「いや違うんですよ体の操作権を得るにはこう絆みたいなのが必要なんですよでも短時間でそれは無理なので仕方なくこうやって精神にちょちょっと細工をですね」
怖い顔をするアイギスにメルンが早口で言い訳を並べ立てている。
しかしアイギスがメルンの首を刎ねることはなかった。それだけの成果をあげていたからだ。
メルンの操作した白装束共と秘密警察の一部が戦場を駆けまわっている。
幻覚にかかった勇者たちの救出と死体の回収はほぼ完了した。
あとは立ちはだかる魔物どもを蹴散らすだけだ。
「まず幻術を使う魔物を倒します」
メルンの視線の先にいる、ずんぐりした体躯を紫のローブに覆っている魔物。幻術を見せる紫の煙はその指先から噴出していた。
「紫の霧が晴れたら、私たちには構わず馬車で先へ向かってください」
メルンが滑らかに指を動かす。伸びた糸が複雑な動きをもって勇者共を操作し、武器を振るわせる。
凄まじく統率の取れた動き。まるで一つの生き物のよう。
悪くはない。こちらの方が優勢だ。しかし魔物たちも作戦の要へ簡単には手出しをさせまいと食らいついてくる。そして決着を待っていられるだけの時間はない。
「あとちょっと……! すみません、もう何人かお借りします!」
アイギスは極めて不愉快そうな顔をしたが、それを止めることはしなかった。
もはや個人のやり方や信条にこだわっていられる段階にはないのだ。
とはいえ、それはそれ。これはこれ。
「い、嫌だ~!」
秘密警察たちは得体のしれない思想を流し込まれることを拒絶。
這い寄る白銀の糸に背を向け駆け出す。だがメルンの糸は逃げ惑う彼らを嘲笑うような速度で伸び、瞬く間にそのうなじを捉えた。
秘密警察の足がもつれ、地面に転がる。
起き上がった時。彼らは生まれ変わったような晴れやかな笑みを浮かべていた。
「“真理”が見えました」
真理が見えたらしい。
うなじから糸の伸びた勇者が駆けていく。
人間のそれを超えた気持ちの悪い動き。生物として不自然な反応と行動が魔物たちを翻弄する。
メルンが叫んだ。
「いけます! みなさん準備を!」
馬車に乗り、俺たちはそれぞれ備える。
その瞬間が来るまでそう時間はかからなかった。
白装束共の一人が秘密警察を足場に高く跳躍する。
それは彼の本来の身体能力を超えたものなのだろう。脚の筋肉がブチブチと悲鳴を上げている。しかしその表情はみじんも変わらない。
重力と自らの体重を乗せた一撃が、ローブの魔物を両断する。
馬車の発車はそれとほぼ同時だった。
霧の発生元の魔物が倒され、辺りに漂う霧が晴れていく――そうなると誰もが信じて疑っていなかった。
その緩みはもしかすると計算されて引き起こされたものだったのかもしれない。
とにかく、安心するのは早計だった。
真っ二つに割られた魔物が上げたのは断末魔の悲鳴でも鮮血でもなかったからだ。
「止まって! 止まれ! 下がれぇ!」
メルンが声を張る。
その切り口から紫の濃霧が噴き出す。それは鉄砲水のような勢いでこちらへと押し寄せてきた。
馬車がなんとか停車するが、しかしそう簡単に下がることはできない。馬車を捨てて逃げるか。いいや、徒歩で逃げ切れる速度ではない。
このままではメルンも俺たちも濃霧に飲み込まれる。そうなれば全滅も同義だ。
あの濃霧をなんとかして晴らさなければ。
急停車により馬車内に転がった勇者の中から、俺は見慣れたローブの襟首をつかんで引っ張り上げた。キョトンとした顔で見上げるカタリナに言う。
「貴方の魔法の威力で霧を散らしてください」
カタリナが顔を強張らせる。
その杖を握る手に力を籠め、視線を足元に落とす。
「そ、それは……でも、今の私にできるか……」
「できませんか!? できませんね!? できないですよね!?」
「え? ええと……」
ゴチャゴチャいうカタリナの言葉をかき消すように俺は声を張った。
馬車内の勇者たちの耳へ届くようハッキリと発音する。
「できないと言うなら仕方がありませんね! 人類のためなのでやむを得ませんね!」
俺は念入りに予防線を張り、そしてカタリナの後ろ髪をかき上げた。
「なっ、なんですか!? なんなんですか!?」
カタリナが藻掻くが、俺は決して襟首から手を離さない。
他の手段を考えている暇はない。もはや個人のやり方や信条にこだわっていられる段階にもない。だから。
「メルン! カタリナを操れますか!?」
「っ……操れるけど、いきなり魔法を使わせるのは無理」
予想通りだ。
体を操作するのと魔法を使わせるのとでは難易度が全然違うのだろう。魔導師が扱うような高度な魔法ならばなおさらだ。
しかしそこまでしなくても、勝機はある。
「では操らなくて結構です。とにかく彼女を元気にさせてあげてください」
「待って待って待って待って! げ、元気です! 私は元気です!」
そう叫びながら引き攣った笑顔を浮かべる。
心配させまいと無理しているのだろう。なんと痛ましい。
俺は神官スマイルを浮かべ、猫撫で声で言った。
「無理しなくて良いんですよ」
降り注ぐ太陽の光に白銀の糸が輝く。
さすがはメルンだ。俺の意図を瞬時にくみ取り、カタリナのうなじへ糸を伸ばす。
「任せてパパ。見せてあげる。真理を!」
真理……? 大丈夫かな……?
一抹の不安が俺の脳裏をよぎったが、今はメルンを信じるしかない。
カタリナが崩れ落ちる。一際大きく体を震わせ――急に静かになった。
メルンが糸を切る。
「カ、カタリナ!? 大丈夫ですか」
もう紫の霧はすぐそこにまで迫っている。
俺は必死にカタリナの体を揺する。まさか気を失っている? メルンが気合を入れすぎたか?
「カタリナ。カタリナ! 起きてください。ああっ、もうすぐそこに」
霧が俺たちを飲み込まんと迫る。
いや、もしかするともう飲み込まれているのだろうか。これは幻覚だろうか。
カタリナが立ち上がった。
杖をまっすぐに向け、その先端から凄まじい光が放たれる。
相変わらずのノーコンだ。光は魔王軍たちの頭上をかすめ、あらぬ方向へと飛んでいく。しかし霧を晴らすには十分だった。
「今だ! 進め!」
アイギスの声で馬車が走り出す。
メルンに操られた勇者たちが魔物を蹴散らし、馬車が通る道を作る。
「ここを片付けたらすぐに行くから!」
メルンの声が聞こえた気がして振り返るが、魔王軍の向こうにいるだろうその姿を見ることはできなかった。
しかしどうやら窮地を脱することはできた。
俺はゆっくりとその場に座り込む。なんかもう、さっそく帰りたい。
「カタリナ!」
仲間の異変にオリヴィエが駆け寄って来た。
カタリナは杖を下ろし、オリヴィエに笑いかける。
思ったより普通だ。魔導師だからか。あるいは伝説の勇者の血筋だからか。カタリナは精神攻撃にかかりにくい。メルンの術にもかからなかったのだろうか。
「だ、大丈夫だったの?」
「真理を見たよ」
いや、しっかり洗脳されているな……
オリヴィエもやめておけばいいのに、心配そうに先を続ける。
「真理って?」
「真理は真理だよ」
短時間の間に雑な洗脳を受けたからか。妙な幻覚でも見たのかもしれない。
しかしカタリナの表情は晴れやかだった。先ほどまでの落ち込みが嘘のようだ。
杖を掲げ、意気揚々と言う。
「よ~し、異教徒を殺すぞ~!」
えっ……マジでなにを見たんだ……?