近々魔王軍がフェーゲフォイアーに攻め込んでくるとのことである。
他の人間の言葉ならば単なる与太話と切り捨てるところだが、ほかならぬ大司教様の言葉だ。「攻め込んでくる」というより「攻め込ませるよう策を弄している最中」と言った方がいいかもしれない。
怖すぎるし意図が全く分からない。
いよいよ「大司教様、魔物が人に化けている説」が濃厚になってくる。
その謎を解明するため、俺はフェーゲフォイアー図書館の奥地へと向かった――
「教会に蘇生待ちの列ができていましたよ」
大司教様に秒で見つかった。
せっかく見つからないよう奥の方の席を陣取ったのに。
というかなんでまだこの街にいるんだ。ルッツは早々に帰ったぞ。本部の仕事への呪詛の言葉を吐きながら。
「調べものですか? 手伝いましょうか?」
まさかお前の正体を探っていると言えるはずはない。俺は机の上に積んでいた本の一冊を手に取り、適当なことを言う。
「魔王軍襲撃に備えて歴史から学べることがあるかと思いまして」
「懐かしいですね」
俺が示した分厚い本を見て、大司教様はノスタルジーに浸るように目を細める。
神話の時代。勇者が魔王を華麗に退けた古の伝説。様々な物語として語り継がれてきた有名な話だ。物語として面白くなるよう大袈裟な脚色を加えたものが多いが、この本はどちらかというと歴史書に近い。神官学校でも教科書として使われており、神官には馴染み深い本である。同時に忌々しい本でもあるが。
「神官学校の試験では苦労させられました。勇者たちが立ち寄った街の名前が全然覚えられなくて」
「それは申し訳ない事をしました」
「……申し訳ない?」
大司教様の返答の意味が分からず首を傾げる。
あっ、もしかして神官学校の試験の制作をしたことがあるとかか?
だとしたら本人に直接文句を言ってしまったことになる。慌てて口を閉ざすが、大司教様はさして気にする様子もなく分厚い歴史書の古びた表紙をなぞる。
「でも随分と虚実入り混じっていて。みんな、見たいところだけを残して都合の悪いところは取り払ってしまうんです。これは随分マシな方ですが――それでも、これも重要な部分は記録されていない」
なにを言ってるんだ。
この本は数ある歴史書の中でも最も古く、初版が出たのは今から数百年前。
これに記録されていない事実ならば、もうどこの書物にも誰の記憶にも残っていないんじゃないのか。それを大司教様は知っていると言うのか?
「色々なことを忘れてしまいましたが、この記憶だけは色褪せない」
大司教様が動く。前の席に腰を落とし、大仰な杖を机に立てかけ、感情の読めない目をこちらに向ける。
「いくらでも話して差し上げますよ。英雄譚なんかじゃない。私たちの旅の記憶」
*****
物理アタッカーの剣士と戦士、魔法アタッカーの魔導師、そしてサポートのヒーラー。
それが私たちのパーティ構成でした。
当時の魔王軍の攻勢は凄まじかった。
多くの街が燃やされ、今となっては信じられないほど教会の設備も整っていなかった。その代わりに、多くの神官志望の少年少女たちが洗礼を受けて勇者として戦線に投入されたのです。
みんな勇者になんてなりたくなかった。私だってもちろんそうでした。神官になるために必死に勉強しましたが、限られた教会勤務の枠から漏れてしまったのです。
失意と絶望を滲ませながら勇者になって旅に出て、私を取り巻く環境は一気に変わりました。それはもう大変でしたよ。
野宿は当たり前。たまに宿屋に泊まれても、ベッドを取り合って小競り合いが繰り広げられました。
倒した魔物をなんとか調理して食べる日々。シーサーペントの肉なんか最悪です。ゴムみたいに噛み切れないそれを四人で囲んで文句を言いながらいつまでも噛んでいました。
特に揉めたのは装備品ですね。性能が同じなら安いのにしておけば良いのに、やれこっちの方がオシャレだの、こっちの方が肌触りが良いだの。魔導師なんかは頻繁に杖を壊して、お陰で私たちの財布はいつもスカスカでした。
みんな我が強く、本当に喧嘩ばかりで。子供時代――限られた神官の枠を奪い合い、蹴落とし合い、周囲と距離を取る冷ややかな環境にいた私にとっては衝撃的な激しいぶつかり合いに幾度も巻き込まれました。
まぁそんなのは可愛いものです。
私にとっての一番の問題は、パーティメンバーの死亡率の高さでした。
彼らはみんながみんな前に出たがりで。せっかく私が緻密な戦略を立てても、それを無視して魔物に突っ込んでいっては死ぬのです。私がネチネチと小言を言っても彼らは「だって君が蘇生してくれるじゃないか」と笑顔で返す。呆れて声も出ませんでしたよ。
でもその死を厭わない戦い方が良かったのでしょう。私たちは着実に実力をつけ、戦果を挙げ、少しずつ少しずつ魔王を追いつめていきました。
やがて私たちは、魔王に刃の届くところにまでたどり着いたのです。
激戦でした。魔王の攻撃は激しく、防御は固く。でも決して敵わない相手じゃなかった。お互い満身創痍になり、戦いの中で何度かの死と蘇生を繰り返して。
あるとき限界に達した。
死んだのです。私が。一瞬の隙をつかれた。避けられない攻撃じゃなかった。他の三人に向けられていたなら、きっと彼らは易々と攻撃を避けられたでしょう。でも私はダメだった。結局、私は勇者に向いていなかったのです。弱かった。圧倒的に。
ヒーラーを失えば戦線は一気に崩壊する。とはいっても勇者は不滅です。近場の教会に転送されて、もう一度挑戦できる。そんなことを考えていたから足元をすくわれたのかもしれません。その機会は永遠に訪れなかった。
瀕死の魔王は配下を連れて敗走したのです。フランメ火山を超えた先、人類の領域の外へ。
ここが伝説や英雄譚として語られる物語と大きく違うところ。
真実はこうです。無能なヒーラーのせいで勇者は魔王を倒せなかった。
負わせた傷は大きかった。敗走の途中で息絶えたのかもしれない。少なくとも、彼は生涯人類の前に現れなかった。
でもそんなのは結果論でしょう。
私のせいで魔王を倒せなかった。その事実は変わらない。でも仲間たちは私を責めませんでした。守れなくて悪かったと謝罪し、そして「いつかきっと魔王を倒しに行こう」と言ってくれたのです。
でも、その機会もまた永遠に訪れなかった。
仕方がない事ではありました。
魔物たちに破壊されつくした人類は復興に忙しく、もはや脅威ではなくなった魔王軍をわざわざ倒しに行く余裕はなかった。
英雄である私たちはそれぞれの分野で復興の指揮をし、多忙な毎日を送りました。
ある日気付きました。いつになったら魔王を倒す旅に出られる?
人生は短い。肉体はどんどんと衰えていく。背負うものはみるみる増えていく。
だから私は上司に――女神様にお願いをしました。
永遠が欲しい。二度と仲間の足を引っ張らない体が欲しいと。
元より異教徒殲滅のため、自分で作ったルールを捻じ曲げる「死者蘇生」なんて奇跡を与えるようなお方です。
これまでの輝かしい戦歴も考慮され、私は女神様にこの体を賜った。そして仲間たちにもその権利が与えられたのです。
でも仲間たちは永遠の体を願わなかった。
王となった剣士は国家の永遠の繁栄を願った。国が強くなればもう二度と魔物には負けないからと。
郷里に戻り幼馴染と結婚した戦士は子孫たちの永遠の健康を願った。子供たちが健やかに自由な道を歩けるようにと。
魔導師は自らの杖に永遠を与えた。いつか杖を受け継いだ誰かが何にも縛られず冒険に出られるようにと。
魔王との戦いなんて、共に過ごした時間なんて、私との約束なんて、彼らにとっては遠い過去の事。誰も覚えていなかった。
せっかく与えられた“永遠”をふいにした彼らはあっという間にこの世からいなくなった。
やがて魔王軍に焼け野原にされた街は復興し、彼らに虐げられた記憶を持つ者もこの世からいなくなり、瞬く間に気の遠くなるような時間が経ち――やがて世界は魔王軍への恨みを忘れてしまった。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったものです。
だから世界に思い出してほしい。
魔物たちの残虐非道な行いを。あの憎しみを。
心を一つにし、今度こそ人類に完璧な勝利を与えたい。
だから人類の敵と呼ぶに相応しい強い魔王軍を。
人類の英雄と讃えられるに相応しい強い勇者を。
人類を鼓舞する憎悪と惨劇を。
私は欲し、そして育てている。