めちゃくちゃ怖かったし嫌な予感はビンビンしていたが、思ったよりも事態はさらに深刻だった。
例の魔物――アカマナの洗脳術は街中のあらゆる人間に及んでいたのだ。勇者だけではなく、普通の住民にもだ。
俺はゾンビ事件の際のコウモリのような魔物の言葉を思い出していた。
『ここまでやってうっかり殺したら“アイツ”めちゃくちゃ怒るよなぁ』
ヤツの漏らした“アイツ”っていうのがアカマナなのではないか。コウモリ魔物を殺してすっかり安心していたが、敵が一体とは限らない。
そもそもジェノスラに食われたコウモリが洗脳めいた魔法を使う様子は見られなかったし、アイツが死んだ後も勇者共の状態異常は解けなかった。むしろコウモリ魔物は護衛かなにかで、ゾンビ化の呪いを撒いた主犯こそがアカマナなのでは。
とにもかくにも、アイツを殺さない限り街に平和は戻らない。
俺たちはまず洗脳を解いて仲間を増やすことに決めた。のだが、事態はそう簡単には進まなかった。
「ダメですねぇ……」
呟くと、カタリナが杖に付着した血を拭いながら首を傾げる。そして俺の方をチラリと見た。
「やっぱり撲殺じゃダメなんですよ。今度は魔法で頭吹っ飛ばしてみませんか?」
「粉々になって蘇生が大変なので嫌です」
俺は手についた血を払いながらカタリナの提案に首を振る。
すると拘束された蘇生ほやほやグラムが床に這いつくばったまま血塗れの顔でこちらを見上げた。
「なんなんだよ、何度も何度も殺しやがって! お前ら頭おかしいのか!」
は? 頭おかしいのはそっちなんだが?
せっかく洗脳解こうとしてやってるのに。悲しいね。
一度殺して蘇生させれば洗脳が解除されるのではと思ったのだが、何度殺ってもうまくいかない。ゾンビ事件の時のように完全に理性を失っているわけではないが、アカマナを親しい友人や長年付き合いのある仲間のように扱うのだ。
強力な術ほど制約や代償が大きい。理性を奪わないカジュアル洗脳だと術をかける条件も簡単なのだろうか。例えばゾンビ化の条件は別のゾンビに噛まれることだったが、今回は特定の範囲内にいる人間全てに術がかかる……とか。その“範囲内”が街全部だとしたらかなりヤバいな。
「やっぱりあの植物の蜜ですよ。あれのお陰で私たちは正気を保ってるんです。なんとかして蜜を他の人たちにも与えられないでしょうか」
カタリナの考えはもっともだが、そう簡単に事が運べば苦労はしない。マーガレットちゃんは心優しい魔族なので人間を積極的に殺しはしないが、だからといって人類の味方というわけではない。
俺は首を横に振る。
「無理でしょう。貴方だってたまにしか蜜もらえてないじゃないですか。私は頼まなくても与えられますけど、直だし」
「うーん……そうだ! 良いことを考えました。あのですね、鵜飼いの鵜みたいに」
「それ以上言ったらその口縫い付けます」
とはいえ悪い情報ばかりではない。
アカマナは教会に立ち入ることができた。この街へ来るのに護衛を連れ、そしてさっきもカタリナの杖での殴打をまともに食らっていた。
アカマナ自身の戦闘能力は高くない。俺一人なら厳しいかもしれないが、こちらにはカタリナもいるし。カタリナもいるし……カタリナも……カタリナなぁ……
「なんですかその顔」
「いや……別に……」
俺はカタリナから視線を逸らす。
正直いうと微妙だ。比較的意思の疎通が普通にとれて扱いやすいだけパステルイカれ女とかよりはややマシだが、選べるならアイギスとかオリヴィエとかが良かったなぁ……。
まぁ人選に文句を言っても仕方がない。人間はいつだって配られたカードで勝負しなければならないのだ。
「どこ行くんだよ! 本当になにがしたかったんだお前ら。なんで俺は延々殺されたんだ……」
喚くグラムを無視して俺たちは教会を出た。
街の様子は驚くほど普通だ。
いつもの日常、いつもの光景。その中にポツンと混ざった異物に誰も気付かず、まるでそれが当たり前であるかのように受け入れている。
広場の中心で勇者共に囲まれたアカマナを、俺たちは建物の陰からジッと観察する。カタリナが口元に手を当てて声を漏らす。
「うっ……食べてる……」
自分でも気付かないうちに拳を強く強く握り込んでいた。
多くの魔物は人を食う。鍛えられた肉体が魔物好みなのか、勇者なんかは特に食われやすい傾向にある。とはいえ勇者は死ねば棺桶に入れられて仲間の後ろにくっつき、全滅すれば教会に送られるため完全に食い散らかされることは稀だ。
じゃあ勇者を食うにはどうしたら良いか。簡単だ。生きたまま食えば良い。
多くの人が行き交う広場の真ん中で、アカマナは口元を真っ赤に染めながら勇者の腕に食らいついていた。
食われている勇者本人も周りも、それを一切気にせず談笑などしている。
勇者が死ぬとこなんて見慣れているが、街中でこうも好き放題されているのを目の当たりにするのは非常に気分が悪い。
「やれますか」
俺の問いかけにカタリナは杖を構え、勇ましく頷いた。
「もちろんです」
……とか言って外すんじゃねぇぞ。
光を帯びる杖の先端を、俺は祈るような気持ちで見つめる。
カタリナの高威力の魔法をまともに食らえばきっとアカマナは無事ではすまない。まぁ周りの勇者は巻き添えになるだろうが、そんなのは些細な問題である。蘇生させれば良いんだからな。
俺は顔を上げ杖の向かう先へ目をやる。その考えが間違いであると気付いた。ロンドだ。勇者に交じってロンドがいる!
「ダメだっ、止めてください!」
「へ? わわっ」
ダメだ、止められない。
俺は反射的に杖を掴んで向きを少しずらす。刹那、先端についた宝玉が激しく輝き、眩い光の塊が放たれた。響く轟音。舞い上がる砂塵。薄目を開けて何とか前を見ると、タイルに覆われた地面が大きくえぐれているのが見えた。
ロンドは――良かった、無事だ。砂煙の作りだすベールの向こうに、突然の魔法攻撃にうろたえる姿が見える。杖の向きをずらしたことでカタリナの魔法は彼らに届かず、もっと手前の地面で炸裂したようだった。
俺は胸をなでおろすが、ホッと一息ついている暇はなさそうだ。
アカマナがぐりんと首を捻り、大きな目でギョロリと俺たちを見た。こちらまで声は届かないが、なにやら微かに唇を動かす。
ヤツを囲っていた勇者たちが一斉にこちらを向いた。勇者が次々と武器を手に取っていく。
カタリナが小さく悲鳴を上げた。
「ひっ、見つかった……どうしましょう神官さ……神官さん? どこ行くんですか!」
どこ行くだって? くだらねぇこと聞いてんじゃねぇよ。逃げるに決まってんだろ!
俺は地面を蹴って路地裏に飛び込む。
クソッ、勇者ってのは味方にしてもまぁまぁ厄介だが敵にしても厄介だな。勇者から身を隠しながら、吐き捨てるように言う。
「貴方といるといつもなにかに追いかけられる気がしますよ」
「え~? それ私のせいですかぁ?」
カタリナが声を潜めながらも不服そうに呟く。
しかし呑気におしゃべりをしている暇はない。アカマナの指令を受けた勇者共が俺たちを探してうろうろとしている。
俺は途方に暮れて天を仰いだ。
「ひとまずどこかに隠れて機を窺いましょう。そのうちロンドとアカマナが離れる瞬間が来るかもしれない」
しかし俺の作戦に、カタリナは首を縦に振らなかった。
杖をギュッと握りしめたまま難しい顔で黙り込む。やがて意を決したように言った。
「いいえ、守りに入ってばかりでは勝てません。人質は減るどころか増えるかもしれないし。早めにケリをつけた方がいいと思うんです。私の魔法なら一網打尽にできます」
なに言ってんだ。それをさっきやろうとして失敗したんじゃないか。
あの魔物、かなり賢い。俺たちが勇者ではない人間を殺せないと理解して人質を選んでる。実際その通りだ。迂闊な攻撃はできない。人命第一だろ。ただし勇者の命は含まないものとする。
俺はそう反論しかけるが、カタリナがそれを遮るように言った。
「こんな状況ですからこちらも無傷で勝てると思わない方がいいです。多少の犠牲は……やむを得ません」
……どういう意味だ。犠牲って、どういうことだよ。ロンドがどうなっても良いって言うのか。アイツは死んだらそれっきりだ。勇者じゃない。蘇生ができないんだぞ。
確かに人質が増えないとも限らない。今ならロンドの命を諦めることで他の全員を救えるかもしれない。
でも……だからって……
カタリナが沈んだ顔をそむける。そして俺の視線から逃れるようにこちらに背を向けた。
強く握った拳と小さな肩を震わせている。いつになく深刻な、しかしハッキリした口調でカタリナが言った。
「私も覚悟を決めます」