「三歳の雄、雑種犬だね」
ゲージに入れられた小型犬を指し、マッドがにこやかに検査結果を告げる。
俺は小型犬をじいっと見つめ、唸るように呟いた。
「……本当に犬ですか?」
「犬だね。全身くまなく調べたんだからほぼ間違いないと思うよ」
自信たっぷりに頷くマッドの言葉に、カタリナがほら見たことかとドヤ顔をする。
「やっぱり神官さんが聞き間違えたんですよ。本当にこのワンちゃんが喋っていたんですか?」
「喋ってましたよ!」
俺が犬を見つけたのは川辺だった。犬が街中を歩き回って情報を集め井戸魔人に報告し、井戸魔人が水脈を辿って魔物たちの本拠地に情報を伝えていたと見るのが自然だ。
井戸魔人は逃してしまった。もう失敗できない。
俺は檻の中の犬をじいっと観察する。
「怪しいところはなかったですか」
「普通の犬だと思うけど……バラしてもっと細かく調べてみる?」
マッドの申し出に俺は大きくうなずく。
「お願いします」
「だからダメですって! 血も涙もないですね!」
カタリナめ。こんな時に動物愛護を振りかざしやがって。
俺は助けを求めてオリヴィエに視線を向ける。
オリヴィエは腕を組みしばらく黙っていたが、やがて顔を上げて首を振った。
「先生がみっちり調べても何も出なかったんです。これ以上は無駄だと思いますよ。もしかしたら魔物が犬に化けたのではなく、遠隔操作で操っていたのかもしれません。なんらかの手がかりになる可能性もありますし、僕も迂闊に殺さない方が良いと思います」
くっ……多勢に無勢だ。
俺はオリヴィエの言葉に渋々頷く。
せっかく助けたドラゴンからもほとんど情報を得られなかった。井戸魔人に逃げられた今、この犬だけが街に紛れ込んだ魔物に繋がる唯一の手掛かりだ。オリヴィエの言うとおり、迂闊なことはできないか。
「気になるならユリウス君も一緒にもう一度調べてみる?」
にこやかなマッドの誘いを、俺は片手を上げて断る。
「せっかくですが、仕事が残ってますので」
「仕事? 今日天気悪いし、死体もそんなに降ってこないでしょ」
「そこにいるでしょう。もっと面倒くさいのが」
俺は小声で呟き、教会の長椅子に寝そべった人影を指す。
蒼い顔でピクリとも動かない、死体よりも面倒な女。エイダである……。
*****
「あのドラゴンを倒すために半生を捧げてきたんだ……」
カタリナたちが帰るなり、エイダは待ち構えていたように話し始めた。洞窟でドラゴンに殺されてからずっとこうしていじけている。殺気に満ちた凛々しい顔が形無しだ。
にしても半生とは、大袈裟に言うな。大した歳でもないだろうに。俺は長椅子に寝そべったエイダを見下ろす。
「なら負けたことだって何度もあるでしょう。なにを落ち込んでいるんですか」
「そうだ、私はアイツに一度も勝ててない!」
エイダがガバッと半身を起こして吠えた。
「これでも私は地元じゃ負け知らずだった。勇者になってからも大抵の魔物には負けなかったし、賊に絡まれた時も返り討ちにしてやった。どんな魔物にだって負ける気がしなかった。そんな時、ヤツに会ったんだ。目が覚めたみたいだったよ。強かった。とても勝てなかった。情けなく敗走して、怖くて怖くて、しばらくは宿屋で震えて過ごした。ドラゴンに殺されかけたことも怖かったけど、それよりも自分がちっぽけで弱い存在なんだっていうのを有無を言わさず突き付けられたことがたまらなく怖かった。だから強くなろうと努力したんだ。いつかあのドラゴンを倒すために……なのに……」
エイダは後頭部を割る勢いで再び長椅子に横たわり、顔を両手で覆い隠す。
「神官なんかには分からないよ! 宿敵が別の魔物に媚びへつらっていた時の衝撃!」
まぁ分からなくはないが……
慰める言葉が見つからず黙っていると、エイダが指の隙間から目を覗かせ言う。
「で、ドラゴンはどうなった。死んだの?」
「いえ。生きています。我が領主様に首輪をつけられ手綱を握られていますが」
「あんな子供に? はぁ~~~」
口から魂を吐き出さん勢いでため息を吐く。
そして彼女はゴロンと転がり、長椅子の上でうつ伏せになった。
「もうダメ……私は何を目標に生きていけば良いんだ」
「ここなら強い魔物には事欠きませんよ。新しい目標を探してみては?」
「……放っておいてよ。今更次の目標とか言われても、そんなにすぐ気持ちを切り替えられないもんっ」
もんっ、じゃねぇよ。だいたい「放っておいて」って教会の椅子で寝て言うセリフか。本当に面倒くせぇ女だな。
とはいえ毎度蘇生費を納めている優良勇者のエイダを無下にもできない。俺は話をそらしてみることにした。
「もうじき領主様から正式に発表があると思いますが、今この街には魔物が潜んでいる可能性があります。街中だからといって油断してはいけませんよ。もし怪しい者を見かけたら教えてくださいね」
しかしエイダのテンションは相変わらず地を這うばかりの低さだ。こちらを見もせず、額を長椅子に付けたまま呟く。
「あぁ……まぁ……いつまでこの街にいるか分かんないから……」
「そうですか」
珍しい話じゃない。この街はただでさえ入れ替わりが激しい。
生半可な覚悟でやっていける場所じゃないからな。少しでも嫌になったならここを出ることを考えるべきだ。
俺はエイダの言葉に頷く。
「良いと思いますよ。勇者を続けるにしても、この街じゃなきゃいけないわけではないんですから」
「……止めないのか」
「え?」
エイダがチラリとこちらを見る。長椅子に突っ伏していたせいで額に赤く跡が残っている。
その視線にはどういうわけか非難めいたものが混じっていた。
「私が弱いからか……私みたいなのはいらないのか……」
なんだよ……止めてほしいのか?
勇者を鼓舞するのも神官の務め。俺は神官スマイルを顔に貼り付けた。
「じゃあご自身が納得できるまで続けてみたら良いんじゃないですか」
するとエイダはまたもや長椅子に顔を伏せ、今度は非難めいた声を上げる。
「じゃあって何? そんなふわふわした気持ちで勇者やってないから」
はぁ~面倒くせぇ~!!
勝手にやってろカスが。お前の戯言に付き合ってる暇ないんじゃボケェ!
と思っても声に出してはいけない。
俺は崩れそうになる神官スマイルを保つのに意識を集中させながらなんとか口を開く。
「……そういう大事なことは自分で決めなくてはいけませんよ」
エイダがガバッと半身を起こす。
「あっ、今面倒くさいって思ったでしょ。私そういうのすぐ分かるから」
読心術持ちかな? 限界だ。これ以上コイツと話してると面倒くささで発狂する。絶対神官が言っちゃいけないこと言っちゃう気がする。ほら見ろよ。唇が勝手に罵詈雑言の形になろうとしてるぜ。
俺は罵詈雑言の形を取りつつある唇を無理やりに曲げ、踵を返してエイダに背を向けた。
「すみません、私出かけるので!」
俺はなんとかそれだけ言い残し、教会を飛び出したのだった。
*****
教会を出たは良いが、特に行く当てもない。かといって迂闊にフラフラしているとまた勇者たちの目に留まって変な場所に拉致られかねないので、俺は買い出しもかねて市場へ向かった。いつものパターンだ。いつものパターンのはずなんだが……
なんだ。なんか、視線を感じる。
警戒していると、勇者が笑顔で駆け寄ってきた。
「この前はありがとうございます神官さん! お陰で彼女と仲直りできました」
「え? おぉん……」
俺は曖昧な相槌を打ちながら曖昧に頷く。
正直まったく心覚えが無い。っていうかコイツ誰だっけ……いや、勇者なのは分かる。多分何度か蘇生したことはあるが、そんな込みいった話をした覚えはない。バタフライエフェクト的なことか? 俺が何気なく行った些細な動きがまわりまわってこの男と恋人の仲を取り持ったのか? そうとしか考えられないが、だとしたら随分律義な男だな。
なんだか気味が悪かったので適当に返事をして足早に市場を歩く。
しかし異変はそれだけではなかった。
「神官さん、昨日はありがとう!」
「これやるよ。この前のお礼だ」
「神官さーん! また話聞いてくださいよぉ」
な、なんだなんだ。知らん間に好感度が爆上がりしている。
市場の商人たちがあれこれ商品をくれるものだから、一銭も使わないうちに数日分の食料がゲットできた。ヤッター。
しかしどうしてこんなに色々と貰えているのか。いくら理由を聞いても、誰に話を聞いても、全く身に覚えがない。それぞれ俺に助けられたエピソードを嬉々として話してくれるのだが、俺にはそんなことをした記憶がないのだ。
まるで並行世界に迷い込んでしまったような居心地の悪さを感じる。抱えた食料が得体のしれない不気味なものに思えてくる。
なんだか怖くなって、俺は走って教会へと戻った。当初の目的も忘れて。
「はぁ……なんだったんだ……あっ」
ヤベッ、まだエイダが帰っていなかった。
もう少しゆっくり外で時間を潰すつもりだったのに、つい気が動転してさっさと帰ってきてしまった。
っていうかあの女はいつまで教会にいるつもりだ……あんまり面倒なこと言ってるとまた罠起動させるぞ……
「すみませんが、そろそろ――」
言いかけてギョッとした。
こちらを向いたエイダがはらはらと涙を零していたからである。なんだよもう、泣かれても困るぞ。っていうか何で泣いてんだ? えっ、俺のせい? 俺がなにしたっていうんだよ。確かに面倒くさがってエイダを教会に放置して外へ出たのは冷たかったのかもしれないし、不幸な事故でエイダを殺したこともあるし、そもそもジェノスラをドラゴンの元へ連れて行ってヤツの尊厳を傷つける原因を作ったのは俺かもしれないが……
えっ、やっぱ俺が悪いの? はいはい、分かりました分かりました。俺が全部悪いですよ! 世の中の不幸の原因はぜーんぶ俺です!
テンパって半ギレになりながらかける言葉を探していると、エイダの方から口を開いた。泣いているわりに明るい声で言う。
「ありがとう神官さん……私、もう少し頑張ってみる」
「えぇ? はぁ……」
予想外の言葉に生返事をすることしかできない。
なんか良く分からないが、頑張るらしい。良いぞ。頑張れ。