教会本部を人気を避けるように進んでいく。
さすがに本部勤めは建物の構造にも詳しい。
がらんとした廊下を進みながら、シャルルが横目でこちらを見る。
「まぁその……ユリウスのことだ。更衣室に忍び込んだのもなにか理由があるんでしょ? ……あるよね?」
疑惑の目を向けてくるシャルルを安心させるべく、俺は力強く頷く。手に持った鮮やかな女装用下着をシャルルの懐にねじ込んだ。
「もちろんだ。これは助けてくれた礼だ」
「い、いらない……。ユリウス、たまに凄い変な事するから心配だよ……」
物凄く久々の再会だというのになんだその物言いは。
しかし俺が文句を言うよりも早くルッツが異を唱えた。
「んなわけないだろシャルル!」
俺の肩に腕を回す。瞳孔の開いた目でこちらを覗き込む。
「殺りにきたんだろ? 大司教様を」
「いや……殺りにはきてないんだけど……」
「おい!! そんな覚悟でこの先やっていけると思ってんのか! カタリナちゃん助けに来たんじゃねぇのかよ」
ルッツの言葉にハッとする。
なぜお前がそれを知っているんだ。いや、言われてみれば部署の違う二人が揃って助けに来てくれたのも不自然だ。
答えをくれたのはシャルルだった。
「あの金髪の魔導師の子、多分大司教様の執務室にいる。大司教様と一緒に帰還したのを見た」
「……ちょうど良いな。案内してくれ」
「お前の手助けをしたいのは山々だけど。やめておいた方が良いと思う」
奥歯に物が挟まったような物言い。
しかしシャルルは考えなしに言葉を吐くような男じゃない。ルッツと違って。
「ユリウスがせっかく殺す覚悟を決めたんだぞ! 水を差すようなこと言うなァ!」
「お前ちょっと黙ってろ。シャルル、どういうことだ?」
ルッツの口を塞いで押しのける。シャルルが気の毒そうな顔をした。
「悪く思わないでやってよ。大司教様の部下はだいたいこうなる。あの人とはできるだけかかわらない方が良い。……ハインリヒさんっているだろ。ほら、一緒にフェーゲフォイアー教会へ監察に行った」
ハインリヒ監察官。シャルルの上司だ。
大司教様から俺を守ろうとしてくれた。残念ながら力及ばなかったが。
「お前の何代か前のフェーゲフォイアー教会の神官がハインリヒさんの同期だった。でもある日突然姿を消した」
シャルルが伏し目がちに言う。
周囲を見回す。長い廊下に誰もいないことを確かめ、それでも用心深く声を潜める。
「その直前に大司教様はフェーゲフォイアーへ行っていたんだ。ハインリヒさんは疑ってる。その……あの人の言葉を借りると“大司教様が同期を消した”んだって」
俺は息を呑んだ。
他の人間ならそんなまさかと笑い飛ばすところだが……大司教様ならやりかねない。
そうか。だからハインリヒさんは俺を助けようとしてくれたんだ。かつての友人と俺を重ねて――
「ハインリヒさんとは学生時代からの友人だったって話だよ。クルト神官っていうんだけど……おいユリウス? 聞いてる?」
俺は項垂れた。
なにも知らされていないハインリヒさんが心底可哀想に思えた。
迷いながら、しかし恐る恐る切り出す。
「その人……多分蜘蛛と駆け落ちして……」
「は? 蜘蛛? なんの話してるの?」
「その……なんていうか……アラクネの娘が……」
シャルルが怪訝な顔をした。怒りすら滲ませた声で言う。
「ユリウス。俺は真面目に話してるんだよ。変な茶々いれるのやめてくれない?」
「いや……あの……ごめん……」
「とにかく、大司教様の周りにはきな臭い噂が多い。勇者ならそのうち自分で帰れるんじゃない? わざわざユリウスが行く必要は」
「あるよ」
それだけはハッキリ答えられた。
俺にとってのシャルルのような。クルトさんにとってのハインリヒさんのような。身を案じてくれたり、馬鹿な考えを窘めたりしてくれる人が今の大司教様にはいない。
なら、誰かがかわりに止めてやらなくてはならない。
それに、“勇者だから大丈夫”というのは間違いだ。
「勇者でも……いいや勇者だからこそ。死ぬより辛い目に合わせる方法は山程ある。俺はそれを嫌というほど見てきた」
「な、なんだよそれ。どういうこと?」
「聞かないほうが良い……」
俺はシャルルからサッと視線をそらした。両肩を抱いて震える。
しかし返答は意外なところから上がった。
「教えてあげなさいよ」
足を止める。
素早く頭を振って辺りの様子を探るが人の気配は――いや、上だ。
天井に音もなく穴があく。ロージャだ。天井裏から上半身を出し、コウモリのように逆さまになってこちらを見下ろす。
想定外だ。まさかこんなに執念深く追ってくるとは。
「なんなのその顔。まさか私があれだけで許すとでも?」
「私が一体なにをしたって言うんですかっ!」
「なんでそんな他人事みたいな顔ができるのよ。あぁ腹が立ってきた……!」
酷い。こんなのは八つ当たりだ。
よりによってか弱く善良な神官を相手に当たるとは。地獄に落ちてしかるべき。
しかしロージャは俺の方を地獄に落とす気らしい。
「この私が、あなた達に気付かず間抜けにも接近を許し、たまたま捕まったとでも思っているの?」
ロージャが口元を押さえる。嘲笑いを口の端から漏らす。
「カタリナが王都へやってきたときから、私は刃を研いで待っていた」
やられた。全部仕組まれていたんだ。
俺たちがカタリナを助けに王都へ来ることを見越してロージャは行動していた。
俺の視界に入り、仲間に加わったところまで全部ロージャの計画通り。
「“死ぬより辛い目に合わせる方法は山程ある”――その通りよ。ふわふわの檻に閉じ込められている間、ずっと考えていた。私をこんな目にあわせたお前たちへの復讐を」
動いたのはシャルルだ。
廊下の窓に駆け寄る。誰か助けを呼ぼうとしたのだろう。しかし押しても引いても、窓はびくとも動かない。
「ッ……なんでだよ!」
窓に拳を打ち付けるシャルルを逆さまの笑顔で嘲る。
「時間は十分にあったわ。綿密な計画をいくつも立てた。あらゆる罠を張り巡らせている。“想定外”など一つもない」
両腕を大きく広げる。自由を誇るように。毛皮を纏っていない自らの肉体を曝け出すように。
「殺さない。お前らには死すら生温い!」
身じろぎ一つできない。
天井の奥――暗がりに恐ろしいものを見た。
それは殺意の権化。いいや、殺す気はないのか。
教会本部の澄んだ空気が揺れる。どちゃりという湿っぽい音が響く。逆さにぶら下がっていたロージャが床へ落下する。
「……え?」
ロージャが呆然と呟く。
なにが起きたのか分からないとばかりに辺りを見回す。床にじわりと広がっていく血以外、誰も動けないでいた。
ロージャがどうして天井から落下したのか。俺たちにはすぐにわかった。
体を支えていた脚を失くしてしまったからだ。
「痛っ……あぁ!?」
ロージャが血の中で呻く。
その両脚――膝から下がない。鋭利な刃物で切り取られたかのようだ。断面からはとめどなく血が漏れ出ている。
シャルルが廊下の隅でへたり込むのが分かった。ルッツは天井を見上げて目を細めた。
「この感じ、懐かしいなぁ」
天井にあいた穴。奥に広がるのは、どこまでも続くような深い闇。その中に二つの眼が浮かび上がる。パステルカラー。それが瞬く。
「ぬいぐるみに脚はいらないね」
ロージャが呻きながら体を起こす。
血に濡れた顔に浮かぶのは――笑み。
「私の計画にっ……“想定外”など一つもない!」
手に何か持っている。それを握り込む。
瞬間、天井の穴から眩むような光が降り注ぐ。少し遅れてつんざくような爆発音。
天井にヒビが走り、細かな瓦礫が降り注いだ。かなり威力を絞った小規模な爆弾。とはいえ、まともに食らえば無事では済まない。
神出鬼没な怪異を相手に、ロージャは考え得るすべての策を取ったのだろう。そう感じさせる準備の良さ。
しかし相手が悪かった。
想定の“内”とか“外”とか。そういう次元にアイツはいない。
天井の穴から白い綿が舞い落ちる。それと、パステルカラーの布切れ。
不意に暗くなる。漂う冷気に身震いする。
窓が開いた。
シャルルがどうやっても開かなかった窓が、いとも容易くひとりでに開く。
そこから見えるのは快晴の空でも王都の町並みでもない。窓枠に切り取られたのは窓ガラス一枚分の闇。
黒い腕が伸びる。何本もの腕がロージャを抱えあげる。
「ぬいぐるみに腕はいらないね。骨もいらないね。筋もいらないね」
窓枠の向こう、闇の中から刃物をすり合わせるような音が聞こえる。
もはや逃げ道などどこにもない。普通の人間ならば、だが。
どこに隠し持っていたのか。ロージャが刃を振り上げた。得体のしれない敵に立ち向かうにはあまりに頼りない刃。しかしその切っ先は外ではなく内に向けられた。震える腕で自分の首筋へ。
考えあってのことなのか、あるいは恐怖に苛まれた末の衝動であったのか。
いずれにせよ、自殺は勇者にとって有効な逃げ方である。
成功すればロージャの体は王都の教会へ転送される。どこまでも続く得体のしれない闇から逃げられる。
成功すれば、だが。
「ダメ」
闇に浮かび上がるような白い腕がロージャの手首を掴む。窓枠から身を乗り出したリエールがロージャの震える顔を覗き込む。パステルカラーの目を細めた。
「ぬいぐるみに命はいるもの」
ロージャが琥珀色の目を見開く。震える唇を開閉させたが、「ひゅっ」という隙間風みたいな音が喉から漏れただけだった。
ロージャを飲み込み、窓が閉まる。
張り詰めた緊張が和らぐ。ガラス越しに見えるのは賑やかな王都の町並み。
俺は振り向き、シャルルを見る。
「……とまぁこのように、勇者を死ぬより辛い目に合わせる方法は山程ある。だから一刻も早くカタリナを助けに行かないと」
「ええっ、お前この状況をそれだけの言葉で片付けるの!?」
「片付けるよ」
俺は前を向いた。
こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
しかし静謐な教会本部に、勇者たちの起こす騒ぎは目立ちすぎた。
数人分の足音と声がこちらへ向かっている。
ひび割れた天井と血溜まりを前にシャルルが呟く。
「お前があの地でどんな目に合ってるのか分かったよ。……いや、やっぱ分かんないな。なんだよこれどうなってるの? 夢に出そう。えっと、そうじゃなくて、つまり俺が言いたいのは――」
頭をくしゃくしゃと掻く。テストで分からない問題があるとシャルルはよくこの仕草をした。
やがて問が解けたときと同じように頭にやった手をピタリと止める。俺の背を押した。
「ここは俺たちに任せろ。なんとか誤魔化す」
「っ……でもどうやって。お前らを巻き込むわけには」
俺の言葉を血飛沫が遮った。
床に広がった血溜まりにルッツがダイブ。大の字になって言う。
「よし、俺が怪我したことにしよう。うまくいけば休みがもらえる」
「……大丈夫! ユリウスは早く行け。大司教様の部屋はすぐそこだ」
背中を押され、俺は駆け出す。後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように。
シャルルに降りかかるストレスを思うと涙が出た。
ルッツはマジで一回ちゃんと休んだほうが良いと思った。
しかし残念ながら今の俺にいつまでも二人を心配する暇はない。
俺はある扉の前で足を止める。
大司教様の執務室。
その重そうな扉に手をかけた。
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