魔王軍討伐遠征勇者隊の準備を進めている。
重要なのはメンバー選びだ。
それほどたくさんの人数は連れていけない。フェーゲフォイアーの守りが薄くなるし、俺も蘇生しきれない。
最低限の人数、そのぶん精鋭を集める必要がある。
となると、遠征隊のリーダーは彼女で決まりだ。
「私の背後に立つなッ!」
振り向くと同時に抜き放たれた鈍色の剣。銀の残像を引きながら目前に迫る。
鮮血と見紛う赤い髪がなびく。本物の血が流れなかったのは運が良かったとしか言いようがない。
「アイギス! 私です、私です!」
「ああっ、神官さん!?」
銀の残像がピタリと止まる。首筋に冷たい風を感じた。
尻餅をついた俺を見下ろし、アイギスが慌てて剣を鞘に納める。
「大丈夫でしたか!? お怪我は? 顔が真っ白ですよ!」
「はは……色々あって、ちょっと吐き気が」
アイギスに支えられて、俺はフラフラと立ち上がった。
しかしアイギスも万全の状態というわけではなさそうだ。
「すみません。神官さんに剣を向けてしまうなんて。気が張っているのかもしれません」
人類の命運をかけた遠征。
それに、王都にはアイギスの両親や騎士団時代の仲間などもいるだろう。
緊張しない方が無理というもの。
俺は吐き気を堪えながらその辺に腰かけ、アイギスに笑みを向ける。
「今ので背筋が伸びました。あなたに剣を向けられるのは久々でしたから」
「い、今はその話はいいじゃありませんか」
アイギスが慌てたように首を振る。
アイギスは教会に仕える聖騎士だ。
俺がフェーゲフォイアーへ赴任してきたときから、既に彼女は聖騎士の身分だった。
しかし最初から尻尾を振って縋ってくる可愛い忠犬だったわけではない。
「思い出しますねぇ。初めて会った時のこと」
*****
半分拉致されるように馬車に押し込まれ、やってきました新天地。
赴任先は王都から遠く離れた僻地。フェーゲフォイアー。微妙に長くて覚えにくい。
同僚も先輩もいないかわりに、庭付き番犬付き。
しかし庭は草ボーボーの荒れ放題で、番犬はとんでもない猛犬だった。
「新しい神官? ああ、それは失礼しました」
俺の説明を受けて、ようやく頭のおかしいその女は首元に突きつけた剣を下ろした。
っていうか俺、神官服だぞ。神官服のヤツが教会にいたら神官だって分かるだろ普通。
とんでもないご挨拶にビビっていると、剣を鞘に納めながら女が呟く。
「私がこの教会の聖騎士、アイギスです。どうぞよろしく」
どこか自虐的な響きがあった。
聖騎士は蘇生費がかさみすぎた勇者の救済措置。滞納した蘇生費の返済を免除されるかわりに教会の仕事を請け負う制度だ。
聖騎士になれるくらいだ。勇者としての腕が確かなのは間違いないが……そんなに死にまくるってことはちょっとヤバめの人なんだろう。
その考えはおおむね間違っていなかった。
問題は、“ヤバめ”だったのがアイギスだけじゃなかったことだ。
教会に降り注ぐ大量の死体を見た時にそう悟った。
「は? ……は? えっ、なにがあったんですか? 魔物が街に攻めこんできました? いや、自然災害?」
俺の呟きに、蘇生を終えたばかりの勇者が口に残った血を吐きながらヘラヘラ言う。
「いやぁ、なんか酔っ払って大規模な喧嘩になっちゃいました。あっ、手持ちがないや。蘇生費ツケといてもらって良いですか?」
酔っ払いの喧嘩で殺し合い?
蘇生費をツケ?
そんなのアリか? 新人だからってからかわれてる……わけでもなさそうだな……
しかも殺し合いをしていたのに特にあとぐされなく教会を去っていく。
なんだこの街。命が軽すぎるぞ。
「勇者って、いつもあんな感じなんですか?」
「ええ」
アイギスはニコリともせず答える。
愛想の悪いやつだ。その割にずっと教会にいる。
数日ほどは我慢していたが、ムスッとした人間がすぐ近くにいるというのはどうにも息苦しい。俺はとうとう切り出した。
「あの……別に無理に教会にいる必要ありませんよ」
「……え?」
「聖騎士とはいえ勇者なんだし。必要なら呼びますので、どうぞ冒険に出てください」
アイギスが目を見開く。
俺は狼狽えた。怒らせただろうか。彼女が本気になれば俺など簡単に捻り潰される。
「あ、いや、別にいたければ教会にいてくれても良いのですが」
「……いえ。他の神官はそうは言ってくれなかったので」
「なぜですか?」
「護衛がいないと安心できないのでしょう。勇者は信用されていませんから」
アイギスが呟く。やはりそこには自虐的な響きがあった。
俺が赴任する前は教会本部などから臨時の神官が派遣されていたはず。
確かに王都勤務の神官があの勇者たちを前にして怯える気持ちは分からないではない。
とはいえ、勇者もそんなに悪いヤツばかりじゃない。
まぁファーストコンタクトで抜身の刃突きつけられたり、蘇生費踏み倒そうとしたり、街中で殺し合ったりするヤツもいるけど……
あれ? 十分怖くね? なんで俺はちょっと慣れてしまってるんだ?
俺は護衛であるアイギスをみすみす行かせたことを早速後悔し始めていた。
そして数時間後、俺の後悔は本格的なものとなった。
教会に再び死体が降り出したのだ。
また酔っ払いの喧嘩かと思ったが、先程とは死体の損傷が全然違う。
全て大振りの刃物――おそらくロングソードかなにかでやられている。鮮やかな切り口。たった一人でこれだけの人数を殺すなんて。一体誰の仕業だ。
答えは蘇生させた勇者があっさり教えてくれた。
「なにやってるんですか!」
白昼堂々、街のど真ん中で凶行に及んでいたアイギスに俺は詰め寄った。
ロングソードに貫かれ、光の粒子となって消えていく勇者を横目にアイギスは苦々しく呟いた。
「これは勇者の問題です。神官には関係のないことですから」
は? 関係ない?
お前のぶっ殺した勇者の死体誰が蘇生すると思う?
俺! 俺俺俺俺! 俺で~す!
というか街中での殺戮に勇者の問題とか神官の問題とかないんだが?
くそっ、社会人になると理不尽なことがたくさんあるとは言われていたが、まさかここまでとは。
俺は押し寄せる社会の荒波に発狂しそうになりながら、しかし神官然とした微笑みを顔に貼り付けて言う。
「勇者の問題は神官の問題でもあります。なにか理由があってやったんでしょう? 話してみてください」
俺の笑顔が良かったのだろうか。
アイギスは渋々ながら口を開く。最近街で窃盗事件が多発しているという話だった。
深夜に商店に忍び込み、金目のものを盗むという手口だ。
「昨夜は宿屋に忍び込んだようですが、物音に気付いた女将さんと遭遇してしまい――」
「ええっ。女将さんは大丈夫だったんですか?」
「はい。空き巣を撃退したそうです。最終的には逃げられたようですが」
宿屋の女将さんつよ……
そういえばたまに街中で妙に屈強なババアを見かけるな。
あの人、宿屋の女将だったのかよ。
「しかし空き巣と勇者の殺戮になんの関係が?」
「犯人は女将さんの攻撃で腕に怪我を負っています。襲いかかった際、腕を上げて応戦できない勇者が犯人です」
なにそれ野蛮だな……。
いや待てよ。それって放っておいたら街中の勇者をシラミ潰しに殺してくってこと?
騒ぎを聞きつけて勇者たちが集まって来た。なんで集まってくんだよ。普通逃げるだろ。こいつらが全員が殺されて教会に転送されたらと思うだけで気分が……
し、死んでしまう。赴任して早々過労死してしまう。
しかしアイギスも頑なだ。
「私は絶対に犯人を捕まえてみせます。止めても無駄ですよ」
「き、気持ちは分かりますが勇者を殺戮して回る方法はどうかと。貴方だって返り討ちにあったり恨みを買う可能性があるじゃないですか。どうしてそんなに必死になるんですか?」
「……それこそ、神官には関係のないことです」
まぁね。じゃあいいよ理由は!!
でも勇者ぶっ殺すのは普通に俺にも関係あるから却下な!
俺はそう叫びたくなるのをなんとか堪えた。
社会人になれば意見の食い違いでぶつかることもあると先輩たちも言っていた。
ここは、そう。大人の対応……折衷案だ。
「では別の方法を考えましょう」
「別の方法……?」
疑り深い目をするアイギスに、俺は声を張って堂々と言った。
「私に任せてください。ここへ赴任する際、眩暈がするような額の準備金をいただいたのです。その予算を存分に使った華麗な捜査をご覧にいれましょう!」
*****
その晩。
足元も見えないような新月の夜だった。
教会の扉を閉め、本日の営業は終了。
煌々と明かりをつけていると教会が二十四時間営業だと勘違いしたクソ勇者が虫のように寄ってきてしまう。既に学習済みだった俺は小さなロウソクを頼りに書き物をしていた。
しかしその暗闇が別の悪しきものを呼び寄せたらしい。
閉めたはずの扉が開く音。
俺はロウソクの光を頼りに聖堂へ向かう。
そこにいたのは三人。淡いオレンジの光に照らされたその顔に見覚えはない。
俺を見て、彼らは露骨にため息を吐いた。
「また見つかっちゃったじゃん……もう腕折られるの嫌だよ」
「今度は大丈夫だ。ほら、見るからに弱そう」
「教会のくせにたんまり金をため込んでるらしいな。どこに隠してんだ?」
物騒なことを言いながら、じりじりとこちらに詰め寄ってくる。
俺は後ずさりをするが、女神像がそれを阻む。
「し、知りませんよそんなの」
「もう良いじゃん。そんなに広い教会じゃないし、顔も見られた」
距離を詰めながら、男が何かを取り出した。
大振りのナイフだ。
「殺したあと、ゆっくり探そう」
「ひっ……神官殺しなんて、バチが当たりますよ!」
「じゃあそこで神様に祈ってな」
ナイフを振り上げ、男たちが迫る。
俺は喚きながら女神像に縋った。
神官らしく神に助けを求めたというわけではもちろんない。
神に祈れだと~?
祈るのはお前らだ。そしてバチは俺が当てる!
「ぽちっとな」
女神像の台座のボタンを押す。
と同時に男たちが悲鳴と共に床に吸い込まれた。
俺は教会の床にぽっかり空いた穴へ駆け寄り、中を覗き込む。
腰を強打した男たちのうめき声が上ってくる。
「痛ってぇ……」
「な、なんで教会に落とし穴が!?」
ね。なんでだろうね。
俺が聞きたいよ、そんなこと。
多分だけど、この教会にいるとこういった事が度々あるからじゃないかなぁ……
俺は待ち受ける未来に漠然とした不安を抱えながら言う。
「貴方たち、勇者じゃありませんね?」
穴の中で息を呑む気配がした。
この街の勇者なら、屈強なババアのいる宿屋に忍び込むなんて命知らずな行為はするまい。
「なぜわざわざこんな物騒な街へ来て盗みなんてやってるのですか」
「犯人が勇者ならロクに捜査されないだろ」
吐き捨てるような言葉。
殺し合いが平然と行われているような街だ。窃盗くらい日常茶飯事、住民は泣き寝入りしている、とでも思ったのだろうか。
勇者のイメージ悪すぎだろ。そこまで酷くは……いや、酷いけど。
「神官殺しは重罪ですよ。今のうちに深呼吸してシャバの空気を取り込んでおくと良いでしょう」
「――それはこっちのセリフだ」
おや? それはどういう意味だ?
理解したときには遅かった。
穴の中で動きがあった。男が壁を蹴り上げて跳躍する。勇者でもないのに、なんという身体能力。
穴から飛び上がった男を小さな蝋燭の灯りが浮かび上がらせる。
振りあげられた鈍色の刃が蝋燭の炎を受けて赤く煌めく。動けない。
鈍い音がした。それから、視界が赤く染まる。
鮮血――いや、蝋燭の光に照らされた赤い髪だ。鞘がついたロングソードで、男を再び奈落の底に叩き込む。
穴の中からカエルを踏み潰したような音がした。
「た、助かりました、アイギス」
振り向いたその顔には、微かに笑みが浮かんでいる。
「無茶しすぎです。準備金があるなんて嘘までついて」
「えっ……その話嘘なのかよ……」
穴の中から男たちの落胆の声が聞こえてくる。
嘘に決まってんだろバーカ!!
なんの準備金も貰えず、ほとんど着の身着のまま放り込まれてるからな!
あぁ、また腹が立ってきた。マジで教会の備品売っぱらって金作ろうかと思ったもん。まぁそのおかげで女神像の台座にスイッチがあることに気付いたんだけど。
しかし、まさかあんな深い穴を飛び越えてくるなんて。
そうだな。もうひと工夫欲しい。底に剣とか槍を設置して殺傷力を高めるのはどうだろう。今度やってみよう。
「私は聖騎士になんてなりたくなかった」
俺がDIYに思いを馳せていると、アイギスがぽつりぽつり語りだした。
「守るべきものを自分で選びたい。そう思って勇者になったのに、これでは騎士団にいたときと変わらない」
聖騎士は教会に仕え、どんな仕事も引き受けなければならない。
俺の前任神官たちは粗暴な勇者たちを恐れ、アイギスに退屈な護衛の仕事ばかりを命じた。
教会に縛り付けられ、勇者としての活動もろくにできなかったのだろう。
「勇者の悪評を払うことで私たちの価値を認めさせようと思ったのですが……勇者を信じていなかったのは私も同じでした」
それを言うなら、俺も勇者のことは信用してないけどね。
今回の犯人はたまたま勇者じゃなかったが、アイツらは金にだらしがない気配がある。当然のようにツケられた蘇生費を回収できるか不安だ。
しかし信用できることもある。
例えば、アイギスの勇者としての技量。
「私は貴方を信じていましたよ。だからこんな無茶ができたんです」
アイギスに殺された勇者の死体の鮮やかな切り口。あれを見て確信した。
護衛も良いが、彼女ならきっともっと大きなことができる。
実際、俺の確信は現実のものとなった。
様々な幸運が重なった結果とはいえ、魔族を倒すという人類史上初の快挙を成し遂げた。
今回の戦いでもきっと鮮やかな活躍を見せてくれるだろう。
でもやっぱり、護衛の方もお願いしたい。
*****
「吐き気は落ち着きましたか?」
「あんまり……」
アイギスに背中をさすられながら俺は頭を抱える。
その間にも準備は進められ、刻一刻と出発の時が近付いてくる。
俺が重圧に押し潰されず吐き気を堪えられていたのは俺の精神力が強靭だったからに他ならない。
「これからのことを思うと気が重くて重くて」
「かつてない危険な任務になるかと思います。でもご安心ください! 私が必ずや神官さんをお守りします」
俺のことは構わず、魔王軍に立ち向かえ!
と言いたいところだがそうも行かない。アイギスは俺の命綱だ。
「頼りにしていますよ、本当に」
こんなクソみたいな状況にも関わらず、なぜかアイギスは嬉しそうに目を細める。
「もちろんです。私は神官さんの聖騎士ですから」