心配だよ。そりゃあね。カタリナの安否は気になる。当然ね。俺が帰省勧めたってのもあるし。
でもさ、俺はみんなの神官さんな訳よ。
他に同僚がいれば俺が職場を離れている間、ソイツが頑張ってくれれば良いよ。まぁ同僚に負担を強いることにはなるけどそれはお互い様というかね。俺もソイツが風邪とか引いた時はソイツの分まで頑張るし。仲間との助け合い、イイよね。
でも俺にそんなヤツいねぇし!
こうしている間にも仕事がどんどん溜まってんだよ!
俺は半ば――いや、ほぼ無理やり連れ込まれた馬車の窓から後方を見る。随分離れてしまったが、わずかに街が視認できた。
はー、今からでもなんとかして逃げられねぇかな。大暴れして馬車止めさせて街まで走ればあるいは……
そんな考えは窓の外に見えた光景が一瞬で消し去った。
「魔物にでも襲われたんでしょうか」
窓の外を眺め、オリヴィエが呟く。
派手に燃え盛った後なのだろう。小さな火種が燻り、ほとんど灰になった馬車の残骸から微かに黒煙が上っている。馬車の乗客と共に逃げたか、あるいは魔物に食われたか。馬の姿は見えない。
フェーゲフォイアー周辺は人類の活動領域の最端部。森や荒れ地ほどではないが、街周辺の草原にも魔物は出るし、取るに足らない雑魚敵でも王都周辺のそれとは比べ物にならないほど強い。
俺のようなしがない一般人が無防備にうろついていればあっという間に魔物の餌だ。
行くも地獄、戻るも地獄。
「そんな顔しないで。大丈夫だよ。私がついてるから」
パステルイカれ女がこちらにしなだれかかりながら上目遣いでこちらを見る。
「うふふ。馬車での旅行、久しぶりだね」
冷や汗が背中を伝う。
な、なんの話だ。お前と旅行なんて行ったことないだろ。
……ないよな?
というかなんで俺がカタリナの捜索に付き合わされているんだ。
人手が欲しいのは分かるが、その辺の暇そうな勇者でも連れて行った方がよっぽど役に立つだろうに。
フェーゲフォイアーを発ってどれくらい走ったろう。馬車は鬱蒼とした森へ入ったところで停車した。木々の間に隠すようにして馬車を停め、そこからさらに森を奥へ奥へ歩いていく。
なるほど、確かにいかにも魔法使いの家がありそうな森である。お菓子の家でも出てくるんじゃないかと思ったが、見えてきたのは古いがよく手入れされた立派な屋敷であった。小さな城と言っても差し支えない。
「ここがカタリナの家ですか。本当にお嬢様なんですね、あの人」
言いながら玄関へ向かおうとする俺の腕をオリヴィエが掴む。静かに首を振り、声を潜ませて言う。
「神官様、そちらはダメです。まともに取り合ってもらえませんでした。門前払いですよ」
あぁ、そりゃそうか。正面から「ごめんください」と訪ねてカタリナの元へ案内してもらえるならわざわざ街まで戻って俺を連行する必要はないわけだからな。
……ってことは屋敷の中に忍び込む気なのか? ますます分からない。俺に何をさせる気なんだ。俺なんか連れて行っても足手まといになるだけだろうに。
オリヴィエを先頭にし、屋敷を回り込むようにして先へ進んでいく。窓はあるがいずれも固く閉ざされている。窓ガラスを割るのは難しくないだろうが、その場合は音を立てず穏便に侵入するのが難しくなる。
やがてオリヴィエはある一角で足を止めた。窓も扉もない一角だ。いや、よくよく見れば扉はあった。壁にはめ込まれた――恐らくは猫かなにかが出入りするためのものだろう。人が腕一本いれるのがやっとの小さな小さな出入口。
オリヴィエはそれを指差し、こともなげに言う。
「僕が今から死ぬので、死体をバラして中に入れてから蘇生させてください」
「……は?」
首を傾げると、オリヴィエはクソ真面目な顔で再び口を開く。
「僕が今から死ぬので――」
聞こえなかったわけじゃねぇよ。
俺はしばしオリヴィエのセリフを頭の中で反芻し、絞り出すように尋ねる。
「ボトルシップみたいに中でパーツを組み立てるってことですか」
「そう、ボトルシップみたいに! 良い例えですね」
そりゃどうも。お前のアイディアは最悪だけどな。
「他に方法はないんですか」
「あちこち探しましたが、侵入できそうなのはここだけなんです。魔法使いの家であんまり派手な魔法を使うのは避けたいし」
「だからって――」
「大丈夫です。僕が中へ入れればリエールも僕に憑いて中へ入れます。神官様はここで待っていてください。すぐに戻りますから」
だから「憑く」ってなんだよ。変な能力を当然みたいな顔して言うな。
しかし狼狽える俺と違い、二人は恐ろしいまでに手際よく事を進めた。
「じゃあよろしく」
「任せて」
リエールが頷くと、オリヴィエの首がゴトリと落ちた。
いつの間にかオリヴィエの肩に乗ったぬいぐるみが血飛沫に毛皮を濡らしながら自分の身の丈ほどもあるハサミをシャキンシャキンと鳴らした。
オリヴィエの首なし胴体も地面に転がり落ちた首の後を追うように受け身も取らずどうと倒れ伏す。
一体どこから湧いて出るのか。横たわったオリヴィエの胴体にわらわらとカラフルなパステルカラーのぬいぐるみ共が集まる。まるで虫の死骸に集るアリのようだ。
ヤツらは各々手に持ったハサミをシャキンシャキンと鳴らした。
あぁ、解体を始めるのか。
あとはもう、あえて説明するまでもないだろう。
*****
「ありがとうございます神官様。すぐに戻りますから!」
さっきまでバラバラの肉片だったとは思えないハツラツとした声を残し、オリヴィエとリエールが屋敷の中へ消えてからどれくらいが経ったろう。
「すぐ戻ります」の言葉とは裏腹に、二人はなかなか屋敷から出てこなかった。俺は何をするでもなく、ボーっと辺りに広まった血溜まりを眺めたり、オリヴィエの肉片を詰め込んだせいで汚れた小さな出入口を見つめたり、大の字に寝ころんで空を見るなどして過ごす。いつのまにか血に濡れた神官服も乾いてきた。こんなことになるなら着替えとか持ってくればよかった。アイツらなんの説明もなく連行するんだもんな。そういえば飯もまだだった。俺は懐の中を探ってみる。菓子でも持っていなかったかと思ったのだが、出てきたのは女神像(小)のみだ。
やることも無くウトウトしていると、不意にどこからかガサガサと音がした。ただの風の音かもしれない。しかし家の人間が出てきてしまった可能性も否定しきれない。
にわかに焦燥感が腹の底で沸き起こる。自分が第三者から見てどう映るかを想像してしまったからだ。
鬱蒼とした森のそば。血溜まりの傍らに佇む血塗れの男。怪我でもしているのかと思いきや無傷。
これ完全に誰か殺ってるだろ。
いや、実際にはむしろ逆で蘇生させたわけだが、この状況で俺の言葉に耳を貸してくれる人間がどれだけいるだろう。
『違うんだ! 殺ったのはハサミを持ったぬいぐるみなんだ』
なんて口走ろうものなら「誰か殺った上にナニか打ってんな?」と罪状が増えること請け合いである。
まぁ実際敷地内への不法侵入と屋敷への侵入幇助はやってるしな……
フェーゲフォイアーで感じる恐怖とは違う種類のそれに俺は震えた。
冗談じゃねぇぞ。ふざけんなよ、俺の綺麗な経歴に前科付ける気か?
俺は駆け出した。綺麗な経歴を守るため必死に足を動かし、森の中へと逃げ込む。
俺はなんで神官服で来てしまったんだ。白いから目立つし動きにくいし、見つかったら即職業がバレる。最悪だ。
飛び出た枝に神官服を引っ掛け、地面から浮き出した木の根に足を取られそうになりながら俺は鬱蒼とした森を進んでいく。
茂った低木をかき分けて進んでいると、意外な出会いがあった。
オリヴィエだ。なんでここに。屋敷を出たなら言ってくれよ。なにのんびり寝そべってやがる。
ザッ……ザッ……ザリ……
なんだ? 変な音が聞こえる。リエールか?
二人して一体なにやってんだよ。俺は呆れと、二人と無事に落ち会えたことへの安堵を胸に、低木を掻き分けて前へ進む。
「オリヴィエ、なにやっ」
俺は言いかけた言葉をそのまま失った。
生い茂った葉でよく見えなかったが、辺りには引きずったような血痕が続いている。その終点にいるオリヴィエは、濁った目で虚空を見つめたままピクリとも動かない。ヤツの鳶色の髪にはまだ新しい血がべっとり付着している。
ザッ……ザッ……カラン
軽い金属音。スコップだ。スコップを落としたのだ。
人一人がすっぽり収まりそうな穴の中に佇んだ男がゆっくりとこちらを向く。泥と血で汚れた顔。長い前髪の向こうで血走った目が忙しなく左右に動く。
「ち、違、これはっ、じじ事故で、俺の、俺のせいじゃなっ」
あっ……これは完全に殺ったな。俺は察した。
「落ち着いてください」
両手を突き出し、できる限り平静を装ってそう声をかけた。
コイツ、見覚えがある。カタリナの兄貴だ。前に暴食の杖を狙って街へ来た。
オリヴィエにも非はある。武器を持った血塗れの人間が家の中をうろついていたら攻撃されても仕方がない。正当防衛の範疇に入るかもな。とはいえ、森に埋めるのはどうかと思うぞ。まぁ冷静じゃなかったんだろう。当然だ。先ほどまで人間だったものが自分の手によって六〇キロの肉塊に姿を変えて目の前に横たわっているのを平然と眺められるのはフェーゲフォイアーの勇者くらいなものだからな。
というか、オリヴィエが近場の教会に転送されていないってことはパーティが全滅していない――つまり、リエールがどこかに潜んでいるということだ。
アイツなにをたくらんでいるんだ。今どこにいるんだ。
俺は素早くリエールを探す。また例によって俺のすぐ後ろにいるのでは。そんな考えが脳裏をよぎり、首を少しだけ動かして後ろを見る。大丈夫。誰もいない。
視線を戻す。
カタリナの兄の血走った目が、俺を射抜くように見ていた。
多分、今現在もきっと冷静じゃないのだ。いや、冷静じゃなさすぎて、一周回って冷静になっているのかもしれない。
「――ここには誰も来ない」
俺が助けを求めて、あるいは逃げようとして視線を動かしたと思ったのだろう。
このことが露見するのを恐れているのか。
「お、落ち、落ち着いて。大丈夫です、オリヴィエは勇者なのでっ、すぐに蘇生を」
俺は必死になってそう繰り返す。
しかし彼の耳にはもはや届いてはいないようだった。
「目撃者は――」
男は手から滑り落としたシャベルを再び手に取り、深く掘った穴のへりに足をかける。
「消さないと」