「お騒がせしてすみません。壁に穴を……っていうか壁なくなっちゃった」
カタリナの手により壁が取り払われて風通しの良くなった館、影に飲まれて伸びているオリヴィエ。結構な騒ぎになったが、死者が出てないだけマシか。
そんな惨状を目の当たりにしても、ロンドは気丈に首を振ってみせる。
「こんなのはなんでもありませんよ。それより、勇者カタリナが無事でよかった」
そう言いながらもロンドの視線はカタリナが背負った杖に向けられている。
それに気付いているのかいないのか、カタリナが恐る恐るという風に尋ねた。
「あの……父はなんて……?」
するとロンドは人工甘味料を思わせるわざとらしい笑みを浮かべる。
「家のことは気にせず、勇者としての務めを果たすようおっしゃられていましたよ」
……それマイルドに言ってるけど勘当では?
とはいえ、どうやらカタリナはロンドの言葉を文字通り捉えて喜んでいるっぽいので、俺の方から水を差すようなことは言うまい。
しかしロンドにここまでさせるとはな。俺はロンドの持つ、杖の使用を認める旨の記された書類を覗き込んだ。
「あの杖、そんなに強力なモノなんですか?」
ロンドは書類を大事そうにしまいながら頷く。
「“暴食の杖”――使用者の魔力を大きく消耗するかわりに、莫大なエネルギーを出力する杖。古の勇者の一人が魔王討伐に用いた武器と伝えられています」
「えっ、そうなんだ」
カタリナがギョッとした顔で杖を見る。お前も知らなかったのかよ。
しかし共に行動をしていたパーティメンバーは心当たりがあったらしい。俺の腕にひっついたリエールが呟く。
「どうりでしょっちゅう魔力切れ起こすと思った」
自身の技量を越えた高出力のせいで狙いが定まらない。外さないよう魔物にできるだけ近付いて魔法を撃とうとし、魔物の攻撃を回避できず死ぬ。
死ななかったとしても高威力の魔法をバカスカ撃つものだから魔力切れを起こし、杖で殴って戦わざるを得なくなる。死ぬ。
なるほどな。しょっちゅう死体になって教会へ来るわけだ!!
「その杖が神話の戦いで魔王を倒す一助となった可能性は高い。姉様を救出する鍵になり得る。それで杖に関するより詳しい情報を得るためヘクセンナハト家へ行ったのですが……勇者カタリナの近況を聞いた途端、兄君が取り乱しながら屋敷を飛び出して行ってしまいました。万一杖を破壊されでもしたら取り返しがつきません。なんとしても兄君より先に勇者カタリナを保護したかったんです」
ロンドは満面の笑みで言ってるが……あの手配書、保護のつもりだったのか。
しかしあの杖がね。初心者が使うものにしてはやけに上等だと思っていたが、まさかそこまでとは。でもこれ、もしかして“宝の持ち腐れ”ってやつなのでは?
カタリナがアホ面晒して杖を眺めている隙を突き、ロンドに耳打ちする。
「他の人間が杖を使うのではダメなのですか。カタリナはどう見てもあれを使いこなせていませんよ」
「……実は僕も、もっとあの杖に相応しい使用者を探すためにヘクセンナハト家に行ったんですよ。でもあの杖、使用するのに必要な魔力量が多すぎて現在まともに使えるのは勇者カタリナだけだそうです」
「そうですよ! 誰も使わず倉庫の奥にしまってあったから持ち出したんです」
声を潜ませていたつもりだったが、どうやら聞かれていたらしい。カタリナが腰に手を当てて頬を膨らませている。
ロンドがカタリナのご機嫌を取るように声を上げた。
「あなたの魔法が姉様救出の鍵になるかもしれない……お願いします。姉様を救ってください」
カタリナが満面の笑みで大きくうなずく。どっから湧いてくるんだその自信。
まぁ、伝説の杖の所有者がカタリナだったのはロンドにとってそう都合の悪い話ではないのかもしれない。
なにせ囚われの姫と、姫を救出した勇者が結婚するのは古からのお約束。姫を救ったのが女勇者ならばその心配はいらないからな。
しかしあちらも気合十分だぞ。なにせハングリー精神が違う。
賞金を逃した勇者共が飢えた獣のような目でこちらを見ている。いや、ヤツらが見ているのはもっと先だ。
*****
「へ……へへ……」
眼を血走らせた勇者共がそれぞれの得物の刃を研いでいる。
壺カジノへの負債を背負った勇者たちである。カタリナの件で色々と有耶無耶になってしまったが当然なにもしなければ借金は消えない。カタリナに掛けられた賞金という千載一遇のチャンスを逃した勇者たちはとうとう崖っぷちに立たされた。極限状態に追い込まれたヤツらが縋ったのは、もはや現実逃避に片足突っ込んだ夢みたいな話である。
勇者共が研ぎ上げた刃を掲げる。水に濡れ、怪しく光る剣を瞳孔の開き切った瞳で見つめる。
「姫を助け出して……結婚さえできれば……!」
すげぇな。人間ってこんなに下心をさらけ出すことができるのか。
こんなどうしようもないヤツらに頼らざるを得ない囚われの姫が不憫で仕方ないよ。姫の救出作戦が近いからやる気を出すのは良いのだが、借金の返済をそんな不確かなものに縋られても困る。やはりまたハンバートと話をしに行かねば……と思っていたら向こうから来た。しかし目的の人間は俺じゃないらしい。
取り立てに怯えて縮こまる勇者共を見下ろし、まるで幼子に話しかけるような猫撫で声で言う。
「借金をチャラにしたくはないかい?」
あからさまな甘言に勇者どもの目が輝く。
大した説明も聞かずハンバートに縋ろうとする勇者の腕を俺は慌てて掴んだ。
「待ちなさい! 怪しすぎます。一体どういうつもりですか。なにをさせる気なんです」
「もちろんギャンブルだよ。ギャンブルで負けた借金だろう。ギャンブルで返すのが筋ってものだ。そうは思わないかい?」
上等な服が汚れるのも構わず膝をついたハンバートが、微笑みを携えてしょぼくれた勇者と目線を合わせる。
「ギャンブルというのはつまるところ確率の問題だ。君たちはそれに負けた。ハズレを引き続けた。それだけだ。しかし確率は収束する。試行回数を重ねれば、いずれ君たちにもツキは回ってくる」
詭弁だ!
ギャンブルでできた借金をギャンブルで返そうだなんて、それこそギャンブル狂いのクズの思考じゃないか。問題はそれを胴元が言っていることだ。俺は脳のとろけた勇者共に言う。
「騙されてはいけません。まだ懲りていないんですか? 貴方もですハンバート。この前の私の話を忘れましたか。あの時は有耶無耶になってしまいましたが……こんな真似許されませんよ」
「もちろん覚えているさ。神官さんの言葉に僕は感銘を受けたんだよ」
芝居がかった白々しい言葉が鼻につく。
一体何を考えてやがる。こんなことせずとも、お前には十分すぎる金があるだろう。不気味だ。目的が読めない。
ハンバートは胡散臭い笑みで真意を隠し、勇者共を見回して言う。
「だから僕は彼らに救済を与えることにしたんだ。カジノでの借金を帳消しにしよう。だから――彼女に勝ってくれ」