危険な勇者は排除した。
勇者の数もそれなりに確保できた。
準備は整った。姫様が来る。
まぁそれは分かっていたことだったが。まさかこの人まで来るとは。
「お久しぶりですユリウス……いいえ、ユリウス神官と呼ぶべきかしら。ふふ、あの問題児が立派になりましたね」
母のように全てを包み込む柔らかな笑顔。おっとりした、しかし掴みどころのない雰囲気。
俺の頭の中に王都でのろくでもない青春時代が駆け巡る。
「セシリア先生!」
彼女は俺の神官学校の恩師である。担当教科は呪術学だった。俺の呪術学の成績は陰惨そのものだったので、よく先生の補習を受けていたものだ。
試験で見せた俺の物理解呪を「逆に凄い」と褒めた上で落第させた時の先生の顔は、今でも昨日のことのように思い出せる。
しかしセシリア先生は今でも変わらず神官学校で教鞭を執っているはず。
「ど、どうして先生がここに?」
「姫とは個人的にも親交があるんですよ。今日は無理を言って一緒についてきてしまいました。貴方が神官として立派に働いているところを一目見たくて」
お、俺のためにこんな僻地にまで。さすがはセシリア先生だぜ。
しかし先生が姫様とそんなに親しいとは。そういえば先生が王家の儀式を執り行ってるって、どこかで聞いたな。あれ、どこで聞いたんだっけ。学生時代? いや、もっと新しい記憶のような……
「セ、セシリア神官! ロンドの眼に変なものが」
「えへへ。大丈夫だってばぁ」
ロンドが姫様の手を引いてこちらへ駆け寄ってくる。よく似た顔、仲睦まじい姿、こうしてみると普通の姉弟だな。
ロンドがこちらを手で示しながら、姫様を見上げて言う。
「勇者アイギスとユリウス神官も今日の視察に同行してくれます」
アイギスが跪き、恭しく頭を垂れる。
えっ、この跪くポーズ俺もやった方がいいのか? いや、騎士特有のヤツだよなこれ。あぁ、偉い人の前での立ち振る舞いに自信がない……
アイギスが顔を上げて言う。
「アリア姫、今日はこのような辺境の地にまでご足労頂きありがとうございます。道中、危険なことはありませんでしたか?」
さすがは元王国騎士団所属。王族や貴族との交流にも慣れている感じがする。
姫も可憐な笑みを浮かべて答える。
「同行してくれた騎士たちのお陰で楽しい旅になりました。そうそう、騎士団長も今回の視察に参加したがっていましたよ。たまには里帰りをしてあげなくてはね?」
……ん? なんかこの会話どこかで。
いや、そんな場合じゃない。俺も挨拶しないと。
「お、お久しぶりです姫様。僭越ながら街をご案内させていただきますので、今日はよろしくお願いします」
よし、あんまり噛まずに言えた。及第点だろ。
……ん? なんだろう。姫の様子が。
あちらこちらへと忙しなく泳ぐ視線、強張る体、消えた笑顔。
少し間をおいて絞り出した声は、明朗さをどこかに落っことしてしまったみたいだった。
「あ……はい。こ、こちらこそよろしくお願い致します……」
な、なんだ? 俺なんかした?
※
姫の街での立ち振る舞いは、まさに童話や英雄譚の中のお姫様そのものだった。優しく、誰にでも気さくに接し、どんな場面でも笑顔を忘れない。
多分そういう教育を受けているんだろう。
姫の優しい笑顔と気品あふれる立ち振る舞いのおかげか、勇者たちも借りてきた猫のように大人しくしてくれている。
視察は順調に進んでいる……はずなのだが……
ロンドが領主の館の二階から、窓の外を指して誇らしげに言う。
「老朽化したインフラの整備も進めたんですよ。あそこの井戸も修繕して――」
「井戸!?」
ロンドの言葉に、姫が床を蹴って窓に駆け寄った。食い入るように井戸を見つめ、そしてバッと振り返る。ん? 俺のこと見てる?
「姉様……?」
ロンドの呼びかけに、姫は我に返ったようにいつもの笑顔を取り戻す。
「す、凄いわロンド。お姉ちゃんびっくりしちゃった。もっと色々見せて?」
「もちろん!」
姫の手を引き廊下を駆けていくロンド。今度は館の調度品を見せるようだ。いくつも並んだ部屋の一室へ、姫と共に入っていく。
部屋の隅に置かれた重厚なキャビネットの前で二人は足を止めた。
「懐かしいでしょう? 昔、姉様と一緒に行った別荘にあったものと同じ家具を用意させて――」
「か、花瓶」
ロンドの話などまるで耳に入っていないようだった。姫が夢遊病患者のようなフラフラした足取りで花の生けられた花瓶に手を伸ばす。花瓶から花を引き抜き、ゆらりと振り返った。
……やっぱ俺のこと見てる?
「姫様? 大丈夫ですか?」
恐る恐る声を掛けると、姫は正気を取り戻したようにハッとして取り繕うようにロンドに笑顔を向けた。
「す、素敵なお花ね! ロンドが選んでいるの?」
「いや、これは使用人が……」
「そうなの! 良い使用人がいるのね」
誤魔化すように言いながら姫は慌てた様子で花を花瓶に挿し、元の場所に戻す。
なんだ? 明らかに姫の様子がおかしい。長旅の疲れ……にしてはおかしくなる場面がピンポイントすぎる気もする。
どうやらロンドも姫の様子に思うところがあったらしい。
「ユリウス神官、姉様になにかしました?」
姫様とセシリア先生を客室に案内したあと、俺はロンドの自室に呼び出され開口一番そう尋ねられた。
やはりロンドの目から見ても、俺に対する姫の態度はおかしかったらしい。俺は頭を掻きながら首を傾げる。
「なにもしてませんよ。逆に聞きたいくらいです。姫様は私のなにがお気に召さなかったんですか? なにか失礼なことありました?」
「そんな事はなかったとは思いますけど。第一、姉様は天使のようなお方です。身の程をわきまえない愚民共に低俗な態度を取られた程度では笑顔を崩しません。恐らくはもっとなにか別の……姉様が経験したこともないような……」
ロンドが腕を組み、俺をじっとりした眼で見つめる。濡れ衣も良いとこだ。俺は必死に弁解した。
「そんな事してませんってぇ。姫様はずっと貴方と一緒にいたじゃないですか。そんなとんでもないことがあったら気付くでしょう普通」
「……まぁ、確かにそうですけど。でもあんな姉様の様子見たことがありません。なにか、きっとなにかあったはずなんです」
なにかって言われてもなぁ。
ロンドがおもむろに立ち上がり、壁際まで歩いていく。背伸びをして飾ってある絵画に手を伸ばした。
「よいしょっと」
よいしょっとじゃねぇんだよ。なんだそれ。
絵画の後ろから出てきたのはガラスのはめ込まれた窓だった。外に見えるのはフェーゲフォイアーの街並み、ではなく姫のいる客室。姫はこちらに気付いていない。向こうからは見えないよう細工されているのだろう。
覗き窓……俺は引いた。
「こんなの用意していたんですか」
「はい」
平然と言うな。
なんかこう、トリッキーな変態ばかり見てきたからシンプルな気持ち悪さが逆に新鮮だ。
『お疲れですか? アリアさん』
ややくぐもっているが、セシリア先生の声だ。この窓、声まで拾えるのか。
先生の部屋は別に用意されているが、どうやら先生も姫の様子が気になったらしい。
しかし姫はいつもの完璧な笑顔で首を振る。
『いいえ。平気ですよ。式典の時にも来ていますから、もう慣れたものです』
『式典の時になにかあったのですか? ユリウス神官と』
え? 俺?
急に名前が出てきて、思わず身を強張らせる。
なんだよ先生まで。俺なにもしてねぇって本当に。
『あ、いや……個人的にお話をする時間は取れませんでしたが、その、聞いていた通り非常に優秀な方で……』
無難な言葉でお茶を濁そうとしているのが俺にも分かった。俺に分かるのだから、セシリア先生を欺けるはずもない。
『それはもちろん分かっています。あの子は私の教え子ですから。そういうことではなくて、あなたの気持ちを知りたいんです。私、口は固いんですよ』
長い髪を指に巻きつけながら、姫様が視線を泳がせる。セシリア先生と個人的な親交があるというのは本当のようだ。先生を信頼しているのだろう。まさか弟に覗き見られているとは思うまい。姫様がその重い口を開く。
『その……何か特別な事があったわけじゃないんです。本当に個人的なお話をした記憶もないんですが……ただ……』
『ただ?』
『ユリウス神官を見ていると……その、変な気持ちになって』
うっ……
俺は横目でロンドを盗み見る。ひっ、こっち見てる。瞳孔が開いてやがる。
しかしセシリア先生は追及をやめない。
『変な気持ちって?』
俺は息を呑んだ。ロンドも威圧感を放ちながらじっとその時を待つ。部屋に重たい空気が充満する。
ややあって、姫はようやく口を開いた。
『あの……水を飲ませなきゃって思うんです』
セシリア先生は頬に手を当て、首を傾げる。
『水……』
ロンドは顎に手を当て、深刻な表情で呟く。
「水……?」
俺は腕を組んで、必死に式典の時のことを思い出す。
水……水? いや、思い出すまでもねぇだろ。全く心当たりないわ。なんで水?
井戸……花瓶……まさかアリア姫は俺にずっと水を飲ませたくてソワソワしてたのか? なんで?
『こ、こんなことは初めてで、どう接したら良いのか分からなくて。セシリア神官……この気持ちの名前を教えてください!』
姫がセシリア先生に縋るようにして尋ねる。
難問すぎない? しかしセシリア先生は教師だ。俺が学生の時も、セシリア先生はどんな質問にだって答えてくれた。
セシリア先生は目を閉じ……そして柔らかく微笑んだ。
『それは恋じゃないかしら?』
んなわけあるか。スゲー適当だな。
セシリア先生はどんな質問にも答えてくれるが、その答えが必ずしも的を得たものとは限らない。先生は良く言っていた。人生は有限なのだから、答えの出ない問いにいつまでも頭を悩ませていても仕方が無いと。だから先生は考えて分からない質問にはとりあえずで答えを出すのだ。その答えがまぁ酷いのだが、セシリア先生ほどの人が真面目なトーンで答えるものだからついつい信じてしまう人間もいる。俺も最初は先生の適当な答えを真に受けていたものだ。
ここにも先生の適当な答えに翻弄された若者が一人。俺は背中を焦がすロンドの威圧感を無視し、扉へと一直線に駆け寄る。
「女性の部屋を覗くのは失礼ですよ。それじゃあ私はこのへんで……っ!?」
あ、開かない!? 扉が開かない! なんで!?
俺は振り返り、そして愕然とした。
「なんのつもりですか」
「シュゴー」
ロンドのかぶったガスマスクから漏れる呼気が不気味に響く。マスク越しではロンドがどんな表情を浮かベているのか分からない。しかしヤツが手に持っているスイッチを押すと、なにか良からぬことが起きるのだろうという想像くらいはできる。
ま、まずい!
俺は床を蹴って駆け出し、ロンドに手を伸ばす。ロンドは普通の子供だ。あのボタンを奪うのは難しくないが……ダ、ダメだ。間に合わない!
刹那、覗き窓から姫の平坦な声が響く。
『あ、違います』
ロンドが手に持ったボタンを投げ捨て、ガスマスクを外し輝く笑顔を俺に見せた。
「ユリウス神官は姉様のタイプじゃなかったみたいですね~!」
嬉々として言いながら、ロンドが大はしゃぎでベタベタと縋りついてくる。
「そう落ち込まないでください。僕はユリウス神官大好きですよ~ものすごく信頼できます~」
「あっ……どうも……」
こ、高速手のひら返し。とはいえ助かった……なんかフラれたけど……まぁそれは良いが、結局水ってなんだよ。
「ダメだよ領主様。ユリウス君にこんなもの使ったら」
窓から声がする。しかし今度は覗き窓の方ではなく、フェーゲフォイアーの街並みを展望できる外側についた窓の方だ。ロンドの投げ捨てたボタンを左右に振りながら、マッドがにやけ面をこちらに向けている。
ここ四階だけど。まぁ良いか。
……なんか前にもこういうことがあった気がするな。いつだっけ。
マッドが窓枠に肘を乗せ、フランクに話しかけてくる。
「ごめんユリウス君。やっぱ薬が足りなかったみたいだ。多分、薬品散布直前に抱いていた強い記憶だけを引きずってる。でもあれ以上濃くすると致死量に近くなるからさ。難しいよね」
俺はロンドと顔を見合わせる。
ロンドにもその言葉の意味は分からなかったようだ。怪訝な表情を浮かべている。俺はマッドに尋ねた。
「薬? 致死量? なんの話ですか?」
「そうかぁ、俺の功績も忘れられちゃってるんだ。悲しいねぇ」
マッドが全然悲しくなさそうにそう呟く。
相変わらずなにを言っているのか分からないが、そんな事よりも。
「なに普通に脱獄してるんですか」
「だって暇なんだもん。隣の牢の女がブツブツうるさいし」
エイダか……まぁマッドの気持ちも分からないではないが、そんな事を言っている場合ではない。
俺は覗き窓を指す。
「姫様すぐそこにいるんですよ! 姫様の目に触れたらどうするんですか。さっさと戻ってください」
「冷たいなぁ。人を有害図書扱いしないでよ……ん?」
覗き窓から見える二人の姿に、マッドが分かりやすく顔を顰めた。
「うわ、セシリア先生いるじゃん……仕方ないな。今日は大人しくしてるよ。ジッパー」
シュルシュルと伸びてきた触手がマッドの体を包む。
どうやら牢へ戻っていくようだ。トラブルの事前回避に成功。俺は胸を撫で下ろす。
触手につかまって降りていきながら、マッドが誰に聞かせるでもなく呟いた。
「暇つぶしに彼女の相談にでも乗ってあげるか……」
相談……? 誰の? エイダの!?
俺はバッと窓から身を乗り出して外を見たが、もうマッドの姿はなかった。