カタリナを領主の館へ連れていった者に賞金が与えられる。つまりこのゲームは終了。俺の勝ち。賞金は俺のものだ!
「いや……ウサギ頭連れてくるのは普通に反則だろ……」
「見ろよ神官さんの顔。ニヤニヤしやがって……」
「あの人なんでいっつも触手味方につけてんの? 触手王かよ」
賞金狙いの勇者共が口々に捨て台詞を吐きながら緩慢な動きで散っていく。
ははは! 負け犬の遠吠えが心地良いぜ~
いや、待て。触手王ってなんだよ。ブチ殺すぞ。
「どこ行ってたの? 心配したんだよ」
館で我々を出迎えたのはロンドではなくオリヴィエだった。
カタリナが涙ぐみながらオリヴィエに駆け寄る。
「ごめんねぇ、迷惑かけたくなくて」
「そんなこと言わないでよ。僕らパーティじゃないか。それに、僕だけ仲間外れは寂しいよ」
僕“だけ”……
嫌な予感がしてバッと振り返る。いない……
辺りを見回す。いない……
上か!? 俺は天を仰ぐ。いない……
オリヴィエがしゃがみ込み、俺の神官服の裾を軽く持ち上げ呼びかける。
「リエール? おーい」
やめろ。俺はヤツの手を振り払った。
「なにするんですか」
「あれ? おかしいな。また神官さんに憑いてると思ったのに」
憑いてるってなんだよ……
まぁここまで言って出てこないんだから本当に今はいないんだろう。安心安心。
俺は胸をなでおろし、窓を突き破って飛び込んできたパステルカラーの塊を視界に収める。安堵のため息が悲鳴に変わるのにそう時間はかからなかった。
「ギャー!!」
パステルイカれ女の後を追うように、割れた窓から黒い影がぬるぬる入り込んでくる。囲まれた。俺は悲鳴を上げた。
「ギャー!!」
割れた窓の向こうに杖を振り上げた黒いローブの人影がぼんやり浮かび上がる。カタリナの兄だ。俺は悲鳴を上げた。
「ギャー!!」
「神官様、普通にうるさいです」
ここぞとばかりに常識人ぶっているオリヴィエに俺は抗議の視線を向ける。
逆になんでお前はそんな平然としていられるんだよ。パステルイカれ女め、アイツ普通の登場ができない病気か?
リエールがガラス片を振り払い、何事もなかったかのように澄ました顔でこちらへ近付いてくる。
「仕方ないでしょ。ごめんねユリウス。怪我はなかった? 勇者でもない魔導師なんて簡単に捻れるかと思ったんだけど、意外とやるね。一人じゃ無理かも」
「それなら大丈夫。一人でやる必要はないから」
カタリナを守るように二人が這い寄る黒い影の前に立ち塞がる。カタリナが目を見開き声を震わせた。
「み、みんな……!」
おお……なんだよ。ちゃんとパーティっぽいことできるじゃねぇか。喧嘩したりナイフぶっ刺したり鍋で煮込んだりしながらも、なんだかんだ信頼関係を築けていたんだな。良かった良かった。俺は関係ないからもう帰って良いかな?
しかしリエールとオリヴィエが影との戦闘で縦横無尽に動く中、俺が下手に駆け出すのは危ない気もする。どうして神は俺のような敬虔な信徒にこのような理不尽な試練を与えるのか。俺はただ賞金が欲しかっただけなのに……
窓の外、黒いローブの奥から怨嗟の声が聞こえてくる。
「良い仲間に恵まれて……本当に楽しそうにやっているなぁ。男女混合パーティでわいわいか。いいね、青春じゃん」
思ったよりも若い声だった。兄と言っても、恐らくカタリナとそう歳は離れていない。
カタリナがわざとらしいほど明るい声を上げた。フレンドリー作戦である。
「あっ、あの……紹介するね! うちのパーティメンバーの」
しかしこの作戦が成功した試しはない。
カタリナの言葉を遮るように割れた窓から黒いモヤモヤした塊が放たれた。
「うるさいぞ。お前が喋って良いのは“ゲコゲコ”だけだ」
本当にカエルの呪いなのか……
俺はオリヴィエとリエールに守られたカタリナの背中にバッと身を隠す。
カタリナの防御魔法がモヤモヤした呪いの塊から俺たち四人を包み込み守る。しかしいつまでもこうしているわけには。
呪いが不意にやんだ。黒いローブの男が窓の向こうから唸るような声を上げる。
「いつもいつも勝手な事ばかり。父さんもカンカンだぞ。暴食の杖まで持っていきやがって。帰ったら覚悟しろよ」
「じゃあ関係ないね。私帰らないもん」
「帰るんだよ」
黒いローブの男が杖を振り上げる。
しかし魔法の発動速度は日々魔物を相手に戦っているカタリナの方が上だ。
杖から放たれた光の塊が音を立てて屋敷の壁をぶっ壊す。
「いっ……!?」
どうやら直撃は免れたらしい。しかしまともに当たっていたらただでは済まなかっただろう。風圧でフードがめくれ上がったお陰で、黒いローブの男の引き攣った顔が良く見えた。
やはりカタリナとそう歳は変わらない。が、カタリナとはだいぶ雰囲気が違うな。黒髪と、目元を隠すように伸ばした長い前髪のせいか。
「ごめんお兄ちゃん。私、加減ができないの」
「お前はいっつもそうやって、技術もないのに力押しで……!」
カタリナの言葉に、男はギッと歯を食いしばる。杖を振り上げた。
「手本みせてやるよ」
影だ。暗闇から這い出た影が次々集まってくる。先ほどとは数が違う。部屋を埋め尽くさんばかりだ。
が、影が部屋を埋め尽くす前にオリヴィエが動いた。床を蹴って跳躍し、体を捻って影を掻い潜り、みるみるうちに距離を詰めていく。
一般的に魔導師は近接戦を苦手とする。まぁ自分から敵に突っ込んでいくアホな魔導師もここにいるが、兄の方はもう少し賢いらしい。
影がぬっと伸び、オリヴィエの脚に巻き付き動きを封じる。だがマーガレットちゃんのツタになぶり殺され続けたオリヴィエにとってそんなもの紙とそう変わりない。
影を引きちぎり、剣を構えて肉薄する。しかしすんでのところでオリヴィエが足を止め、男から飛び退いた。
「危な……」
呟き、額に滲んだ汗を拭う。
どうした。今なにがあった? オリヴィエが押していたように思えたのに。俺の眼では追えなかったが、あの男がなにかカウンターを用意していたのか?
「気を付けてオリヴィエ。少しでも気を抜くと……」
いつの間にか隣で俺に腕を絡ませているリエールがそうとは感じさせない真剣な声色で言う。なにやってんだお前も戦えや。
「確認だけど、カタリナのお兄さんって勇者じゃないんだよね」
背中越しのオリヴィエの問いかけにカタリナが微かに頷く。
「う、うん。違うよ」
「ちょっとこれは……難しいかもしれない」
オリヴィエが唸るように言う。勝てない? オリヴィエが?
そういえばリエールも一人では厳しいと言っていた。そんなに強いのか、あの男は。
しかしどうやらそうでもないらしい。隣でリエールがポツリと呟く。
「ついつい殺しちゃいそうになるんだよね」
「ええ!?」
カタリナがすごい勢いで振り向く。
リエールの言葉にオリヴィエも頷いた。
「神官様くらい弱いか、殺しても良いんだったら簡単なんだけど」
人を最弱の代名詞にするな。
この街の勇者は対人戦ですぐ致命傷を狙おうとするからな。普通の人間と命の重さが違う。こんなとこで勇者相手に戦うなんて文字通り自殺行為だ。なにせ“つい”で人を殺そうとするからな。首を刎ねることに一切の躊躇がない。
「お兄ちゃんほんと帰って! 殺されるよ!」
さすがに実の兄が殺されるのを見たくはないらしい。カタリナが悲痛な叫びで兄に警告を発する。
しかしこの街の実情を知らない男にはオリヴィエやリエール、そしてカタリナの言葉が自らを軽んじる発言に聞こえたらしい。
ギリギリ歯噛みしながら、こちらに鋭い視線を向ける。
「馬鹿で強引で向こう見ずなくせに何故か色んなものがお前に味方する。これ以上お前の好き勝手にはさせない」
カタリナを連れ戻しに来た……にしては随分と感情的だ。私怨を含んだ言葉のようにも思える。
「そんなのお兄ちゃんには関係ないじゃん。放っておいてよ。だいたい、お兄ちゃんは私に運が良い運が良いばっかり言うけど、運を掴むために私がやってる努力には目を向けてくれないよね」
カタリナの言葉を男は鼻で笑った。
「運を掴むための努力? それって家の宝物庫に忍び込んで杖を盗んだ事を言ってる?」
「うっ……」
「俺たち兄妹だろ。自由と幸福の不均衡は正すべきだ。家に戻って家の仕事しろ。お前みたいな落ちこぼれでも一応ヘクセンナハト家の人間なんだから」
「なんか小難しくてカッコつけたこと言ってるけど……」
カタリナが兄に向けた目をスッと細める。
「進学したいって言ったのお兄ちゃんでしょ」
「うっ……」
ん? なんの話だ?
傍から聞いている分には良く分からないが、二人の間では通じたらしい。
長い前髪のせいで表情が読みづらいが、明らかに動揺しているのが分かる。しどろもどろになりながら男が震える声で言う。
「いや、それは今関係な」
「あの学校選んだのだって自分だし。黒魔術科にしか受からなかったのだって自分の実力でしょ。クラスメイトが冴えない男子ばっかりだったからって私に当たらないでよ。だいたい自分は違うみたいな顔してるけど、お兄ちゃんだって冴えない男子の一人だからね。その前髪伸ばしてるのはカッコイイと思ってやってるの? 顔に暖簾つけてるのかと思った。お母さんが買ってきたルーン文字書いてあるTシャツたまに着てるけどめちゃめちゃダサいよ。あとズボンにチェーンつけてるのもずっと謎だった。あれなんの意味があるの? あとあと、クラスが男子ばっかりでも一応共学なんだから、彼女も女友達もできないのは普通にお兄ちゃんの行動力と社交性が欠けててモテないからで」
「あああああああ!! だからそれ今関係ないだろぉおおおお!!」
黙ってたらいつまでも続きそうなカタリナの精神攻撃を男は咆哮でかき消した。
長い前髪の奥でなにかが光る。お前……泣いてるのか?
男が勢いに任せて杖を振り上げる。
「前髪は!! 切る時間がないだけだァ!!」
影が押し寄せる。まるで黒い津波だった。もはや剣で斬るとかそういう問題じゃない。成すすべなくオリヴィエが飲まれる。
おいおい、いい加減にしろ。兄妹喧嘩は結構だが他人を巻き込むなよ!
ヤバい、逃げられない。俺は息を止め、強く目をつむる。
……が、いつまで経っても衝撃は来なかった。俺は恐る恐る片目を開く。パステルカラーが視界を埋めた。
「ひっ……」
「ふふふ。怯えなくて大丈夫だよ」
俺の顔を覗き込みながらパステルイカれ女が嬉しそうにパステルカラーの眼を細める。なに笑ってんだ。
……いや、どうやら助かったようだ。黒い影が俺たちの眼と鼻の先でピタリと止まっている。
「い、一体どんな手を」
「なんかあの使い魔、逃げると追いかけてくるけど、こっちが追いかけると逃げていくんだよね。絶対触れないの。ほら」
リエールが手を伸ばすと、黒い影がフナムシのようにサーッと引いていく。
どういうことだ。オリヴィエは飲み込んだのに。
使い魔なら魔力に敏感なはず。パステルイカれ女の悪しき魔力とかそういうのに反応して逃げているのか?
カタリナが俺の背中からひょっこり顔を出して言う。
「お兄ちゃんは女の子との接し方が分からないんですよ。だから使い魔も変な挙動してるんです」
あぁ……そういう……
「くっ……卑劣な真似を!」
男がこちらを睨みながら悔しそうに唇を噛む。
どうやら本当に例の影はリエールに近付けないらしい。影がこちらをチラチラ振り返りながら、緩慢な動きで部屋を出ていく。
コイツ相当拗らせてるな……どうしてカタリナとこんなに差がついたんだ……
「待ってください!」
ロンドが息を切らして部屋へ飛び込んできた。ようやく街に戻れたらしい。
カタリナの兄になにやら仰々しい書類を突きつける。
「ヘクセンナハト家の当主に杖の正式な貸与許可をいただきました。この行為にもはや正当性は認められません。即刻お帰りください」
どうやらカタリナの実家との交渉自体は上手く行っていたらしい。ならばカタリナを連れ戻しに来たのはコイツの独断か。
書類を前に狼狽える男に、ロンドが低い声で言う。
「今退いていただければ壁の修繕費の請求はしないでおきます。どうあれ、うちの勇者に手出しはさせません」
おお、領主っぽいこと言うようになったじゃないか。
まぁその壁壊したのはカタリナだけどな……
「やっぱり……なにもかもがお前に味方する。父さんまで……!」
男が杖を握る手に力を込める。感情的になって暴れる可能性も否定できない。カタリナが杖を構える。
だがどうやら安心して良さそうだ。ロンドの後を追うようにして、アイギスと秘密警察が部屋へ足を踏み入れた。ロンドの護衛で共にカタリナの家へ行っていたのだろう。
アイギスがゆっくりと男の前へ歩み寄っていく。両手を広げて敵意がない旨をアピールしている。まぁアイギスが本気を出せば瞬き一つしているうちに剣を抜いてヤツの首を刎ねられるし、なんなら素手でも捻り潰せるだろうが。……な、なんか逆に心配になってきた。頼むから勇者以外の人間を殺すなよ。
「カタリナのことならご安心ください。今はまだ未熟ですが、彼女はきっと優秀な勇者に――」
アイギスが言い終わるより早く、煙が消えるように男の体が霧散した。俺は胸を撫で下ろす。勇者以外の人死にが出なくて良かった。
男の立っていた場所を睨みながら、アイギスが呟く。
「相手の実力を一瞬で見抜き、撤退する……なかなかの判断力だな。ただの魔導師にしておくには惜しい」
しかしカタリナは真顔で首を振った。
「違います。体育会系っぽい女性と住む世界が違いすぎてどう話していいか分からなかったんです」
えぇ……重症だな……