「あぁ……」
ため息が反響した。
花のバケモノに丸呑みされたらしい。
が、生きている。幸か不幸か意識もハッキリしている。
あたりはつるつるした壁。腰まで液体に浸かっている。
胃だ。そしてこれは消化液。
激痛の中、足の矢は抜いて回復魔法をかけた。さすがに勇者の体は回復が早い。
お陰で傷は塞がったが、別に事態が好転したわけではない。
早くここを出なければ。
俺は足から抜いた矢を壁に突き立ててみる。
しかしぬるりとした柔らかそうな壁は矢じりをゴムのように弾いて通さない。
足場になりそうなものもなく、登って脱出するのは不可能。
「……このッ!」
壁を殴りつけるが、なにも起きなかった。
「リエール! オリヴィエ!」
俺の声は胃壁に吸い込まれて消えた。
耳を澄ませても外の音は聞こえない。
一体外はどうなっている?
まさか、俺以外全員死んだのか?
もしそうなら外に出たって俺にやれることなんかない。魔物に改めて殺されるだけだ。
血の気が引いていく。そして全身が痛むことに気付いた。
「痛っ……」
体中ヒリヒリと灼ける。肌がヌメヌメする。消化液が皮膚を溶かしはじめている。
表皮を溶かしきれば耐え難い痛みが襲ってくるだろう。そして痛みに悶えながら死ぬのだ。
ゾッとした。最悪だ。これならばカタリナのように即死したほうがマシではないか。
……いや、まだ間に合うか。
外に向けていた矢じりを内に向ける。
胃壁は貫通しなくても俺の皮膚くらいは貫けるはずだ。
ジワジワ溶かされて死ぬくらいなら、いっそ。
矢じりを喉元に突き付け、そしてふと思った。
死んで、目が覚めたとき世界が滅んでいたら。
俺はなにもできなかった自分と守れなかった世界を呪いながら生きていくのだろうか。大司教様がそうだったように。
いや、あの時と今は違う。
それにこの状況で他にどうしろと言うんだ。痛みに苦しみながら溶かされて死ねば世界が救えるのか?
今すぐに死んで、フェーゲフォイアーからここに戻ってきた方が早い。
……でも、それで間に合うのか?
アイギス率いる勇者は、俺たちがこの花のバケモノを倒すことを信じて戦い続けてくれている。しかし彼らも疲労困憊だ。俺抜きでいつまで持つか。
迷っている間にも時間は進み、胃液が俺の皮膚をゆっくりと蝕んでいく。
考えている時間など無い。
勇者になったんだし、死んでも大丈夫。大丈夫。大丈夫……
「クソッ!」
矢を投げ捨てる。
なにが大丈夫だ。なにも大丈夫じゃない。
そもそもこんな矢なんかで自殺なんてできない。
矢とは言っても所詮魔物の作ったもの。矢じりなんか、ちょっと尖った石という程度だ。
せめてナイフがあれば。懐を探るが、ない。多分死んだあとに着替えた神官服の中に入れっぱなしになっている。
最悪だ。俺には最初から選択肢など無かった。ここで痛みに苦しみながらジワジワ死んでいくしかないのか。
頭を抱え、俯く。その時ようやく気付いた。
足元でなにかが煌めいている。
金色の……海藻? いや、違う。髪の毛だ。
胃の底に沈んでいるそれを掴む。なにやら覚えのある感触。
ああ、そうだった。俺は一人じゃない。ここには先客がいたじゃないか。
「ふふふ……あははは!」
カタリナの生首を掲げる。
飽きるほどに見てきたが、こんなに嬉しい気持ちになったのは初めてだった。
俺の高笑いがバケモノの消化管に響き渡る。
その次に響いたのは、蘇生を終えたカタリナの悲鳴だった。
「い、一体なにがどうなってるんですか。なんですかここ!」
「花のバケモノに食われて消化されている最中です。このままだと私たちはジワジワ溶かされ地獄の苦しみを味わいながら死にます」
「ええっ!? じゃあなんでわざわざ蘇生させたんですか!」
「もちろん貴方に殺してもらうためです」
「……え?」
なにボサッとしてるんだ?
時間はない。肌を焼く痛みが強くなってきた。
俺は両腕を広げてカタリナに迫る。
「さぁ杖を持って! 早く! 早く!」
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いてください。こんなの普通じゃありません」
「もう痛くて仕方がないんです。お願いですから一刻も早く楽にしてください」
「ッ……わ、分かりました。神官さんがそう言うなら」
カタリナがようやく杖を構える。
杖の先端が強く輝く。それをカタリナは俺に向けた。
「今、楽にしてあげますからね……」
「ああぁ!? なにしてんですか!?」
「へ?」
杖を掴み、先端を逸らす。
眩むような強い光。頬に熱を感じる。髪が焦げる匂い。
放たれたカタリナの魔法は俺の顔をかすめていった。
間一髪だった。
「なにするんですかーッ!? 頭湧いてるんですか!?」
「こ、殺して楽にしてくれってことじゃ」
んなわけねぇだろ!
俺は文句を言おうとして、結局言葉はため息に変わった。
射し込む光に目を細める。カタリナの魔法が胃壁を突き破り穴を開けていた。
結果的に魔物は殺せたし出口もできた。これ以上なにを望もう。
さぁ早く出なければ。俺たちには呑気に死んでいる時間などない。
穴をくぐりかけて、そして慌てて身を引っ込めた。
そうだった。俺たちは魔物に囲まれていたんだった。今、戦況はどうなっている?
俺はそっと穴から顔を覗かせる。パステルカラーの瞳がこちらを覗き込んでいた。
「ひっ」
白い腕がぬっと伸びて神官服を掴んだ。
ものすごい力で俺の体を外へと引きずり出す。
リエールだ。
「ユリウス。死ぬときは一緒、なんて言ったけど」
悲鳴を飲み込む。なにをされるのかと身構える。
が、なんてことはない。
リエールは俺の胸に顔を埋めただけだった。
こちらを見上げるパステルカラーの瞳から大粒の涙がこぼれる。
「もう二度と死なないで。あなたと二人で生きたいの」
また変な術をかけられたに違いなかった。
舌がもつれて上手く言葉が出ない。
リエールから目を離すことができない。
その術はオリヴィエが悲鳴のような声を上げるまで解けなかった。
「神官様ぁ! すみませんが戦いの最中です。回復魔法をお願いします。早急に!」
「は……はい。もちろん!」
俺はオリヴィエと、そしてリエールの傷を癒す。二人ともボロボロだ。
絶望的な戦力差の中、俺たちが腹の中から這い出すのを信じて戦い続けていたのだ。
バケモノの腹の中で死ななくて良かった。
勇者共に簡単に諦めて死ぬなと言い続けてきた俺が自殺なんてしたら一生笑いものだ。
周囲はまさに地獄のようなありさまである。あちこち血だまりと魔物の死体だらけだ。
しかし生きている魔物もまだまだ多い。
やはり二人でこの数を相手にするのは厳しいだろう。
しかし今は四人いる。
穴から這い出てきたカタリナが、ローブにしみ込んだ消化液を絞りながら声を上げる。
「範囲攻撃なら任せてください!」
カタリナが杖を振りかざす。
瞬く間に辺りに影が差す。空が厚い雲に覆われる。
ベアトリーチェが好んで使っていたというその魔法は、カタリナにも非常に合っていた。
つまり命中率の低さを手数で捻り潰す魔法だ。
空から放たれる無数の稲妻が雨のように降り注ぎ、魔物を倒していく。
しかしまだ威力が追い付いていないのか。魔物を殺し切ることができない。
オリヴィエとリエールが飛び回って感電した魔物にとどめをさしていくことになったが、雨のように降り注ぐ稲妻は当然のごとく仲間にも牙を剥く。
お陰で俺も随分と働かされることになった。
すべての魔物が動かなくなり空が晴れる頃には、早く教会へ帰りたいということしか考えられなくなっていた。
「勝った……? 勝ったってことで良いんですよね?」
「はい、ほとんど完勝ですよ。カタリナの稲妻で僕らも結構死んだのであんまり実感ないですけど」
「ご、ごめんってば。でものんびりしている暇はありませんよ! はやくアイギスさんたちの元へ戻らないと」
俺は絶望的な気分になった。
魔物を呼び寄せていた花や、その護衛をしていた魔王軍は俺たちで倒した。
しかしすでに呼び寄せられた魔物や残存した魔王軍の連中はどうなっているのか。
カタリナの言う通り、すぐに戻るべきだ。
しかしもう体が動かない。魔力もほとんど残っていない。
向かったところでどれほどの働きができるか。
……が、どうやらその必要はないらしい。
俺は脱力し、その場に寝ころんだ。
さすが俺の犬は優秀だし躾けが行き届いている。俺に唸るほどの金があればここに銅像を建てるのに。
森を抜けてこちらへやってくるアイギスと勇者たちが見えた。
「魔物たちの殲滅は完了。新たに湧いてくる様子もないので、お迎えに上がりました」
「さすが仕事が早いですね」
終わったのだ。
俺たちは魔王軍を退けた。
しかし達成感よりも疲労感のほうが強い。
いっそ自殺して教会へ転送してもらいたいくらいだ。
だが、せっかく生き残ったんだ。勝ち取った生を嚙み締めながら粗末な馬車での旅を楽しもう。
「帰りましょうか。フェーゲフォイアーへ」
帰ったらやることは色々とある。
まずはルッツに頼んでさっさと勇者から神官へ転職し直そう。
死なないからといって冒険に連れ出されでもしたら大変だ。
そしてもう一つ。一番重要な事。
俺は約束を果たした。
今度は女神が俺の願いを聞く番だ。