人生には時に選択を迫られる瞬間というものが訪れる。
大事なもの全てを抱えられるほど人の手は大きくない。なにかを得るためにはなにかを諦めなくてはいけない。
俺たちはそのたびに心の天秤にあれこれ乗せて、それを眺めながらうんうん唸るのだ。大事なものに順位をつけ、切り捨てていくのは酷く辛く思い切りのいる作業だから。
しかしカタリナは酷く辛く思い切りのいる作業にケリをつけたらしい。
屋根の上から大通りを見下ろす。
人質を取り、大勢の勇者に囲まれて安心しているのか。アカマナが辺りを気にする様子はない。カタリナが杖を振り上げた。
「いきます」
固い決意を思わせる重々しい声。瞬間、周囲に眩いばかりの魔法陣が展開される。
勇者たちが弾かれたようにこちらを見上げた。しかしもう遅い。ここでケリをつける。
カタリナが杖を振り下ろす。展開された魔法陣から大量の稲妻が走り、眩い光で辺りを白く塗りつぶす。
カタリナの短所を補う範囲攻撃だ。かなりの魔力を消費するため一度しか使えないが、範囲内にいる全ての人間に稲妻を落とす。
……全ての人間にだ。人質を避けて、なんて器用な真似はできない。
敵味方の区別なく、稲妻が炸裂し勇者共が派手に吹っ飛んだ。肉の焼ける臭いがあたりに漂う。
「うっ……うう……」
カタリナが膝を折った。
覚悟を決めたとカタリナは言った。でも、それでも、そう簡単に大事なものを切り捨てられるはずはないのだ。
カタリナが小さな体を震わせながら杖をぎゅっと抱きしめる。肩を激しく上下させ、息を弾ませ、壊れてしまった大事な物を見下ろす。
形あるものはいつか壊れる。いつの時代も変わらない不変の事実だ。しかし人はなかなかそれを受け入れることができない。
「つ……」
カタリナが唇を震わせる。瞳が揺れる。
天を仰ぎ、どうにもできない事実に声を震わせ慟哭する。
「杖が!」
カタリナの杖の先端についた宝玉にヒビが入っている。
それを横目に、俺は焼け焦げた勇者をひょいひょい避けながらロンドを拾い上げ素早く退避する。これでよし。
屋根の上でいつまでもメソメソしているカタリナに呼びかけた。
「もう良いので降りてきてください」
「なんにも良くないですよ! お、お父さんに殺される……」
いっつも死んでんだから良いだろそれくらい。
稲妻は敵味方の区別なく範囲内にいる人間全てに落ちる。ロンドにだけ攻撃をしない、ということはできない。
しかし攻撃を防ぐ盾をカタリナは持ってる。防御魔法だ。ロンドの周りに防御壁を展開し、稲妻を防いだ。
衝撃で気を失っているが、怪我はなさそうだ。
「一度にこんなあれこれ魔法を使うのは初めてですっ。これすっごく高度なことなんですからね。だからほら……杖が!」
分かった分かった。
カタリナはよくやったよ。アイツもアイツで死にながら成長を続けているらしいな。
人生、何事もトライアンドエラーだ。その点勇者ってのは素晴らしい。“死”という絶対的な失敗をも糧にして強くなれるのだから。
とはいえ、カタリナにはかなりの無茶をさせてしまったようだ。なんとか屋根から降りてきたが、そのままへなへなと倒れ込んでしまった。
「つ、疲れました……いっぺんに魔法使ったから、パンクしそう……もうあんまり魔法使えないです……杖もこんなんなっちゃったし……」
そのようだな。でも大丈夫だ。
俺はあたりを見回してニッコリ笑う。
カタリナの魔法は大成功を収めた。大通りは死屍累々だ。ロンドを守る防御壁を破らないよう多少稲妻の威力を控えたらしく絶命に至っていないヤツも多いが、少なくともまともに立ち上がることはできない。アカマナも同じような状態である。
「もう虫の息です。ちゃちゃっと殺っちゃいましょう」
しかしカタリナはまだめそめそしながらヒビの入った杖を気にしている。
「でもこれ以上魔法を使うと本当に杖が……」
「もう魔法使うまでもありません。撲殺で十分でしょう。なんなら私がやりましょうか。アイツのせいでこっちは過労死寸前でしたからね。ぶん殴ればちょっとは憂さ晴らしになる。ちょっとそれ貸してください」
「嫌ですよ! 壊されそう!」
カタリナがバッと杖を抱きかかえて俺に背を見せる。
なにケチ臭いこと言ってんだ。お前が使って壊れないんだから俺が使ったって壊れねぇよ。いいから寄越せよ~、俺も無抵抗の魔物タコ殴りにしてみてぇのよ~
カタリナと小競り合いを繰り広げていると、なにかが俺たちの前に立ち塞がった。
ん? なんだ?
俺たちはほぼ同時に振り向き、同じように動きを止めた。
倒れ伏したアカマナに寄り添う赤髪の女騎士。我が町最強の戦力がゆっくりとこちらを振り返った。
敵意のこもった視線をこちらに向け、唸るように言う。
「アカマナになにをしたんだ」
俺はスッとカタリナの杖から手を離す。まっすぐな目でアイギスを見つめ、そして言った。
「暴力はなにも解決しません」