最悪だ……憂鬱だ……
魔王に会わせるとか言われた。魔王って、あの魔王でしょ? おとぎ話に出てくるやつ。
どんな姿だろう。文献によって竜人っぽかったり悪魔っぽかったり黒いモヤみたいに描写されていたり色々だ。そもそも人間が魔王をその目で見たのは遥か昔、神話の時代である。さすがに代替わりしているだろうし文献などあてにはならないか。
だいたい勇者をサポートする神官が魔王になんて言って挨拶するんだよ。開口一番「わしの味方になれば世界の半分をお前にやろう」とか言われたらどうしよう。いや、それに関しては考えるまでもないか。「はい」一択。
俺は小窓から様子を窺う。
礼拝の時間だからとかなんとか言われて物置のようなところに押し込められている。
礼拝堂では信者の魔物共がうじゃうじゃ集まって長椅子を埋めていた。魔王との謁見とやらはこれが終わってからだそうだ。
本当、うちの教会より教会っぽいよ。今も悪魔神官がなにやらありがたそうな話をして、信者の魔物たちはそれをありがたそうに拝聴している。フェーゲフォイアーでは見られない光景に涙が止まらない。
とはいえ、悪魔神官が説いているのは神ではなく魔王への讃歌だ。
ここの魔物は二言目には魔王様魔王様。これも王への忠誠心を植え付ける政策の一つか? なんか独裁国家っぽいなぁ。
扉の隙間から今度は讃美歌が聞こえてきた。歌っているのが魔物じゃなければ本当に普通の教会って感じだ。ほら、目をつむればもう教会にいるとしか思えない。眼をつむれば……あっ……良い感じに眠気が……
「おい……おい。起きろ。魔王様をお連れしたぞ」
ヤベッ! 俺はバネのように椅子から立ち上がり深々頭を下げて手を差しだす。
「どうも初めまして世界の半分を僕に下さい!」
「誰になにを言ってるんだ?」
マズい、寝ぼけて変な事言ってしまった。第一印象最悪だ。こんな事で魔王の機嫌損ねて殺されたら笑えねぇぞ。
俺は恐る恐る顔を上げ、そして拍子抜けした。
なにが「魔王様をお連れした」だ。悪魔神官だけじゃねぇか。
「からかわないでください。心臓止まるかと思いました」
「からかってなどいない」
悪魔はそう言って持ち込んだ箱に視線を落とす。一抱えほどもある木箱だ。蓋をあけると、厳重に紙で包んであるなにかが見えた。丁寧に紙を剥がしていく。剥がれていく紙クズが山を築き、つつみはどんどん小さくなり――最終的に出てきたのは敷き詰められたクッションにうまるようにした白い石だった。
「……は? なんですか」
表面は滑らかだが光沢はない。手のひらに収まる程度の硬質な欠片。なんか見たことがある気がする。ただの石、ではないんだろうなきっと。
魔王城に伝わる財宝……には見えない。なんらかのマジックアイテム……にも見えない。石に擬態したミミック魔王様……だったらなんか嫌だな。
触ろうと手を伸ばすと悪魔はサッと箱を引っ込めた。
「無礼だぞ。魔王様に触るな」
えっ……ミミック魔王様説が正解か……?
俺は悪魔の抱えた石をまじまじ見つめる。そして気付いた。
「骨ですか?」
悪魔は答えなかった。俺に背を向け、扉の先にある聖堂に視線を向ける。
「この部屋、お前にはどう見える」
……どうって言われても。褒めれば良いのか? 血の匂いがしなくて最高ですね、とか?
いや、悪魔の表情は真剣そのものだ。俺は正直に思ったことを口にした。
「私たちの……人間の世界の教会とそれほど変わらないなぁ、と」
「そうだろうとも。真似するしかなかった。我々に神はいないから」
神がいない?
言っている意味がよく分からなかった。
俺が反応できずにいると、悪魔はよく見ないと分からないほど微かに笑った。自嘲的な笑みだった。
「“魔王軍”とは創造主である魔族に背を向け、自由を求めて集まった者たちのことだ。魔族の支配から完全に逃れるために我々の祖先は新天地を目指してフランメ火山を超えた。結末はお前も知ってのとおり」
遥か昔、神話の時代。
魔物の大軍を引き連れ、人類の領域へ侵攻してきた魔王は勇者により打ち倒された。
敗走した魔王軍の残党は勇者の追跡を振り切り、フランメ火山の奥へ消えていったという。
「夢を砕かれ、地下へ追いやられ、あげく指導者まで失った我々に、しかし奇跡は起こった。魔王様は不滅だったのだ。死してなお我々を守り天啓を授けてくださる――なんてな」
悪魔はそう言って視線を手元に向ける。
クッションに埋もれた小さな白い欠片。勇者に打ち砕かれた夢の残骸。
「縋るものが必要だったんだ。たとえそれがただのリン酸カルシウムの塊だったとしても」
そして悪魔は顔を上げる。見慣れたデザインの服を翻し、こちらに金の瞳を向ける。
「一度ヒトの神官に聞いてみたかった。愚かに見えるか? いもしない神をあがめ、意味のない儀式を執り行う我々が滑稽で仕方がないか?」
様々な回答が脳裏をよぎったが、どれも口に出すには至らなかった。
どんな言葉も安っぽい嘘に感じてしまったから。
日々奇跡を目の当たりにしている俺がコイツの苦悩を理解する日はきっと来ない。そしてコイツが俺の苦悩を理解する日も。
「ねぇ、入っても良い?」
ノックの音と共に声が聞こえてくる。教会の玄関からだ。
その声に悪魔の顔色が変わる。酷く慌てた様子で声に応える。
「ま、待ってください! 少しだけ」
そして俺を見て思い切り顔を顰める。
「お前はなんて格好をしているんだ」
いや、お前がいつまで経っても着替えくれないから調味料と血塗れの肌着のままなんだろ。
悪魔は大事な大事なご神体こと魔王様の骨を木箱へ乱暴にぶち込み、どこからか霧吹きを取り出して無言で俺に吹きかける。
俺は短い悲鳴を上げた。痛ぇ! 擦り傷に染みる!
「なんですかコレ!」
「シュセイだ。人間なんてどんな病気を持っているか分からん。黙って口を開けろ。そしてあの方が入ってきたらずっと閉じてろ。絶対に失礼のないように」
人をバイキン扱いしやがってぇ。
しかし悪魔は有無を言わさず俺の頬をガッと掴み、得体のしれない「シュセイ」とやらを俺の口内に吹き込む。嗅いだことのある独特の芳香。あっ、そうか分かった。「シュセイ」って「酒精」ね。俺は悪魔の頬をぶん殴った。
「うわっ……えっ、なに?」
突然のバイオレンスに目を丸くして固まる悪魔。俺は叫んだ。
「うるせー!! 自分ばっかり辛いんですぅ、みたいな顔しやがって。舐めてんのか。死体の山築かせた挙げ句、神官に完徹させて平気な顔してるような神ならいっそいない方がマシだろうが」
俺は背伸びをして悪魔の肩に腕を回す。
「なぁ。なぁ! なぁそうだろ!? お前もそう思うよなァ!?」
「な、なんだ急に。酔ってるのか? 静かにしろ。離せ!」
「ああぁぁ~」
悪魔に振りほどかれた俺は情けない悲鳴を上げながら床に転がった。掃除の行き届いた床だ。血の染みはなく、血の匂いもしない。なんて快適なんだ。頬ずりしちゃお。それに比べてうちの教会は。俺は叫んだ。
「いやだー! 帰りたくない。帰りたくないよ……誰か俺を救ってくれぇ!」
「帰らなくて良いんじゃない?」
ハッとして、俺はむくりと顔を上げる。
目に映るのは鮮やかな赤。華やかなサテン生地のキャミソールに包まれた乳が四つ。
「……ん?」
俺は目を擦った。乳が四つある。
「あれ……?」
目が疲れてるのかな。俺は部屋の隅を数秒見つめてから改めて視線を移す。乳が四つある。乳が四つある。
乳が四つあった。
「ウフフ……こんなに暴れて、イケナイ子」
四つある乳が揺れる。
顔を上げて、俺は納得した。
牛だ。牛だった。二足歩行しているけれど、それは紛れもなく牛だった。牛なら乳が四つあって当然だ。だって牛なのだから。白地に黒いブチで彩られた豊満な肉体を揺らしながら悩ましげな顔でこちらを見下ろす。
「おうちに帰りたくないの?」
俺はこくりと頷いた。
すると牛は口をモグモグとさせた。反芻かな? 違う。どうやら微笑んだらしい。
「じゃあお姉さんと一緒に楽しいとこ行きましょう」
「たのしいとこ……」
意味ありげに笑う牛。俺はハッとした。
俺も大人の男だからな。それがなにを意味するのかくらいは察しが付く。黒ぶちに彩られた艶めかしい四肢、豊満な肉体、楽しいとこ――牧場だ。
俺はキリッとした顔を作り、バリトンボイスで言った。
「乳絞りはできますか?」
「なに言ってんだ」だの「いい加減にしろ」だのとわーわー騒いでいる悪魔を無視し、牛は俺に手を差し伸べる。
「積極的な子は嫌いじゃないわ」
ぬるい牛乳は嫌いだが牧場のテンションならまぁ飲める。
俺は手を引かれるがまま、牛のお姉さんに身を任せた……