うん、まぁこんなものかな。
カバンに詰めた荷物を前に腕組みをする。それから、これはどうしようかなぁ。カバンの容量にはまだ空きがある。護身用に持ってくか……でも重いしなぁ……多分使わないと思うけど、でも“あ~アレ持ってくればよかったぁ~”って思うの嫌なんだよなぁ……でも重いんだよなぁ……
「ど、どうしたんだよユリウス。まじまじ女神像なんか見つめてさ」
ルッツが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。俺は女神像(小)からルッツに視線を移した。しかしこちらが口を開くより早く向こうが早口で畳みかける。
「凄い荷物だけど……あの、あれだよな。大掃除。女神像を捨てるのはバチ当たりだからやめた方が良いと思うぜ?」
「違う。実家帰るから荷物纏めてんだよ」
「……へ?」
ルッツが口を半開きにしたアホ面のまま石像のように固まる。
次の瞬間、ルッツが俺の脚にガバッと組み付いて気が狂ったように喚き始めた。
「やっぱその話本当なのかよ!? いやだぁ! 行かないでユリウス!」
「いいや行くね。絶対に行く」
「そんなの勇者が許さないだろ! お前いなくなったら誰が蘇生させんだよ」
俺はルッツの肩にポンと手を置き、優しく微笑む。
「ここにいるじゃないか……立派な神官が……」
「無理無理無理無理! 無理だってえ!! じゃあいっそ俺も連れてってくれよ~」
「はぁ?」
なんか話が拗れてきたぞ……
俺たちのやり取りを見ていたマッドがヘラヘラ笑いながら声を上げた。
「破門仲間が一気に増えそうで嬉しいね」
「貴方と一緒にしないでください。働きづめの真面目で敬虔な神官がちょっと帰省するだけですよ。私が仕える神はそんな小さなことに目くじら立てるような狭量な心は持っていないはずです! ねぇ?」
俺は横目で女神像(小)を見ながら強調するように言う。
……やっぱ女神像(小)持ってくか。敬虔信徒アピールにもなるし。
「な、なんだただの帰省かよ……俺、てっきりユリウスが神官辞めて実家帰るのかと思ったわ」
ルッツがよろよろと立ち上がりながら胸をなでおろす。なに言ってんだよ。俺は首を傾げた。
「“ボク実家かえりま~す”で神官辞められるわけないだろ」
「いや、まぁそうなんだけどさ。とうとうキレたかと……」
キレてるか否かでいえばとっくにキレているが、怒りに任せて人生を棒に振るほど愚かではない。
神官は勇者みたいな自由業とは違うのだ。来るもの拒まず去るもの追いまくり。辞めにくさで言えばマフィアとそう変わりない。俺たちは神にこの身を捧げると誓って神官になっているのだ。神官を辞めるというのは神との誓いを破るということ。もし俺が神官という職を放り出して夜逃げでもしたら、もう二度とまともな職には就けないし堂々と表を歩くことも憚られるような人生になる。
……なぜかコイツはメチャクチャ堂々と歩いているが。俺はマッドに体を向けて言う。
「冬なので多少勇者の活動も鈍ると思いますし、大規模作戦も控えてもらうよう頼んであります。私が留守の間、お二人に教会をお願いします。まぁ私が肋骨折って入院してた時もなんとかやれていたみたいですし、大丈夫だと思いますが」
「な、なぁユリウス」
ルッツがそそくさと俺の元へ寄ってきた。マッドに背を向けるように体を回転させ、俺に耳打ちをする。
「この人さ、破門されたっていう指名手配中の元神官なんだろ? あの時は不可抗力だったけど……良いのかよ、教会任せて」
「は? ダメに決まってんだろ」
「えぇ……」
当然のことを当然のように言うと、ルッツは面食らったような顔をした。
「教会本部はなんて言ってんの? ヘルプの神官とか頼めない? そもそも、休暇の許可なんてよく取れたよな」
「ん? んん……」
「えっ、もしかして言ってねぇの?」
目を丸くするルッツの肩に腕を回し、グリンと首を曲げてヤツの顔を覗きこむ。
「こんな辺境の地にお偉いさんは来ねぇんだからよ、お前が黙ってりゃ問題ないんだよ。だいたい本部に休暇申請なんかしたって却下されるに決まってんだろ? わざわざ貴重な紙を無駄にするなんて愚かな話だよなぁ?」
「なんだよそれぇ! 俺も色々忙しいんだけど」
「忙しいって?」
「バイトとか……」
「本業をやれ本業を!!」
肩に回した腕に力を込め、そのままヘッドロックに移行しルッツのこめかみを締め上げる。
情けない悲鳴が響く中、マッドがそれをガン無視しながら尋ねる。
「っていうか実家に何しに行くの? なんか用があるの?」
俺はルッツの頭を締め上げた状態のままピタリと固まる。
視線を足元に向けて答えた。
「あの…………妹の結婚式があるので」
「なんで嘘つくの!? お前妹なんかいないじゃん。姉ちゃんもう結婚してんじゃん!」
ヘッドロックから抜け出したルッツが俺を糾弾する。
チッ、ルッツは俺の家族構成を知っていたな。仕方ねぇ。俺は開き直った。
「良いじゃん、実家帰るのに理由がいるのかよ。俺は甥っ子の顔が見てぇんだよ」
「甥っ子ォ?」
俺は懐から素早く手紙を取り出す。可愛らしい封筒に入れられた、解読ギリギリラインの文字で書かれた手紙。
「甥っ子からだ。何年か会ってないうちにもう文字が書けるようになってんだよ。俺が最後に見たときは喋るのがやっとだったのに。このままじゃあっという間に大きくなって忘れられちまう。頼むよ、俺は甥っ子の“知らない人”になりたくない」
「分かんないなぁ。親戚の子供にそんなに会いたいかぁ? 小遣いせびられるだけだろ」
「良いよ。もうそれでも良い。笑顔が金で買えるならいくらでも払う」
俺の固い決意を真っ直ぐな目でまざまざと見せつけてやる。
サイコパス野郎を納得させるには至らなかったようだが、ひとまず理解はしてくれたようだ。マッドが腕を組んで頷く。
「ユリウス君がそこまで言うなら協力するけど、ちゃんと帰ってきてね?」
「それは……………………もちろんです」
マッドの言葉に真っ直ぐな目で答えた。
ルッツが横から俺の顔をじいっと覗き込む。
「歯切れ悪くない?」
「悪くないよ」
マッドの視線にも依然として疑惑の色が混ざっている。
ヤツもまた俺の顔をじいっと覗き込む。ルッツのそれとは似て非なる視線だった。俺の表情を見ているというより、もっと細かいところ――呼吸、脈拍、瞳孔、血色、俺の身体的な反応をつぶさに観察しているような。人間に向ける眼じゃねぇぞ。実験動物見るときと同じ眼だろそれ。
「心配だなぁ。まだユリウス君と共同研究もできてないのに、いなくなられたら悲しいよ。ねぇジッパー」
「そうですね」
マッドの後ろに付き添っていたジッパーが控えめに頷く。
「神官さんが早く帰ってきたくなるような仕掛けを考えては?」
「なるほどね、さすがはジッパー。そうだなぁ……あっ、じゃあこうしようか」
マッドがニッコリ笑って人差し指をルッツに向ける。
「ユリウス君が帰ってくるのが遅れるたびにお友達の指を一本ずつ折っていく」
「は!? お友達って俺!?」
ルッツが目を丸くして悲鳴にも似た声を上げる。
なるほど、人質ね。俺は納得して頷いた。
「了解しました。じゃ」
「“じゃ”じゃねぇよ! ふざけんな、なんで俺が!」
おいおい落ち着けよ。喚くな喚くな。
俺はヤツの両肩に手を置き、怯える子供を宥めるように優しい声色で言う。
「俺たち友達だろ? 安心しろよ、ちゃんと帰ってくるよ」
「信じられない! 信じられない! 先生ェ! コイツ帰ってくる気ないですよ」
「あるよぉ」
俺は誰からも好かれる好青年の眼でまっすぐにルッツを見据えながら言う。
しかしルッツは納得してくれなかったようだ。俺を信じてくれないのか。学生時代からの長い付き合いなのに。苦楽を共にし、様々な困難を乗り越えてきたのに。悲しい事だな。なぜ人は人を信じることができないのだろう。俺はルッツを信じているのに。友人のためなら指の一本や二本差し出してくれる男だって、信じているのに。
俺が友の無情を嘆いていると、マッドが白衣のポケットから何か取り出した。
「じゃあまぁ、念には念を入れておこうかな」
マッドがこちらに手を伸ばす。首元でカチリと音がした。
「……え? なっ、なに? なんですかコレ」
俺は慌ててマッドから飛び退くが、もう遅い。完全に油断していた。
なにをされた? 自分の首元に手を這わす。ヒンヤリした何かが首に巻き付いている。硬い金属の……首輪?
マッドが俺の首に巻かれたそれを指さし、端的に説明した。
「爆弾」
ばくだん……首にばくだん……
瞬間、脳内にオリヴィエの爆散細切れ死体がフラッシュバックする。俺は勇者ではない。もしああなったなら、俺はそのまま土に還るしかない。
自分でも知らないうちに、俺は絶叫を上げていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!! なにするんですか!?」
首輪を引っ掴み、力任せに引っ張る。しかし首が締まるばかりで首輪はビクともしない。どどど、どうしたら! 俺は中庭にバッと目を向ける。マーガレットちゃんなら破壊できるか!? いや、力加減ミスって首ごといかれる可能性もある。そもそも下手に外すと爆発するのでは……
俺の必死な様子を嬉しそうに眺めながら、マッドがヘラヘラ笑った。
「なんてね。うそうそ。死なれたら本末転倒だからね。でも制限時間内に外さないとちょっと嫌なことが起こるから早く帰ってきたほうが良いよ」
なんだよ、嘘かよ~
安心しかけてハッとする。
「ちょっと嫌なことってなんですか!?」
「言ったらつまんないじゃん」
俺は戦慄した。
爆弾と言われたときとは違う、得体のしれない恐怖が俺の背筋を這い回る。
普通にタイムリミットが来たら死ぬって言われた方が気が楽かもしれない……触手とか生えてきたらどうしよう……