ある日の夜。
一日の仕事が終わり、血の匂いの残る教会でその宴はしめやかに開かれた。
ルッツが杯を掲げる。
「ルカ君! フェーゲフォイアーへようこそ~!」
新人歓迎会である。
とはいってもそれほど大々的なものではない。
教会の隅に設置した机の上に街で買ってきた料理と飲み物を俺、ルッツ、ルカ君の三人で囲む小さな宴だ。
「ごめんな、ルカ君。もっと盛大にやりたかったんだけどユリウスがダメって言うから」
「そりゃそうだろ。予算もないし、勇者なんか参加させたら絶対殺し合いになる」
「いえ! 俺のためにわざわざ集まっていただいてありがとうございます」
ルカ君は薄幸そうな顔に爽やかな笑顔を浮かべる。
なんて模範的な後輩なのだろう。性癖ヤバい疑惑が嘘のようだ。いや、もしかしたら俺の勘違いだったかもしれない。こんな好青年の性癖がヤバいわけないじゃないか。
まだまだ戦力になっているとは言い難いが、初めてできた同じ職場の同僚。大事に育てていきたい。
目下の課題は、彼がこの街でやっていけるのかである。
「今日はなにしてたんですか?」
歓迎会の準備の間、主役のルカ君には外に出ていてもらっていた。
一時間程度の短い時間ではあるが、ここでは貴重な自由時間。彼はこの街を楽しめているだろうか。
答えたのはルッツだった。
「そういえばルカ君、カメラ持ってウロウロしてたよね?」
「へぇ、写真が趣味? かっこいいですね。なに撮ってたんですか?」
「え、ええと……恥ずかしいのでナイショです!」
ルカ君がはにかみながら答える。
俺も笑顔を浮かべたが、心中は穏やかではなかった。
趣味があるというのは素晴らしいことだ。しかしこの職場では趣味に使える時間など取れない。
それがストレスに繋がり、休職するなどと言い出さないだろうか。せっかくできた後輩を失いたくない。
とにかくこの話題はやめよう。俺は話を逸らすことにした。
「ルッツこそ何してたんだよ。準備も手伝わずぶらぶらして」
「さすがにこのメンバーじゃ代わり映えしなさすぎるから、別の人にも声かけといたんだよ」
「……別の人? 誰だそれ」
「勇者じゃないから心配すんなって。きっとためになる話が聞ける。なにせユリウスの先輩だからな」
「えっ、フェーゲフォイアーにまだ神官がいるんですか?」
ルカ君が無邪気に尋ねるが、俺はとても答える気にならなかった。
嫌な予感がする。
「ひ」
ルカ君が顔を強張らせた。
その視線をたどり、俺も思わず息を呑む。
触手だ。
細く長いタコのようなそれが扉の隙間から入り込み、鍵を開ける。
どうやら俺の予感は当たったらしい。
触手鍵あけで扉を開けたマッドとジッパーが軽やかに足を踏み入れた。
「お招きいただきありがとうございます」
「ユリウス君の方から誘ってくれるなんて嬉しいよ。……ん?」
マッドがルカ君に視線を向ける。
怪訝な表情を浮かべ、無遠慮に彼を指差した。
「誰?」
ルッツが苦い顔をして応じる。
「俺、説明しましたよね? 今日の主役のルカ君ですよ。ユリウスの後輩の」
「そうだっけ? 興味ないから忘れちゃった」
突如乱入してきた白衣の男とボンデージを纏ったウサギ頭にルカ君も困惑している。
「ユリウス神官、彼らは一体……?」
「彼は元神官で、極稀に蘇生を手伝ってもらうことがあります。横のウサギ頭は……まぁ助手というか……」
「元神官って、どういうことですか?」
俺は口ごもった。
神官と言うのは簡単に辞められるものではない。よって“元”神官という肩書を持つ人間は少ないのだ。
しかしこれをどう説明したら良いのか。
隠しておけることでもない。いずれバレることだろう。それでも、このおめでたい歓迎会の席で話すようなことじゃない。
俺はなんとか誤魔化そうと口を開きかけるも、先を越された。
ルッツが平然と呟く。
「この人、破門されてるから」
……コイツやりやがった。
案の定、ルカ君の顔付きがみるみる険しくなる。
「そんな罪深い人間と付き合うべきではありません!」
神官が破門されるというのは並大抵のことではない。街を歩けば石を投げられるような凄まじい大罪なのだ。
この街の人間は感覚が麻痺っているのでまったく気にしていないが、まだこの街に染まっていないルカ君は激しくマッドを糾弾した。
「立ち去りなさい。あなたには教会の門をくぐる資格すらない!」
「あはは。新参者のくせに大きいこと言うね」
ヘラヘラと笑いながらマッドはルカ君の顔を覗き込む。
「そんなことだとどうせこの街じゃやっていけない。半年と持たず逃げ出すさ。じゃあ半年後に逃げても今消えても同じことだとは思わない? ねぇジッパー」
「ええドクター。ちょうど成長期に入った触手株があります」
ジッパーがボンデージの中からガラス瓶を取り出した。釣り餌に使うイモムシのような短い触手が大量に蠢き、瓶を激しく叩いている。
世界を救うという大業を成し遂げてようやく手に入れた後輩に一体なにしやがる。
俺は慌てて立ち上がり、二人の間に割って入る。
「二人ともいい加減に――」
と、その時。裏口の扉が開いた。
ナメクジのように血の染みを付けながら這う人影。
オリヴィエだ。
「た……助けて……」
言葉が血反吐に代わる。息も絶え絶えでこちらに手を伸ばしてくる。
どうせまたマーガレットちゃんと遊んでいたのだろう。
今日は珍しく死んでいないが、時間の問題だ。
酷い傷。腹部の穴からとめどなく血が流れ出る。
おかげでせっかくの歓迎会が残業に早変わり。クソが。いい加減にしろよ。今日の夜は死ぬなって周知しただろうが。
が、そういう問題ではなくなった。
ジッパーの手の中で小瓶が割れる。血の匂いが触手を刺激したのだろう。
マズイと思ったときには遅かった。
飛び出して行った触手がオリヴィエの傷口から中へ入り込む。
ジッパーがそれを「成長期に入った触手株」と呼んでいた意味がようやく分かった。
目の前で繰り広げられる最悪の光景。
オリヴィエの体に触手の根が広がっていく。その命を糧に成長し、蠢く。
生命の冒涜。そんな言葉が浮かんだ。
凄惨な死体を山ほど見てきた俺も、さすがにこれは直視し難かった。
「お、俺これ無理……」
顔を蒼くさせたルッツがよたよたと教会を出て行く。
俺もそうしたかったがそういうわけにもいかない。
マッドに掴みかかる。
「なにしてるんですか! どうするんですかコレ!?」
「触手苗床の刑がまだだったからちょうど良いよね」
ふざけんなよ、ヘラヘラしやがって。
こんな激ヤバ地獄絵図を、よりによってルカ君の歓迎会でお披露目するんじゃねぇよ。
地獄絵図にはすっかり慣れた俺ですら夢に見るかもしれない光景だ。耐性のない人間ならトラウマ必須。
俺は慌ててルカ君を避難させようとしたが、どうやら遅かった。
ルカ君が全速力で教会から飛び出して行く。声をかける暇もなかった。
俺は膝から崩れ落ちる。
終わった。
せっかくできた後輩をたった今失ったのだ。
「ユリウス君」
マッドが俺の肩に手を置いた。
心底気の毒そうな声。
そして慰めるように言う。
「やっと邪魔者が消えてくれたね。じゃあ三人でご飯食べようか」
テメェぶち殺すぞ!!
俺はマッドに掴みかかろうとしたがジッパーの触手に足を取られてあえなく転がされた。
クソッ、どいつもこいつも。どうして歓迎会のわずかな時間を平和に過ごすことができないんだ。
しかしマッドが理解できないとばかりに首をひねる。
「なんで怒るの? これくらいで音を上げるようならどうせ続かないよ」
……それは確かにそうだ。
いくら隠そうとしたって、いつまでも隠しておけるものではない。
この街にいる限りいつかはこういった光景に出くわす。遅いか早いかの問題だったのかもしれない。
やはり俺に同僚ができるなんて夢物語だったのだろうか。
――いいや、そんなことはない。
ルカ君は学生でありながら魔王軍との戦いを乗り越えた男。これくらいで逃げ出すような人間じゃない。
ルカ君は戻って来た。
全力で走ったのだろう。息を荒げ、紅潮させた顔で、転がり込むように教会へ飛び込んできた。
「ル、ルカ君……!」
思わず感涙にむせぶ。
なにを弱気になっていたのだろう。先輩が後輩を信じてやれなくてどうする。
ルカ君が顔を上げる。
肥料と化したオリヴィエに視線を向け、手に待ったカメラを掲げる。
「写真、撮って良いですか」
「……なにに使うの?」
マッドの問いに、ルカ君ははにかみながら答えた。
「恥ずかしいのでナイショです!」
……しかも趣味と職務を結びつけることができる逸材だ。なんて素晴らしい後輩だろう。
「前言撤回するよ。街には馴染むだろうね。でも神官としてはいつまで持つかな……ねぇユリウス君聞いてる?」
俺はそっと己の耳を塞いだ。
今はただ、後輩ができた喜びを噛み締めていたい。都合の悪い現実など見たくはなかった。
コミカライズ4巻発売&完結記念として、コミカライズを担当していただいているタナカトモ先生とコラボしていただけることになりました!
コラボ番外編はコミカライズ発売日の6月7日に投稿する予定です。
お楽しみに!