勇者に両脇を抱えられ、ズルズルと連行されていく。
どうしてだ。俺はなにも悪いことしていないのに。
先頭を歩くロンドが振り向きざまに無邪気な笑顔で言う。
「神官さんからドラゴンに会いたいと言ってくださるなんて。嬉しいです」
そんなこと一言も言っていない。
俺はただドラゴンに話を聞いてきてくれと頼んだだけだ。なのにどうして俺がドラゴンに会いたいという話にすり替わっているんだ? 悪質な詐欺に引っ掛かった気分である。
あまりに呆然としていたからか、俺を連行する勇者の一人が教えてくれた。
「俺たちだけじゃドラゴンの元までたどり着けないんですよ」
はぁ、なるほどな。納得だ。
ドラゴンは洞窟の比較的深部にいることが多いらしい。脚立や添え木などの大荷物とロンドを抱えてあそこを行くのは簡単じゃない。
俺は素早く踵を返した。
「じゃあアイギスたちに頼むので良いです」
「そんなこと言わずに」
「痛ててててて肩外れます肩外れます!!」
クソッ……勇者にガッチリ腕を押さえられていて抜けられない。俺がトカゲなら腕を切り落として逃げるところだが、あいにく俺の腕も命も替えのきかない尊いものだ。こんなとこで無駄にはできない。
俺は先頭を行くロンドに呼びかける。
「貴方もこんな雑魚……失礼、一般の勇者ではなくもっと腕の立つ勇者に頼った方が良いのでは?」
「うーん、なんでか分かんないんですけどぉ……僕、勇者さんにメチャメチャ嫌われてるんですよね」
そうだろうね!!
というか、嫌いとか以前に領主なんて連れてダンジョン潜って、万一死なせたらヤバい。マジでヤバい……
だから俺は逃げる!
「ちょっ、暴れないでくださいって」
「痛ててててて肩外れます肩外れます!!」
*****
はい、来てしまいましたルラック洞窟。
ここへ連れてこられるのは初めてではないが、何度来ても慣れることはない。
ポッカリあいた洞窟の入り口で俺は立ち尽くす。巨大な怪物が不気味に口を開けて俺たちを待ち構えているかのようだ。洞窟の奥に向かって吹くヒンヤリした風が、餌を前にした獣の荒い呼吸のように感じる。
こうなったらもう逃げられない。勇者の護衛なしでフェーゲフォイアーまで戻るのは自殺行為だ。魔物にエンカウントしたら俺など一発アウトだからな。
仕方ねぇ。腹をくくろう。
まず自分の――次にロンドの命を守ることを考えなければ。他の奴らはどうでも良い。
「神官さんは俺たちに付いてきてください。万一誰か死んだらその時蘇生を」
俺は雑魚勇者を押しのけ、ずいっと前に出る。
「神官さん?」
勇者の言葉を無視し、ロンドを肩車する。
お前らのような名無しの雑魚共に俺の尊い命を預ける気はない。
俺は口元に手を当て、力の限り声を上げる。
「おーい、神官さんですよ~」
勇者たちが怪訝な表情をこちらに向ける。
頭上からもロンドの困惑の声が降ってきた。
「誰に呼びかけてるですか?」
「今に分かりますよ。絶対に私から離れないでくださいね」
ほら、そうこうしている間に来たぞ。
「な、なんだ?」
洞窟が小刻みに揺れ、岩壁から剥がれ落ちた小石が不気味な音を立てる。
緊急事態を察し、各々の武器を抜く勇者たち。無駄な抵抗だ。刃を傷ませる結果にしかならないというのに。
地面からにじみ出る銀色の液体。粘度を得たそれは一か所に集まり、みるみる巨大な葛餅を形作っていく。
ダンジョン入り口にボスが出現するという異常事態を前にして、勇者たちは気の抜けたような声を上げる。
「なるほど、そういう事ですか。ここのボスに守ってもらえるなら心強あああぁぁ――」
は? なにを勘違いしているんだ。ジェノスラは人類の味方じゃねぇっつってんだろ。馬鹿なのか?
今まさにジェノスラに飲み込まれんとする勇者が助けを乞うように手を伸ばす。
「神官さん! 止めてくださいよ!」
そんな都合よく従えられたら苦労しないっつうの。俺神官だぞ。俺とジェノスラを結ぶのは隷属ではなく友情である。俺にアイツの食事を止める権限など無い。もっと言えば止める気もない。これから頼みごとをする相手に手土産もなしというのは格好がつかないからな。
眼前で繰り広げられるジェノサイド。悲鳴を上げて逃げ惑う勇者共がジェノスラに美味しく踊り食いされ、洞窟はようやく普段の静けさを取り戻した。しかしまだ食べ足りないのか、ジェノスラがそーっと俺の頭上に触手を伸ばす。
「すみませんが、この子はダメですよ」
手でガードし、ジェノスラの触手からロンドを守る。触手は名残惜しそうにロンドの周囲をフラフラとしていたが、やがて諦めたように俺をジェノスラの頭頂部へと運んだ。
「これで安全に洞窟深部まで行けます。これから先もそこでジッとしていてくださいね……ん?」
見られている。ものすごく見られている。
逆さまになったロンドの瞳の中のパステルスターが瞬き一つせずこちらをジッと見つめている。
俺は視界いっぱいのロンドに恐る恐る言う。
「あの……“ジッとしていて”と言うのは動かないでという意味であってこちらを見ろという意味ではないんですが」
「……どんな手を使ったんですか」
どんな手?
あぁ……そういえばうちの領主様はドラゴンと友達になりたいというふざけた目的に命まで賭けているんだったな。それに他人まで巻き込むのだから困ったものだが、まぁ年長者としてアドバイスを与えるくらいは良いだろう。
俺は神官スマイルを浮かべた。
「善良な心を持って、日々を正しく生きることですよ」
ロンドがその小さな手で俺の顔をガッと掴んだ。
カッ開かれた瞳の奥のパステルスターがぐんぐん大きくなり、俺の視界を埋め尽くす。
「そんな精神論はいりません。どんな手を使ったんですか? どんな手を使ったんですか? 教えてくださいお願いします」
しつけぇな……ジェノスラの体にぶち込むぞ……
*****
ジェノスラに乗れば洞窟探検なんてあっという間だ。
ほぼノンストップで最深部に着くことができた。脅威を避けて迂回する必要などない。ジェノスラ以上の脅威などこの洞窟には存在しないのだから。人間のか弱い体では到底できない所業である。
が、問題はドラゴンを発見した後だった。
「取り込み中のようですね」
ドラゴンの人気はまだ完全に鎮火してはいないようだ。ドラゴンスレイヤーの称号は勇者にとってそれほどまでに価値のあるものなのだろうか。
空間ごと焼き尽くさんばかりのブレスは伝え聞く地獄の業火によく似ている。身体能力だけでは避けられないその攻撃を、勇者は鱗貼りの大きな盾に隠れてやり過ごした。完成していたか。しょっぱい予算なりによく頑張ったじゃないかアルベリヒ。
ブレスが止むや否や間髪入れず盾から飛び出した勇者が黒髪を翻しながら長槍を構えドラゴンに突っ込んでいく。普通に考えたらあんなのに勝てるはずがない。鋭い爪も牙も硬い鱗も巨大で頑丈な体もブレスを作るための臓器も俺たち人間には備わっていないのに。どうしてあんな柔らかい体と脆い骨格で、それもたった一人で、あんなにも堂々と化け物と対峙できるのか。
ドラゴンが呆れたように、しかしどこか弾むような声で言う。
「こんなところにまで来るとは、しつこい人間だ」
するとエイダも険しい顔に微かに笑みを浮かべる。
「私は蛇より執念深いぞ。お前を殺すのはこの私だ」
自らを鼓舞するような雄叫びを上げ、エイダが長槍を携えてドラゴンに飛び掛かる。
しかし残念ながらドラゴンと人間の種族の差は多少の努力と工夫で埋まるものではない。
「ガッ……!」
壁に叩きつけられ沈むエイダを見下ろし、ドラゴンが甚振るように言う。
「脆い脆い。どうしてそんなに脆い体で我に戦いを挑めるのか? いくら小細工をしようと無駄だ。お前に我は倒せない」
負けじとニヤリと笑って口を開くエイダだが、そこから出るのは言葉ではなく血反吐ばかりだ。ドラゴンがつまらなさそうに牙を剥く。
「わざわざこんなところにまでご足労頂きありがとう。さよならだ」
しかしドラゴンがエイダを噛み殺すことはなかった。
太い首に銀色の粘液が纏わりつき、その巨体を大きくのけ反らせる。
「なっ……! これは――」
こちらを向いたドラゴンの金色の瞳に浮かぶ縦長の瞳孔が大きく開かれた。
感情の読み取りにくい爬虫類特有の瞳に、明らかに恐怖の色が浮かぶ。
「スラさん!?」
素っ頓狂な声を上げたドラゴンが物凄い勢いでこちらへ体を向ける。
「今、スラさんの根城に侵入しようとした不届き者を始末しようとしていたところで……ん? スラさん、頭にゴミが……」
こちらに顔を寄せようとするドラゴンの首をジェノスラの触手がギチギチと締め上げる。
硬い鱗に守られてなお、ジェノスラの締め技は有効であるらしい。ドラゴンは前足で首を掻きむしるような仕草を見せる。
「あー! ごめんなさいごめんなさい」
なんかちょっと見ない間に子分感が凄いな……
ダンジョンは弱肉強食。ドラゴンとはいえダンジョン内ヒエラルキーから逃れることはできない。
しかしショックがデカかったのは俺よりもエイダだろう。
「どういう事だ……なんだその体たらくは」
長槍を杖代わりにヨロヨロと立ち上がる。
もう戦える状態じゃない。喋るのだってキツイはずだ。それでもエイダは血反吐を吐きながら吠える。
「情けない姿だ。邪竜が聞いて呆れる。悲しくならないのか!」
噛みつくように言うエイダに、ドラゴンはにべもなく返事をする。
「ちょっ、ほんと黙れ」
ドラゴンの尻尾が大きくしなる。なんの情緒も感情もなく、視線を向ける手間すら惜しみ、小虫でも潰すようにあっけなくエイダを叩き殺した。
多分、今一番悲しくなっているのはエイダ本人だろう。
なんだか俺も悲しくなって血の染みに姿を変えたエイダを見下ろした……