「おお勇者よ、死んでしまうとはなにごとだ」
俺はおびただしい数の棺桶を引き連れたアンセルムに、古の王が死んだ勇者に言ったとされるお決まりの台詞を吐く。
本当は「のこのこやってきたと思ったら雑魚にやられてあっさり死にやがって。死ぬなら自分の領地でひっそり死ねカス」と罵りたいくらいだが、装備を剥がれた初心者勇者にそこまでは言うまい。
追い剥ぎ共にしっかり装備を剥かれたアンセルムの顔は、まだ死んでるのかと心配になるくらいの蒼さだ。
上等な装備品だったからな。不慮の事故とはいえ、無くしたのがショックなのだろうか。
とはいえ、仕事に見合った報酬はいただかなくてはいけない。俺はアンセルムに手を差し出す。
「勇者アンセルム。まずは蘇生費として寄付のご協力を」
あっ、そういえばコイツ追い剥がれてるんだったな。言いながら気付いたが、ちゃんと金持ってんのか……?
「ああ……」
アンセルムはぼんやり頷くと、自分の肌着の中に手を入れてなにやらゴソゴソしはじめた。
取り出したのは金貨だ。一枚や二枚じゃない。手から零れ落ちんばかりに。
「足りるだろうか」
「あ、いや、じゅ、十分です……」
どこにどんだけ金入れてんだよ。
そういやロンドの攻撃に備えて金属を仕込んでるとか何とか言ってたな。鉄板とか入れてんのかと思ったがもしかして金貨仕込んでんのか?
港町ハーフェン――交易の盛んな商業都市として有名だ。そこを治める貴族か。兵士たちの装備も良く、こんな僻地まで遠征できる余裕がある……なるほどね。
濃厚な金の匂いを感じた俺は、金貨を一枚貰い、釣り銭を渡しながら二段階ほど腰を低くしてアンセルムに接する。
「お仲間の勇者も蘇生させますか?」
「神官さんは……死んだことがあるか?」
は? ある訳ねぇだろ。なに寝ぼけたこと言ってんだ。
俺が答える前にアンセルムは自分の身を抱き締めるように縮こまり、ガタガタと震えだした。
「死ぬのは初めてだった。こういう事もあるかもしれないと覚悟を決めていたはずなのに……す、すごく苦しくて、痛くて、熱くて、寒くて、暗くて、怖かった……」
ああ、なんだ。死んだショックで顔を蒼くしてたのか。
初心者らしい初々しい反応だな。
「それはお気の毒に。もう死なないように頑張りましょうね~。で、お仲間の蘇生はどうします?」
「どうやったら死なないようにできるんだ」
……さっきからコイツ人の質問に全く答えないな。鼓膜破れてんのか?
俺は舌打ちを我慢しながら神官スマイルを浮かべる。
「自分の領地に引きこもって魔物とかち合わないよう祈ることですよ」
しかしアンセルムは「それじゃあダメだ」と蒼い顔で首を振る。
「死は誰にでも訪れる。どこにいても逃げられない。今は大丈夫でも、いつかまたあの瞬間が来るんだ。い、嫌だ。死にたくない。もうあんな思いをするのは嫌だ!」
あぁ、そのパターンか。
この街にいると色々バグってくるが、蘇生できるからといって死を受容できる人間ばかりじゃない。そりゃそうだ。死は人間の恐怖の根源。神の奇跡で無理矢理死を克服しても精神がついていかず、押しつぶされる勇者だっている。まぁそういう人間は普通こんな街に来ないので、俺が目にする機会は少ないが。
さて。俺は子ネズミちゃんのごとく怯えるアンセルムを見下ろしてニッコリ笑う。
死の恐怖に怯える人間に手を差しのべるのも神官の務めだ。
恐怖に心を蝕まれた人間は視野が狭く、子供が鼻で笑うような甘言に容易く飛びつく。おまけにコイツは貴族だからな。使い道は色々ある。教会本部へのパイプもあるかもしれない。
ハーフェンか……穏やかな気候、美味い海鮮、市場に並ぶ珍しい舶来品、そして海の見える教会。良いな。こいつに上手く取り入ってお抱え神官になれれば血飛沫じゃなく潮風を浴びながら暮らせるかも……俺は舌なめずりをしてかける言葉を考える。
落ち着け。急に食いつけば引かれてしまうかもしれない。ここは慎重に。
しかし、どうやら俺は慎重になりすぎたようだった。
音もなく忍び寄る白い影。
俺の脇をすり抜け、項垂れるアンセルムの耳元で風のように囁く。
「死の苦痛から逃れたいですか?」
俺は目を剥いた。
白装束! どこから湧いて出てきやがった!
慌ててアンセルムに手を伸ばすが、白装束の集団ガードで近付けない。
「な、なにか方法があるのか」
アンセルムが血に塗れた手で白装束に縋りつく。
溺れる者は藁をもつかむとはよく言ったものである。
しかしアンセルムが今まさに掴もうとしているのは藁よりもっとろくでもないもんだ。
壺。壺である。いや、“壺に見えるなにか”と言った方が良いか。一見すると壺にしか見えないそれを、白装束は満面の笑みで差し出す。
「女神の加護の込められたありがたい壺です」
やっぱ壺だった。
白装束がアンセルムの手を取り、そっと壺を抱えさせる。
「これを持って神と交信するのです。祈りが通じれば、神はきっと貴方の願いを叶えるでしょう。本当は集会所の人間にしかお売りできないのですが、領主様と親交のある貴方だから特別にご案内をしているのです。しかも今ならスーパーセール中につき特別大特価。こんなチャンスを逃す愚か者にはきっと女神も微笑みませんよ」
「貴方だけ特別」「今だけ大特価」「買わなきゃ損」
どれも詐欺の常套句である。俺は力の限り叫ぶ。
「騙されてはいけませんアンセルム! そんな壺ごときで女神が微笑むなら誰も苦労しません。祈りというのは金を払って物を買うことではありませんよ」
しかしアンセルムに俺の言葉は届かない。
追い詰められた時、人は論理的で小難しい話よりも分かりやすく甘い言葉に飛びつく。それがどんなにバカバカしい話でもだ。
アンセルムは肌着に手をやり、ゴソゴソと金貨を取り出す。
「買おう」
「まいどっ!」
満面の笑みで金貨を受け取る白装束。俺はギリギリ歯噛みした。
くそっ、くそっ! ふざけんな、そのボンクラは俺の獲物だぞ!
「良かった。これで安心だ……」
ま、待て! 必死になって手を伸ばすが、俺の手はヤツに届かないし、ヤツは俺のことなど見てもいない。ただ抱えた壺だけを見ながらおぼつかない足取りで教会を出ていく。仲間の骸の入った大量の棺を引き連れて。
しかしこの街でネギ背負った鴨がいつまでも呑気に歩いていられるはずもない。
ものの数分でアンセルムが戻ってきた。
その手に壺はなく、今にも泣きそうな顔で言う。
「つ、壺……なんか割られた……」
ほら見たことか。この街は壺中毒者で溢れている。
普段は樽などを割って気を紛らわせているようだが、壺への渇望はそう簡単に忘れられるものじゃない。大した実戦経験もないアンセルムのような初心者勇者が壺を持って街をうろつけば壺中毒者が放っておくはずないのだ。
縋るような視線を向けるアンセルムを、白装束は冷たく突き放す。
「壺の一つも守れないような貧弱な勇者に女神は微笑みません」
悲しいかな。今の言葉は結構正論かもしれない。
突き付けられた絶望に顔の色を失っていくアンセルム。その様を見下ろし、白装束が急に気持ち悪いほど優しい笑みを浮かべる。
「でもご安心ください」
アンセルムが目を輝かせた。
ツボだ。白装束が抱えたツボが、窓から射し込む光を受けて神々しく輝いている。
砂漠を彷徨い続けた旅人がオアシスを見つけた時のような顔で、アンセルムはそれに震える手を伸ばす。
ヤツの耳元で白装束が囁いた。
「二個目以降はさらに割引価格でご案内しております」
永久機関かな?