「こっちです。ほら急いで!」
カタリナが勇者共と己の兄の追跡から逃れるため、月明かりを頼りに裏路地を駆け回る。まったく関係ない俺の手を引いて。
「どこに向かってるんですか? 逃げ場なんてどこにもありませんよ!!」
不安のあまり声を張り上げる俺を励ますようにカタリナが呟く。
「大丈夫です。私に考えがあります」
「嫌だァ! 貴方の考えなんて信用できません。離して! 離してください!!」
「文句なら逃げ切ってからにしてください。気を抜く暇はありませんよ!」
強烈なデジャブを感じる会話を繰り広げているうちにも、勇者共の追手が増えている。先程の騒ぎを嗅ぎつけて集まってきたのだ。
舌なめずりして追ってくる勇者を、カタリナが牽制する。
「来ないでください! 神官さんいますよ。攻撃当たったら死にますよ!」
コイツ俺を盾にしてやがる!
しかし俺の存在程度で追ってくる勇者をいつまでも牽制できるとは思えない。なにせヤツら、金に目が眩んで正常な思考能力を失った顔してるからな。
そしてカタリナを追っているのは勇者だけではない。
カタリナが防御壁を張る。輝く魔法陣に黒いモヤが当たり、消えた。
あんな目くらまし程度では大した時間稼ぎにもならなかったのだろう。カタリナの兄もまた、どこからか俺たちを狙っている。
だが動いている的を狙うのは魔導師にも難しいようだ。不意に俺たちを追う勇者共の中から悲鳴が上がった。
「誰だ魔法撃ってるの!?」
「うわっ……当たっ……」
「あっ……踏んじゃった……」
えっ、なに? なんか不穏な言葉が聞こえてくる。
「あの魔法なんですか? 当たるとどうなるんですか」
まさか実の妹に命を奪うような呪いは撃たないだろ。
そんな期待を込めて尋ねたのだが、カタリナは思いのほか苦い顔で重々しく呟いた。
「カエルになります」
「カエル……?」
「神官さん、カエルになったことあります?」
あるわけねぇだろ。俺は生まれてこの方ずっと人間だ。
みんなそうだと思っていたが、例外もあるらしい。カタリナが遠い目をする。
「うちを目の敵にしていた貴族なんかが行方不明になることは珍しくありませんでした。家の地下では魔法の素材にするために色々な物を養殖しているんですが、そういう時に見に行くと変な模様のカエルが増えてたりするんですよね」
なんだよコイツの家……怖……今すぐここから逃げ出したい……
しかしここでカタリナの防御壁の外へ出るのは却って危険だ。俺は可能な限り人間のまま生きていきたい。
「……で、考えってなんですか」
するとカタリナは力強い笑みを浮かべた。
「私についてきて下さい!」
ずいぶん自信があるのか、あるいはカラ元気か。前者であることを祈るばかりだ。
カタリナは俺の手を引いて狭い路地をジグザグに走り回る。声を潜めて言った。
「次の角です」
次の角が……なに?
確認するより早くカタリナが角を曲がる。なにかあるのかと期待したが、なんのことはない。ただの袋小路である。そう、袋小路である!
「逃げ場ないじゃないですか! どうするんですか!」
俺の疑問には答えようとせず、カタリナがゴミ箱の蓋を開けて中を覗き込む。なにを思ったか、ゴミ箱を跨いで片脚を突っ込んだ。
「えっ……なにやってるんですか」
「神官さんも来てください」
ああ、隠れてやり過ごすってことか?
でも金に目が眩んだアホ相手とはいえ、そんな子供騙し効くだろうか。そもそもそこに二人も入るかぁ? 一人でも結構いっぱいいっぱいだぞ。カタリナが勢いよくゴミ箱の中に頭を引っ込める。お前なに一人ではしゃいでんだよ……
俺は半分呆れながらゴミ箱を覗き込んで戦慄した。カタリナがいない。というかこのゴミ箱、底が無い。なんの変哲もないゴミ箱の中には吸い込まれそうな闇がどこまでも広がっている。まるで奈落だ。
なんだこれ。一体どこに繋がっているんだ。えっ、もしかしてカタリナが言ってた地獄って比喩的なヤツじゃなくてガチの地獄なの?
腕を組み、少し考える。そして決断を下した。
逃げよ。
俺は踵を返す。が、逃げられない。なにかが勢いよく俺の腕を掴んだ。カタリナか? いや、カタリナにしてはぬるぬるしている。恐る恐る振り返り、そして振り返ったことを後悔した。
タコを思わせる吸盤付きの触手。ゴミ箱から伸びたそれが俺の体を蛇のように這いまわる。触手が俺の体を締め上げた。足が地面を離れる。体が宙を舞う。悲鳴を上げる暇すら貰えず、俺は奈落の底へ引きずり込まれた。
*****
「やっと遊びに来てくれたね! 嬉しいなぁ」
奈落の底で俺を迎えたのは悪魔ではなく、悪魔に限りなく近い白衣の男だった。
まぁね。そうだろうなぁとは思ったけどね。こんな触手持ったバケモノ、そう何体もいてたまるか。
ジッパーの触手で宙ぶらりんにされたカタリナを指し、マッドが言う。
「手土産に実験体まで持ってきてくれるなんて。気を使わせちゃって悪いね」
「神官さぁん、助けて……」
俺は辺りを見回す。不自然なまでに無機質な白い廊下。窓はない。地下だからだろう。
マッドめ、一体どこに住んでるのかと思ったら街の地下に研究所なんか作ってやがったのか。
「どうしてこの場所を知ってたんですか?」
尋ねると、俺の説得で触手の拘束を解かれたカタリナが頭を掻きながら苦笑する。
「前にルッツさんにアルバイト紹介してもらった事あったじゃないですか。その求人票にあのゴミ箱の場所が書いてあったので」
妙に記憶力が良いな……さてはお前、いざとなったら人体実験バイトに手を染めようと場所の下見してたな?
とはいえ、この状況は悪くない。マッドは“加護を失った神官”というミジンコも真っ青のクソ雑魚ポテンシャルを持ちながら、今の今まで教会本部の追手から逃げおおせている奇跡の男。いわば逃走のプロだ。
俺は勇者共に追われている旨を説明し、マッドに助けを求めた。するとマッドは何故か嬉しそうに言う。
「ユリウス君もとうとう破門? 懐かしいなぁ。勇者への人体実験がバレたとき、街中逃げ回ったのを思い出すよ」
「違います! 一緒にしないでくださいよ。カタリナのトラブルに巻き込まれただけです」
「そうなの? 残念だなぁ。自由の素晴らしさをユリウス君と分かち合いたかったのに」
んなもん分かち合ってたまるか。
俺はカタリナにまっすぐな視線を向ける。尊い命と人間の尊厳を危険にさらしながらここまできたのだ。なんとしても賞金を手に入れなければ。
「目的地は変わりません。領主様の館へ向かいます」
「館へ行けばどうにかなるんですか?」
「ん……? んん……はい……多分……」
「歯切れ悪すぎですよ! スルメでも噛んでるんですか!?」
知らねぇよ。俺だって状況を全部把握できているわけじゃない。
ハッキリしているのは、カタリナを領主の館に連れて行けば金貨を貰えるという事だけである。他の勇者もみんなそれを目当てにコイツを探しているのだ。だから俺が領主の館にカタリナを連れて行きさえすれば少なくとも他の勇者の追跡は止まるだろう。
しかしあの男――カタリナの兄は違う。
「お兄さんは貴方を連れ戻しにきたんでしょうか」
「そういう体で来たんでしょうけど……きっと私が自由にやってるのが妬ましいんです。性格悪いんですよ、うちのお兄ちゃん」
「はぁ。なんとか話し合いに持ち込めませんか」
「神官さんも見たでしょ!? 妹と一般人にむけて呪いあんな撃つ人います!?」
まぁ、確かにな……
アイツより先にカタリナを手に入れるため、ロンドは賞金と手配書で勇者を煽ったのか? だとするとカタリナの家とロンドの交渉は決裂したのだろうか。
これは思っていたよりも面倒なことになったぞ。
どんよりした俺たちの空気をぶち壊すようにマッドが明るい声を上げる。
「せっかく来たんだから施設見学して行ってよ」
「いや、急いでいるもので」
「見るだけ見るだけ! 館の近くにある出口まで案内するからさ。道すがら見ていくくらい良いでしょ? 地上出てからもジッパーと一緒に護衛してあげるし」
俺が口を開くより早く、カタリナがマッドの申し出に飛びついた。
「心強いです! ぜひお願いします」
勝手に話進めるな!
いや、マッドに案内してもらわなければここから出ることすら難しいか。ヤツの言葉に従うほかない。
俺たちはマッドとジッパーについて研究所を進んでいく。無機質なまでに真っ白な空間。謎の薬品やら全体像の分からないバカでかい機械やら血の付いた不穏な器具やらが並ぶラボを抜け、ガラス張りの檻が並ぶ廊下を歩む。中で蠢いているのはマッドお手製の歪な生命体だ。
「あまりにも違う種族のパーツを無理矢理つなげようとすると拒絶反応が起きるんだ。それを抑えるために抑制剤を大量に投与するんだけど、それのせいで不具合が起きたりもしてね。難しいんだよ。特に脳がやられるともう全部ダメになっちゃうし。ただ他の種族に比べて人間の脳ってのは丈夫で、たとえばあそこにいるヤツとかは――」
檻の中の歪な生命についていちいち説明しようとしてくるが、正直あまり聞きたくない。
街の地下にこんなバケモノ生産工場作りやがって。こいつら絶対外に逃がすんじゃねぇぞ。
「あっ……し、神官さん!」
カタリナが何か見つけたらしい。口元を押さえ、見開いた目をガラスの壁のむこうに向ける。
一抱えほどもあるデカいガラス管の中でボコボコと泡立つ、見覚えのある肌色のドロドロ。思わず声を上げた。
「シェイプシフターの死骸! どうしてここに」
するとマッドがなんでもない事のようにサラリと答える。
「あの、地下牢で隣の独房にいた女……エルダー? だっけ。この前、実験器具を貸せって言ってきてさ。フラスコやらなんやらを貸すのと引き換えに貰ったんだ」
エイダだ……。
アイツ、錬金術の器具マッドに借りてたのかよ。
「人間を創るんだとか言ってたけど、そんなもの手間かけて創ったって仕方ないじゃんねぇ? 珍しくもないし放っておいたってどんどん増えるのに」
「でも夢中になれる何かが見つかったのは素晴らしい事です。彼女、随分元気を取り戻したように見えました」
ジッパーがうさぎ頭の中から優しげな声を漏らす。美談っぽく仕立てているが、元気になれればなんでも良いってわけじゃねぇんだぞ……。
マッドが目を細めて肌色のドロドロを見つめる。
「この死骸、調べてみたら結構面白くてね。電気刺激を与えることで形が変わるんだ。動かすのは難しいかもしれないけど、任意の生物の形を取らせることは可能かもしれない」
「そのドロドロにはもう二度と私の姿をとらせないで下さいよ……」
肌色のドロドロには苦い思い出しかない。さっさと捨てときゃ良かった。
カタリナがガラスの向こうを眺めながら口をへの字にする。
「こんなの作ったり集めたりしてどうするんですか? またオークションの時みたいに売るんですか?」
「まぁそれもあるよ。研究費ってのはいくらあっても足りることはないからね。仕事で作ってるのが五割、趣味の研究三割、残り二割は……まぁ、自衛のためかなぁ」
自衛? マッドにはもう十分すぎる戦力がついているだろう。
俺はウサギ頭に視線を向ける。
「彼女がいれば十分では?」
「うーん、もちろん戦うだけならそれで良いんだけどさ。セシリア先生に会いたくなくてさぁ……」
「またそれですか。なにがそんなに嫌なんですか」
「セシリア先生は孤児院のトップでもあったからね。俺が子供の頃から知ってるし。まぁ色々あるよ」
セシリア先生は本当に手広く仕事をしているな。なんて立派な人だ。それをこのマッド野郎は……とんだ恩知らずだぜ。
にしても、先生って本当はいくつなんだろう。若く見えるが……。
ようやくマッドの研究所見学ツアーも終了だ。俺たちは階段を上って外へ出る。出入り口は路地裏に積まれた箱に偽装されていた。研究所への出入り口は街中あちこちにあるらしい。ヤツめ、どうりで神出鬼没なわけだ。
辺りを見回す。よし、誰もいない。領主の館はすぐそこだ。このまま裏を回って――
と思ったら、マッドは路地裏を出て正面から館へ向かっていく。
「ちょ、ちょっとなにやってるんです! 見つかりますよ」
「ん? なんの問題があるの?」
マッドは振り向きざま首を傾げる。
おいおい、俺の話聞いてなかったのかよ。追われてんだよこっちはよ!
「いたぞ! こっちだ!」
「へへへ、懸賞金は俺らのもんだぜ」
「生死問わずだよなァ?」
クソが! もう目の前なのに……チンピラ勇者めぇ!
「か、簡単にはやられませんよ」
カタリナがチンピラ共に杖を向ける。しかしカタリナの魔法は派手すぎる。こちらの位置を周囲に知らせることにもなりかねない。下手したらこの距離でも外すし。しかしこのままでは……
と、俺がした心配は全くの無駄であった。
ジッパーのタコのような触手が積み木の城を壊すようにチンピラどもの体のパーツをバラバラにしていく。
強い。チンピラなどまるで相手にならない。さすが魔族の触手。
マッドが血溜まりを踏みしめるようにしながら、こちらを振り返る。白衣のポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめ、困ったようにヘラリと笑う。
「いい加減腐れ縁を切りたいんだ。もう会うことがないよう願ってるけど、万一セシリア先生に会ったらその時は……」
不穏なセリフに体がすくむ。一体なにを考えているんだ? 先生は魔物に攫われていて生きている保証すらないのに。どうしてそこまで。
いや、普通の人間ならまだしもマッドのことだ。なにをしでかすか分からない。いざとなれば俺がセシリア先生を守らねば。俺はそう固く決意をした。決意をした……が、まぁそれはそれ。これはこれ。
「護衛ありがとうございました。じゃ」
領主の館を目指し、血の海の中をずんずん進む。賞金が目の前にあると思うと自然と足取りも軽くなるね。
後ろからカタリナの声がする。
「あの、血溜まりでスキップするのやめてください」