俺たちの決死のデート作戦が功を奏し、リンから火山通行許可が出た。しかし通り放題フリーパス券を貰えたわけではない。通行が許されるのは行きと帰りの二回限り。魔族を説き伏せてようやく手に入れたこのチャンスを無駄にするわけにはいかない。
ロンドと勇者どもはせっせと軍備を進めているようだ。
しかし市場が燃えずに済んだのは本当に良かった。
通常営業に戻った今日も、市場は活気にあふれている。ここくらいはいつも通りでいてくれないと俺も息が詰まるからな。
俺は馴染みの店で葡萄ジュースを買いかけて、バッと樽に身を隠した。
台車を押しながら市場を歩いていくエイダが目に入ったからだ。俺は樽から恐る恐るエイダの様子を窺う。
……なんかスゲー量買ってるな。
台車が俺の隠れた樽のすぐ脇を通っていく。
俺は息を殺して台車の中へ視線を送った。黒い石みたいなのと、白い粉みたいなの。それから良くわかんない液体で満ちた瓶。エイダが手元の紙切れと台車に乗ったアレコレを見比べながら一人呟く。
「炭素20キロ、アンモニア4リットル、石灰1.5キロ。ええと、あとは……」
*****
ここ数日は勇者共が会議だのなんだので忙しく、無茶な冒険を控えているらしい。おかげで俺の仕事も今は多少落ち着いている。
久しぶりにのんびり眠れるぞ~!
と思ったらこれだもんなぁ……
「墓守って言っても少し墓地を見回るだけだから。秋ごろからちょっと騒がしくなってね。いつもお願いしてる子が腹を壊して今日は出られないって言うんだ。今日だけ頼むよ。給料は弾むから」
そう言って宿屋のババアが手渡してきたのは、ランタンと飾り気のない木の杖。なんか夜間バイトを任された。
まぁ聞く限り仕事内容は簡単。夜勤ではあるが拘束時間もそこまで長くない。割りの良いバイトには違いないが。
俺は木の杖を握りしめながら息を殺して街外れの墓地を歩く。
夜に墓場が騒がしい……ということは不良が溜まったりしてるのだろうか? 非行少年たちへの説教でも期待してんの? 俺には荷が重いよ。金に目がくらんで受けてしまったが、やっぱり断れば良かった。何事もなく終われば良いのだが。
そう願う俺を嘲笑うように、ランタンの光が闇に黒い影を浮かび上がらせた。
……が、どうやら不良少年ではない。孤独なチンピラである。
「なにやってるんですか、良い大人がこんなとこで」
「うわっ……なんだお前か……」
グラムである。こんな夜中に墓石にもたれて一人で酒盛りか。趣味わりぃな。
グラムが怪訝な顔でこちらを見上げる。
「こんな夜中に墓散歩か? 趣味わりぃな」
うるせぇ。
「私は墓守のバイト中ですよ。不審者が墓地で騒がないよう見張っているんです。貴方こそなんでこんなとこに」
「あー……姫様が攫われたせいでなんとなく酒場で騒げない雰囲気なんだよ。閉店も早くてな。だからここでひっそり飲んでる。この辺は俺が見張ってるから行って良いぜ。不審者いたら追い払っとくから」
お前が不審者だろ……まぁ良いか。
グラムの隣に腰を下ろし、ヤツの皿から良く分からんナッツみたいなのを奪って食う。
「おい、勝手に食うな」
「墓なんか見回る必要ありますかねぇ。別に騒がしときゃ良いじゃないですか。こんな街はずれにあるんだから、多少うるさくても別に迷惑にならないし。深夜に街中で騒ぐ酔っ払いの方がよほど迷惑だと思いません?」
「知らねぇよ……帰りたいからって俺に文句言うな」
「墓場に他に誰かいました?」
「いや、見てねぇけど」
ババアの口ぶりだと、普段は誰か別の人間が墓守をやっているようだった。日頃の見回りのお陰で非行少年も寄り付かなくなっているのかもな。じゃあもう帰って良いか。寒いし。
ひゅう、と風が墓地を吹き抜け、木々をガサガサと揺らす。さすがに深夜の墓地は不気味だ。ん? 冷たいなにかが俺の首をなぞる。
俺はバッとグラムを睨んだ。
「変なおふざけはやめてください」
「は?」
ふん、白々しい。
俺をビビらそうとしているのは分かってる。数多の恐怖体験を乗り越えた俺が今更夜の墓場程度でどうにかなるわけないだろ。俺はグラムの抱えたしょっぱいナッツを鷲掴みにしてバリバリと食う。
「そういう酔っ払いのノリ寒いですよ」
「だから食うなって! 訳分かんねぇこと言いやがって……お前こそ変な絡み方してくるな。とっとと帰れ!」
チッ、なんだよ。墓地はみんなのものだろ。お前に言われなくても帰るわ。俺はフラリと立ち上がり、地面に置いたランタンを拾い上げてそのまま固まった。
「なにしてんだよ、早く帰っ」
グラムも同じく、石になったかのように固まる。
ランタンが浮かび上がらせたいくつもの影。ゆらゆら揺れる黒い霧。
俺の脳裏に収穫祭の苦い記憶が浮かび上がる。
グラムが拳を握りしめながら声を上げた。
「こいつら、ゴーストか!? くそっ、なんで街中に。俺の物理攻撃じゃダメージが通らないぞ。お前なんか魔法とか……おい。死んだふりすんな馬鹿」
「イテッ」
グラムに小突かれ、俺は渋々体を起こす。どうやら収穫祭の霧とは別の種類らしい。ふっ、なるほど。ババアに渡されたこの杖はいざという時の武器ってわけか。
俺は立ち上がり、高く杖を掲げる。武骨な木の杖の先端が光り輝き辺りを照らした。暖かな光が俺たちの体を包み込む。
「おお……なんの魔法だ?」
「回復魔法です」
俺の言葉に、グラムがキョトンとした表情を浮かべる。
「は? なんで今回復魔法? 別に怪我とかしてねぇぞ」
「今はそれしか使えないので」
「はぁ!? カタリナのヤツみたいな……なんか光の魔法とかないのかよ!」
「攻撃魔法は覚えてません。神官がそんなもの使わないだろうと思って学校でも攻撃魔法の選択授業取りませんでした」
「使えねぇ! そうだ聖水! あれならゴーストにもダメージ通るはず……聖水持ってないのか!?」
「持ってませんよ……あんなのたいして効かないし……」
「お前が聖水の可能性を信じないでどうすんだよ!」
チッ、うるせぇな。この街じゃ魔物よりチンピラ勇者に襲われる可能性の方が高いんだから仕方ねぇだろ。
しかし寒い。普通の寒さじゃない。ゴーストのせいか? ジリジリ生気を吸われているような。
「ああもどかしいな。こんなヤツら大して強くねぇ。魔法さえ使えれば一網打尽なのに。おい、本当になにも持ってねぇのかよ! 魔力を帯びた武器とかでも良いから」
俺は袖の中やら懐の中やらをゴソゴソ探してみる。
「そんなこと言われても、今はこれくらいしか……」
そう言って、俺は女神像(小)を取り出した。
グラムが怪訝な顔をする。
「逆になんでそんなもん持ってんだよ」
「深夜に出歩くんですから、これくらいは護身用で持ってないと安心できません。万一暴漢にエンカウントしたらこうやって」
俺は女神像(小)の足を掴み、ブンブン振り回す。が、ナッツの油で手が汚れていたせいか。女神像の足が俺の手からすっぽ抜け、勢いよく飛んでいく。
「ああっ、女神像が!」
「なにやってんだ……良いから他の手考えろよ。あんなの何の役にも」
パチン。
……飛んで行った女神像に触れたゴーストが弾けて消えた。
あんなのでも一応光の魔力を帯びていたのか。どうやら神はまだ俺のことを見捨てていなかったらしい。
とはいえ、この量のゴーストに対し武器は女神像一つ。しかも触れたゴーストしか倒せない。あれでは自分の身を守ることしか。
俺はグラムをチラリと見る。グラムも俺を横目で見ていた。
俺とグラムが地面を蹴ったのはほぼ同時だったように思う。だが纏った重い鎧と布製の神官服の差か。先に女神像(小)に手を触れたのは俺であった。見たか。これが信仰心のなせる業だ
しかしグラムは女神像(小)を諦めない。薄汚ねぇ手をこちらへ伸ばす。
「おい! それ寄こせって。俺の方が戦いに慣れてんだから、俺の方が上手く扱える!」
俺は女神像を抱え込み、背中を丸めてブンブン首を振った。
「嫌です! これは私のですよ。第一、魔力の無い貴方より神官の私が使った方がより強力な効果が出るに決まってます!」
「お前自分だけ助かろうってのか! いいから寄越せよ、俺ならお前守りながらここを抜けられるから!」
「絶対嘘! 絶対嘘! そう言って一人で逃げる気でしょう。貴方は死んでも蘇生できるんだから良いじゃないですか」
グラムと小競り合いをしている最中も、ゴーストたちはジリジリとこちらににじり寄って俺たちの生気を吸い取っていく。
女神像でゴーストを追い払いたいが、今迂闊に女神像を出せばグラムに盗られる! クソッ、どうしたら。あっ、そうか。まずコイツの後頭部を女神像でぶん殴ってからゴーストの処理をしていけば……
ん? グラムが思い詰めた顔で手に持った酒瓶をゆっくりと持ち上げる。ゴーストに物理攻撃は効かないんだろ? おいおい、それどうする気だ? まさか聖職者を闇討ちする気じゃねぇよなぁ……?
互いの出方を窺うように、無言で見つめ合う俺たち。自分の心音がやけに耳障りに聞こえる。
静まり返った墓場に、不意に破裂音が響き渡った。ゴーストたちが一斉に弾けて消えていく。
なにが起きた?
グラムが酒瓶をゆっくりと下ろした。辺りを見回しながら何事もなかったかのように笑う。
「はは、なんだよ。お前もやればできるじゃねぇか。ビビらせやがって。意地の悪いヤツだな」
「いや、私はなにも」
俺も辺りを見回す。ほとんどのゴーストが弾けたが、全部じゃない。いくつか残ったやつらが、またジリジリと俺らの周りに集まってくる。
だが寄ってきたのはゴーストだけじゃなかった。
「ユリウス~、大丈夫か~?」
ルッツだ。呑気な声を上げながらこちらへ小走りにやって来る。
「なにやってんだ! 逃げるぞ、ゴーストが」
「あー、やっぱ出るなぁ。貸してみ」
お、お前まで女神像を! これは絶対渡さないぞ……!
と思って身構えたものの、ルッツが手に取ったのはババアから借りた杖とランタンだった。
「よいしょ」
ルッツが杖を一振りすると、ランタンからシャボン玉のように光の球が放たれる。辺りが昼のように明るくなり、光に照らし出されたゴーストが溶けるように消えて無くなった。
「これでオッケー。ごめんごめん、いつもは俺がこのバイトやってんだけど、腹壊しちゃってさ。心配になって来てみて良かった」
ルッツがヘラヘラしながら言う。
まさかババアはこの芸当が神官なら誰にでもできると思ったのか? できるわけねぇだろ。っていうかなんでルッツにこんな真似ができるんだ。俺はヤツをじっと見つめる。
「……お前、攻撃魔法の選択授業取ってたっけ。っていうか魔法使う前にほとんどのゴーストが消えたけど、一体なにしたんだ?」
「いや、まぁ、その」
なにもったいぶってんだ。早く言え。
俺が詰め寄ると、ようやくルッツが口を割った。
「まぁ……なんつうか……血だな」
「血?」
するとルッツは視線を泳がせながらやっとのことで口を開く。
「ほら……俺も一応ロンドの親戚だからさ。入ってるのよ。あの、伝説の勇者の血がさ……」
ルッツとロンドが親戚なのは以前にも聞いた。まぁそれは良いんだけど、なんでお前そんなしどろもどろになってんだよ。
相変わらず覇気のない声でルッツが続ける。
「そのお陰で常に聖水かかってる状態っていうか。退魔の力がちょっとだけあるんだ。シャルルが俺をこの街に寄越したのも、多分お前をちょっとでも守れるようにっていう配慮だと思う。まぁ弱いゴーストを弾けさせる程度の効果しかないけどさ」
退魔の力……? 王族ってのはそんな能力まで備えてんのか?
ロンドが護衛付きとはいえダンジョンにガンガン入っていくのも、その力を信用してのことだったのだろうか。
しかしルッツとは長い付き合いだが、そんな話聞いたことがない。
「なんで今まで言わなかったんだよ」
するとルッツは不服そうに口を尖らせる。
「言ったよ……そしたらそういうのは十四歳までに卒業しとけってユリウス言ったじゃん……それトラウマになってこの能力のことあんまり人に言えなくなったんだぞ……」
マジ? んー、覚えてないけど言いそう。
ヘラヘラしていると、ルッツが続ける。
「実はさ、セシリア先生に勧められて魔法の練習してたんだ。最初はあんまり興味なかったけど、アリアちゃんがあんな事になって……今は真剣に練習してるよ。俺が覚えても仕方ないかもしれないけど、なにかせずにはいられないんだ」
いつになく真剣な表情だった。
そうか。ルッツにとって姫様は姫様ってだけじゃなくて、親戚の女の子でもあるんだもんな。
ランタンの炎が揺らめき、ルッツの顔をオレンジに照らし出す。
「アリアちゃんは直系だから、俺より退魔の力が強いはずだ。セシリア先生もついてるし、きっと大丈夫。頼むよ。一緒にアリアちゃんを救う手助けをしてくれ」
ルッツが俺と、そしてグラムに向けて頭を下げる。
俺たちは顔を見合わせてフッと笑った。
「言われるまでもねぇよ。それが勇者の務めだろ」
「もちろん全力を尽くす。神官として当たり前のことをするまでです」
グラムは酒瓶を、俺は女神像(小)を後ろ手に隠しながら力強く頷くのだった。
*****
色々あったせいで帰宅が思ったよりも遅くなってしまった。
早く寝ないと明日に響く。俺は玄関の扉に手を掛け、はたと動きを止める。ドアノブがぬるりと滑った。暗闇の中でじっと手を見つめる。これ……血……?
俺はランプに光を灯し、視線を足元に落とす。血だ。なにか引きずったような血痕が、教会の中に続いている。
「……ぅぅ……」
うめき声。中からだ。
俺は蹴破るようにして教会の戸を開き、中へ飛び込む。
弱々しいランプの光が聖堂を照らし出す。血痕の先にいるのは、床に這いつくばる黒髪の女。
エイダだ。鼻をつく血の匂い。おびただしい出血。しかし転送されてきたのではない。まだ生きてる。無事とは言い難いが。俺は思わず口元に手を当てる。
「エ……エイダ……脚が……」
左脚……膝から下が引き千切られたように失われている。聖堂へ続く出血はそこからのものだ。
俺は慌ててエイダに駆け寄る。
「一体誰にやられたんですか!」
「……た……」
「え?」
エイダが息を弾ませながら、床を殴りつける。
「持って行かれた……!!」