「姫の危機にいち早く駆けつけて下さり感謝します。アンセルム卿」
ロンドの言葉に、妙にチャラついた鎧を纏った男がニッと笑った。
卿……ってことはやっぱりどっかの貴族か。ヤツの後ろにズラリと並ぶ屈強な男たちもお抱えの兵士かなにかだろう。揃いの上等な鎧を身に纏い、背筋を伸ばして微動だにしない。その辺の勇者を寄せ集めたのではこうはいかないからな。
しかしロンドも妙に腰が低いな。王子であるロンドの方が貴族よりも立場が上なんじゃないのか?
アンセルム卿が腕を組んでロンドを見下ろす。
「随分大人の振る舞いができるようになったじゃないか。ところでその眼のヤツどうしたの? 大丈夫?」
「ええ」
瞳の中のパステルスターへの指摘をアッサリ躱したロンドがスッと足元に視線を落とす。
「盛大にもてなしたいのは山々ですが、あいにく今は姫の救出作戦で人手が足りていなくて――」
死体の山を背景に言うと説得力が違うな。
アンセルム卿も「当然だ」と頷く。
「こんな状況だからな。歓迎の宴は必要ない。ただ、少し喉が渇いたな。はるばるハーフェンから足を運んだんだ。飲み物くらいくれても良いんじゃないか?」
「……ユリウス神官」
ロンドが俺に困ったような視線を向ける。
えっ、これ俺に用意しろって言ってる? なんで俺が。ここは教会だ。レストランじゃない。
しかし客人らしき人間の前で領主様の顔に泥を塗るわけにもいくまい。
水で良いかな……いや、ダメか。とすると、うちには今これしかない。
俺は涙を呑んでとっておきの葡萄ジュースをアンセルム卿に渡す。グラスを満たす紫の液体を口に含み、渋い顔で一言。
「教会なのに葡萄酒じゃないのか」
うるせぇ。テメェで勝手に発酵させろ。
掴みかかってボコボコにして祭壇の前で磔にしてやりたいのを俺が必死に我慢しているとも知らず、アンセルム卿は気を取り直して言った。
「歓迎の宴は必要ない。ただ、宴の準備は進めておいてくれ」
「準備というのは?」
アンセルム卿は胸を張り、恥ずかしげもなく言い放つ。
「もちろん俺のアリア救出作戦成功を祝う宴だ。アリアと俺の婚約パーティーを兼ねたものになるだろう。こんな僻地にまで出向いてやったんだ。大したものは出せないだろうが、せいぜい葡萄酒くらいは用意しておいてくれ」
ひっ……死にてぇのかコイツ……。
俺は狼狽えながらロンドを盗み見る。しかしロンドは存外冷静だった。
「アンセルム卿が姫を救ってくださるということでしょうか」
平然としたロンドの様子はアンセルム卿にとっても予想外だったらしい。腕を組み、意外そうに首を傾げる。
「驚いたな。また暴れられると思ってあちこち金属を仕込んできたのに。まぁ弟君の攻撃程度、今の俺にとってはなんでもないけどな。二階から植木鉢落とされようと、落とし穴にはめられようと、凍った湖に突き落とされようと!」
えぇ……結構ガチガチに命狙った攻撃されてるじゃんコイツ。頑丈だな。
いくら王子でもそんなことばっかりやってればそりゃあ王都追放されるわ。
しかし今の話ぶり。嫌な予感がする。っていうか姫を助けに行くってことは……
アンセルム卿が芝居じみた仰々しい口調で言う。
「アリア救出のため洗礼を受けて勇者になってきた。もちろん兵士たちもだ。どちらにせよ姫と結婚する際は勇者になる必要があるからな」
やっぱり……なぜどいつもこいつもバイト感覚で勇者になるんだ? いや、姫救出という危険な任務に挑戦するなら勇者になるのが必須なのは分かるけど……。
っていうかコイツら戦えんのぉ?
「新米勇者が強力な魔物と渡り合えるか疑問か?」
ヤベッ、顔に出てたか? 俺は慌てて神官スマイルを張り付ける。
アンセルム卿――いや、勇者アンセルムがしたり顔で自分の後ろに並べた自慢の兵士たちを指し示す。
「我が領土は港町ハーフェン。海賊共から船を守る屈強な海の男なら掃いて海に捨てるほどいる。洗礼を受けさせ連れてきたのはその中でも選りすぐりの兵士たちだ。喜べ弟君。もうアリアの心配をする必要はない。君もそろそろ姉離れする歳だろ。シスコンも大概にしないと女の子にモテないぞ。俺にすべてを任せて素直に“お兄さん”と呼んでくれ」
ひっ……コイツ次から次へと。地雷原でタップダンスするような真似しやがって。マジで命が惜しくないのか? いや、自分だけは死なないという根拠のない自信に支配されているのか。
きっとこのアンセルムとかいう男もロンドの敵……「姫に近寄ってくる貴族」の一人なのだろう。
ただでさえ勇者たちの働きが芳しくなく、ロンドは苛立っている。そんな中、急にこんなのが現れたら……
俺は恐る恐る横目でロンドを盗み見る。思わず目を見張った。
ロンドがアンセルムにしおらしく頭を下げていたからだ。
「フェーゲフォイアーの勇者たちもこの有様。ドラゴンを使うことも考えましたが、ドラゴンの飛行高度では恐らく荒地の魔物に撃ち落とされる。いよいよ手詰まりです」
「え? ドラゴン?」
アンセルムの疑問を無視し、ロンドが懇願するような視線を向ける。
「厳しい戦いになるかと思いますが、アンセルム卿ならあるいは……お願いします。姉様を救ってください。救出の暁には盛大なパーティーをしましょう。きっと姉様との結婚の記念になります」
……今なんて言った?
ロンドが? 魔物からの救出という条件付きとはいえ、姫と別の男との結婚を認めた?
そりゃあ、常識的に考えれば気に食わない結婚とはいえ姫の命には変えられない。だが、ロンドの口からこんな言葉が出るとは。
ロンドがここまで言うということは、コイツもしかして相当強いのか? それとも勇者の弱さに絶望し、気に入らない男に縋りつきたくなるくらい精神が参ってしまっているのか。
アンセルムはその言葉をストレートに受け取ったらしい。目を輝かせてロンドを抱擁する。
「俺は嬉しいよ弟君! ようやくアリアの幸せを考えられるようになったんだな」
ロンドは力なく微笑み、フランツさんに声をかける。
「彼らを屋敷にお通しして下さい。フランメ火山越えの最短ルートをお教えします。少々険しい道ですが、みなさんならば大丈夫でしょう」
「もちろんだ。協力感謝する!」
自慢の兵隊を引き連れて意気揚々と教会をあとにするアンセルム。扉が完全に閉まり、再び教会に静寂が戻った。
「大丈夫ですか?」
ロンドの顔を覗き込む。
やるべきことがたくさんあって忙しくしていたから、落ち込む暇も悲しむ暇もなかっただろう。しかし大事な姉が攫われて平気なはずがない。今の覇気のないロンドの様子を見るに、相当精神が摩耗しているのではないか。
「焦る気持ちは分かりますが、休息はなによりも大事なことですよ。ちゃんと食事は摂れていますか? 睡眠は?」
「……そうですね。明日に備えて今日は少し休むことにします。勇者たちにも今日明日は休息と装備を整えることに専念してもらいましょう」
「それが良い」
俺は真剣な表情を浮かべながら内心で小躍りしていた。
荒地に向かった挙句、上手に焼かれたこんがり勇者の山の蘇生という仕事が俺には残っている。全ての勇者を蘇生するのに一晩掛かりそうだが、明日勇者たちが大人しくしていてくれれば俺もしっかり休めるというわけだ。
もちろん俺だって姫救出の手助けは惜しまないつもりだが、そうはいっても体力には限界があるからな。
正直そびえ立つ仕事の山にゲンナリしてこのまま無視してやろうかとさえ思っていたが、明日休みだと思えば頑張れる。
ロンドを送り出し、俺は葡萄ジュースを流し込んで気合を入れた。
よし。さっさと蘇生終わらせて、明日は一日寝るぞ~!
*****
あれ……おかしいな……
俺は目を擦る。
一晩中蘇生していたから、疲れと眠さで幻覚をみているのか?
柔らかな朝日がステンドグラスを通り、極彩色の光溜まりを血で汚れた床に落とす。
一晩かけた必死の蘇生作業のお陰ですべての勇者を蘇生させた。いや、させたはず。させたはずなのに……
なんでまだ死体の山があるんだ?
俺はもう一度目を擦り、改めて死体の山を見る。先程からこの行為を繰り返しているが、残念ながら死体の山が消えることはなかった。
……ん? この鎧。こいつらフェーゲフォイアーの勇者じゃない。昨日の貴族が引き連れた兵士たちか?
お、おいおい。こいつらいつ街を発ったんだ? まだ日が昇ったばかりだぞ?
「おはようございます」
ロンドだ。朝早くから礼拝か。感心なことだな。
俺はロンドに笑顔を向ける。
「おはようございます! 昨夜は眠れましたか!? 私は眠れていません! アハハ!」
するとロンドは幼い顔に柔らかな微笑みを浮かべる。
「いえ、興奮してしまってあまり眠れませんでした。もう楽しみで楽しみで」
ロンドはにこやかに言いながら、脇目も振らず死体の山へと歩んでいく。
「領主様……? ちょ、ちょっと」
ロンドが死体の山に腕を突っ込む。
上等な子供服が汚れるのも構わず、屈強な兵士共の肉片を押しのけて山を崩していく。な、なにやってんだ?
死体の山から探しものが見つかったらしい。ロンドが輝く笑顔をこちらに向ける。
その小さな体に抱えているのは、恐怖の表情を浮かべたまま死後硬直を起こした勇者アンセルムの首。
「この男の死に顔を見るのが待ちきれなかったんです!」
なんだいつものロンドじゃん。心配して損した~
俺が安心していると、再び扉が開いてゾロゾロとガラの悪い勇者共が入ってきた。
「うおっ、早いな。もう全滅したのか」
「領主様ァ~本当に良いんだな?」
勇者共の問いかけに、ロンドは満面の笑みで頷く。
「はい! 姉様にたかる成金趣味のドラ息子共には分不相応な装備品です。我々で有効活用しましょう」
すると勇者共は一目散に駆け出し、死体の山を漁りだした。死体から装備をむいている?
「さっすが、良い鎧着けてんな」
「ちょうど剣が折れちまったところだったんだ」
「どこも装備品が不足してるからな。助かるぜぇ。まさにカモネ……救世主様だなぁ」
コイツ、まさかこのためにアンセルムを焚き付けて……?
眠さで朦朧とする意識の中、俺は必死の思いで神官としての良心を絞り出す。
「ダメですよ……教会でこんな追い剥ぎみたいな真似して……」
「でも彼ら、夜明けと共に街を出てもう全滅したんですよ。荒れ地どころか森も抜けられていない。もう二度と姉様を救出するなんて世迷言を口に出すこともないでしょう。ならばこの装備はもう彼らには必要ないじゃありませんか。それに、そう何度も無謀なチャレンジを繰り返されてはユリウス神官も困るのでは?」
ロンドはそう言って死体の山を指し示す。それはもう説得力の塊でしかなかった。
確かに!
俺は納得した。
そして保身に走った。
「なんか……よく分かんないですけど……徹夜だったからか意識が朦朧とします。私はなにも見ていないので……あとは適当にやっててください。あっ、死体の損壊だけはしないように……」
そう言ってそそくさと寝室へ向かう。
そもそも神に認められし勇者たちが死体漁りなんて卑劣な真似するはずないし、多分疲れすぎて幻覚見てんだな。
魔物に殺されたドサクサで装備品を失うのはままあることだし、それを別の勇者が拾うなんて十分にあり得る話だ。よし、寝よ。
扉の外から漏れてくる勇者共の下卑た声とロンドの幼気な歓声を子守唄に、俺は毛布に包まって眠りにつくのだった。