場所などいくらでもある。なにか犬の気を引けるものでもあれば良いのだが。
なんて考えていると、俺の目と鼻の先を白い円盤のようなものが横切った。
「あっ、フリスビー!?」
フリスビーをキャッチしたのはルビベルである。新しいオモチャに幼女勇者の機嫌は上々だ。
「お兄ちゃん! いくよ、ちゃんと取ってね!」
ルビベルの手を離れて空を切り裂くようにグラムの元へ飛んでいくフリスビー。キャッチしようと広げたグラムの手をえぐい速度ですり抜け、頭にぶち当たって鈍い音を立てながら額を派手に割った。
フリスビーじゃねぇ。皿だあれ。
「なにやってんですか」
尋ねると、額から流血したグラムが恥ずかしげもなく平然と言う。
「フェイルの野郎がドラゴンにご執心でな……ついでに集めてきた鱗と交換で貰ったは良かったんだが、俺たち街じゃ自炊しないし冒険に持っていくには重いし持て余してんだよ」
「じゃあ貰わないでください!」
クソッ、またまた時間を無駄にした!
もはや走る気も起こらないのでヘロヘロ歩いて犬探しに精を出す。視界に白衣がちらつくので渋々横を見ると、マッドがこちらを見てニコニコしていた。テメェなに笑ってんだ殺すぞ。
「ちょっと領主様にお届け物があって通りかかったんだけど、ユリウス君犬探してるんだって?」
“マッドからロンドへのお届け物”という嗅覚がおかしくなるレベルのきな臭ワードをガン無視し、俺は無言で頷いた。
するとマッドはパッと顔を輝かせる。
「ちょうど良い! 犬ならうちに実験用のが何匹かいるからさ……えっ? 違う? 喋る犬? それは興味深いね。言語中枢に手を加えたのかな? じゃあ今日はうちで喋る犬を一緒に作ろう! 器具も色々揃えてるから――ちょっ、ユリウス君なんで走るの? 待ってよ、ねぇ! ねぇってば! 待って!」
これ以上時間を無駄にはできない。
俺は待たなかった。
*****
もうダメだ限界だぁ~
やっぱ一人で探すのは無理がある。俺はすごすごと教会へ戻った。
だいたい犬探索は俺の仕事じゃねぇ。あとでアイギスと秘密警察あたりに丸投げしよう。そうしよう。寝よう。
仮眠をとるという強い意志を胸に教会へ帰った俺だったが、灯台下暗しとはよく言ったものだ。
「あっ、ちょっとどこ行ってたんですか神官さん。探したんですよ!」
カタリナだ。珍しく生きている。腕の中に犬など抱いてやがる。横にはオリヴィエが付き添っている。棺桶は連れていないから蘇生の依頼じゃなさそうだが。俺は眠い目を擦りながら言う。
「なんですか……急ぎの用じゃないなら後に……あああぁぁぁぁぁあああ!!」
オリヴィエとカタリナがビクリと体を震わせ、怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんですか、はこちらのセリフです。急に大声出さないでくださいよ」
「ビックリしたぁ。あっ、もしかして犬好きですか? 実はこの犬、怪我しちゃってて。神官さんなら治せるかと思って連れてきたんですけど」
なに呑気なこと言ってやがる!
俺はカタリナの抱いた小型犬を指して声を上げる。
「そ、その犬! さっき喋ってました!」
二人はキョトンとした表情を浮かべる。互いに顔を見合わせ、そして再びこちらに視線を向けた。
「あー……相当お疲れみたいですね。カタリナ、出直そう。今のうちに休んだほうが良いですよ」
「そうだね……神官さん、鏡見ました? 眼が凄いことになってますよ」
もう良いんだよその流れは!
俺は帰ろうとする二人の前に立ち塞がる。
「ただ喋ってただけなら私だってここまで言いませんけどね。その犬、魔王がどうこう言っていたんですよ。きっと魔物かなにかが化けているんです。さぁ、そいつをこちらに渡してください」
「こ、この子をどうする気ですか」
カタリナの犬を抱く腕に力が入る。
決まってるだろ。俺はナイフを取り出し舌なめずりをした。
「化けの皮を剥がしてやるんですよォ……それはもうズルズルにね……」
「ストレスたまってるのは分かりますけどっ! 動物に当たるのは人間としてダメですよ!」
カタリナが犬を俺から隠すようにして半身を捻る。
人を異常者のように言いやがって。俺は別に動物をイジメたいわけではない。犬だってどちらかと言えば好きなくらいだ。
憎き魔物め、よりにもよってカワイイ愛玩動物に化けやがって。カワイイ動物というのはそれだけで人間からの庇護の対象になり得る。ヤツの策にハマり、俺はまんまと悪者だ。
オリヴィエが俺に観察するような視線を向ける。
「この犬が魔物のスパイだとしたら、目撃者の神官様を始末せず逃げますかね」
「えぇ? そりゃあ、私の聖なるパワーにビビッちゃったんじゃないですか」
「でも教会に連れてくる時、犬に抵抗はありませんでしたよ」
はぁ~出ました出ましたオリヴィエ君のロジカルハラスメント。
なんかもうなにも考えたくない。俺はナイフを手の中で回す。
「まぁその辺も含めて聞いていけば良いじゃないですか。大丈夫、死なせはしませんよ。殺してくれって懇願されるかもしれませんがね……」
カタリナがヒッと息を呑んでオリヴィエの陰に隠れる。
「どうしようオリヴィエ。どうあっても皮を剥ぐ気だよぉ」
「うーん……神官様がそこまで言うならやらせてみたら?」
「オリヴィエまで!」
よーし、どうやら面倒くさくなったらしいオリヴィエ君の許可も得られたぞ~。
あとはお前だけだな。俺は神官スマイルを顔に張り付け、手を差し出した。
「さぁ」
よこせ。
「あ……えっと……そうだ! だいたい魔王魔王って良く聞きますけど、魔族とは違うんですか?」
カタリナが目を泳がせながら口を開く。
ああん? テメェなに寝ぼけたこと言ってんだ。俺も負けじと寝ぼけながら言う。
「違いますよ……魔王はあくまで魔物の王ってことですからね……魔族相手だったら人間は勝てていませんよ……」
魔物は魔族が眷属として作り出した存在だが、魔族の元を離れ独自のコミュニティを形成して暮らす魔物もいる。というか人間の領域にいるのは主にそちらの魔物だ。魔族の眷属との戦いを強いられているのなんてフェーゲフォイアーくらいである。
魔族の元を離れて繁殖した魔物は基本的に弱体化する。弱いがゆえ、彼らは力を得るために群れ、豊かな暮らしを得るため領土の拡大を目指し、安定した食料を得るため大量の人間を欲した。
神話の時代、存亡をかけて人類と衝突した魔物の集団のトップを俺たちは“魔王”と呼んだのだ。
「その時の戦いで、人類は多くの被害を出しながらも魔王軍との戦いに勝利しました。おかげで人類は生息域を大きく広げることに成功しましたが、そうはいっても魔族とその眷属の前で我々はあまりに無力。敗走した魔王の子息とその一味はこの付近で消息を絶ったと言われています。ここらの魔物が強すぎて、勇者もそれ以上追跡ができなかったんでしょう」
「ふうん……そんな昔話の悪役みたいなのがまだいるんですかぁ?」
「分かりません。なにせ、我々人類は魔王との戦いから長い時を経た今でもフランメ火山を越えることすらできていない。人間が足を踏み入れたことのない土地は山ほどあります。そういった場所でヤツらは今も虎視眈々と反撃の機会をねらっているのかもしれません。魔物が新たな集団を形成して全く新しい魔王が誕生し、神話の時代の悲劇を繰り返す可能性だってあります」
「ほえ~」
カタリナがアホみたいな顔で目をパチクリさせている。俺は半目でヤツを見た。
「……こんな話は勇者になるときに神殿で教えられるでしょう。寝てたんですか?」
「えへへ」
「そういう訳で、魔王との関連を疑われる魔物を取り調べるのは貴方たち勇者の義務です。お勉強になりましたね? 早く犬を渡しなさい」
随分と遠回りしてしまった。話を本題に戻そうじゃないか。
俺が詰め寄ると、カタリナはサッと顔色を変えて一歩二歩と後退る。
「落ち着いてください! どう考えても正気じゃありません。疲れすぎておかしくなってるんですよ。ねぇオリヴィエ!」
「いや……」
俺に非難の視線を浴びせるカタリナ。相変わらず観察するような目を向けるオリヴィエ。
どいつもこいつも人を狂人扱いしやがって。俺は頑として言う。
「私はおかしくなんて……」
続く言葉を、ぐちゃりという湿っぽい音が掻き消した。
勇者の死体である。いつものことだ。俺は無視した。
ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。
……視界の端で瞬く間に死体の山が積みあがっていく。さすがに無視できなくなってきた。
カタリナが犬を掲げる様に持ち上げ、ニヤリと笑う。
「ふふふ……時間切れです、神官さん」
「なっ」
「大規模作戦です! 犬なんかにかまけている時間はありませんよ。さぁ蘇生に取り掛かってください」
コイツ、わざと時間稼ぎを……!?
クソッ、まんまとやられた。カタリナのくせに! いや、それよりだ――俺は聳え立つ死体の山に眩暈を覚えた。
大規模作戦なんて聞いてねぇぞ……いや、そういや誰かそんな事言っていたか? ボーっとして頭に入っていなかっただけか?
おいおいおいふざけんな、まだ全然仮眠取れてねぇんだぞ。犬を探し回ったせいでフラフラだ。こんな状態で蘇生? ふざけんな、蘇生してほしいのはこっちだ。どうして世界は俺に対してこんなに冷たいんだ……眠い……寝たい寝たい寝たい寝たい……あっ、そうだ。
「キエェェェェェ!」
俺はなんの脈絡もなく奇声を上げながら駆け出した。この状況から逃げ出すにはもう狂うしかないと思った。ちょうど良い感じに狂人扱いされているしな。このまま寝室へ直行してベッドにダイブして毛布かぶって寝てやるんだ。
が、どんなに手を伸ばしても寝室のノブに手が触れることはなかった。足を動かせど動かせど進まない。藻掻けば藻掻くほど首が締まっていく。
振り向くと、神官服の襟元を掴んだオリヴィエが珍しい虫でも見るような目で俺を見ていた。
「神官様。変な演技はやめてください」
微かに眉根を寄せ、オリヴィエは首を傾げる。
どうしてそんなことをするのか不思議でならないとでも言いたげな、まっすぐな瞳をしている。
「なんで……」
思わず呟くと、オリヴィエが微笑んだ。
「僕、この街で色んな狂人を見てきたので分かっちゃうんですよね」
分かっちゃうのか。じゃあ仕方ねぇな。俺は白目を剥いた。
あぁ、いっそ本当に狂えたらどんなに楽か。己の強靭なメンタルが恨めしい……