ゾンビだらけの危険な街を自分の足で走り抜け、処刑場へと向かう。処刑方法は過労死。善良の権化であるこの俺が一体何の罪を犯したというのか。罪状を言ってみろよ神様。
アイギスが声を上げる。
「走れ!」
言われずとも。俺は走った。泣きながら走った。外はまさに地獄だ。正気を失った勇者共が呻き声を上げながら寄ってくるのをジッパーの触手が蹴散らして進むべき道を切り開く。血が降り注ぐたびに仕事が増えていくことを実感し、俺はさらに泣くのだった。
「大丈夫だよ、ジッパーがいればゾンビなんて敵じゃない」
ジッパーの触手に乗ったマッドが蹴散らされていくゾンビを愉快そうに眺めている。なんて肝が据わってるんだ。
しかしみんながみんな楽天的では困る。アイギスが鋭い視線を辺りに向ける。
「油断は禁物です。みんな、注意を怠るな!」
そうそう。そういうのだよ。ちゃんと緊張感を持ってほしい。ゾンビだらけなんだから。
とはいえジッパーの触手はやっぱりすごい。攻撃範囲が広く、たくさんの雑魚を相手にするのに向いている。正気を失った丸腰の勇者など相手にならない。これは本当にジッパー一人いれば事足りたかもしれないな。
一応俺の周りをアイギス、リエール、メルン、エイダが固め、さらにその周りを洗脳済みの肉壁勇者が囲っている。まさに鉄壁の布陣。
にしても、ゾンビになっているのは勇者だけみたいだな。この騒ぎだ。逃げ遅れた住民がゾンビ化してやしないかと心配していたんだが。この街の住人の危機管理能力と逃げ足の速さは異常だからな。各々最寄りのシェルターにでも逃げ込めたか。
他人のことにまで気を回せるほど余裕のある旅路だったのは嬉しい誤算だが、人間余裕があると余計なことをしだすものである。
刺すような殺気を感じ、振り返る。エイダが槍を振り上げていた。
「ひえっ」
すわ刺し殺されると身構えたが、どうやらエイダが狙ったのは俺の隣にいるパステルイカれ女であるようだ。
しかし当然のように犯行は防がれた。いつのまに忍ばせていたのか、パステルカラーのふわふわぬいぐるみたちがエイダの体にたかって動きを封じている。
ぬいぐるみがカチカチと歯を鳴らす音にトラウマが呼び起こされたのか、エイダの顔が恐怖に固まる。
俺は慌てて声を上げる。
「な、なに考えているんですか!? こんな状況で仲間を攻撃するなんて!」
エイダが唇を震わせる。
「だって……だって……殺るなら今しかないと思って……」
「なんで殺るんですか!?」
「今でも夢に見るんだもん! そいつ殺さないと悪夢は終わらない!」
パステルイカれ女に一体なにされたんだ? いや、聞かないでおこう。変な夢見たくないし。
エイダが引き攣った笑みを浮かべ、開き直る。
「それに、この状況なら一人くらい数が減っても問題ないでしょう?」
「そうだね。一人ぐらい減っても問題ないよね」
イカれ女が無感情にそう呟く。ぬいぐるみがガチガチと大きく歯を鳴らす。
ふざけんな。大いに問題あるわ。俺の仕事が増えるだろうが!
俺はぬいぐるみの威嚇音とゾンビの唸り声をかき消すように声を張った。
「いい加減にしてください! 今どんな状況か分かってるんですか!?」
マッドが触手の上からこちらを見下ろし、ヘラヘラと笑う。
「おっ、ユリウス君のマジ叱り」
「茶化さないでください! みんなもっとマジメにやってくださいよ」
俺の後ろを走っていたメルンが呆れたように吐き捨てる。
「本当。なにやってるのこんな時に」
メルンがスッと目を細める。聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声量で呟く。
「せっかくのチャンスなんだよ? もっと頭を使わなきゃ」
……どういう意味だ?
肉壁になっていた勇者が一斉にこちらを向いた。武器を構え、虚ろな目を虚空に向けて。
「は!?」
思わず素っ頓狂な声を上げる。
急にどうしたというんだ。まさかゾンビ化? いや、噛まれなければゾンビ化しないはず。たとえ噛まれたとしても、こんな一斉に症状が出ることがあるのか?
「なにをしているんだ! 所定の位置に戻れ!」
アイギスの言葉にも応答しない。しかし様子のおかしい勇者たちはアイギスには武器を向けなかった。勇者共が地面を蹴る。狙いは……リエールか?
俺は目を細めた。よーく見ると勇者共の頭の先から白銀の糸が伸びている。それを注意深く目で追っていく。糸を辿った先にあったのはメルンの手だった。
「メルン!!」
俺が声を上げるとメルンが素早く手を背中に隠す。それと同時に勇者共の動きがピタリと止まる。ジッと見ていると、メルンが甘えるように首を傾げた。
「なに?」
「なに? じゃないですよ! 殺し合いはナシって言いましたよね!?」
「だってチャンスなんだもん……」
エイダにたかっていたぬいぐるみが、今度はハサミを持って勇者共の頭の上を飛び交った。彼らを操る糸を切っているのだ。
ぬいぐるみはメルンのそばにも忍び寄っていた。怯える彼女を嘲るように、シャキンシャキンと音を立てながらハサミを開閉させている。俺は慌てて声を上げた。
「リエール! 仕返しはなしですよ」
念押しすると、リエールは「もちろん」と言って微笑んだ。
「私は役立たずとは違うよ。偉い? ちなみに私は褒められて伸びるタイプ」
「エライ! めーちゃめちゃエライです!」
「じゃあ殺さない。まだ」
メルンの肩に乗ったぬいぐるみがシャキンシャキンとハサミを鳴らした。
俺は頭を抱える。
「お願いですからマジメにやってくださいよ」
文字通り高みの見物を決め込んでいたマッドがつまらなさそうに言う。
「ま、相手が正気を失った勇者じゃふざけたくなるのも分かるよ。退屈だよね」
舐めプすんな!!
とはいえ、これだけのメンバーが揃っていれば安心しきってしまうのも分からないではない。内ゲバ以外の大きなトラブルもないまま、もう教会が見えてきた。
過労死リスクは依然として抱えているものの、ひとまずゾンビ化リスクは回避できたっぽいな。
安堵に胸をなでおろした俺の頭に飛び散った肉片がビチャッと音を立てて付着する。うわ最悪。盛大な舌打ちを響かせながら掴んだ肉片が俺の手の中で跳ね回る。
勇者の肉片じゃない。ジッパーの触手の切れ端だ。
「すみません。油断しました」
千切れ飛んだおびただしい数の触手が地面で跳ね回っている。ジッパーのボンデージの表面を大量の血が滑り落ちていく。
多くの触手がダメになったが、マッドの乗った触手はなんとか死守できたらしい。ヤツが振り向く。ああ、お前そんな顔もできるんだな。
マッドの緊迫した声が響いた。
「逃げろユリウス!」
ジッパーがマッドと共に吹っ飛んだ。
俺にはなにが起きているのか理解ができなかった。とはいえ、目的地を目前にして大きな戦力を失ったことは理解した。
ジッパーを失った俺たちの元へゾンビたちは容赦なく近付いてくる。囲まれるのにそう時間はかからなかった。
「くっ……どうなってんのよ!」
エイダが槍を振り回しながら駆け出す。
「みんな、気合入れて。本気で行こう」
メルンの指から伸びた糸が再び勇者たちの体に巻き付いていく。メルンの操作により、肉壁勇者たちが無機質なまでに統率の取れた動きで立ち向かっていく。
二人とも強い。ゾンビを次々蹴散らしていく。だが……数が多すぎる。
「やっぱり殺さなくて良かった」
リエールが呟きながら俺の元を離れた。ゾンビに立ち向かおうと武器を構えるアイギスを制止し、言う。
「私たちが食い止めるから、ユリウスを連れて逃げて」
「……しかしそれでは」
渋るアイギスに、リエールは呆れたように目を回す。
「そんな近距離攻撃しかできないリーチ短い武器じゃ、あっという間にアイツらの仲間入りでしょ。アンタゾンビになったら手強そうだし。私、今すっごく我慢してるの。せっかく大役譲ってあげてるんだから、私の気が変わらないうちに行って」
一瞬の間を置き、アイギスが踵を返し駆け出した。勢いを殺さず、半ばタックルするようにして俺を担ぎ上げる。
「アイギス!?」
「神官さんさえいれば勇者は何度でも蘇る。戦える。絶対に守り抜きます。命に代えても」
俺を抱えてもなお、アイギスの足が鈍ることはない。
襲い来るゾンビの間をすり抜け、時に切り伏せ、先へ先へ先へ進んでいく。
しかしゾンビの手は四方から伸びてくる。アイギスでも全てを切り伏せるのは難しく、攻撃を逃れた一体が俺の足を掴んだ。
「ッ!?」
アイギスが振り返る。その剣は前方に立ち塞がるゾンビを切り捨てるのに使われている。ダメだ。間に合わない。噛まれる。
が、ゾンビは噛まなかった。その時間は十分にあったはずなのに。
再びアイギスが走り始める。俺の足を掴むゾンビの手が離れたからだ。ふわふわの毛並みを血で汚したぬいぐるみが、大きなハサミでゾンビの手首を切り落としていた。
「リエ――」
俺は振り返り、言葉を飲み込んだ。
血に塗れたぬいぐるみが掻き消える。後に残ったのはゾンビの手を切り落としたハサミだけだった。
俺は言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛みながらハサミから視線を背けた。……今は後ろを振り返っている余裕などない。
「もう少し……教会まで行けばあの魔族もいる。もう少し、もう少しで」
息を切らしながら、アイギスがうわごとのようにそう繰り返す。
俺に話しているというよりは、自らに言い聞かせるような言葉だった。事実、教会はもう目と鼻の先だ。きっと死体がたくさんある。蘇生させれば戦力になってくれる。多少の徹夜は我慢しよう。マッドに手伝わせるのも良い。きっと無事だ。なにせジッパーが一緒なんだからな。
ガクンとアイギスが膝を折った。慣性に従い投げ出された俺は地面を転がる。
俺を担いで戦いながらここまで走ったのだ。さすがのアイギスも限界が来たのだろう。
そう思ったが違った。アイギスの右膝から下が千切れている。
「ア……アイギス……」
アイギスが顔を上げる。遠目でも青ざめた顔色が分かった。
しかし彼女は悲鳴を上げない。剣を杖にし、なおも立ち上がろうとする。
「待ってください! 今治療を」
駆け寄ろうと体を起こすが、それより早くアイギスが手のひらでそれを制止する。
風の音がする。アイギスの左脚が千切れ飛んだ。バランスを崩し地面に伏したまま、今にも泣き出しそうな顔を上げる。血の気を失った唇を震わせて言う。
「逃げてください」
「逃さないよ」
黒い塊が俺とアイギスの間に降り立った。
紫の体色。人間とそう変わらない二本の脚で立っているが、本来腕がある部分には飛膜で構成された翼が付き、頭頂部にはうっすら毛に覆われた大きな耳が付いている。その姿はコウモリを彷彿とさせた。
千切れとんだアイギスの脚を拾い上げ、アイスクリームでも食べるように滴る血を舐めとる。
「どこにいたの? 探しちゃったよ。でも無事で良かった。これでようやく作戦完了かな」
おいおい。この騒動、本当に勇者の仕業じゃなかったのかよ。
親しげにおしゃべりを続けながら魔物が近付いてくる。戦える勇者がもういないと思っているのか、辺りを気にする様子はない。
その後ろでアイギスが音もなく動いた。上半身を起こし、ロングソードを投擲する。持てる力を全て出し切った最後の反撃。
しかし魔物はこともなげにそれを掴み、アイギスに投げ返した。
「――――あ」
アイギスの断末魔の悲鳴は極めて小さく、しかしその顔は絶望に塗れていた。掻いた手は何も掴めず、力なく地面に落ちたそばから光となって消えていく。
魔物はその手に握ったアイギスの脚も一緒に消えていくのを名残惜しそうに眺めながら肩を落とした。
「消えちゃった。人間ってのは繊細で困る。ちょっと力入れるとすぐ死ぬんだもんなぁ」
ぼやきながら、ふっとこちらに視線を向けた。
その視線に敵意はないが、友好的とは言い難い。自分より格下の――それこそ牛や馬でも見るような目だった。
「ここまでやってうっかり殺したらアイツめちゃくちゃ怒るよなぁ。でも暴れられると困るし。ちょっと弱らせとくかぁ」
アイギスが死んだ。アイギスでも敵わなかった。じゃあ誰なら勝てるんだ。というかこの街で今誰が正気のまま生きている? 走ってどこかへ逃げ込むか。ダメだ。ゾンビ共に囲まれている。それ以前に足がすくんで動かない。なんでゾンビ共は襲ってこないんだ。全部コイツの仕業なのか? なんのために? 殺される? いや、殺したら怒られるって言ったぞ。殺されない? じゃあなにをされるんだ? 弱らせるって? ぬるっとした。ぬる? ぬるって……あっ、これ。
「ねぇねぇ、脚って折っても死なないよね? ねぇ聞いてる? ……なんで笑ってんの?」
頭の中のとりとめのない思考が流れ落ちていくのを感じる。もうあれこれ考える必要がなくなったからだ。
地面から、目の前のコウモリ型の魔物に視線を移す。嘘みたいに穏やかな気持ちだった。
「友人が来てくれたので」
輝く銀色の体色をした不定形の粘液が地面から染み出し広がっていく。そこからいくつも伸びた粘液が子供の手のような形を作り、俺の体をしっかり掴んで固定する。
その一方で、水溜まりのように無害なフリをして忍び寄った粘液が凄まじい速度で牙をむいた。荒れた海のようにうねりを上げた銀色の粘液がゾンビどもをさらい、飲み込み、食っていく。
繰り広げられるジェノサイド。それはまるで意思を持った洪水だった。
俺は頭を空っぽにして歓声を上げる。
「アハハ! やっぱジェノスラは最高だァ! デカさこそ正義」
もはや天災に近くなったジェノスラの攻撃に獣だか鳥だか分かんねぇ半端者の魔物が太刀打ちできるはずもない。
薄っぺらい翼を必死に羽ばたかせているが、その足は既にジェノスラにしっかりと捕捉されている。
「は!? なに!? なにこれ聞いてな」
あぁ? 誰になに聞いてきたんだァ~?
尋問したいのは山々だが、どうやらそれは叶わないようだ。腹ぺこジェノスラに「待て」を教えるのは難しい。雑魚と同じく、中ボス面したコウモリ魔物もジェノスラの体に沈んでいく。
しかしまだ食べたりないのか。ジェノスラは駄々をこねるように銀色の体をぷるぷると揺らした。
おいおい、そんなにはしゃぐなよ。大丈夫。エサならたくさんあるぞ。
俺はニッコリ笑った。
「共に行きましょう。街の大掃除に」
その後ジェノスラによって街にのさばるゾンビは綺麗に浄化された。
そしてジェノスラにブチ殺された勇者の蘇生により俺は死んだ。