ふわふわする。
体が軽い。
なんだかすごく嫌な事があった気がするが、上手く思い出せない。
だからか、それが煽りであるとすぐには気付けなかった。
『今どんな気持ちですか?』
見覚えのあるロリがこちらを覗き込んでいる。
『聞いてますか~? ちょっと脳がなくなっただけで思考できなくなるなんて本当に人間は脆弱ですね』
は? お前が作ったんだろ。
『口がないのに減らず口は治りませんね』
あぁ、だんだん意識がはっきりしてきた。
胸の中に嫌なものが広がる。
『それで? 初めて死んだ感想は?』
最悪だ。それ以外に言葉はない。
とうとう一線を越えた。とんでもないことをしてしまった。その事実をまざまざと感じている。
なんで俺がこんな目にあわなくちゃいけないんだ。
『なに甘いことを言っているんですか? 己の務めを果たしなさい』
ロリが小さな手を叩く。嘲笑うように言う。
『自分で選んだ道でしょう?』
あ~腹立つ。
これは神官としての仕事の範疇を大きく超えている。
俺にここまでさせたんだ。それなりのボーナスがないと割に合わないぞ。
『死んだくせに生意気ですね! まぁでも、試しに言ってみなさい。なにが望みですか』
魔王軍を退け、大司教様は永遠の命すら手にした。
が、そこまでの贅沢は言わない。
もっとささやかな。しかし俺の長年の悲願。
「異動させてください」
すると女神は薄く笑った。
*****
「死んでしまうとは情けないなぁ、ユリウス君」
見覚えのある教会の天井。
違和感があるのは、きっといつもとアングルが逆だからだ。
薄笑いを浮かべてこちらを覗き込むマッド。その手を染める血は、きっと俺のものだろう。
蘇生に励んでいたのはマッドだけではない。
ルッツも蒼い顔でこちらを覗き込む。
この街へ来たばかりの時は真っ白だった神官服がすっかり赤く染まっていた。
「お前の死体が降ってきたときはゾッとしたよ。蘇生できるって分かってても」
俺は今まさにゾッとしている。
最悪だ。
俺は自分で自分の命の価値を地の底にまで落としてしまった。
「神官様が生き返られたぞ! 奇跡だ!」
「うるせぇな。当たり前だろ、勇者なんだから」
歓声を上げるフェイルの頭をグラムが引っ叩くのが見えた。
小さな人影がこちらへ駆け寄る。狼を思わせる耳がピコピコ動く。
「転職おめでとう神官さん。ルビベルと一緒にチュートリアルやる?」
ゆっくりと体を起こし、ルビベルの頭を撫でる。
出会った頃よりも少し背が伸びた気がする。
「すっかり立場が逆転してしまいましたね」
過酷な戦場で生き残る自信がなかった。
だから、俺はかつてルビベルがとったそれと同じ作戦を立てたのだ。
すなわち、勇者への転職。
「ユリウスが神官やめるって言い出した時は何事かと思ったけど。転職しといて良かった」
本当に。転職の儀式が行えるルッツがいてくれたのが幸いだった。
かつてフェイルがそうなったように、俺も大量の“聖晶水”を飲まされたせいでめちゃくちゃ気持ち悪くなった。しかしその甲斐もあったというもの。
マッドが深刻な顔で首を振る。
「そんな簡単な問題じゃないよ。破門された身だから分かるけど――神官としての加護を失った状態での蘇生は格段に難しくなる。大丈夫だったの?」
「私を誰だと思ってるんですか?」
「言うねぇ。さすが」
日々の過酷な労働で身についた技術は俺を裏切らなかった。
とはいえ、俺が死んだのは痛手に違いない。
戦場は今どうなっているだろう。すぐに戻らなければ。
修復の済んだ体は驚くほど軽い。俺は起き上がりかけて、しかし動きを止めた。
「ユリウス?」
命の価値を地に落とし、俺は蘇生の利く体を手に入れた。
しかしだからなんだというのだ。勇者になったことで多少は身体能力が向上しているのかもしれないが、魔物と戦えるほどではない。
事態はなにも好転していない。
俺はまた静かに体を血溜まりに沈めた――
「なに寝てんだよ! こんなことしてる場合じゃないんだろ!」
「イテッ」
鬼畜神官ことルッツ君が俺を強引に血の海から引き揚げた。
死に上がりだというのに、俺を馬車馬のように働かせようというのか。なんて酷いヤツだ。
……いや、確かにこんなことをしている場合じゃないのは分かっている。
かといって無策で戦場へ戻ってもまた同じことを繰り返すだけだ。
決して危険でキツい戦場に戻りたくないわけではない。決して。
「今、戦場は大混乱です。在来の魔物が無限湧きしていて倒しても倒してもキリがない」
「へぇ。大変だね。なんでだろうね」
まるで他人事とばかりにマッドが言う。
そして視線を動かした。
「聞いてみたら?」
当たり前のような顔をして、それは教会の端に佇んでいた。
ほとばしる本能的な恐怖。凄まじい違和感。少女の上半身に、八本の脚。アラーニェ。
「ど、どうしてここに」
俺の問いに答える代わりに、アラーニェはその複眼に嫌悪を滲ませた。
「人間って本当に生き返るんだ……気持ち悪い……」
そうだね!!
生物は多種多様。脚の数、目の数、水棲陸棲卵生胎生……違いは山ほどあるが一つだけ共通点がある。
「死んだら生き返らない」という点だ。
それを俺はむざむざ手放した……本当に最悪だ……
「ご、ごめんって。そんな顔しないで。助けに来たの。私は彼らの作戦を知っている」
アラーニェが慌てたように言った。
確かに彼女は魔王軍側だ。それなりの情報を持っていてもおかしくはない。
しかし腑に落ちない。
「なんで貴方が私を?」
「あなたのお陰でお父さんを助けられたから……」
彼女の父、クルトさんも無事に逃げられたようだ。
そして彼らは大司教様に裏切られたにもかかわらず、まだ人間に失望していないらしい。
「私たちは人間との共存を目指している」
まだそんな事を言っているのか。
思わずため息を吐く。
「そ、そんな反応しないでよ。私だって難しいとは思ってるけど」
難しいなんてものじゃない。
まさに今大規模な戦闘が起こっているこんな状況で、一体なに甘い事を言っているのか。
そんなのは夢物語。というか、絶対無理だ。人間同士でも争うのに異種族で共存だなんてできるはずない。ねぇマーガレットちゃん?
けたたましい音。裏口の扉がぶち破られる。凄まじい勢いで飛び込んできたお馴染みのツタが体に巻き付き裏庭へと引きずり出される。
アラーニェの悲鳴が響く。
「な、なに!? 大丈夫!? それ大丈夫なの!?」
大丈夫だよぉ。
マーガレットちゃんも心配してくれていたのだろう。
いつもよりキツめにホールドし、血で汚れるのも構わず頬ずりをする。
「魔族……!? 本物だ……」
ぶち破られた裏口からアラーニェがおっかなびっくりこちらを見ている。
「人間との共存……しょ、正直無理かなって思ってたけど、イケる気がしてきた……」
いやぁ、無理だと思うなぁ。