「おかしいじゃないですか。なんでコレを見て私だって思うんですか。私の要素あります?」
カタリナが小屋の中の蠢く肉塊を指差す。
俺はカタリナから視線を逸らす。取り乱したのが急に恥ずかしくなった。でもさ、あの状況なら普通そうだと思わないか? いや、普通は思わないのか。マッドの狂った発明に慣れすぎたな。
「そんなことより! なんでこんなところで肉塊の世話なんてしてるのさ。便りもよこさず」
肉塊から回収し、なんとか蘇生させたオリヴィエの言葉にカタリナは口を尖らせる。
「手紙なら送ったんだけど……届いてない? まぁフェーゲフォイアーへの荷物は王都を経由するからちょっと時間かかるかもしれないけど」
手紙……そういえば、ここに来る前に荷馬車が燃えていたな。
まぁフェーゲフォイアー付近は魔物の跋扈する魔境だ。荷馬車が襲われることも珍しくはないし、その中にカタリナの手紙が入っていた可能性は十分にある。
なんだよ。心配して損したわ。オリヴィエの蘇生に最後の魔力を使い果たした俺は神官服が土で汚れるのも構わず小屋の脇に横たわる。
カタリナが俺を見下ろす。オリヴィエとリエールを見て、そして俺たちの辿って来た血に濡れた道へ視線を向ける。呆然と呟いた。
「もしかして森をまっすぐ抜けてきたんですか」
俺は横たわったまま、視線だけをカタリナに向ける。
「はい」
「罠を避けて?」
「避けたり避けなかったり」
「正気じゃありませんね……」
まぁね。俺もそう思うよ。
「すみません。私のために、ありがとうございます。でも私、まだ帰れません」
カタリナが握りしめた拳と小さな肩を震わせる。
「杖を……杖を直す方法が見つからないんです」
……杖ぇ?
なに寝ぼけたこと言ってんだ。
「杖って、これでしょ?」
リエールが背負った杖をカタリナに差し出した。ポカンと口を開けてカタリナはそれを見る。ややあって。
「へ?」
ヤツはその口から間抜けな声を漏らした。
「な、なんで? そんなはず。だって……」
「貴方の父君も壊したんでしょう? だから直し方はすぐに分かるはずって話だったじゃないですか」
「そう思ったんですけど、父は壊したことなんてないって言い張るんです。軽い気持ちで壊れた杖を見せたら、ちょっと前例がないくらいに怒られました」
カタリナはキツネにつままれたような顔で首を傾げる。
とはいえ、実際に杖は直っているわけだし。少し考えて、俺は適当な思い付きを口にする。
「杖を壊した罰の一環じゃないですか。簡単に直るって分かったら貴方また無茶するでしょうし」
「そんな回りくどいことするとは思えませんけど……」
カタリナはまだ納得がいっていないらしい。それが本物だとまだ信じられないのか。どんな違和感も見逃さないとばかりに、リエールから受け取った杖の表面に視線を滑らせる。
杖が勝手に直るはずはない。まぁカタリナの父親がこっそり修理に出していても、小人さんが夜な夜なせっせと杖を直していても、俺にとってはどちらでも構わない。これでようやく帰れる。
安堵を嚙み締めていると、カタリナが思い出したように言う。
「ところで、これ宝物庫に置いてありましたよね。どうやって持ちだしたんです?」
「………………」
俺たちはそれぞれ視線をあらぬ方向に向ける。
カタリナがギョッとした。
「え? 大丈夫でしたか?」
「ん? ……うん」
オリヴィエが歯切れの悪い返事をする。
まぁ大丈夫といえば大丈夫だよ。ちょっと部屋を汚してしまったかもしれないけど。
にわかに鎖の擦れる音が響いた。あの肉塊がまた暴れだしたのだ。
「――ぁ、――――ぅ」
なんか喋ってね? 気のせい?
危ない危ない。どう考えてもなんらかの闇がありそうなあの肉塊をスルーして帰るところだったわ。
俺は小屋の中に視線を向ける。
「ちゃんと説明してくださいよ。一般家庭に置いてあって良いものですかあれ」
「えぇ? あれは――」
怪訝な顔を小屋の中に向け、カタリナは首を傾げる。
「なんだろ……ペット?」
へぇ。この肉塊を愛玩してるのか。さすがは魔導師の家。良い趣味してるな。
「そんな顔しないでくださいよ! よく知らないんですってば。私が生まれる前からいて、年々ちょっとずつ大きくなってるって噂があるくらいで……あ、あと」
カタリナが思い出したように呟いた。
「可哀想な生き物だからあまりいじめるなって、父が」
なんだよそれ……怖……
もう良いや。早くいこうぜ。あんまり長く見てると正気度がどんどん下がりそうだ。
俺は立ち上がりかけて――腕に力が入らずごろりと地面を転がった。ダメだ。魔力が尽きてまともに動けん。
「魔導師の家なら魔力補給用のポーションとかあるでしょう。わざわざ貴方を探しにここまで来たんです。少し分けてもらえませんか」
「私ので良ければ」
「あっ、どうも……」
俺は大司教様からポーションに満ちた小瓶を受け取る。おー、なんとなく瓶のデザインが洒落ている気がする。やっぱ王都で売ってるヤツは違うな。まぁ中身はそんなに変わらないだろうけど。
で、どうしてここに大司教様がいるんだ?
「な、なん、なんで」
処理速度を超えた展開に脳が追い付かず、俺は言葉にならない呻き声のようなものを上げる。
ヤバい。仕事サボって遊んでると思われる。楽しいサボりで怒られるならまだ諦めようもあるが、これはサボりじゃなく拉致だ。や、やれるか? 今更ではあるが……被害者面してなんとか誤魔化せないだろうか……
しかし大司教様は部下のサボりを怒るでもなくケロリとして答えた。
「最近ではほとんど使うこともありませんが、昔からの習慣というヤツです。ポーション類はある程度持ち歩くようにしているんですよ」
いや、ポーションを持っている理由を知りたいんじゃなくて……
俺はなんとか上体を起こしてカタリナに視線を向ける。やはりカタリナの家は大司教様と親交があったのか? しかしカタリナは困惑顔で首を横に振る。
「父も大司教様とはお会いしたことがないって……」
どうやら俺たちと同じ。不法侵入だ。
しかし大司教様はそうとは感じさせない堂々たる佇まいで頷く。
「あぁ、多忙にかまけてしばらく挨拶をサボっていたかもしれません。でも、さすがです。ちゃんと守っているじゃありませんか」
そう言って、大司教様はその視線を古い小屋の中の闇で蠢く肉塊に向ける。そこに怯えも嫌悪もなく、ただノスタルジーにでも浸るように目を細める。
俺を追いかけてきたというわけではなさそうだ。ここに用があって来たということか? ……あの肉塊に?
様子を窺っていると、大司教様の方から口を開いた。雑談でもするように軽い調子で。
「ユリウス君、旅は好きですか?」
旅ィ? 俺にそんな暇あるわけないだろ。
しかし大司教様にとって俺の返答はどうでも良いようだった。返事を待たずに続ける。
「私は大好きです。知らない世界を感じ、初めて見る景色に感動し、違う文化を持つ人間と触れ合う。素晴らしいと思いませんか」
どういうことだ? なんで急に旅行の話なんか。
俺の疑問をよそに、大司教様の話は続く。
「とはいえ、こういった立場になってからは旅なんてとても。こうしてなにかと理由をつけて出張するのが精一杯です。それもあって、今の一番の楽しみは他人の土産話なんですよ。他人の目を通じて見る世界には別の面白さがあります」
大司教様が袋を取り出す。粗末な麻袋だ。ふくらみがある。中に何か入っている。
「でも人から聞いた話というのはすぐに忘れてしまうんですよね。近頃は一層忘れっぽくなりました。色んな記憶が混ざって、もうどれがどれやら。なので」
手に持った麻袋から取り出したのは、髪の抜け落ちた四肢のない人形――違う。瞬きをした。これは。
「……アカマナ」
「そう。これの話は非常に興味深かった」
街全土を混乱の渦に巻き込んだ小さくも恐ろしい魔物が、今やゴミ捨て場に捨て置かれたガラクタのごとき風貌に様変わりしている。
大司教様が小屋の中へ足を踏み入れていく。
鎖の擦れる音が響く。この地獄の底から響いてくるような呻き声は、肉塊が発しているのか?
よほど大司教様が好きか、あるいは嫌いなのだろう。今までで一番激しく肉塊が蠢いている。
大司教様の手からアカマナが放り投げられた。肉塊がより激しく蠢き、筋肉とも臓物ともつかないその体の中にアカマナが沈んでいく。
食ってるのか? いいや、違う。取り込んでいる。
「これで、ここに来れば何度でも話が聞けます」
大司教様はこともなげにそう言った。
この肉団子君は哀れな捕虜の成れの果て。これ一個が一つの生物ではなく、いくつもの個体がこねられ混ぜられ纏められて作られている。生きた記憶媒体。
こんなの普通に引くだろ……これ公になったらエライ事になるぞ。魔物愛護団体とかにタコ殴りにされる様がまざまざと浮かぶ。ただでさえ教会がらみの不祥事は叩かれがちなのに。
ん……? そもそもこの肉塊の構成生物って魔物だけなのか? あ、ヤバい。気になるけど怖くて聞けない。
とはいえ上司の言葉なので。
「そ、そうですね~!」
俺はそうとは悟られぬよう注意深く表情を作り頷いた。下手なことを言って機嫌を損ね、肉塊の体積を増やすようなことはしたくなかった。
アカマナが肉塊に沈んでいくのを眺めながら、大司教様は呟く。
「我々の世界も大きく変わりましたが、向こうの世界にも変化があったようですよ」
「……向こうの世界?」
「荒れ地の奥、フランメ火山を超えた先。かつて敗走した魔王軍が消えた、人類未踏の魔物の領域。いえ、もう人類未踏ではないんでしたね」
大司教様が振り返り、この場にいる勇者たちに視線を向ける。取って付けたような微笑みを携えて言う。
「勇者も進化しているということでしょうか。素晴らしいです」
本当に思ってるか?
どうにも感情が読めない。
「魔物たちの世界がどう変わっているというんですか」
ここにいる勇者たちも姫奪還のためフランメ火山を超えたメンバーだ。瞬殺されたとはいえ、あの領域のアレコレが気になるのだろう。今まで静かに大司教様を観察していたオリヴィエがそう尋ねる。
すると大司教様はオリヴィエに向けた目をスッと細める。
「情報が確かなら――」
まるで秘密の話でもするように大司教様が声を潜める。俺たちの注目を十二分に引き付けてから、彼は冗談とも本気ともつかない声色で言った。
「魔王が増えているとか」