「う……うう……」
目が覚めた時、まず聞こえたのは自分の呻き声。視界を埋めたのは掃除の行き届いていない教会の床。窓から差し込む柔らかな朝日に目を細める。朝……? 一晩中冷たい床に横たわっていたのか、体があちこち痛いし寒い。
俺は体を起こし、そして鈍い頭痛に襲われ再び床にうずくまることになった。
一体何があった?
俺は床に這いつくばり、頭痛を堪えながら記憶を辿ろうとする。が、なんで教会の床で寝ているのか全く分からない。いいや、それよりも。
俺は薄目を開き、視線だけで周囲の様子を窺う。
……酷い有様だ。まるで嵐が教会の中を過ぎ去った後のように荒れている。それから、これはなんだ?
教会の隅に置かれた像。女神像(大)……か? しかし教会に元からあるものではない。どうして女神像(大)が増えているんだ?
女神像が増えている理由については想像もできない。が、教会が荒らされている理由についてはなんとなく想像がつく。嫌な予感がする。
俺はこめかみのあたりを押さえ、半ば這うようにして自室へと行く。愕然とした。
金庫が開け放たれ、ロンドから貰った賞金がごっそり無くなっている。
俺は金庫の前で膝から崩れ落ちた。
真っ白になった頭に響くズキズキした痛みだけが、これが夢ではないと告げている。
俺は確信を持って呟いた。
「強盗だ……」
*****
「犯人の姿は見ましたか?」
アイギスの言葉に俺は首を横に振る。
「昨夜の記憶が曖昧なんです。頭を殴られたせいかもしれません」
「そうですか……とりあえず外傷はないようですね。出血の痕跡もない。まだ痛みますか?」
俺の髪をかき分けていたアイギスの安堵の声が頭上から聞こえる。
まぁそうだろう。自分で回復魔法かけまくったからな。しかし頭痛はまったく収まらない。
俺はこめかみに手を添えて呻く。
「うぅ……頭が痛すぎて吐き気すらします」
アイギスの顔色がサッと青ざめる。
「た、大変だ……! すぐ先生に見せにいきましょう」
「いやそこまでは」
「しかし脳出血でもしていたら危険です。私がお連れします」
「大丈夫ですよ。傷は治ってるはずですから、そのうち治まります」
俺は慌ててアイギスの申し出を断る。マッドに見せるなんてとんでもない。脳の検査だなんて、アイツが嬉々としてやりそうじゃないか。鼻から入れた触手が脳を這い回るなんてことになったら。考えただけでゾッとする。
「とりあえず麻痺毒飲んだらどうですか? 痛みが和らぎますよ」
秘密警察の申し出にも俺は首を横に振った。
「健康に害がありそうなので嫌です」
「そんなもの売らないで下さいよ……」
心配してくれているのはありがたいが、アイギスと秘密警察を呼んだのはなにも怪我の具合を見てもらうためではない。
神の御前で神官を殴り教会を荒らし、あろうことか金庫から金を奪った悪逆非道な暴漢をとっ捕まえるため。つまり犯人探しだ。
犯人は俺から金を奪っても捕まりはしないと考えたのだろう。
もしかしたら神官をぶん殴ってもメソメソ神に祈り天罰を待つばかりで具体的な策を講じないとでも思ったのかもしれない。
だがそれは大間違いだ……! 絶ッッ対ぇ許さねぇからな。タダで済むと思うなよ。
祈っただけで神が個人のために動くはずないのは俺が一番よく知っている。然るべき罰は俺がこの手で与えてやる。
まだ見ぬ犯人への闘志を燃やし、拷問の方法をあれこれ考えていると教会の隅から秘密警察の間抜けな声が上がった。
「それにしても、これは一体なんでしょうね」
見上げているのは、気付いたら増えてた謎の女神像である。
うちにある女神像(大)に似せて作られた感じがするが、材質が全然違う。
「私を挑発しているんですよきっと……犯人めぇ。ふざけた真似を。ん?」
台座の裏にでっぱりがある。なんだこれ。女神像(大)を模したから、罠スイッチも一緒に作ったのか? しかし本物とは位置が違うな。俺は吸い込まれるように台座のでっぱりを押してみる。
偽女神像が火を噴いた。
「うわぁ!? なにするんですか神官さん!」
火に炙られかけた秘密警察が焦げた黒衣を気にしながらこちらに非難の視線を向ける。
俺は慌てて両手を上げた。
「すみません。女神像にこんなギミックがあるとは思わず。しかしこれ、どこか見覚えが」
「……もしかして、これ“火を噴く石像”じゃないですか? カジノの景品の」
あぁ、そうだ。この材質、ギミック。カジノで見た石像と同じだ。カジノで見たヤツは恐ろしい顔をしたオーガの石像だったが。
……カジノ? そうか、なるほどな。俺は秘密警察たちに告げた。
「連れてきてほしい人がいます」
*****
さっそく連れてきた容疑者を椅子に縛り付け、秘密警察が取り囲んで尋問している。
「お前がやったんだろ! お前がやったんだろ!」
「なにを!? なにを!?」
秘密警察に小突き回されながらグラムが抗議の声を上げる。
「何度も言ってるだろ、連行の前に要件を言えって!」
うるせぇな。証拠隠滅はかられたら困るだろ。
俺は秘密警察を掻き分け、グラムを見下ろして静かに告げる。
「教会の金庫から金が盗まれました」
「……俺がやったって言いたいのかよ」
そうだよ!!!
俺はグラムの顔をまじまじ覗き込む。
「幼女のヒモやってるチンピラをどうやったら疑わずにいられるんですか~? 教えてくださァ~い」
「煽ってくんな! 俺はやってねぇ!」
「犯人はみんなそう言うんですよねぇ~」
俺はヤツの周りをぐるぐる回りながら事件のあらましを説明する。まぁコイツが犯人なら俺が説明するまでもないが、一応ね。
そして火を噴く女神像を示し、本題に移った。
「これ、カジノの景品の火を噴く石像を削り出したものです。カジノに入り浸っている貴方がなんやかんやあって火を噴く石像を入手し、なんやかんやあって教会に持ってきて犯行に及んだ。貴方が犯人である動かぬ証拠です」
「なんやかんやってなんだよ」
うだうだ文句を言うグラム君の首に冷たく輝く白銀の刃が突きつけられる。アイギスが低い声で言う。
「それを貴様が今から喋るんだ」
「ひえっ」
ははは、ダメじゃないかアイギス。いきなり首を飛ばしたら喋れない。
俺は銀色のトレーを抱えてグラムの前に立ち塞がる。中に並んでいるのは切れ味の悪いナイフ、錆びたペンチ、小さなハサミ、ピンセット、カナヅチと釘などなど。
どれにしようか。うーん、とりあえずペンチ。
俺はグラムに笑顔を向ける。
「爪と奥歯、どっちがいいですか?」
「待て待て待て! 昨日の晩だろ!? 俺にはアリバイがある。昨日はカジノに行ってないし、教会にも近付いてない。ルビベルもフェイルも証言してくれる」
えっ、マジか……絶対コイツだと思ってたのに。
グラムの言葉に落胆を禁じ得ない。俺は渋々銀のトレーを引っ込め、秘密警察に拘束を解かせる。
自由になったグラムが吐き捨てるように言った。
「こんなことしてるから恨み買って金盗まれたんだろ!」
は? 俺は恨みなんか買っていない。真面目に労働に勤しみ、街のみんなから愛される神官さんだ。蘇生費を滞納した勇者にも救済と返済までの猶予を与え、俺を殺そうとしたチンピラを教会本部に突き出さない慈悲をも持っている。
そんな敬虔な信徒こと俺から金を盗む輩には地獄すら生温い。そうでしょう神様。
「っていうか、なんで犯人がわざわざこんなもん残していくんだよ。おかしいだろ……ん? このマーク、アルベリヒのだな」
グラムが火を噴く女神像の台座をなぞりながら呟く。
アルベリヒ? なんで今新進気鋭の鍛冶職人の名前が出てくるんだ。
しかしグラムの指した場所――像の台座部分には確かにアルベリヒのサインが彫られている。
……嫌な汗が噴き出す。
どこかで俺はグラムが犯人だったら良いのに、と思っていたのかもしれない。ヤツなら俺の金庫から金を盗むくらいのことはやりそうだ。もしやっていてもそれほどショックは受けない。気兼ねなく拷問もできる。
しかし犯人が俺の信頼している人物だったら? 善人の仮面を被って、腹の底であくどい事を考えていたのだとしたら。
下手をすれば俺は金と友情を同時に失うことになる。
確かにアルベリヒは俺が賞金を獲ったことを知っていた――
急に怖くなった。頼む。そんな残酷なことしないでくれ。
俺は銀のトレーを片手に、祈るような気持ちでアルベリヒの店へと向かった。