きっと大司教様は今更止まらない。あの人を止める手立てなどない。準備は着々と進んでいる。
魔王城は王都から運び込まれる食糧に依存していた。それが断たれたことによる飢えの苦しみは彼らに人類への恨みと憎悪を思い起こさせるだろう。
強い負の感情と生存本能が合わさった時、一つの集団を突き動かす莫大なエネルギーは生まれる。
そう遠くないうちにこの街を危機が襲うだろう。
ここは最前線の勇者の街。魔物に対する人類の戦力が集まっている。だからこそ、万一この街が陥落し拠点とされるようなことがあればもう人類に成すすべはない。
魔物たちはあっという間に人類の領域を制圧。王都が落とされるのも時間の問題だ。
早急に対応する必要がある。これもその対応の一つ……なのか?
「キノコの分量これで良い?」
「体重換算では……」
「そもそも魔物にキノコ効くのかなぁ?」
教会に集まった白装束共。手に持った鮮やかなキノコを前にうんうん唸っている。
傍らにいるのはボロボロのチョッキを纏ったふわふわのウサギ。
魔族をこの街に連れてきた元凶であり、捕虜であり、その愛くるしい見た目から白装束共の元で愛玩魔物として可愛がられていたはずだ。はずなのだが……
「なんで急にキノコ漬けにしようとしてるんですか」
尋ねると、白装束共の一人がキノコを片手にくるりとこちらを向いた。
「尋問ですよ。向こうの戦力や作戦を知りたいんですが、なかなか口を割らなくて……」
「はぁ。なんで教会で」
「神官さんがいればいざというとき解毒してもらえるし。最悪すぐ埋葬できるし」
こいつら殺る気で尋問しようとしてない……?
ウサギがつぶらな瞳でこちらを見てくる。助けを求められているのか。
確かに魔物は我々人類の敵である。とはいえ俺が魔王城の魔物に助けられた身ではあることも事実。一応世話になったと言えなくもない悪魔神官もウサギの安否は気にしていたし……。
悩みながらも、俺は白装束共に言う。
「その、目の前で尋問されるのは良心が痛むのですが……」
「じゃあ地下室使わせてください。なにかあったら呼ぶので」
えぇ……そういう問題かよ……
小刻みに震えるウサギを抱え、白装束共が元気に地下へと降りていく。
ウサギが可哀想ではあるが、我々に情報が必要なのもまた事実。そう強く白装束共を止めるわけにもいかない。
キノコのことしか考えられなくなる前に情報を吐いてくれると良いのだが。
さて。ようやく教会が静かになった。
かと思ったらコレだよ。
「俺をぬいぐるみにしてくれ……」
ユライである。
会うのは俺が空の魔族に攫われた時ぶりだというのに、「大丈夫でしたか?」の一言すらなくコレだ。何だコイツ。別に本気で心配してほしいとは言わないけどさ、一応挨拶がてらそういう言葉は言うべきだよね?
しかし俺がくどくどと説教を食らわすより早く、ユライが弾かれたように振り返る。少し間をおいて教会の扉が開いた。
「ル、ルイ!」
慌てた様子のユライに、ルイがキョトンとした顔で歩いてくる。
「どうしたんだユライ……あっ」
ルイが俺を見るやパッと顔を輝かせてこちらへ駆けてくる。
おお、お前は俺が無事に帰ってきたことを喜んでくれるか。目の前に来たルイが満面の笑みで言う。
「ロージャ! こんなとこにいたのか」
「……は?」
俺は後ろを振り返る。念のため辺りを見回す。
もちろんロージャはどこにもいない。というか、ルイは完全に俺のことを見ている。
困惑していると、ユライが震える手でルイの肩を掴んだ。
「それはロージャじゃないんだ。ロージャじゃないんだよ……」
「ロージャと私、人間であること以外なんの共通点もないんですが」
ルイが動いた。激しく床を蹴り、俺の胸ぐらを掴む。叫ぶように言う。
「紛らわしい真似をするなァ!」
えぇ……なんかキレられたんだけど……
ますます困惑を深めていると、ルイを羽交い締めにしながらユライが沈んだ声で説明してくれた。
「ルイには万物がロージャに見えているんだ」
それはまた……難儀なことに……
そういえば俺が攫われる前、ユライが呪いのおしゃべりぬいぐるみことロージャを火の中に放り込んだんだったな。
あのあとルッツか大司教様に蘇生されてそのまま逃げられたか。
「ロージャがおかしいんだ。いつもみたいに“コロスコロス”って言わないんだ」
女神像に縋りながらルイが首を傾げる。
あーあ、また一段とおかしくなっちゃった。
ユライが顔を覆って肩を震わせている。良かれと思った行動が大事な仲間の精神を狂わせてしまったことに彼は大きな責任を感じているようだ。
俺はユライの肩に手を置き、考え抜いた慰めの言葉を口にする。
「好きなものに囲まれてるって幸せな事じゃないですか?」
「そんなこと思ってないくせに!」
バレたか……
なるほど、教会を訪れてすぐユライが口にした言葉の意味が分かったぞ。ロージャの代わりにおしゃべりキツネぬいぐるみになり、ルイの精神の安定に貢献することで罪滅ぼしをしようと考えたのだな。
しかしユライがおしゃべりキツネぬいぐるみになってしまうとルイの保護者がいなくなる。そちらの方が問題だ。
俺は神官スマイルを浮かべて言う。
「その辺で買ったキツネのぬいぐるみでも持たせてやれば良いじゃないですか」
「ダメなんだよ……重みというか、生きてる感みたいなのがないとすぐバレるんだよ……」
生きてる感か。なにか良い代用品があると良いのだが。
……いや、待てよ。あるじゃないか。生きてる感のあるふわふわが。
「教えてあげましょうか。ロージャの居場所」
神官スマイルを浮かべた俺の言葉に、ルイが糸目を見開いた。
*****
重い鉄扉を蹴破るようにして地下室に飛び込んでいくルイ。
カラフルキノコの選別をしていた白装束共が突然の乱入者に怪訝な顔をした。ルイがここに飛び込んできた理由について全く心当たりがないからだろう。なんなら部屋を間違えたのだと判断した者もいるかもしれない。しかしルイが間違えているのは部屋ではない。もうなんか色々全部間違えている。間違え続けて来るとこまで来た感じだ。
「ロージャァ!」
白装束によって拘束されたウサギに向かって、ルイはかつての仲間の名を呼ぶ。
ウサギも知らない人間に知らない名で呼ばれてキョトンとしている。どうやらキノコはまだ投与されていないらしい。
「ちょっとちょっと、今尋問中だから――」
事務的な感じで止めに入った白装束の首がゴトリと落ち、彼の白装束が赤く染まる。ルイの頬が返り血に濡れる。
おいおい、殺すのはナシだろ! しかし慌てたところでもう遅い。来るとこまで来てしまった男は止まらない。
「なんのつもりだ!?」
「ちゃんと理由を――」
ルイの投擲した短剣が制止のために立ち上がった白装束の眉間を貫いた。そのまま床を舐めるように体勢を低くし、別の白装束の大振りの反撃を躱す。床を蹴り上げて急上昇。白装束の懐に潜り込み鈍色の一閃が首筋を掻き切る。
さすがは狂っても元星持ち。狭い部屋を縦横無尽に動き回り、腕を振るうたびに鮮血が地下室を染め上げていく。白装束の雑魚程度相手にならない。何の説明もされず、哀れな白装束共は訳も分からないうちに殲滅されて一階の聖堂へと転送されていった。
クソッ、地下室を汚しやがって。ここの血は白装束に掃除させよう。
「ロージャ、大丈夫だったか?」
刃についた血を振り払いながらルイがウサギへと歩み寄って行く。
突如現れて白装束を殺しつくして自分を知らない名前で呼ぶ血塗れの男に、ウサギはどう接して良いか分からないようだ。
しかし白装束の魔の手から救われたことは理解できたらしい。怯えた目でルイを見上げながら、震える声で言う。
「あの、ありが――」
「違うだろ?」
ルイは割れ物でも扱うような優しい手つきでウサギを持ちあげる。自分の顔よりも高く掲げたウサギの顔を覗き込み、糸目をギンギンに見開いて言う。
「ロージャはそんなこと言わない」
ウサギが息を呑む。
どうやら理解したようだ。危機から逃れられたのではない。新たな危機に捕まったのだと。
とはいえルイはロージャの代用品を殺すような真似はするまい。白装束よりはマシだな。
ウサギが新しいロージャとして振舞うのと、ルイのことが嫌になって魔王城の情報を吐くの、どっちが先になるか見ものである。