なにはともあれ俺とジェノスラが街を救ったのは事実。英雄として祭り上げられるならまだしも、裁かれるいわれなどない。裁かれるいわれなどない。何度でも言おう。裁かれるいわれなどない!
俺は机に拳を叩きつけた。
「俺がなにしたって言うんだよ!」
「いや……色々やってるだろ……」
シャルルが呆れたようにため息を吐く。
旧友との久々の再会がこんな形になるとは。俺は望んでいなかったよ。
俺はシャルルに縋るように言う。
「ゾンビの件は! ゾンビの件は仕方なかったんだ! 確かに勇者皆殺しにしたけど、街を守るために仕方なく」
しかしシャルルは怪訝な顔で首を傾げた。
「ゾンビ? ゾンビってなんだ? えっ、皆殺しって?」
「え? ゾンビの件で来たんじゃないの?」
「えっと……じゃあその罪も追加!」
ああ~! 墓穴掘ったぁ~! 俺は頭を抱えて転げまわった。
しかしゾンビじゃないならなんで今更監察官が来るんだ。今までずっと見て見ぬふりで上手くやって来たじゃないか。きちんと結果だって出してる。正攻法ではなかったが魔族ぶっ殺したし、勲章だって貰ったし、攫われた姫様も無事だった。勇者は山のように死んでるが、俺がちゃんと蘇生させている。
捜査官共が教会中を物色し、あちこちから漁ってきた物品が机の上に次々並んでいく。ガラスの小瓶を満たす液体の検査をしていた捜査官が「うわっ」と声を上げる。
「毒物、毒物、毒物。全部毒物ですよ」
女神像を調べていた捜査官が悲鳴を上げる。
「教会のあちこちに罠が!」
裏口から飛び込んできた捜査官が庭を指さして悲鳴を上げた。
「庭に! 庭に魔物がいます!」
あちこちから聞こえてくる捜査官の声にシャルルが頷く。
「証拠は十分だね」
ふう。なるほどね。俺は逆に冷静になった。
スッと目を細め、腕を組んでシャルルを見る。
「でもさ、それそんなに悪い事か?」
「え?」
「毒だって需要があるから供給してるだけだし、基本的に勇者にしか売ってない。勇者が毒を悪事に使うと思うか? 神が認め、加護を授けられた勇者を疑うなんてそれこそ背教行為なんじゃないかと俺は思うけどね。罠は魔物用だ。王都勤めには信じられないかもしれないけど、この街はたびたび魔物が紛れ込んだりする。これくらいの用心は当然だ。庭の魔物は……あの……なんか知らん間に勝手に生えてきた。俺はなにもしてないし一切の過失はない。不可抗力だ。駆除したいなら好きにしてくれ。できるものならな」
「ペラペラよく喋るなぁ」
呆れたようなシャルルの視線から逃れるように俺は椅子の背もたれに体を預け、天を仰いで声を上げる。
「この街の劣悪な職場環境下でのハードワークに耐えられる者だけが俺に石を投げろ!」
言いながら、俺は必死に頭を回した。
勇者ならともかく、本部からわざわざ捜査に来た監察官たちをこんな詭弁でどうにかできるとは思ってない。
なんとかならないか。今までこの街の惨状を黙認していたシャルルが急に監察に入った理由がどこかにあるはずだ。一体王都でなにがあったんだ。
「監察官、これ……」
俺の自室から出てきた捜査官が深刻な表情でシャルルに声をかける。何かを手渡した。小瓶に入った緑の液体。昨日マッドが持ってきた「元気になる薬」である。捜査官に耳打ちされたシャルルが血相を変えてこちらを見る。
「ユリウス……薬物は。いくらなんでも薬物に手を出したらダメだ」
「違う違う違う違う! それはマッ――」
俺は言いかけて口をつぐんだ。マッドはセシリア先生に処刑されたことになってる。ここでマッドの生存を黙っていたことがバレたら罪が一つ増えることになるのでは。
俺の逡巡をどう解釈したのか。シャルルが頭を抱えた。
「そこまで追い詰められてるとは……どうりで目が濁ってると思った。でも大丈夫だ。きっとやり直せる。俺も手伝うから一緒に頑張ろう」
「違うんだって! それは知り合いが――」
「知り合いに勧められたのか。どの街にも悪いヤツはいるもんだな……」
マジで違うのに! いや、悪いヤツに勧められたのは間違いじゃないけど。でも俺はヤツの甘言に騙されるほどアホじゃないつもりだ。クソッ、ヤバい勘違いされてしまった。
俺は必死になって首を横に振る。
「本当それだけはマジでやってない! 尿検査でも毛髪検査でもなんでもしてくれ。他の件については、まぁ確かにやったりやらなかったりしてるけど。でもそれは必要に迫られてやったことだ。神もきっとお許しになる」
シャルルがハッとした。
俺の思いが通じたかと思ったが別にそんなことはなかった。
後ろから声がする。
「確かに君は素晴らしい功績を上げた。しかしだからといってなんでもして良いわけではない。我々は神に仕える者。規律を守り、民に模範を示さねばならない。正しい行いの後に正しい結果が付いてくるのだ。まして、神の言葉を騙るなど言語道断」
ゾッとするような冷徹な視線。決して強い語気ではないが有無を言わさぬ物言い。インテリじみているが妙な威圧感を放っている。そのへんの教会勤務の神官にこんな雰囲気は到底身につかない。
歴戦の監察官――シャルルの上司だ。
シャルルが素早く席を立つ。
「ハインリヒさん」
「もたもたするなシャルル。もう調査は終わったのか」
「はい。物証は揃えました。これだけあれば十分かと」
「よし、連行だ」
……れんこう?
頭が真っ白になった。俺はシャルルに追いすがる。
「連行ってなんだよ。どこ連れてくんだよ」
「王都の教会本部だ。取り調べとか、ここから先のことは全部そこで行う」
取り調べ……?
俺、本当に捕まるの? 王都に連行されて、尋問とか受けて、裁判にかけられる? 下手したら破門になったりするのか? まさか死刑?
なんで? 他のヤツならともかく、シャルルにこんなことをされるなんて。教会本部の出世争いが苛烈なのは聞いたことがある。シャルルは自分を育ててくれた孤児院のためにも偉くなりたいと言っていた。でもお前は自分の出世のために友達を売るようなヤツじゃなかっただろ。
……いや。俺だって学生時代から全く変わっていないわけじゃない。学校と職場じゃ環境が全く違う。そこでの環境に適応するために、人は新しいスキルを手に入れたり立ち振る舞いや口調を改めたりする。そうやって人は“社会人”になっていく。
そうはいっても、根っこにあるものは変わらないと信じていたかった。
「行くぞユリウス」
シャルルが腕を掴む。
俺はそれを振りほどいた。
「絶対行かねぇからな! ちゃんと結果だって出してるし、被害も最小限に抑えてる。これ以上俺になにしろってんだよ!」
「落ち着けユリウス。そういうことじゃなくて――」
シャルルの言葉を遮って、ヤツの上司ハインリヒ監察官が捜査官共に指示を出す。
「時間が無い。力づくでも良いから連行しろ」
捜査官共が近寄ってくる。
妙だ。なんでこいつらこんなに焦っているんだ。ここで時間を食うとなにか不都合なことがあるのか? ならそこに付け込むしかねぇ!
俺は長椅子に倒れ込み、それをガッと抱きかかえた。
「なにが規律だ。なにが模範だ。そんなもん守って死んだら元も子もないだろ。王都でぬくぬく安全に暮らしてるヤツにそんな説教されたくないね。お前らの安全な暮らしはこの辺境の地で築かれたおびただしい数の死体の山によって保たれてるってことを忘れるな。クソッ、分かってくれてると思ってたのに。なんでだよシャルル! お前そんなヤツじゃないだろ。本部でなに言われたんだ。分かった、そこの上司になんか吹き込まれたんだな」
神官服の襟首が掴まれ、凄まじい力で体が持ち上がる。
思わず息をのむ俺の顔を覗き込み、ハインリヒ監察官が唸るように言う。
「弁解も暴言も懺悔も異端審問室で聞く。あそこは我々の管轄だ。誰にも邪魔されずゆっくり話を聞ける」
この人本当に神官か? マジで怖すぎる。堅気かどうか怪しい。
というか異端審問室ってなんだよ。そんなの絶対拷問とかされるじゃん。ガチガチ震える俺の両脇を捜査官共が固める。
ヤバい。マジでヤバい。これまで色んな危機を経験したが今までで一番ヤバいかもしれない。
どうする。今なら本気出して勇者の力を借りれば逃げられるかもしれない。逃げるか? いや、やっぱ無理だ。俺はマッドほどアウトローに生きられない!
俺は捜査官にずるずる引きずられながら天井を仰ぐ。神様……こんなのあんまりだよ……
教会の戸が開く。高く昇った日の光が差し込み、俺は眩しさに目を細める。
外から誰か入って来た。神官服の男だ。その顔に見覚えはないが、たぶん俺やシャルルとそう変わらない年齢である。護身用か、妙に仰々しい杖を持っている。シャルルの先輩かなにかだろうか。監察官が三人も。随分なVIP待遇だな……
しかしハインリヒ監察官がその男に向ける視線は、どう考えても自分の部下に向けるそれではなかった。
「どうしてここに――大司教様」
聞き間違いだと思った。
大司教といったら教会本部のトップに君臨し、多くの部下を従える……とにかく凄まじく偉い人だ。そんな人がこんな辺境の地にいるわけがないし、いたとしてもきっと老人だ。こんな若い男のはずはない。
男は教会内を見回しながら、穏やかな口調で言う。
「ご苦労様です、ハインリヒ君。監察は中止にして王都に帰還してください」
「お言葉ですが、それは職権乱用ではありませんか。これは我々監察官の仕事です。ろくな説明もなくいきなり帰れ、などというのは到底受け入れられるものではない」
ハインリヒ監察官の言葉はやはり有無を言わさぬ堅さがある。とはいえ、二人の上下関係は明らかだ。あっちの若い男の方が偉い。しかもあちらは監察を中止にしろと言っている!
男はワガママを言う子供に向けるような視線をハインリヒ監察官に向け、窘めるように言う。
「あえて説明するまでもないでしょう。魔物に勝利することは人類の悲願です。有史以来、厳しい戦いが続いています。外野が綺麗ごとを並べるのは簡単ですが、実際にいつでも正しい道が選べるわけじゃない。手段を選んで目的を果たせなければ何の意味もないと思いませんか?」
よく言った! よく言った!
俺があとちょっとだけ空気の読めない男だったら我慢できずスタンディングオベーションしていたことだろう。
男の視線がハインリヒ監察官から俺に移った。
「ユリウス神官の功績は素晴らしい。まさに千年に一度の逸材です。個人的な意見ですが、仕事は結果が全てだと思っています。くだらない常識なんかにとらわれず、しっかり結果を出していただきたい……そうだ、人事異動を行いましょう」
人事異動!?
その甘美な響きに高揚感を押さえられない。この街に来てから何度も何度も頭をよぎった言葉を、ようやく他人の口から聞くことができた。しかも教会の偉い人から。
さすがは教会の偉い人! 大司教様ってのも多分聞き間違いじゃないな。やっぱり上に立つ人間は器が違うよ。あんだけ若くてこれだけ出世してるんだ。よっぽど優秀な人間なんだろう。人を見る目があるな。
見ろ、ハインリヒ監察官の悔しそうな顔! 唇を噛み、肩を震わせ、視線を落とし、絞り出すように言う。
「また未来ある若者を死なせるのか」
……え? なんて言った?
シャルルが崩れ落ちるように床に膝をついた。酷く怯えた目で俺を見上げる。
「ごめん……ごめんユリウス……お前を守れなかった……本当にごめん……」
どういうこと?
俺が当事者なのに、俺だけが状況を把握できていない。俺は助かったのか? それとも……助からなかった?
「シャルル監察官はフェーゲフォイアーの担当を外れてください。もう見張りも不要です。そうだ、ルッツ神官は本部で私の仕事を手伝っていただきましょう。ちょうど一人退職者が出たんです」
ハインリヒ監察官やシャルルの動揺を気にする素振りも見せず、大司教様は淡々と指示を出していく。
しかしそこに俺の名前はない。恐る恐る手を上げる。
「あの、私は……?」
「もちろん、今後もフェーゲフォイアー教会でその腕を存分に振るってください。今後、貴方とこの教会の監督と指導は全て私が行います。貴方の直属の上司ということになりますね。どうぞよろしく。そうそう、それから」
大司教様がしゃがみ込む。俺の足元に広がる影へ、彼はこともなげに手を入れた。
……な、なにやってんだ。どうなってんだ。まるで水面に手を入れるように、大司教様の腕が沈んでいく。やがて彼は俺の足元に広がる影からパステルカラーの女を引きずり出した。
「ひっ」
俺は息を呑んだ。ハインリヒ監察官がギョッとした。シャルルも目を見開き固まっている。窓の外からこちらの様子を窺っていたら急に異動が決まって呆然としているルッツがますます呆然としている。影から引きずり出されたパステルイカれ女本人すら唖然としている。
大司教様だけが平然と――少しだけ困ったような顔でリエールを見下ろした。
「大事な仕事の話をしています。盗み聞きはよくありませんよ、お嬢さん」
リエールが大司教様を見上げて呟く。
「どうして死臭がするの?」
教会っていうのは大きな集団だ。階級があり、役職があり、それぞれに仕事が割り振られている。
神に仕える身であるとはいえ、所詮は人の子。できるだけ良いポジションにつくため、水面下で熾烈な争いが繰り広げられていると聞く。
大司教ともなればそれこそ大勢の人間を蹴落とし、数多の死体の上にその地位を築き上げたのだろう。
……でもそれって例えというか、比喩表現だろ? なんで実際に死臭がすんの?
しかしその疑問を口にする度胸が俺にはなかった。