「あの男を魔眼で魅了してほしい」
街の中心の広場。そこのシンボルとなっている噴水の縁にターゲットは腰かけていた。
見知った顔だ。というか、ユライが依頼してきたときからコイツ絡みの話だとは思ったが。
ユライが指差したのは、おしゃべりキツネぬいぐるみをを抱えたルイであった。
「そんな事をして貴方になんの得が?」
尋ねると、ユライは視線を足元に落とした。しばしの沈黙のあとポツリと沈んだ声を漏らす。
「あんなの歪んでるじゃないか」
ん? なにが?
俺はルイに視線を移す。特に変わった点は見られない。いつもどおりおしゃべりキツネぬいぐるみに一方通行の会話をして楽しそうに笑っている。調子良さそうじゃん。
しかしユライの顔はますます暗く声のトーンはどんどん落ちていく。
「ロージャがぬいぐるみになって帰ってきたことで荒れていたルイが落ち着きを取り戻した。その時はそれで良いと思ったんだ。傷が癒えればルイも自然とロージャを手放すだろうと思ったし。でも……」
ユライの声はインクの切れかかったペンのように掠れていき、最後には聞こえなくなった。
罪悪感もあるのだろう。ルイとロージャの星を盗ったのはユライだ。そのせいで三人まとめて王都に帰れなくなり、色々あってロージャはぬいぐるみになりルイはおかしくなった。あれから少し時間は経ったが、状況はなにも変わっていない。ロージャは相変わらずぬいぐるみで、ルイは相変わらずおかしい。歪んでいる、か。なるほどな。言われてみればそうだが、ヤツらは周囲に迷惑をかけない割と大人しめの狂人なので全然気にしていなかった。正直このままで良いじゃんと思うが、どうやらユライはそうではないらしい。
「ロージャは見た目が良いだけの性悪女だ。もっと良い女は山ほどいる。魔眼でもなんでも良いから、とにかくルイの眼をロージャ以外に向けたいんだ。頼む。アイツの目を覚ましてやってくれ」
理由は分かった。
問題はユライが縋ろうとしているこの女もまた十分に性悪であるという点だ。
ユライがゆっくり振り返る。壁にもたれて空を見上げ、大あくびをしているリリスにじっとりした視線を向けて言う。
「聞いてる?」
「聞いてないです」
堂々と言いながらリリスはようやくターゲットに視線を向けた。
「あのぬいぐるみとデートしてる頭のおかしい人を落とせば良いんですよね? それだけ分かれば十分ですから」
「……本当にできるのか? 言っておくがルイは」
リリスがサッと手のひらを向けてユライの言葉を遮った。
その指を自分のこめかみに向けてコツコツと叩き、平然と言い放つ。
「恋愛は本能でやるのです。余計な情報は不要」
なんだコイツ。魔眼頼りのくせに偉そうに。
しかしかく言う俺も魔眼にひっかかった人間の一人なのであまり大きなことは言えない。悔しいがヤツの力は本物だ。まさに人知を超えた能力。
路地を吹き抜ける強い風がリリスのボロ布をはためかせる。目隠しの向こうから現れた紅い瞳は獲物を求め爛々と輝き、人の視線を引き付ける魔性の力を振りまいている。
狩人の顔をしたリリスが獲物に向けて颯爽と歩き出した。
「あの人の視線も貯金も私のものです」
俺はユライを見た。ユライも俺を見ていた。不安げな目だ。ようやく自分がとんでもない女に縋ったという事実に気付いたらしい。
しかしもう遅い。リリスは既に歩き出していた。世界の全てが自分の味方であるかのように堂々と胸を張って。目の前の男が自分を拒絶するなんて考えられないとばかりに。
だからだろうか。リリスは自分の身になにが起きたのか分からないようだった。
「動くな」
ルイは正面を向いたまま、背後から迫るリリスにハッキリとそう言い放った。
リリスの足が止まる。自慢の魔眼が大きく見開かれる。予想外の反応に困惑しているように見えた。当然だ。まだ声もかけていない。ルイの視界に入ってすらいない。それでも、ルイはハッキリとリリスのことを認識しているようだった。
「魔眼持ちの人間なんて初めて見る。興味がないと言えば嘘になるけど、今日はデートだからね。日を改めてくれる?」
リリスは即答した。
「嫌です」
言うが早いか地面を蹴る。強硬手段に打って出た。魔眼で無理矢理落とす気だ。ボロ布をはためかせたリリスが軽い身のこなしでルイの視界へ強引に飛び込む。
が、ルイは既にそこにはいなかった。
「勇者とはいえ女の子に乱暴なことはしたくないんだ」
リリスが振り返る。
ヤツの魔眼が捉えたのはルイの背中だった。噴水から遠ざかるように歩きながら、背中越しにひらひらと手を振る。
その仕草がリリスの癇に障ったようだった。唇を噛み、強く握った拳を震わせ、見開いた眼はギンギンに輝いている。
「ぬいぐるみとデートしてる頭おかしい人のくせにぃ……!」
リリスが離れていくルイを追って駆けだす。
しかしリリスはまたもやターゲットを見失った。足を止め、激しく首を振ってルイを探す。リリスの頭の動きが止まった。
「本当に魔眼しかないんだね」
リリスの後頭部を見下ろしながら、ルイが憐れみすら含んだ声で呟く。リリスは動かない。あるいは動けないのかもしれない。なんらかの魔法でも使っているのか。俺に確認できるすべはない。ただ輝く魔眼だけが右へ左へせわしなく動いている。
ルイが静かに、諭すように続ける。
「確かに凄い能力だ。でもそういうのは種が割れたらもう使えないんだよ。攻略法がバレるのと同義だからね。君は目立ちすぎた。やるならもっと水面下で密かにやるべきだったんだ」
攻略法。つまり魔眼を見なければ良いということ。簡単に言ってみせるが、あの動きは誰にでもできるものじゃない。そうだった。アイツは元星持ちだ。
「魔眼も所詮はただの道具だ。君がやっているのはただ闇雲にナイフを振り回しているのと同じ。とてもプロの仕事とは言えない。もっと頭を使うんだね」
ベテラン勇者様から新参勇者へのありがたい助言である。的を射た言葉に思えた。さて、本人にはどう響いたか。リリスが目を閉ざす。ゆっくりと息を吸いこむ。そして大きく口を開いた。
「助けてくださぁい!」
良く通る少女の声。緊迫感を持ったそれは勇者たちの視線を引き付けるには十分だった。
リリスが目を見開く。一際強く輝く魔眼が無防備に目を晒した野次馬共を釘付けにしていく。
魔眼にひと睨みされた野次馬のうち、男だけが得物を手に取りじりじりと二人の元へにじり寄っていく。
尋常じゃない周囲の様子にルイがハッとした様子で言う。
「周囲の人間を魅了した……!?」
この街の勇者みんながみんなルイほど用心深いわけではない。
アホ面晒してその辺にいた勇者の多くがリリスの魔眼に魅了された。リリス一人では到底ルイに太刀打ちできないが、この人数ならどうだろう。
リリスは自分のこめかみを人差し指でコツコツ叩き、先輩勇者への敬意というものをまるで感じさせない舐め腐った口調で言う。
「頭、使ってみましたぁ」
ルイの緊迫した表情に微かな笑みが浮かんだ。
「ロージャには敵わないけど――俺、君のこと嫌いじゃないよ」
ああ、分かっちゃったわ。
アイツは元から性格の悪い女が好きなんだ。
俺はユライを見た。ユライも俺を見ていた。不安げな目だ。
俺は静かに首を横に振った。
もし仮にルイがロージャから離れられたとして――次の女もまず間違いなく性悪だ。同じ性悪ならぬいぐるみの方が扱いやすい。が、そのまま言うとアレなので俺はオブラートに包むことにした。
「なんだかんだで、ルイにはロージャが合っているんだと思いますよ」
リリスと愉快な仲間たちとの壮絶な追いかけっこに興じているルイを眺めながら、ユライは遠い目をして微かに頷いた。