俺は地図を広げ、将来について思案していた。
広い世界を見ていると、自分の将来にも多くの選択肢があるような錯覚を覚える。しかしじっくり見るとそうでもないと気付かされた。
「王都はダメだな。色々きな臭い。やはりハーフェン……いや、あそこもなにかと面倒くさそうだし……」
「なにしてるの?」
俺は視線を上げる。地図越しに白衣の男のニヤケ面が見えた。
チッ、マッド野郎が教会になんの用だ。俺は広げた地図をいそいそと畳む。
「いえ、別に?」
「もしかしてここ以外の勤務地とか考えてた? アハハ、無駄なのに。本当に面白いなユリウス君は」
コイツ煽ってんのか?
後ろにウサギ頭のボディーガードが控えてなきゃ一発ぶん殴りたいところだ。
俺の気も知らず、マッドはヘラヘラしながらさらに続ける。
「今の仕事が嫌ならうちに来ればいいのに。俺はいつでも歓迎するよ。ちょうど人手が欲しいところだし」
「人手……?」
嫌な予感がする。
俺が顔を顰めると、マッドはそんなこと意にも介さないとばかりにサラリとのたまった。
「実は開発途中のキメラが逃げ出しちゃってさ」
うわ、最悪。しばらく教会から出ないようにしよ……
「それから」
マッドがさらに続ける。
まだあんのかよ。なんだよ。
「教会の腕章着けた見慣れない人がうろうろしてたんだけど、ユリウス君なにか知ってる?」
俺は弾かれたように教会を飛び出した。
*****
なんだよなんだよ、教会本部が今度はなんのご用だよ!
監察はこの前来たばかりだし。第一、大司教様自ら追い返していた。そうやすやすと手出しは……いや、まさか大司教様自身がこの街でなにかやろうとしてるのか? あの人もきな臭い感じはするが、結局なにがしたいのかよく分からないからな。警戒するに越したことはない。
俺は物陰に隠れて辺りを見回す。
マッドの言う通り、教会の腕章を着けたやつらが街をうろうろとしている。どこかを目指して歩いているというよりは、なにかを探しているようだった。
俺を探してるのか……? いや、ならばまずは教会を訪れるだろうし。まさか教会の場所が分からずうろうろしているということはあるまい。
ええい、考えていても分からん!
俺は意を決して腕章の男の一人に声を掛けてみる。ひときわ図体のデカい男であったが、他の人間に比べれば若干人相が良かった。あくまでにこやかに、世間話でもするかのように。
「フェーゲフォイアー教会のユリウス神官です~。本日はどういったご用件でしょうか~」
すると腕章の男はギョッとした顔でこちらに視線を向けた。
なんだよ。俺の猫なで声がお気に召さなかったか?
男は取り繕うように無表情を浮かべ、あしらうように言う。
「現在任務中だ」
「任務……? 誰からのなんの任務でしょう。私はなにも聞いていないのですが」
「極秘任務だ! 教会に戻っていろ!」
噛みついてきそうな剣幕でまくし立てると、男はこちらに背を向けてさっさと行ってしまった。
なんだアイツ……?
というか、こいつら多分神官じゃないな。神官服着てないし、体が妙に屈強だし。教会に雇われた兵士とか勇者とかか?
いや、それすらも怪しい。あんな腕章くらい誰にでも作れる。教会と全く関係ない人間である可能性だって排除しきれない。
一体なにが目的だ?
……一人とっ捕まえて尋問するか。いや、しかし本当に教会本部からの依頼で来た人間だったらマズいな。じゃあ俺の関与を隠すとかどうだろうか。秘密警察とアイギスあたりに頼んで――
「す、すみません」
酷く怯えた声とともに誰かが俺の神官服の裾を掴んだ。
振り返る。路地裏から伸びた細い腕を辿るように、俺は彼女を見る。目深にかぶったボロボロのフードから覗くその顔に見覚えはない。初対面だ。初対面なのに、なぜか俺はその少女から目を離すことができなかった。
こちらを見上げる潤んだ瞳。長いまつ毛に縁どられたそれはまるで深紅の宝石のようだった。薄暗く小汚い路地裏で、彼女の瞳だけが一際眩い輝きを放っていた。
「あのっ……助けてください」
その震える声にハッとする。
彼女の瞳に見入って息をするのも忘れていた。
気が付くと俺は少女の手を取って路地裏へと駆け出していた。
どうしてそんな行動にでたのか。自分でも論理的な説明ができない。体が勝手に動いたのだ。
見ず知らずの人間だ。どんな事情があるのかも知らない。助けるにしてもきちんと落ち着いて話を聞くべきだ。それに本当に彼女を助けたいなら俺ではなくその辺を歩いている勇者にでも協力してもらうべきなんだ。そちらの方が確実なのに。
でも俺はそうしなかった。
俺がこの手で彼女を守らなければ。
どうしてかは分からないが、強くそう思った。
「いたぞ!」
しかし追手はすぐそこにまで迫っていた。
例の教会の腕章を付けた男たちだ。ヤツらが血眼になって探していたのは彼女だった。
土地勘は俺の方がある。しかし撒くにしても数が多すぎる。足も向こうの方が早い。追跡を妨害できるような魔法も俺には使えない。
瞬く間に俺たちは袋小路に追いつめられた。
「ここまででしょうか……」
「諦めるな」
壁に背中を預けた俺は少女の小さな手をより一層強く握る。
「俺が絶対に君を守る」
なにか、なにか手があるはず。……ダメだ。なにも思いつかない。俺は己の無力さを呪った。
俺は……俺は少女一人守ることができないのか……!
無情にも、腕章の男は俺たちを取り囲むようにじりじりと距離を詰めてくる。
男たちの一人が声を上げた。先ほど俺が話しかけた一際図体のデカい男だ。
「離れろ! そいつは――」
瞬間、世界がひっくり返った。
「……え?」
背中に鈍い痛みを、頬に地面の冷たさを感じる。
どうして俺はうつ伏せに倒れているんだ? そして視界の端にチラつくこの鈍色の光は?
俺はそっと視線を自分の首元に移す。小さな手には不釣り合いな大振りのナイフ。
さらに首を捻り振り返ろうとした俺を、取り囲んだ腕章の男の誰かが制止した。
「女の眼を見るな!」
耳元で声がする。
「もう遅いですよね」
酷く震えた声だった。
怯えているのではない。笑いを堪えているのだ。
こちらを覗き込む少女の深紅の瞳が輝く。歪んだ口元から覗く犬歯は人間のそれにしては随分と尖っているように見えた。
「神官が男で良かった」
俺の髪を引っ掴み、女が声を張り上げる。
「どいて下さい! この人殺しちゃいますよ。さぁ立って」
俺は言われるがまま、ゆっくりと立ち上がる。彼女に逆らおうなんて気は全く起きなかった。
あぁ。これはマズいな。
「はは……」
俺は思わず乾いた笑いを漏らす。
後ろから怪訝な声がした。
「なに笑っ」
声が固まる。
そりゃそうだろう。
俺の後ろにいる女が何者かはしらないが、こんなのを目の当たりにしたら誰だってビビる。
深紅の瞳の次に俺が釘付けになったのは、腕章の男たちを蹴散らしながらこちらへ迫るイカれた人工触手生命体だった。