最近街での評判が滅茶苦茶良い。
外を歩けば住民や勇者がニコニコ近付いてきて俺の知らない俺の善行を語られ、頼んでもないのに色んなものをくれる――
「良いじゃん」
「良くねぇよ! 全く身に覚えがないんだぞ。怖すぎんだろ!」
他人事だと思ってケロリと言うルッツに噛み付く。
しかしルッツは屋根裏の隅に置かれた埃っぽいベッドに座ってヘラヘラ笑った。
「あれじゃん? 夢遊病。大丈夫大丈夫」
「なにが大丈夫なんだよ。夢遊病だとしたらそれはそれで大丈夫じゃないだろ。病院行くべきだろ。第一、俺に寝ながら動ける余裕なんてねぇよ。今日もこれから大規模作戦あるし……」
「奇遇だな。俺も最近寝不足でさぁ」
コイツ……
俺はギリリと歯を食いしばる。お前の生活のどこに寝不足になる要素があんだ。
いや、いかんいかん。コイツと睡眠時間の短さを競っている暇はない。俺は首を振り、真剣にルッツと向き合い本題に入る。
「長い付き合いだ。お前なら偽の俺が現れても見破れるだろ。もし偽物を見つけたら取っ捕まえてくれ」
するとルッツは自信に満ち溢れた笑顔で己の胸を叩いた。
「そういうことなら任せろ! ユリウスには世話になってるからな。この間も買い物付き合ってもらったし」
「ん? 買い物?」
「いや~、やっぱお前が勧めたヤツにして正解だったわ」
そう言いながらルッツは部屋の隅から大事そうになにかを持ちだしてきた。一抱えもあるデカいトカゲの人形――いや、ドラゴンの模型?
ルッツはそれを机の上に置き、今にも舐めだしそうな勢いで頬ずりをする。
「組み立てるの大変だったぜ。見ろよここの塗装。職人技だろ? 完成までほぼ徹夜で」
「オアアァァァァ!!」
俺は雄叫びを上げながらドラゴンに手刀をぶつける。
ドラゴンが埃っぽい屋根裏を高く舞う。かなり精巧な模型だ。天井すれすれにまで舞い上がった模型の姿はフェーゲフォイアー上空を通過していったドラゴンの姿を彷彿とさせる。
しかし所詮は模型だ。本物のドラゴンと違い、着陸機能は備わっていない。
ドラゴンの模型は重力に従い、チープな音を立てて床に激突した。
「ああっ! 俺のドラゴンが!」
情けない声を上げ、模型に駆け寄ろうとするルッツの襟首を掴む。
「黙れ! 騙されやがってこの馬鹿が。俺がお前にドラゴンの模型なんか勧めるわけねぇだろ! っていうか人が徹夜で仕事してるときにテメェなに模型なんか作ってんだこのタコ。そんなに暇ならテメェも蘇生しろやカス」
ルッツはへし折れたドラゴンの首を手繰り寄せ、駄々をこねる子供のように暴れだす。
「このユリウス嫌だァ!! 一緒に模型選んでくれた優しいユリウスが良い!! タコとかカスとかゲボとか言わないし!」
「テメェ!! ゲボは言ってねぇ!」
*****
クソッ、やってられっか! 馬鹿に頼るんじゃなかったぜ。
それにしても一体誰がなんの目的でこんな事を。
変身術を扱える勇者といえばルイやユライが思い浮かぶが、ヤツらにそんな事をするメリットはない。
っていうかこの行動で得をする人間って誰だ? 俺に敵意を持った人間が俺に化けて悪行を働くということなら分からなくもないが、実際に行われているのはむしろその逆だ。いや、そもそも俺のような善良な神官に敵意を持つ人間などいるはずないけどね。
俺に成り代わりたいヤツがいる可能性は……いや、それこそ何の得があるんだ。そんな事をせずとも、この教会の神官になりたいというヤツが現れたら俺は喜んで教会を引き渡すのに。なんなら多少金を払っても構わない。
待てよ。人間じゃなく魔物が化けている可能性は? しかし街の情報収集するだけなら特定の人物に化ける必要はないんじゃ……
思考を巡らせながら宿屋をあとにし、さっさと教会に戻ろうとしてすんでのところで踏みとどまった。開けかけた扉をそっと閉め、小走りに玄関を離れて窓から中を覗き込む。
窓の向こうで面倒くさい黒髪の女が誰もいない教会をキョロキョロと見回していた。
「……神官さん、いないの?」
棺桶も連れていない、呪いや毒に蝕まれている様子もない。
エイダはひとしきりキョロキョロし終えると、肩を落としてため息を吐いた。
「出直そ……」
そう呟き、特に何もせず教会を出ていくエイダ。その姿が見えなくなるのを確認してから俺はようやく教会へ入ることができた。
なんで自分の家兼職場に入るのにこんなに慎重にならなくちゃいけないんだ……
別にエイダに対してやましいことがあるわけではないんだが、顔を合わせるととにかく面倒くさい。いじけて教会の長椅子に寝転んで額赤くしていた時とはまた別ベクトルの面倒くささに仕上がっている。
どうやらヤツも“偽物の俺”との接触があるらしく、顔を合わせるたび「この前の話だけど」と言って俺が聞いたこともない話の続きを喋りだすのだ。
まぁ出会って間もないエイダに偽物と本物の区別がつかないのも無理はないかもしれないが、俺にしてみれば気味悪いことこの上ない。
しかもエイダが楽しく喋っていたのは俺の偽物であると説明をしても『私と話したくないからそんな嘘を吐くのか』だのなんだのと面倒くさい事を言うからもう面倒くさくて面倒くさくて思い出しただけでウンザリする……
教会の戸が開く音でハッと我に返る。顔を上げると、こちらへ歩いてくるアイギスが目に入った。
俺は手を挙げてアイギスを迎え、ウキウキで尋ねる。
「どうしました? 午後からの大規模作戦中止ですか?」
大規模作戦は勇者が死ぬことを前提とし、数の暴力で強大な魔物をぶっ叩くという泥仕合だ。これがあるかないかで一日の仕事量が大幅に変わる。
しかし俺の期待をよそに、アイギスは笑顔を浮かべて言った。
「いえ、予定通り決行です」
「そうですか……」
俺はシュンとした。
シュンとした俺をアイギスがニコニコしながら見上げてくる。
なんだよ……珍しく上機嫌じゃねぇか……
俺は今日一日の仕事量を計算しながらゲッソリ尋ねる。
「それじゃあ、今日は一体どうしたんで――」
言い終わるより早く、長い赤髪がふわりと靡いた。
……………………ん?
錆び付いた歯車のような動きで視線を落とす。
うーん…………ん?
俺は敢えて一度視線を外して天井を見上げ、もう一度素早く視線を落とす。
うーん……何度見ても変わらないな……アイギスが俺の胸に顔を埋め腰に手を回している。
なんだこれは。いや、待てよ。なんかデジャブを感じる。そういえば前にもこんなことが……
瞬間フラッシュバックするオークション事件の記憶! 蘇る肋骨ちゃんの断末魔の悲鳴! 呼吸をするたびに悲鳴を上げたくなる痛み!
「肋骨! 肋骨が!」
思わず悲鳴を上げる。が……落ち着いて考えればなんてことはない。きちんと呼吸できている。肋骨が軋む音もない。痛みもない。俺は冷静さを取り戻し胸を撫で下ろす。
なぁんだ。良かった。また肋骨折られて病院送りにされるかと思ったぜ。
いや、待て。なんの解決にもなっていない。なんだこの状況。俺は恐る恐る声をかける。
「な、なんですか? どうしました? 体調悪いですか?」
するとアイギスはこちらを見上げ、潤んだ瞳を細めて囁くように言う。
「ずっとこうしたかったんです」
オッケー。ちょっと落ち着こう。
俺は懐から騎士チュールを取り出し、チッチッチッと舌を鳴らして猫撫で声を上げる。
「ほ、ほ~らアイギス。騎士チュールですよ~」
封を破り、アイギスに差し出す。
相変わらずなんの解決策にもならないが、少なくとも気を逸らすことはできるはず。
アイギスは上目遣いでチュールを確認する。パチクリと瞬きをし、俺の差し出したチュールを手に取り、そしてポケットにしまった。
俺は“そいつ”を両手で突き放し、一歩二歩と後退りする。
「お前誰だ?」
アイギスじゃない。アイギスじゃない。
姿形はアイギスそのものだが、絶対に違う。アイギスが封の開いた騎士チュールを食べずにしまうはずがない。
じゃあ目の前のコイツは何なんだ? アイギスの顔と声をしている得体のしれない生物に全身の毛が逆立つ。
そいつは俺が後退りでせこせこ稼いだ距離を一瞬で詰め、瞬く間に目前に迫る。
アイギスと全く同じ顔に、アイギスが浮かべたことのない表情が張り付いていた。