廃墟のようだ。
大司教様の執務室に入ってまず思ったのはそれだった。
部屋がボロボロということではない。掃除も行き届いている。
どうしてそう思ったのか。カーテンを閉め切っていて妙に薄暗いからか。空気が淀んでいるからか。
あるいは、壁に飾られたたくさんの蝶の標本が得体のしれない不気味さを与えているからかもしれない。
息を殺して辺りを見回す。
大司教様の執務室ともなると広い。物が極端に少ないのもあってなおさらそう見える。執務机と部屋の片隅に本棚があるだけだ。人気はない。
大司教様が留守であることには安堵したが、カタリナもいない。
ここまできて手ぶらで帰れるかよ。
俺は大司教様の机を漁ることにした。カタリナの手がかりを。あるいは大司教様の弱みを求めて。
結果から言うと大したものはなかった。
……というと語弊があるな。大した機密書類だらけだ。その内容を目にするたびに自分が今とんでもないことをしているという自覚が芽生えてきて手が震える。今のところ、俺はただ上司の机を漁って機密書類を盗み見ている不届き者以外の何物でもない。
そんな中、一枚だけ雰囲気の違うものを見つけた。
地図だ。それが何枚も。いずれにもみっちりと文字が書き込まれている。出現する魔物の特徴から名産品まで。
じわりと滲む既視感。何枚か紙を捲って気付いた。これは大人が作った本気の「旅のしおり」だ。
行くあてもない旅の計画を立てるのが大司教様の趣味ということが分かった。大きな収穫だ。下着ドロの汚名を着せられながら忍び込んだ甲斐があったというものだな!!
半ギレになって地図から視線を上げる。そこに大司教様がいた。
「人の部屋にノックもなく入ってはいけませんよ」
「……お疲れ様です」
凄まじく動揺していたが、俺はできる限り平然と答えた。舐められないようにするためだ。
王都を訪れた時から覚悟はしていた。いや、こうするために俺はここに来たのかもしれない。
「久々の王都はどうですか?」
大司教様は俺の行動をそれ以上責めることも退室を促すこともしなかった。
それがかえって不気味だ。俺たちがカタリナを追ってきたことを大司教様は知っているのだろう。
「私たちが魔物の手から奪還したときは焼け野原のような有様だったのに、今やこの活気。奇跡のような光景です。でも……奇跡も百回繰り返せば日常になる。死者蘇生も、この平和な街並みも、当然のように享受される」
薄暗い部屋に一筋の光が射し込む。
片腕分ほど開かれたカーテンの向こうにバルコニーが見える。その奥に王都の街並みが広がっていた。
「配備された大砲や兵士は魔物への対策ではなく、他国への備え。私たちが救った土地で人間を焼く兵器を作っている。まったく勝手ですよ。人類は一丸となって魔物との戦いに専念すべきなのに」
「昔のように、ですか?」
「ええ。昔のようにです」
大司教様が振り返った。
観察するような視線。俺の反応を見ている。
遥か昔、神話の時代。
各地で魔物と勇者の凄惨な戦いが勃発。人類の栄光を取り戻すため、あるいは街を焼かれた復讐を果たすため、勇者たちは剣を手に取り戦った。
その戦いの結果がこの平和な王都の街並みだ。
大司教様はそれを壊そうとしている。またイチからやり直そうとしているのだ。
じわりと怒りが湧いてくる。許される行為ではない。さも人類のためのように言っているが、それが極めて私的な理由であることは明白だ。
「ユリウス君、もしあなたが良ければフェーゲフォイアーを離れていただこうかと思っています」
……おや?
沸騰した湯に水を注いだようだった。怒りがふっと消えていく。
それってもしかして、いやもしかしなくとも俺の念願だった異動が叶うということでは。大司教様ならそれくらいの人事異動などお手の物だろう。
「あなたもフェーゲフォイアーの勇者たちには困っていることでしょう。今や勇者は職業となりました。使命を忘れ、死者蘇生の奇跡を利己的に使っている」
この言葉には大いに頷かざるを得ない。
少し思い返しただけで辟易する。ヤツらは女神の加護を使って、くだらないことばかりしでかす。
蘇生する側の苦労も知らず。また懲りずに立ち向かっては死ぬ。笑顔で死んでいく。どいつもこいつも死んだくせにヘラヘラしやがって。もうちょっと真剣にやれよって何回思ったか分からない。
口には出さなかったが、表情にそれが漏れていたか。
大司教様は白い顔に浮かべた笑みを深めた。
「私の元で働きませんか? ユリウス君の力が必要です」
大司教様が手を差し出した。
大規模な戦争になれば蘇生できる神官の需要は増す。そうなれば俺を取り巻く環境は激変する。
俺は額に手を当て、考える。大司教様に尋ねる。
「ワンオペせずに良くなりますか?」
「当然です。すべての神官が勇者の蘇生作業に従事するようになります」
「待遇は良くなりますか?」
「もちろんです。ユリウス君には他の神官を導くような役職を用意します」
なるほど。大司教様の言葉に頷く。
俺は腕を突き出した。手のひらを大司教様に向ける。神官スマイルを浮かべて言った。
「あ、嫌です」
「……理由を聞いても良いですか」
俺に言わせれば、どうして大司教様が腑に落ちない表情をしているのか分からない。
都合良い言葉で誤魔化そうとしやがって。そんなんで騙されると思うなよ。
蘇生の需要が増しても蘇生を得意とする神官がすぐに増えるわけじゃない。結果俺の仕事量が増える。
だいたい他の神官を導くような役職ってなんだよ。ただの中間管理職じゃねぇか。結局俺の仕事量が増える。ふざけんな。
というようなことをオブラートに包んで言うと、大司教様はこう食い下がった。
「でも、やりがいはありますよ」
なにがやりがいだ殺すぞ。
蘇生させた勇者たちがヘラヘラ笑いながら教会を出ていくのは非常に腹が立つ。
かといって勇者たちが笑わなくなったら。勇者と言う仕事に楽しさを感じなくなってしまったら。
綺麗に繋げた足を引きずるように。穴をふさいだ肩を落として。生き返らせたのに死んだ顔で行きたくもない戦地に向かっていったら。
それはそれでめちゃくちゃ腹が立つ。
人がせっかく蘇生してやったのにしけたツラしてんじゃねぇよと蹴り飛ばしたくなるに違いない。
なら、まぁ、ヘラヘラされた方がちょっとだけマシかもしれない。ちょっとだけね。
「最近の神官には自分の力で世界を変えてやろうという気概がありませんね」
ため息と非難の響きを含んだ言葉。要約すると“腰抜け”という意味だろう。俺が悪いとでも言いたげだ。
あー、なんかイライラしてきた。
大司教様が言葉の通じないヤツを見るような目を向けてくるのも腹立つ。
大司教様ほどの立場の人だ。他人からこんなにハッキリ「NO」を突きつけられることもないのだろう。
だから調子に乗るんじゃないのか? 自分の考えがなんでも正しいと勘違いしてしまうんじゃないのか?
怒りと緊張で判断力が鈍っていたに違いない。理性のストッパーの調子が悪かったのだ。気付くと口から言葉が漏れていた。
「仲間に冒険の誘いを断られたからって八つ当たりするのやめてくださいよ。そんなだから一緒に冒険に出てくれる人もいないんですよ」
部屋の空気が張り詰めたのが分かった。
言った瞬間後悔した。
取繕おうと咄嗟に口を開く。
「あの、良い意味でですよ?」
ダメだ。クソみたいな言葉しか出てこない。
というか取り繕いようがない。あまりにもハッキリ言い過ぎた。
大司教様の表情は変わらない。ただ、少しだけ首を傾げた。
もしかすると俺をどう苦しませて殺そうか思案しているのかもしれない。
俺はテンパった。そして逆ギレした。そうする他なかった。
「だってそうでしょう!」
先ほど見つけた旅の計画書を突きつけた。大司教様の顔を覗き込む。
言葉はスラスラ出てきた。
「死なないくせに殺してみろなんて部下たちを煽ったのは見込みある冒険仲間を探すためですか? それとも、誰も対等に喋ってくれなくて寂しかったんですかぁ~? ジジイの構ってちゃんは見苦しくてかないませんねぇ!」
大司教様がスッと目を細める。
さらに言いかけた言葉を飲み込んだ。激しさはないが、滲み出る威圧感に気圧される。
執務室を痛々しい静寂が包む。
永遠にも感じられる一瞬の後、大司教様がフッと笑った。
凄まじい既視感に襲われる。
これは、まさか。社会的地位の高い老人が若者の生意気な言動に「ワシも昔はそうじゃった」とか「最近の若者にしては珍しく気骨のある人間じゃ」とか「おもしれー部下」とかいってなぜか逆に気に入られる展開……!
そんなわけなかった。
「言いますねぇ」
刹那、窓の外が光った。晴天の空に走る稲妻。続けてガラスを叩き割ったような轟音。
雷が落ちた。怒りの比喩表現ではない。大司教様ともなると感情と天気が連動するのかな?
俺は命乞いの準備を始めた。
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