戦場で俺が戦うことはないだろう。
とはいえ、バケモノと対峙するのだ。装備が神官服と女神像(小)だけというのは心もとない。
そういうわけで俺はアルベリヒに装備品を見繕ってもらっていた。
神官服の下に鎖帷子を着込み、店内を見渡す。
「じゃあ次は武器ですね。このロングソードとか――うわ、重」
「そんな大層な武器持つな。持てば振るいたくなる。戦いは勇者に任せろ」
アルベリヒの表情は決して明るいものではなかった。
俺がタダで武器や防具をかっさらおうとしているからだと思っていたが、違うらしい。
「頼むから死ぬなよ。神官の葬式なんて笑えない。誰が葬儀を上げるんだ」
「はは……確かに」
心配してくれているのか。
少し街への攻撃が弱まったとはいえ、まだ戦闘中だ。しかし遠征隊の準備のために一般の住民たちもシェルターから出て準備を手伝ってくれている。
助けが必要なのは俺だけじゃない。勇者たちも戦いの中で色々なものが傷ついてしまっているのだ。
新しい戦場へ向かうには、それらの新調が必要。
また一人、傷ついた勇者がやって来た。
「見繕ってほしいものがあります」
声をかけてきたのはオリヴィエだ。
何度か死んだのだろう。鳶色の髪にベッタリと赤黒い血がこびりついている。
「ああ、なにが必要だ? 防具――は汚れてるけど壊れてはないな。武器の手入れとかか?」
「いいや」
アルベリヒの問いかけにオリヴィエは首を横に振る。
そしてなぜか、俺に向けて言った。
「僕には愛が必要です」
*****
人類の命運がかかった戦いだ。
しかも今回は一度出発すれば戦いが終わるまで街へは帰れないと思ったほうが良い。
万全の準備をしたいと思うのは当然。物理的な意味でも、精神的な意味でも。
多くの住民は準備に協力的だ。
しかしオリヴィエの場合はそう簡単ではなかった。
「街を発つ前にどうしてもマーガレットちゃんの蜜が欲しいんです」
俺は頭を抱えた。
それはもしかすると魔王を倒すよりも難しい事なのではあるまいか。
その高難易度ミッションに、オリヴィエは複数回挑戦しているらしい。
そして既に、最後通告を突きつけられている。
「次、マーガレットちゃんに殺されたら触手の苗床にするって言われちゃいました」
マッドをキレさせた……!?
アイツがキレたとこなんかそう何回も見たことないぞ。一体何回死んだんだ。
マッドとルッツは今も教会の中で勇者の蘇生に勤しんでいる。
まぁ大事な戦いの最中、全然関係ない事で仕事を増やす馬鹿がいたらそりゃあキレたくもなるだろう。
とはいえここでオリヴィエを失うのは困る。討伐隊の大事な戦力だ。
そして、できればオリヴィエの望みをかなえて、心残りなく戦いに向かわせてやりたい。その気持ちは嘘じゃないが……
「プレゼント作戦です。この肥料でマーガレットちゃんの気を引きます!」
市場で共に選んだ肥料を手に、オリヴィエは並々ならぬ決意を見せる。
しかし……正直それでマーガレットちゃんの気を引けるかというと……
俺は一瞬の逡巡の後、オリヴィエの肩に手を置く。
「オリヴィエ、無茶です」
気持ちは分かる。
相手が人間なら説得のしようもあったろう。
しかしマーガレットちゃんは魔族だ。人類の命運などなんの興味もない。
そしてなにより、オリヴィエに対するマーガレットちゃんの好感度はプレゼントでどうにかなるレベルじゃない。
――今、俺にできるのは諦めさせることくらいだ。
「帰ってきたら付き合います。何度でも蘇生させましょう。でも今はそんな場合では」
「そんな場合なんですよ、神官様」
オリヴィエが抱えた肥料を強く抱きしめる。
塀の向こうにいるはずのマーガレットちゃんに視線を向ける。
「僕はマーガレットちゃんのために戦いたい。そして……ワガママなのは分かっていますが……今回だけは一方通行では嫌なんです。マーガレットちゃんにも僕の想いに応えてほしい」
ムリだよ~!
お前は今まで一体なにを学んできたんだ?
死にすぎて都合の悪い記憶全部リセットされちゃったのか? 便利なオツムしてんなぁ?
俺はオリヴィエに張り手を食らわしたいのを必死に我慢した。
そしてオリヴィエは走り出した。
あとを追って俺も教会の中庭へと駆け込む。
目に飛び込んだのは分かり切った結末。
すでに何度も惨劇が繰り返されていたのだろう。オリヴィエの挑戦の数だけ血だまりができている。
そして今、もう一つ血だまりが増えようとしていた。
「マ……マーガレットちゃん……」
体をよじらせる。マーガレットちゃんに腕を伸ばそうとしたのかもしれない。しかし既に肘から先は失われている。
俺が目を離した一瞬で、オリヴィエは虫の息になっていた。
「大丈夫ですかオリヴィエ!」
「し、神官さ……」
「喋らないでください。急いで回復させます。だから……もうマーガレットちゃんは諦めなさい」
出血が酷い。が、まだ生きている。本気で処置をすれば一命をとりとめられるかもしれない。
しかしオリヴィエは首を横に振る。
「いいんです、もう」
「いいわけないでしょう。次に死んだら触手苗床の刑なんですよ!?」
顔色が悪い。意識が混濁しているのか?
……いいや、そうではない。
「人間ってつくづく欲深い生き物ですよね。最初はただ観賞するだけで良かったのに、こちらを見てほしくなってしまった。それが叶わないのなら、もう――」
息が上がっている。しかしオリヴィエはしゃべり続ける。
「前のパーティで女性たちの修羅場に巻き込まれて、新しく組んだカタリナは死にまくって……正直限界でした。そんな僕にマーガレットちゃんは安らぎを与えてくれたんです」
オリヴィエの気持ちは分かった。
しかしマーガレットちゃんの気持ちはどうか。彼女は喋れないが――言葉にしなくても分かる。
マーガレットちゃんがツタをしならせる。とどめを刺す気か。
「マーガレットちゃん! 待ってください」
俺はオリヴィエの前に立ち塞がる。
攻撃のために放たれたツタが急激に勢いを失う。なめらかに俺の胴へ巻き付き、足が地を離れた。マーガレットちゃんに抱き寄せられる。
相変わらずの植物的無表情。ジッと俺の顔を覗き込む。
しかし俺には分かった。……心配してくれているのだ。街と俺の異変にマーガレットちゃんも気付いているのだろう。
「私は大丈夫です。だから――」
すぐそばに迫ったマーガレットちゃんに懇願する。
「今回だけ……その優しさをほんの少し分けてあげてください……!」
あんなにも強くマーガレットちゃんを想い続けているのだ。情けでもいい。一回くらい報われてもいいじゃないか。
しかしマーガレットちゃんはさらに追加でツタを振り上げる。
俺は咄嗟にそれへ縋りついた。攻撃を押さえる。
マーガレットちゃんの植物的無表情に変化があった。わずかな変化だ。彼女の顔を見慣れた俺にしか分からないかもしれない。
しかし、ほんの少し眉根が寄っている。不愉快そうにオリヴィエを見ている。
いつになくご機嫌斜めだ……!
「マーガレットちゃん! 堪えて、堪えて!」
宥めていると、マーガレットちゃんは俺の頬をガッと掴んだ。
来る。蜜が来る。
俺はマーガレットちゃんの手を掴んだ。
「ちょっとだけ……ちょっとだけで良いんです。分けてあげられませんか……!」
マーガレットちゃんの眉根に明確に皺が寄った。
こんなに感情をあらわにしたマーガレットちゃんは初めてだった。
オリヴィエの特攻に何度も付き合わされている。度重なる死にマッドがキレたくらいだ。マーガレットちゃんも相当イラついているに違いない。
「マ、マーガレットちゃ」
オリヴィエが呻き声を上げた。
いったいどこにそんな力が残されていたのか。地を這い、マーガレットちゃんの根元にまで到達していた。その茎に縋りつく。血痕がマーガレットちゃんの茎を汚す。
この行為により、多分、限界を迎えた。
しかしマーガレットちゃんは俺を抱えている。彼女は心優しい魔族なので、無理にツタを動かせば俺を傷つけると考えたのかもしれない。
そしてマーガレットちゃんは蜜を分泌させた。しかし俺が拒否したため、それは行き場を失った。
色々な偶然が重なった結果だったのだろう。
つまりなにが起きたのかと言うと。
マーガレットちゃんがオリヴィエに唾を吐いた。
「え……え?」
マーガレットちゃんがキレた……
にしても。にしてもじゃない? ダメだよそんなお行儀悪いことしたら。
今までそんなことしなかったじゃん。あれだな。素行の悪い勇者の影響を受けたな。最悪だ。
しかしそう思っているのは俺だけらしい。
地を這うオリヴィエが歓声を上げた。
「やったぁ、蜜だぁ~!」
マジ……?
こりゃあキモがられても仕方ないね。唾棄すべき変態だわ。
しかし俺がこうして指から流し込まれてるのも口から吐き捨てられたのも同じ蜜らしい。
俺たちは声を揃えて叫んだ。
「うめぇ!!!」
それがオリヴィエの最期の言葉だった。
*****
「いやぁ、先生があんなに怒ってるの初めて見ましたよ」
蘇生をすませ、教会から出てきたオリヴィエはそう言って照れたようにはにかんだ。
地面を這いつくばって吐き捨てられた蜜を舐めたヤツが一体いまさらなにを照れることがあるのだと思わないではないが、今は触れないでいてやろう。
「それで、触手苗床の刑は大丈夫だったんですか」
「なんとか執行猶予を勝ち取りました」
「それはよかったですね」
っていうか触手苗床の刑ってなんだよ……
だがオリヴィエの表情は明るい。
「魔王軍を倒せば刑は免除です。僕、頑張ります」
オリヴィエは遠征隊の大事な戦力だ。やる気になってくれて良かった。
人間の尊厳に随分と大きな傷がついた気がするが、まぁ今更だろう。
しかしキレたマッドはちょっと見たかったな。迂闊に教会へ入ると手伝わされそうだから近付かないようにしてるけど……
チラリと教会の玄関を見たその時。
一際激しい音が響いた。聞きなれた、ボチャボチャという湿っぽい音。死体が激しく降ってきているらしい。
魔王軍の攻撃は弱まっていたはず。なのに、どうして急に……!
前線でなにかあったのか。
玄関の隙間からマッドの悲鳴が聞こえてくる。
「ああ、もう! ジッパー、ユリウス君呼んできてよ」
「堪えてくださいドクター」
とりあえず俺はダッシュで逃げた。