蘇生を終えた勇者が再び戦いに戻りながら叫ぶ。
「無限湧きかよ! ズリィぞ!」
こんなのは初めて見る。俺が戦場慣れしていないからかとも思ったが、そうではないようだ。
魔物がどんどんと戦場に集まってくる。
一匹一匹は決して強くはない。が、倒しても倒してもどんどん湧いてキリがない。
どこかで見たような戦略だ。そう、勇者の戦い方とほぼ同じじゃないか。ふざけるなよ。誰に許可をとってやっているんだ。しかるべき申請をし許可を得たのち特許料を払え。
俺は手を動かしながら心の内で呪詛の言葉を吐き続けている。
こんなにネガティブな状態でも聖なる力を出せるんだから、神様って本当に人間の精神とかどうでも良いんだなって思う。
とはいえ、この戦いの勝敗にはきっと少しくらいの興味があるはずだ。
「さぁ、しっかり戦ってください!」
蘇生させた勇者を蹴るように馬車から送り出す。
押し寄せる魔物によりもはや戦線は崩壊した。
勇者と魔物が入り乱れ、戦場は混沌に包まれている。
勇者の棺桶はどんどん運び込まれる。穴の開いた船みたいだ。入ってくる水を一生懸命に掻き出してなんとか沈没を免れている状態。
つまり、俺の蘇生速度が勇者死亡ペースを下回れば人類の負け。
俺の負担と責任重くないか? 本当に逃げ出したい。本当に。
だが逃さないとばかりに何かが俺の足首を掴んだ。
手だ。赤く濡れた手。しかし手首から先がない。
血の気が引いていく。魔物だ。
いつのまに忍び寄っていたのか。勇者の死体に紛れて気付かなかった。
俺は慌てて足を振り払う。勢いにより赤い手が足首を離れて転がった。しかしすぐに体勢を立て直し、また襲ってくるだろう。
「カタリナ! カタリナぁー! 魔物が馬車に!」
「すみません、今は手が離せません。自分でどうにかしてください!」
「じ、自分でって」
俺はそれに視線をやる。赤い手。人のそれとほぼ同じ大きさ。爪などもないし武器も持っていない。
い、いけるか……?
懐に手をやる。指に触れたのはエイダの餞別ハイポーションと、そしてアルベリヒ謹製のナイフ。
「……良いでしょう。やってやりますよ!」
俺は戦うことを選んだ。
戦場へ出たのだ。それくらいの覚悟はしていた。俺はナイフをとって果敢にも魔物に立ち向かい、そして後悔した。
「ああぁ~」
振り下ろしたナイフはいとも容易くかわされた。手の魔物は指で床を蹴って飛び上がり、俺の顔を鷲掴みにする。こめかみがギリギリと締め上げられる。
「カタリナ! カタリナぁ!」
「な、なにやってるんですか。ちょっとだけ待ってください」
手の魔物に視界を覆われていてその姿は見えない。俺はカタリナの声を頼りに一歩踏み出す。
なにかに躓いた。どうせ勇者の死体だろう。
体勢を崩し、無様に尻餅をつく。軽い衝撃。派手な音。手に触れるサラリとした液体。嫌な予感。
やってしまった。リュックを踏んでしまったのだ。慌てて起き上がっても遅い。戦場では貴重な魔力補給ポーションをかなり割ってしまった。最悪だ。せっかく重いのを頑張って運んだのに。
いや、そんな場合じゃない。ギリギリとこめかみが締め上げられる。凄まじい握力。頭が破裂しそうだ。なにかがぬるりと頬を伝う。なんだこれ、血? いや。
「し、神官さん!? なんですかそれ」
えっ、なに? なに? 今どうなってる? 視界が覆われていてなにが起きているのか分からない。が、確実になにか起きている。
空を切る音。衝撃音。血の匂い。そして視界は突如開けた。
予想外の、しかしお馴染みの光景だった。
触手だ。すごく新鮮な触手だ。たった今海の底から這い上がって来たかのよう。
まさか、こちらにも援軍が? そう思って辺りを見回したが違った。
触手は俺のリュックから伸びていた。
「一体なに持って来たんですか!?」
そんなの俺が知りたい。
いや、こんなことするヤツは一人しかいない。どうせマッドだろう。住人達からたくさん餞別を貰ったが、こんなのが混じっているとは。どうりでリュックが重いとおもったんだ。
しかし、物凄く癪なことに、俺はアイツに感謝しなくてはならない。
触手が俺の顔をヌルりとなぞる。赤い手の魔物は触手に握りつぶされ、前衛芸術オブジェのようになっていた。
割れて漏れたポーションと引き換えに肥大化した触手は、忍び寄る魔物を次々叩き潰していく。
実家のような安心感。緊張が解けていく。
「なに油断してるんですか!」
油断もするさ。
その辺の勇者よりよほど信頼のおける護衛だ。
この馬車の上こそ、戦場にできた唯一の安全地帯。だからだろうか。勇者が見知らぬ人間を連れてきた。
「ほら、ここにいろ。他のところよりは安全だから」
勇者が馬車へ上げたのは、俺より少し若いくらいの青年だった。
武器は無し。まともな装備もなく、酷く怯えている。旅人か? 勇者でないことは確かだ。
「神官さん、この人を頼みます。おい、怪我はないんだよな?」
「だ、大丈夫です。神様が守ってくれていますから」
青年は蒼い顔で気丈に笑ってみせる。そして手を胸の前で組む。彼の口から次に出たのは祈りの言葉であった。
その首に下げているものには見覚えがある。教会の紋章を簡略化した形。神官学校の卒業試験に受かると貰えるものだ。
その肩に俺はぬるりと腕を回した。
「祈ったって神は助けちゃくれませんよぉ」
「ひっ」
淀みなく祈りの言葉が出てきたあたり、彼はそれなりに優秀な学生であるらしい。
残念ながらお客様扱いできる余裕はない。勇者の死体は積み上がるばかり。猫の手も学生の手も借りたい状況なのだ。
俺は彼に笑いかけた。
「助かりたいなら手を組んでいないで動かしなさい」
こうして予定外の就業体験が幕を開けた。
かなりハードな労働環境ではあったが、彼はそれなりの働きをしたといえる。
死体を運んで整理したり、棺桶を連れてきた勇者の傷を癒やしたりする程度ではあるが、凄惨な死体を見て吐かなかっただけで御の字だ。
「卒業を両親に報告するため帰省するつもりだったんですが……魔物に追われて気付いたらこんなところに」
彼には随分と運がないらしい。
しかしこんな状況でも薄幸そうな顔に苦笑を浮かべる余裕はある。案外大物の器なのかもしれないとぼんやり思った。
勇者の足を運びながら青年が呟く。
「神官がこんな仕事をしているとは思いませんでした」
「幻滅しました?」
つい意地悪を言ってしまった。
答えにくい質問だったろう。慌てて取り繕う。
「安心してください。こんな仕事をしているのは私ぐらいで――」
「いいえ。素晴らしい仕事です」
聞き間違いか。あるいは先輩に気を使って絞り出した言葉か。
しかし青年は大真面目に言う。
「勇者たちからとても信頼されているんですね。だから彼らは命を賭して戦えるんでしょう」
そうか? 死にすぎで頭おかしくなっただけでは?
いや。まぁ後輩がそう言ってくれているのだ。捻くれたことは言うまい。
見せかけだけでも格好つけなくてはな。俺は背筋を伸ばし、血に濡れた前髪を払う。
広くなった視界に、こちらへ飛び込む魔物の姿が見えた。緑色をした醜悪な小鬼。
「うわぁっ!」
青年が悲鳴を上げながら尻餅をつく。
しかし大丈夫だ。
馬車へ飛び込もうとする魔物を間髪入れず触手が貫く。ここの守りは盤石。なんて考えは甘かったのかもしれない。
小鬼が顔を歪めた。それが笑みだと気付いた時には遅かった。
目が眩むほどの閃光。マズい。
「伏せろ!」
とっさに青年に覆いかぶさる。
カタリナが傘のように魔法陣を展開させるが、ダメだった。
視界が白く塗りつぶされる。耳をつんざく爆発音。魔法陣が薄いガラスのように砕けて飛び散る。
やりやがった。自爆だ。
どこかで見たような戦略。そう、これも勇者の戦い方の一つじゃないか。ふざけるなよ。誰に許可をとってやっているんだ。しかるべき申請をし許可を得たのち特許料を払え。
「だ、大丈夫ですか!」
良かった。青年に怪我はなさそうだ。
しかし凄まじい衝撃だった。リュックが吹っ飛び、触手もズタズタだ。馬車の上の死体も随分と周囲に散ってしまった。ふざけるなよ、蘇生が大変になったじゃないか。クソ、お陰で一面血の海だ。
カタリナは――おお、ギリ生きてるな。爆発元に一番近かったからダメかと思ったが。カタリナにしては上出来だ。瀕死だが今すぐ手当すればなんとかなるか。急がねば。
俺は立ち上がろうとして、できなかった。
「動かないで! 動かないでください!」
青年が叫んでいる。尋常じゃない様子。
ようやく気付いた。地面に広がっていくこの血。
俺のか。
「神官さん!」
遠くで声がする。アイギスだろう。こちらへ駆けつけようとしてくれている。しかし恐らく間に合わない。
触手はない。カタリナも戦えない。無防備になったこの馬車へ、魔物が押し寄せてくる。
しかし青年は逃げ出そうとしなかった。大した根性だ。
「ま、待ってください。今、回復魔法を」
「頼みがあります」
俺は青年にそれを託した。
エイダから貰ったハイポーション。飲めばたちどころに傷が治る逸品だ。
やはりその威力は大したものだった。
「神官さん」
カタリナが俺を見下ろしている。ギリギリではあったが、ポーションが間に合った。
「な、なんで……なんで自分で使わなかったんですか! どうして私なんかに」
なんて顔をしているんだ。せっかく死なずに済んだのに。
なんでって、決まっている。俺が回復したところで押し寄せる魔物と戦うことができない。カタリナを蘇生させる時間もなく全滅だ。
この青年は勇者ではないし、まだ正式な神官ですらない。一般の学生を巻き込んでの全滅なんて最悪だからな。
……なんてグダグダ説明している時間もない。
「私は自分の回復魔法でゆっくり傷を治します。だからその間、貴方が私たちを守ってください」
喋るのも辛い。
それを悟られないよう笑顔を作り、一番言いたいことだけを簡潔に伝えることにした。
「貴方ならできるでしょう?」
カタリナが目を見開き、そして強く杖を握った。
風が吹いた。金色の髪がなびく。空を突くように杖を掲げる。先端についた宝玉が強く輝く。
それに呼応するように周囲に暗い影が落ちた。厚い雲が空を覆う。
じきに響く雷鳴。耳をつんざくようなそれが、何度も何度も。魔物の断末魔の悲鳴が響き、焦げた匂いが辺りを漂う。
「す……すごい」
青年が呆然と呟くのが分かった。
かつての伝説の再来――いや、新たな伝説が目の前で繰り広げられているのだろう。
この目で見られないのが残念だ。
「できた……できましたよ! 神官さん、見てくだ」
カタリナの声がどこか遠くに聞こえる。
その表情を見ることはできない。出血のせいだろう。もうほとんど目が見えなかった。
俺は嘘を吐いた。
回復魔法で自分の体を癒すだけの力を俺はもう持ち合わせていなかった。
そして神官学生の回復魔法で助かる程度の傷ではなかった。
「……官さん! 神か……」
体が大きく揺すられるのが辛うじて分かった。
しかし、なんというか、なにもかもが遠い。あらゆるものが遠ざかっていく。
あぁ、そうか。ずっと見てきたが、感じるのは初めてだな。
これが、死か――