さて、姉弟と変態共のいざこざを見せつけられたばかりで結局なにも解決していない。
「他に手はないんですか? 姫を救うために必要な資金だったんですからもう少し融通きかせてくれても良いのでは?」
しかしロンドは教会の長椅子で項垂れるばかりだ。
俺はヤツのとなりに腰かけ、顔を覗き込む。
「全部自分で背負いこもうとしなくて良いですよ。誰か頼れる人とかいないんですか」
「頼れる人……ううん、ちょっと考えてみます」
ロンドはそう言ってよろよろと教会を出ていく。
思いつめてるな。焦って変な事しなきゃ良いが。そして願わくば俺の賞金も早めにもらえるとなお良いんだが。
*****
あれから数日。ロンドからの接触は特になく、今のところ賞金も貰えていない。
フェーゲフォイアーの資金繰りと俺の賞金の安否も心配だが、勇者たちのメンタルも同じくらい……いや、同じくらいは言い過ぎだな。だいぶ順位は落ちるが、まぁ時々ふと気になるくらいには心配だ。
街のあちこちに失意の底で腐った勇者がゴロゴロしている。フランメ火山の向こうでボッコボコにやられたことをまだ引きずっているのだ。体の傷は修復できても心の傷は俺がいくら徹夜してもそう簡単には癒せない。
「勝てるわけねぇだろあんなのによ~。馬鹿か?」
「この街、よく今まで無事でいられたよな」
「俺らが弱いんじゃない。ヤツらが強すぎる」
揃いも揃ってなんかブツブツ言ってるよ。
まぁ俺にしてみれば死体になって教会で物理的に腐られるよりよほど楽ではあるが、街の景観を損ねるし鬱陶しい。姫救出作戦に参加していない勇者にも悪影響を与えるし。
ん? あの金髪。
俺はテラスのテーブルに突っ伏したカタリナを見つけた。死んでるのかと思ったが、生きてた。声をかけてみると、こちらをチラリと見上げて言う。
「いっぱい訓練して、魔法も色々覚えたんですよ。なのに、それを使う暇もなかったんです。さすがに落ち込みますよ」
お前にも落ち込むとかあるのか。ポジティブモンスターかと思ってたわ。
俺は腕を組み、努めて明るい声を出す。
「まぁ作戦は失敗しましたけど、姫も帰って来たんです。ひとまずはそれで良いじゃありませんか。落ち込んだって強くはなれないですよ。人類にあの場所はまだ早かった。それだけのことです」
「分かってますよぉ。分かってはいるんですけど……でもなかなかスイッチが……」
カタリナが沈んだ声で言う。
姫救出作戦に関して俺は蚊帳の外だった。なんなら勇者共が訓練で忙しくそれほど死ななかったお陰で、いつもより暇な時間もあったくらいだ。
しかし俺がバイトで小遣い稼いだりロクでもない事件に巻き込まれている間にも勇者共は姫救出のための準備や訓練に励んでいた。そこまでした上で徹底的に蹂躙されたのだ。落ち込むのも仕方がないのかもしれない。時間が解決してくれると良いのだが。
カタリナが不意に顔を上げた。
「……なんか騒がしいですね」
そうか? 俺もカタリナの視線の先を追う。
しばらくすると、俺のような一般的な聴覚でも聞こえるくらい騒ぎが大きくなってきた。人の怒声と悲鳴。どんどん大きくなる。なんか嫌な予感がするな。靴紐を結びなおしておこう。念のためね。
結果的にこの判断は正しかった。
「し、神官さん……あれは……」
カタリナが椅子を倒しながら弾かれたように立ち上がる。
大通りをバケモノが闊歩している。なんだアレは。魔物か? 筋肉質な体。体毛はなく二足歩行。人間のようにも見えるが普通の男の倍以上の上背があり、足元に集っている勇者共を軽々吹っ飛ばしている。
特筆すべきは体中の……こぶ? デカい腫瘍のようなものがあちこちにあるが、表面のデコボコが人の顔に見えて不気味だ。
「なんだコイツ……どっから湧いて出た!?」
「勇者集めろ。住民は避難を!」
生存本能を刺激されたか。意気消沈して腐っていた勇者たちも目前に迫るバケモノを前に得物を手にして立ち上がる。
生きてんだか死んでんだか分からなかった勇者共の目に、今は光が宿っていた。
バケモノの動きは緩慢だ。近寄ってくる勇者を蹴散らしはするが、積極的に大暴れするような様子はない。勇者が囲んで叩けばなんとかなりそうだ。
勇者の一人が振り向きざまにこちらへ声をかける。
「大規模作戦です! 神官さんは教会へ――」
言いながら、バケモノにむんずと掴まれる。勇者の目が大きく見開かれる。足が地面を離れ、そのままバケモノに丸呑みにされた。
……あー、なるほど。食うのね。
人間を食う魔物は少なくない。というかほとんどの魔物が人間と見るや積極的に食いに来るくらいだ。まぁ丸呑みするヤツはあまり多くないが。
だが、どうやらアイツは他の魔物とは少し違うらしい。
バケモノのみぞおちのあたりがうぞうぞと波打つ。瞬く間にヤツの体に一つ腫瘍が増えた。今しがた食われた勇者の顔によく似たデコボコのある腫瘍が。
奇妙な現象に勇者たちが僅かに後ずさりするのが分かる。脳裏に嫌な考えがよぎる。
教会の方角から走ってくる勇者の言葉が、その予感を決定的なものにした。
「だ……だめだ。教会に誰も転送されてない。食われたヤツは死んでない、バケモノの中で生きてる!」
……あー、なるほど。取り込むタイプね。
勇者は死ななくては教会に転送されない。女神がなにを以って人の死を定義しているのかはよく分からないが、少なくともあのバケモノに丸呑みにされた連中は女神基準だとまだ死んでいないらしい。
蘇生封じだ。勇者の戦法と極めて相性が悪い。
しかも精神攻撃までするときた。
「タスケテ……タスケテ……」
バケモノの体表に浮かんだ腫瘍がパクパクと唇を動かしか細い声を上げる。
集まった勇者共がグッと拳を握りしめ、やや芝居がかった様子で顔を背ける。
「なにか……なにか救い出す方法はないのか」
「ない。殺して楽にしてやろう」
「そうだな」
最低限人道的な葛藤終了。
勇者共が武器を構える。
「イヤダァ! 殺サナイデ」
腫瘍の命乞いに勇者共がスッと目を細める。耳に手を当てて言った。
「ほら……聞こえるよ。私のことは良いからこの魔物を倒して……って」
「言ッテネェヨ!」
腫瘍の悲鳴をものともせず、勇者共が爽やかな笑みを浮かべて剣を振り上げる。
「聞こえるよ。なぁみんな!」
「そうだな!」
良い顔で笑うじゃねぇか。大規模作戦開始だ。
しかしこのバケモノ固い。勇者が切りつけるたびにペラペラ喋る腫瘍は耳障りな悲鳴を上げるが、本体にダメージが通っているのか怪しい。
そしてバケモノの食欲が留まるところを知らない。嬉々として剣を振るう勇者共も捕食された次の瞬間には命乞いをする腫瘍に早変わり。戦える勇者は減るばかりである。
このままじゃジリ貧だ。俺はテーブルの下に避難しながら辺りを見回す。
「決定打に欠けますね。アイギスたちは冒険に出てるのでしょうか。このままでは――」
「私が行きます」
カタリナが勇ましい事を言いながら杖を構える。
……なんだよ、ちょっとでも心配して損した。もう大丈夫みたいだな。カタリナの目には光と闘志が宿っていた。ヤツの言う“スイッチ”とやらが入ったのだろう。
カタリナの強力な一撃ならあの固いバケモノにもダメージが通るかもしれない。
俺はふっと笑ってカタリナを送り出す。
「ヤツに食われれば蘇生できません。お気をつけて」
「はい!」
カタリナは勇ましい返事をしながらテラス席を飛び出し、バケモノの伸ばした腕に掴まれて食われた。
……あー、なるほど。腕とか伸縮自在タイプね。
俺は床を殴りつけた。
クソが!! 気をつけろっつったろ! 返事ばっかりだなアイツは。腫瘍状態で切り刻まれながら反省してろ!
と思ったら、なんかバケモノの体からカタリナのハツラツとした声が聞こえる。
「あっ、なんか……頑張ればいけるかも」
腫瘍、もとい取り込まれた他の勇者のそれよりもハッキリ聞き取りやすい声だった。しかし意味がよく分からない。錯乱してるのか?
その後すぐ、バケモノの動きがおかしくなった。集ってくる羽虫を払うような、あるいは前衛的なダンスのような動きだ。しばし続いたあと、一度大きく痙攣した。
得体のしれない動きと妙な気配に、勇者共は固唾を飲んでバケモノの様子を窺う。
やがてバケモノは小鳥があたりを見回すように頭を動かし、両腕を空高く突き上げた。なんらかの技が繰り出されると見込んだ勇者が地面を蹴って退避する。
が、バケモノが発したのは魔法や技の類いではなく、なんとも間抜けな言葉だった。
「乗っ取りました~!」
カタリナの声だ。
乗っ取ったってなんだよ。俺はテーブルの下から様子を窺う。
醜いバケモノがキグルミマスコットのような動きで足元の勇者共に手を振っている。
あの体の操作権をカタリナが奪取したらしい。なんなんだよ。凄ぇなアイツ。
「でかした! そこで大人しくしてろ」
勇者共が希望に滲んだ声を上げる。
バケモノが首を傾げた。
「どうするんですか?」
「決まってるだろ」
勇者共の構えた刃が光を反射しギラリと輝いた。磨き上げられた剣に勇者の朗らかな笑顔が映り込む。
「殺すんだよ」
勇者共が一斉に地面を蹴った。
人を食わないバケモノなどデカいだけの的でしかないのだ。
“地獄”で散々蹂躙された憂さを晴らすかのように勇者共の猛攻は止む気配をみせず、その剣技はトラウマで鈍るどころかむしろ冴えわたってすらいた。
同胞からの攻撃に、カタリナが懇願するように言う。
「ちょっ、痛い痛い! 落ち着いてくださいよ。他に方法があるかもしれないじゃないですか!」
「いつお前の意識が消えるか分からないし、殺してバラして蘇生したほうが早い」
なるほどね。俺は勇者共の説明に納得すると同時に絶望した。
なーにが“蘇生したほうが早い”だよ! 簡単に言いやがって。誰が蘇生すると思ってんだ。っていうかどう蘇生するのそれ?
考えるのが嫌になって、俺は机の下から顔を出してカタリナに呼びかけた。
「逃げなさい! そのままだと殺されます!」
「は、はい!」
バケモノ、もといカタリナが地面を蹴って駆け出す。運悪くバケモノの足元にいた勇者は蹴り飛ばされた衝撃で瞬時に肉塊に姿を変え、生命の儚さと人体の脆さを俺たちにまざまざと見せつけた。
……あれ? これ俺余計なことしたかな。素直に勇者共にバケモノを殺させた方が仕事少なくて済んだかもしれない。
しかし後悔先に立たず。
勇者共もカタリナの逃走に怯むどころか、むしろ狩猟本能を刺激されたようだった。
バケモノ退治に勤しむ勇者というより肥えたウサギを追う狩人のような面持ち。やっぱ勇者ってのは――特にこの街にいるようなヤツは戦うのが好きなんだ。メンタルをボコボコにされて死んだように沈んでいても、無理やりにでも武器を持たせればこうやって息を吹き返す。
舌なめずりをしながら嬉々としてバケモノを追っかけていく勇者を見送り、俺はようやくテーブルから這い出た。
さて、行くか。