フェーゲフォイアーは人類の活動領域の末端に位置する、魔物との戦いの最前線の街だ。
と言うとなんかカッコイイ気がするが、結局は王都から遠く離れた僻地である。武器や防具などは十分な品質のものが手に入るが、生活に必要な全てをこの街だけで賄うのは難しい。
そのため定期的に王都から荷馬車がやってきて様々な品を商店に卸し、魔物から採れた素材などを買い取って王都へ運んでいく。
さらに寒さが厳しくなり、大雪が降れば王都とフェーゲフォイアーを繋ぐ道が閉ざされてしまうこともあるらしい。これが王都からの今冬最後の荷馬車になる可能性もあるため、冬を乗り切るために一年で最も多くの品がこの街に運ばれて来る。
お陰で市場は商品と人で溢れ返り、普段以上の賑わいを見せていた。
「うぅん……」
必要最低限の買い出しは終えたが、華やかな市場には人を寄せ付ける力がある。色々な商品に目移りしてつい長居してしまうな。とはいえ……
俺はマフラーを手に取り、そっと元に戻す。今日この動きをするのはもうこれで何回目だ?
この街に来てからあんまり物を買わなくなったんだよな……服は支給されてる神官服で十分だし、勇者と違って武器も必要ないし、俺の部屋にこじゃれた家具を置くスペースなどないし、かといってどうせ血塗れになる聖堂に下手な物置いたらますます掃除が大変になる。
まぁ懐に余裕があるわけではないからな。必要ないものを無理に買うこともないか。
俺は踵を返し、教会に戻りかけてはたと足を止める。
おいおい、待て待て。
俺は一人静かに拳を握る。
人はなぜ働くのか。誰かの役に立ちたい……自分の才能を発揮したい……達成感を得たい……社会の一員としての実感を持ちたい……答えはそれぞれの胸の中にあるのだろう。
しかし労働は根本的には日々を生きる糧を得て生活を豊かにするための手段だ。賃金を餌に我々は行きたくもない場所へ出向いてやりたくもない作業に従事する。
そうまでして手に入れた金で俺は一体なにをした? なんもしてねぇじゃねぇか!!
俺は肩を怒らせて市場へと戻る。
なんか買ってやる……絶対にだ……それもただ生活していく上では不要な贅沢品を買ってやる……集中しろ……頭で考えるな……物欲に身を任せろ……!
「はっ!」
心のセンサーが反応するに任せて、力強く振り返る。
瞬間、視界に飛び込んできたその蠱惑的なボディに釘付けになった。白く、滑らかで、目を見張る斬新さはないがショーケースに佇むその姿は深窓の令嬢を思わせる気品がある。
しかし……しかしだ。俺にアレを受け入れる器があるのか? 筋肉隆々の勇者ならともかく、こんなちっぽけな手で……あれを迎え入れる資格があるのか……クソッ、頭で考えないって決めたのに、俺はまたこうやってグズグズ悩んで……!
「ね~、ケーキあるよ。しかも最後の一個! 二人で食べようよぉ~」
「えぇ? 二人じゃ食べきれないだろ~」
「ケーキならイッパイ食べられるもん」
「お前そんなこと言ってさ~この前もさ~」
「ええ~そうだっけ~?」
にわかに近付いてきた二人組の男女。やたらと体を密着させた二人の間にスッと体を入れ、俺は店員に静かに告げる。
「フルーツホールケーキ一つください」
*****
「無理ィ……」
三分の一ほど食ったところで、俺はフォークを置いて天を仰ぐことになった。
馬鹿じゃねぇの。こんなの食えるわけねぇだろ。油と砂糖の塊だぞ。正気じゃねぇよ。もうケーキなんて見たくもねぇ。吐きそう。
しかしどうしたものか。このまま放っておくと腐るし、かといって捨てるのもな。
正直気は進まないが仕方がない。その辺の勇者にでも恵んでやるか……ん?
立ち上がり、窓から外を見る。
……なんだアレ。塀の上を人影が這いずっている。気持ちの悪い動きだ。塀から顔を出したかと思えば引っ込め、また別の場所から顔を出し、塀の上を這いずってはまた顔を引っ込める……モグラたたきのモグラのようだ。
怖……なに……? 泥棒? いや、教会に侵入するだけなら塀の上を這いずる必要はない。っていうか別に鍵なんて締まってないし普通に正面から入ってきた方がかえって目立たないだろ。
まさかまた魔物じゃねぇだろうな。だとしても、あそこからの侵入はやはり悪手だ。
この教会の守りが一番硬いのは正面ではなく裏庭だからな。
「エブァッ」
マーガレットちゃんのツタの一振りで短い断末魔の悲鳴とともに人影の首がぽーんと飛んだ。
なるほど。今のでだいぶ絞れてくる。
マーガレットちゃんは心の優しい魔族なので自分の領域に普通の人間が入ってきても殺したりしない。
とするとあの人影は人間じゃないか、あるいは“普通”の人間じゃないかだ。答えはすぐに分かった。
「やっぱお前か……」
首と胴体がセパレートされたオリヴィエが教会にお届けされてきた。
確かに俺はケーキを処理してくれる誰かの来訪を願ったが、なにも首と胴別々で来ることないだろ。
このままでは口から食わせたケーキが千切れた喉元から溢れてきてしまう。俺はせっせとオリヴィエを蘇生させ、ヤツを座らせた。
「良いところに来ました。ケーキ食べませんか?」
「この状態の人間によくケーキなんか勧めますね……」
血に濡れた首元を指し示しながら蘇生ほやほやオリヴィエ君が顔を顰める。俺は首を傾げた。
「綺麗にくっつけました。漏れてきたりしませんよ」
「そういう問題じゃなくて……神官様そういうとこありますよね」
あんだとォ? いちいち含みのあること言いやがってコイツ……まぁ良い。
俺はケーキを切り分けながら尋ねる。
「それより、庭でなにしてたんですか」
「えっ、見てたんですか!? 恥ずかしいなぁ」
はにかみながら頭を掻くオリヴィエ。
今どんな感情なんだコイツ……塀を這いずった挙句マーガレットちゃんに殺されたのを目撃されたのはオリヴィエにとって照れ笑いしちゃうようなことなのか……?
こ、この話突っ込んでも良いのかな。オリヴィエの闇は深すぎて時々触れるのが怖くなる……
俺が躊躇していると、オリヴィエの方からペラペラと話し始めた。
「実は市場で良いものをみつけて、マーガレットちゃんにプレゼントしようと思ったんです。でも彼女恥ずかしがり屋だから素直に受け取ってくれないと思って」
マーガレットちゃんは恥ずかしさのあまりお前を殺してると思っているのか? 恥ずかしいのはお前のハッピーな頭だぞオリヴィエ。
もうこの話はやめよう。俺の手には負えない。とりあえず切り分けたケーキを勧める。
「まぁまぁ、ケーキでも食べて」
「なんでそんなに勧めるんですか……そもそも僕が食べて良いんですか? 誰かと食べる予定だったからホールケーキなんて買ったんでしょう?」
うるせぇな……悪いかよ、一人でホールケーキ買っちゃよ……
執拗に勧め続けるとオリヴィエも渋々フォークを手に取ってケーキをつつき始めた。
「マーガレットちゃんって夜は蕾にこもって眠るじゃないですか」
「え? はぁ……まぁ、そうですね……」
「多分直接プレゼントを持っていっても受け取ってくれないので、寝てる間に忍び込んで根元に置こうと思うんですよ。なのでさっきは侵入ルートの確認をしていたんです!」
寝てる間に忍び込んでプレゼントを根元に置く……?
そんな気持ちの悪い事をよく爽やかな笑顔で言えたものだな。
別にオリヴィエが教会の裏庭でなにしてようと構わないが、死んだら蘇生するのは俺だ。なにやら下調べなどを済ませてはいるらしいが、なんだかんだいってどうせ死ぬんでしょ? 下手したら成功するまで複数回蘇生させられる可能性すらある。
マーガレットちゃんにブチ殺されるオリヴィエの姿がまざまざと浮かぶ……今からウンザリしてきたぞ……
俺は半ば反射的に手を差し出した。
「根本に置けば良いんですよね? 私が行きましょうか?」
その後のオリヴィエの動きを俺の貧弱な動体視力では捉えることができなかった。
ただ、気が付くとオリヴィエのぐるぐるおめめがすぐ目の前にあった。ダメだ、直視してはいけない。吸い込まれる。この世の闇を濃縮して白目に浮かべたようだ。
オリヴィエが俺の胸ぐらをギリギリと締め上げるようにしながら詰め寄る。
「僕の買ったプレゼントでマーガレットちゃんの気を引こうってか? どこまでも卑劣な男ですよあなたは!!」
ヤベェミスった!!
俺は必死に首を振り、間違いを正す。
「いや、そういう事じゃなくてですね! 夜中に忍び込んでプレゼント押し付けるよりは代理人に渡してもらった方が健全じゃないですか! 私が嫌ならカタリナにでも……く、苦しい苦しい!」
オリヴィエは俺の胸ぐらを乱暴に離し、吐き捨てるように言う。
「マーガレットちゃんは僕が育てたんだ。いわば親ですよ。どうして親が娘にプレゼントを渡すのに代理人を立てる必要があるんです?」
「あ~、なるほどぉ~、言われてみればそうですねぇ~」
俺は笑顔を浮かべ、口先だけで納得してみせた。
この街で生き残るのに必要なのは鋼の意思ではなく柔軟な対応力である。
少し落ち着いたらしい。オリヴィエがテーブルに肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せてうっとりと窓に視線を向けた。
西日に照らされたオリヴィエの頬に長い睫毛の影が落ちる。
「それに神官様には渡せませんよ。僕が渡してはじめて完成するプレゼントなんですから……」